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#323 シボレス


 衝撃に呆然自失となる。何か有用な情報を得ようと、カセットテープを巻き戻すように記憶を辿る。

 一体いつ、どうやって俺たち二人に気づかれずに文書をこの部屋から持ち出した? カードキーも、鍵も常に出るときは持ち歩いていた。紛失した覚えはないから、スリなどで奪われた可能性は無い。俺たちがブランチに行っていたうちに侵入した? ありえない、鍵は破壊されていないし、窓の外は数百メートルのガラス張りだ。窓の清掃なんて聞いてないし、あるとすれば……


『もしもし? 翠君、翠君?』


 心配げな谷山の声が聞こえてくる。それで現実に戻った気がした。


「は、はい、こっちも無くなってるのを確認しました」

『分かった、それよりも気をつけてくれ』

「何をですか?」

『書類の動きが奇妙なんだ。ホテルの周りを行ったり来たりしているんだ』

「行ったり来たりしている? 書類を盗み出したってことじゃないんですか?」

『いや、正確には人目につかない物陰を移動し続けている感じだ。ただ、やっぱりホテルからなかなか離れようとしないのが怪しいんだよ』


 その言葉からは相手が何かを画策しているのではないかというニュアンスを感じ取れた。


「分かりました。自衛官の方が来るまではドアを開けないようにします」


 そうしてくれ、というと通話は切れた。俺の逼迫した雰囲気を感じ取ったのか、緊張した面持ちでシャリヤはこちらに近づいてきた。


"Fhasfa voles?"


 心配そうな声色は事情を知りたがっていた。おそらく "voles" は「起こる、発生する」という意味の単語だろう。

 俺はシャリヤに余計な心配をさせないよう気をつけて言葉を探した。


"Akrunfterle'd nefstirdzelerss mol niv. Tanijama xici lkurf veleso icveo fhasfa'st la lex'it."

"Pa, miss mol loler liestu fal fqa. Edixa rironastan at es korlixtel."

"Rironasti? Harmie la lex es?"


 聞き慣れない言葉を聞き返してみると、シャリヤは玄関の方に向かった。そして、鍵の取っ手を捻って、開けたり締めたりする。


"Fqa es riron. Fqa veles ny peno ja fal miss eski tydiestil?"

"Ja."


 なるほど "riron" は「鍵」を意味するらしい。シャリヤも俺と同じ疑問に至っていたというわけだ。しかし、実際に棚の中の茶封筒は消えている。


"Xalijasti, tanijama xici lkurf ny la lex. Deliu niv miss eski tydiest pesta sesnudersse'd larta klieil. Firlex?"


 シャリヤはこくこくと頷いた。

 それから十数分の間、緊張した時間が流れた。俺たち二人は沈黙したまま、情報の更新もなく人が来るのを待っていた。ガラス張りの窓の眼下に続く道路には日常のように車が行き交っている。そんな景色を見て、何か世界から取り残されているような気がした。

 しばらくしてから、部屋の呼び鈴が鳴った。谷山が送った自衛官が来たのだろうと一瞬は考えたが、他にも様々な可能性がある。うろついていた奴が戻ってきた可能性。しかし、どう確認する? 鍵を壊さずに、侵入し文章を手にすることが出来る連中だ。むやみにドアのに近づきたくはない。

 そんなことをぐだぐだと考えていると、既にシャリヤがドアの前に立ってしまっていた。止めようと声を発した瞬間、彼女は解錠してドアを開けてしまっていた。

 そして、そこに立つ人影を認めて、こちらに振り向いて笑顔になる。


"Sesnudersse'd lartasti!"


 安心した様子のシャリヤを背後に下げて、よく観察する。確かに、最初に現れた基地でよく見た野戦服と同様の装備だ。出で立ちも日本人らしい。しかし、俺は何か違和感を感じていた。


「谷山さんに命じられてきたんですか」

「ああ、もしろんだ」

「他の隊員は何処に居るんです」

「しょっと時間が掛かっているけど、じきに到着するだろう」

「そうですか」


 俺がそう答えると、目の前の自衛官は帽子を深く被り直した。


「彼らが到着する前に、ここを離れて安全な場所に移動しよう」


 そういって自衛官は手を差し伸べてくる。しかし、俺は彼に手をかざしていた。不思議そうに首を傾げ、目を細める男の前で俺は既に行動を決定していた。

 レフィに教えてもらったその言葉を思い出し、対象に意識を集中させ、そして詠唱する。


"Ban missen tonir l'es birleen alefis io mi xlais ――"


 目の前の男は警戒心を顕にし懐に手を入れたが、すでに遅かった。


"Dexafelk!"


 瞬間ウェールフープが発動し、手から炎が吹き出した。その衝撃で男は弾き飛ばされ、反対側のドアに叩きつけられる。同時に懐に入れていた手が、壁に叩きつけられ掴んでいたサバイバルナイフが床に落ちる。すかさず俺は部屋を飛び出してそれを拾い、男を押さえつけ首元に突き付けた。

 動けなくなった相手は目を剥いて驚いていた。


「な、何故分かった!? 変装は完璧だったはずだ!!」

「シボレスだよ」

「あ?」

「士師記12章5節から6節」


 男は拍子抜けした様子で俺を見ていた。俺は教養のない相手にため息を付きながら、説明を始める。


「お前はさっき日本語を喋っていたが、/t??/の音素を含む単語を4回も/?/と発音した。しかも、/h/を1回、脱落させて発音した」

「ぐっ……それがどうした!」

「お前、フランス語話者だろ。特定の音素を繰り返し間違えるとき、ある程度普段遣いの言語が分かるんだよ」

「し、しかし、それでは言い間違いと区別でき――ぐぼっ、ごへっ、ぐべあっ!」


 言い切る前に俺はサバイバルナイフの柄で何度も殴りつけて、男を気絶させる。


「馬鹿。そもそも『何故分かった』って言った時点でオチてるんだよ」


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