#373 不可能な贈与
「それで、やっとあの紙がなんだったのか教えてくれるの?」
七海はハーフリムのブリッジに指を当てながら、そう言う。
柔らかな間接照明がぼんやりとテーブルを照らす。食器の縁の曲線が穏やかにその光を返していた。そんな食器を挟んで座るのは一人の男子高校生と内閣のために働く一介の諜報員。
七海と葵はユエスレオネに到着した後、しばらくしてからホテルのレストランで顔を合わせていた。
乗り込んでから到着するまでの数分の間、七海と葵は必要なやり取りを除けば無言で過ごした。搭乗する前に見せられた紙について、詳しい話をあんな密閉空間で行うのはあまりにも不用心にすぎる。七海がそれで話をしなかったからか、葵もまた黙ったままであった。
話が進んだのは、ホテル入りした後のことであった。別室を用意されていた葵から、レストランで話があると呼び出されたのだ。
「まあ、そうだな。例の紙はシェルケンの入会説明会の案内みたいなもんだ」
「テロリストの入会手引なんてどこで手に入れたの」
顔を歪めた七海が問いかけると、葵は得意げに鼻の下を擦りながら続けた。
「ま、外務省に関わってたときに色々とあってな」
「……連邦政府に怪しまれるんじゃ」
「まあ、そこは大丈夫だろ」
大きな口で目の前の肉に齧り付いた葵は、数回の咀嚼を経て、フォークの先で弧を描いてから、それを飲み込んだ。
「シェルケンってのはただのテロリストじゃねえ。社会で静かに生活している穏健派だっている。そういった奴らを無用に突くのは次の選挙に響くだろ? 異世界とはいえ、政治は政治なのさ」
「……でも、穏健派に繋がったところでデュインへの切符は得られないんじゃないの」
「さあな、そういったところに過激派が混ざってるってのはあんたが一番知ってるんじゃねえか。ミス・ナイカクジョウホーチョウサシツさん」
煽るような文句を聞いた七海は顔を背けて、無言で返した。
彼女が視線を外したのは彼の言葉が不満だったからではない。そうして、周囲の様子を自然に視野に潜り込ませるためであった。
同じ場所に居る人間を一瞬で記憶する術は、彼女が最初に習得した諜報戦術だった。
「それで、いつその説明会に行くの?」
「そりゃ明日さ、ほら書いてあっただろ。 "junafla'd dqate ciumil"って」
「ユナ……なんですって?」
「なんだ、"penul xixiex"も知らないのか。『ユナフラ月の第三裁曜日』だよ」
「……日本人でも分かるように説明してくれる?」
七海の問いかけに葵はため息を付きながら、やれやれと首を振る。
「ともかく、明日だ。俺達はシェルケンに感化された異世界人という体でいく。くれぐれも足を引っ張るんじゃないぞ」
「……随分挑戦的ね。まあ、良いでしょう。私はもっと大胆な策を練ってたけど、その前に試してみる価値もありそうだし」
今度は葵が怪訝そうに眉を潜めた。
「大胆な策だぁ?」
「異世界に飛ぶ機械を乗っ取るとか」
「よくもその考えで人の提案にケチつけられたな……」
冗談も程々にその夜は更けていくのであった。




