#371 再出航
「東京襲撃の件も含めまして、日本政府としては、連れ去られた国民の救出に全力で取り組む所存であります」
度重なる光、四角い画面の端には「激しい光の点滅にご注意ください」と現れる。定型文を述べた官房長官の姿を、一人の女がつまらなさそうに見つめていた。
短めのボブの黒髪、赤縁のアンダーリムに手を掛けた彼女の名前は、橋本七海――雪沢豊雨として周囲を欺き、陰謀を阻止したエージェントの一人。
内閣情報調査室第14課に所属する彼女は、課長の禿頭の上に映るワイドショーが面白半分に流しているようなニュースを見ながら、ため息をついた。
「まるで、何時ぞやの深夜アニメみたいだねえ」
「そんなことを言っている場合ですか」
七海は腑抜けたことをいう課長に顔をしかめる。
「ユエスレオネはシェルケンをどうにかできる戦力を持っている。拉致からこちらに攻め込む計画を予期しないほど先方もバカじゃないだろう? 治安は心配していないさ。我々にとっての関心事は手を出すのがどこかというところだ。防衛省か、或いは別の何者か。それが問題だろう」
「……さすがは公調時代に『フィレンツェのサムライ』と呼ばれたお方ですね」
課長は手元の茶を一口啜ると、少し双眸を緩め七海を見上げた。
「その呼び名はあまり好きじゃないと言っているじゃないかあ、七海ちゃん。工作員にサムライはないだろう、欧米人は何かとサムライとかハラキリとかゲイシャとか言いたがる。最近と来たら――」
「そんなことはどうでもいいんです。現状を整理すれば、高度なリパライン語能力を持つ人間が二人もあちらに取られたんです」
「それで、彼の弟――誰だっけ、葵くんはもうこっちの手の内かい」
「ええ、もうすでに」
七海の後ろから腕を組みながら、不満げな一人の少年が出てくる。
褐色の肌、切り込まれたような光のない眼、すらっとした鼻、堅苦しそうな口元、ぼさっとした黒髪。黒のパーカーのフードが頭を包んでいる。
「外務省と違ってこっちは来客に茶も出さないのか、ふんぞり返った官僚主義らしいな」
横暴な態度に課長は満面の笑みで答えた。
「高校生のくせによく口が回るようだ。通訳としては上々じゃないか」
「すみません、私からしっかりと指導しておきます」
「僕は別に怒ってないよ?」
きょとんとした課長の顔を見て、七海はまた深い溜め息をついた。
「ともあれだ」
そう言った課長は、茶菓子の醤油煎餅を一口齧って、もっちゃもっちゃと咀嚼してお茶で流し込むとその先を続ける。
「早急に二人を日本に引き戻さないといずれにせよ面倒なことになる。君と葵くんは行くべきところに行かねばならない」
「ユエスレオネ、そしていわゆるデュインと呼ばれる場所……」
七海の顔は少しひきつった。
異世界を飛び回って、ウマい飯を作ったり、英雄になったり、パーティーから追放されたりするのは内調――内閣情報調査室――の仕事ではない。だが、今回だけは話が違う。
接触した日本が先手を取っていたのは、八ヶ崎翠や浅上慧の助力あってのこと。その逆を異世界テロリスト集団にやられているのだ。ユエスレオネこそ地球人側の立場に立っているものの、それすらいつまで力関係を維持できることか。
優先すべきは八ヶ崎や浅上を取り戻すことである。
「明日、ユエスレオネ連邦の人間が君たちを迎えに来る。デュインにおけるテロリスト――シェルケンは依然連邦軍と交戦を続けていて、デュインには容易に入れる状況ではない。君たちは政府の外交官という体で連邦に入るわけだから、彼らも行きたいと言われて通してくれるわけじゃないだろう」
「無理矢理にでも侵入を果たすというわけですね」
「それが今回の仕事さ」
課長は両手を広げて、満足げに頷く。
「というわけで、昨日今日という話ですまないが、頑張ってくれたまえ。こちらでも出来るだけのサポートはするつもりだが、いつも通り秘匿された作戦だからね。出来ることには限りがあるから――」
「承知しました」
課長が言い終わる前に七海は踵を返して、部屋を出ていく。残された葵もややあって、課長の張り付いたようなアルカイックスマイルを一瞥してから、気味悪さを覚えたような顔で部屋を後にするのだった。




