#357 ケモミミは付けるものか、生えるものか
――在ユエスレオネ連邦日本大使館・二階職員執務室A
デモの声を背後に車は大使館の裏を通っていった。そこから降りて、豊雨の背を追って、狭い路地の間を何度も右往左往する。聞けば、これは緊急時用の入り口らしく、表から入ると中に押し入られる可能性があるときに使う通用口のようだった。そこから、豊雨がいつも使っているという仕事場の部屋に案内してもらったのだった。
「それで、俺は何をすれば良いんですか?」
デスクに散乱したと書かれた書類から視線を逸しつつ、俺は問いかける。書類の上には、情報の管理レベルが書かれていてその中には「特定秘密」の文字もあった。余計な情報を知って、逮捕なんてザマになったらシャリヤを救い出すところではない。見ざる聞かざる言わざるとは、良く言ったものだ。
ただ、流石にここにある書類には「取り扱い注意」という五段階中の三段階目に丸印が付けられたものまでしかないようだった。まあ、新人でも外交官ならもう少しデスクは整理したほうが良いだろうと思うが。
豊雨は俺の質問にこくりと頷くと、窓のシェードを引き上げた。
「まず、専門調査官としての八ヶ崎さんの仕事は、デモの目的を報告するレポートを作成することです。大使経由で外務省に送り、今後の検討材料にします」
「大使館の前に居る連中のことを分かる限り、叙述しろってことですか」
「まあ、そんなところです。それよりも第二の役目の方が重要です」
「デモの解散交渉ってところですか」
豊雨は我が意を得たりとばかりに指を鳴らした。
「一応、在外公館警備対策官2名が警備に付きます。身の安全は心配しないでください」
そう豊雨が胸を張って言った瞬間、執務室のドアが背後で開いた。
「遅れてごめん、豊雨ちゃん! 準備で手間取って……」
部屋に入ってきたのは、迷彩服の二人組みだった。一人は見覚えがある。
温和そうな顔に丸眼鏡、パッとしない外見だが、その中身は抜け目のない男。
「――谷山さん、来てたんですか」
「あ、久しぶりだね、翠君。一応ここの警備対策官として派遣されることになったんだよ。伝えるすべも無くて、事前に伝えられなかったんだけどね」
「結構都合のいい抜擢ですね」
「まあね、捕虜のことは残念だったけど、ここからでも出来ることはあるから」
豊雨は俺と谷山の会話に首を傾げていた。まあ、彼女には俺たちがどういう関係なのかは、谷山が教えてないなら知る由もないだろう。
「と、ともかく再会のお話は後です、谷山陸佐。デモをどうにかするのが今の話です」
「あ~、まあそうだったね。別に投石とかしてないから、下手に弄るのもどうかと思うけどねえ。翠君はどう思う?」
谷山に訊かれつつ、俺は窓越しにデモ隊を見下ろす。
武器などを持って集合している様子はない。思った通り、ケモミミを付けている者が多い。彼らが持つプラカードには "Aduarne agriefessol!" と書いてある。最前列の人が持つ横断幕には "Melses agriefe'd fafsirle'c nihona's!" との文言があった。
俺は向き直り、谷山の方を見た。
「おそらく、彼らはアグリェフという社会集団なんだと思います」
「おそらく……というのは?」
「ここに来た初日にもデモ隊に遭遇したんですが、そのときも同じ言葉を使っていました。ケモミミを付けていることで、普通のリパラオネ人やその他の民族とは区別されるんでしょう」
「なるほど、厄介事に日本を巻き込もうってわけか」
「彼らにとっては国に訴える手段の一つなんだと思いますが」
ふうむ、と谷山は顎を撫でながら納得した様子になる。
一方で豊雨は何か腑に落ちないような顔をしていた。
「八ヶ崎さんは、ケモミミを付けていると表現するんですね」
「そうですけど、それが何か?」
「私には》ように見えるんですよ」
もう一度、窓から集団を見下ろす。確かに装飾ならあるはずのカチューシャのような部分は見えない。しかもよく見ると、しっぽまで生えている者も居た。先日会ったニェーチのことが思い出される。彼女のケモミミも装飾とは思えないものだった。
アグリェフたちは、ニーネンシャプチから来たのだろうか。どちらの情報もあまり十分ではない以上、確定できる要素はない。
谷山が感心した様子で唸る。
「アグリェフというのは、さしずめ『獣人』というところなんじゃないかな?」
「まるでファンタジーみたいですね……」
「まあ、ウェールフープとかいうファンタジーがもう既に目の前にあるのだから、今更獣人くらいで驚かないけどね」
俺は首を傾げた。
その獣人たちがユエスレオネでは虐げられているって現状を日本から国に指摘して欲しいということだろうが、何故そんなまどろっこしい手段に出ないといけないのだろうか。
問題はもしかしたら、より複雑なのではないか。その複雑な背景はここから眺めて、妄想するだけでは理解できないのではないか。
「俺、ちょっと話してきます。表から出るので、通路を教えてください」
「あ、え、もうですか?」
「それが仕事なんでしょう」
豊雨は何故か少し戸惑いっていた。しかし、ややあって頷いて、下階への道を案内したのだった。




