#321 「またどうした?」
その後はしばらく公園の周りを散策してから、ホテルに戻ってきた。先日渡された文書の翻訳との睨み合いが始まることになる。
俺とシャリヤはお互いに向き合って座り、俺が文章の分からない点を質問しながら、少しづつ日本語への翻訳文をノートに書き記していく。そんなやり方を今回は試してみようと思った。
"Lecu miss fas."
シャリヤはそんな封切りの言葉に無言で頷いた。強い眼差しが「どんな表現でも来なさい」という彼女の自負を表しているようだった。
文書に目を向ける。始まりはこんな感じだ。
『Panqate cece'd licarbal nat dexafeles liaxu.』
なるほど、この文は "licarbal" しか分からない単語がない。これさえ理解できれば、すぐに訳せそうだ。
"Xalijasti, licarbal es harmie?"
"La lex es kraxaiun mels dexafel."
ふむ、 "dexafeles"ものなのだから火に関係しているのは確かだ。シャリヤは更に説明しようと、鉛筆で紙に何かを書き始めた。燃えている焚き火と、燃え尽きたものだ。いや、よく見ると殆ど燃え尽きた中にまだ燻っているものも見える。
"Fgir es licarbal."
"Hmm......"
日本語で表すなら「燃え残り」とかだろうか。それなら、さっきの文章の直訳は「最初の攻撃の燃え残りはまだ燃えている」と訳せる。だが、シェルケンが東京を燃やして、そこが燃え残っているというわけではなかろう。どうやら "licarbal" は「影響、余波」といった意味にも形容的に使うことが出来るらしい。というわけでこの文の訳は「最初の攻撃の余波が未だ残っている」くらいだろうか。
次の文章に目を向けようとしたが、シャリヤが脚を組み替えたのに目が惹かれて少しばかり深青のカラータイツに包まれた彼女の脚を見つめてしまった。
"Cenesti?"
"A, ar, lecu mi xel qate leiju."
なんだかシャリヤが面白く無さそうな表情を見せたような気がするが、気にしないことにした。
次の文に行ってみよう。
『Deliu miss mak tisod arzargastan.』
今度の分からない単語は "mak" だ。何故かふてくされ気味のシャリヤに声を掛けてみる。
"Xalijasti, mak es harmie?"
"Celde mak es harmie!"
それまで不機嫌そうに窓外を見つめていたシャリヤがいきなり立ち上がる。勢いよくオウム返しされ、俺は言葉を返すこともできない。何か気に触ることを言ってしまったのだろうか……?
腕を組んで「ふんっ」といった様子のシャリヤ。ううむ、どう宥めたものだろう。いや、ここは下手に策を練るより、率直に訊いたほうがいいだろう。
"Nace, metista edixa mi lkurf fhasfa'd fafsirlen iulo?"
"Hmm......"
彼女はふてくされたままで、むぅむぅ唸るだけで答えてくれない。次にどんな言葉を出せばいいのか至極困っていた。しかし、シャリヤは聞こえるか聞こえないかくらいの声で何かを呟きだした。
"Fqa io qa lap mol mag co vxorlnajtes mi'd lovim melx cene co fynet lkurf mels la lex......"
おや……?
分からない単語は "lovim" だけだが、なんだか話の流れが分かってきたぞ。おそらく "lovim" は「脚」という意味で、「二人っきりなんだから、脚に惹かれたなら、なんか言いなさいよ」ってことか……?
シャリヤも積極的になってきたものだとふと感じる。頭をフル回転させながら、褒め言葉を探した。
"Mer, jopp, jexi'ert, xalija'd lovim es set nir ja."
辛うじて言えた褒め言葉はそんな感じだった。ちなみに "nir" は以前の解読で得た単語で、「健康的な、元気な」という意味の単語だ。それにしても、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。いっそ火を出して火力発電にでも使ってもらうか。羞恥は化石燃料ではないから、きっと地球温暖化も解決するだろう。時代はSDGs(Shuuchishin De Gorogori hatsudendeSu)だ。
シャリヤはしばらくそっぽを向いていたが、ややあって仕方がなさそうにこちらの方に向いてくれた。
"Fhur, intarmerdett ja"
そういって、彼女は呆れた様子でため息を付きつつも、愛しそうに苦笑していた。どうやら本気で怒っていた訳ではないらしく、俺も胸を撫で下ろした。
シャリヤは椅子に戻って、再び脚を組んで座った。気づけば日は傾き、夕日が窓から差し込んでいる。オレンジ色の光が、彼女の銀髪を撫でるように染めていた。
"Mal, Lecu akrunft qate leiju."
"Ja, mal edixa selene mi nun mak kanteterl ."
"Mak kanteterlesti? Selene co nun mels licarbal?"
"Niv, mak es."
シャリヤは首を傾げるばかりだ。俺の言っていることがよく理解できていないらしい。
ううむ、 "kantet" は「意味する」という意味の動詞で、動詞を名詞へと派生させる語尾の一つ "-erl" と一緒に使うと "kanteterl" 「意味すること」という単語になる。このたぐいの派生語尾は動詞の格の省略をそのまま使えるので、前後に来る単語がそれぞれ主語・目的語として取られる。なので "mak kantet" の "-erl" 派生として "mak kanteterl" となるはずだ。
ここまでの文法理解でおかしいところは無いはずだが、シャリヤには伝わっていない。少しばかし、訊き方を変えてみよう。
"Fqa'd leiju letix kraxaiun zu es mak. Selene mi qune la lex kanteterl."
"Arti, mi nix elx selene lkurferl dallelx tisoderl."
"dallelx" は形からして、おそらく "dalle" 「~と同じく」と助動詞を区切る "elx" の縮約形なのだろう。
"elx" がない "dalle tisoderl" のままの場合、その前にある "selene" が "tisoderl" にまで掛かってしまい「思いたいとおりに」という意味になってしまう。だから動詞の直前に "elx" が入り、前にあった "dalle" と縮約されたということだ。
"elx" は他の単語と縮約されやすく、例えば "mal", "pa", "cun", "fi" のような接続詞と "elx" が縮約して "melx", "pelx", "celx", "felx" などの形になったりする。
そんな理解をしたところで、俺はシャリヤの思い違いに思考を向けた。
"Nixerl es harmie......?"
尋ねると同時にシャリヤは鉛筆を持って立ち上がる。そして、二人の間にある小さなテーブルに鉛筆を置いた。
"Mi amol putev."
シャリヤの言葉に頷きを返す。彼女は "putev" と言うと同時にテーブルの上に置かれた鉛筆を指差したので、これは「鉛筆」を指す単語に間違いないだろう。となると、主語と目的語に挟まれた "amol" は動詞のはずなので「置く」だろう。
シャリヤはテーブルから鉛筆を持ち上げ、再び同じ動作でテーブルに戻す。うん、それが "amol" って動作なんだろ――そう言いかけたが、次のシャリヤの言葉でその行動の全てが理解できた。
"Mi mak amol putev."
翠に電流走る。
その理解で今までのシャリヤの反応が全て説明できる。そう "mak" の正体は副詞の「再び、また」だったのだ。
"mak es harmie?" と言ったはずの最初の文章は「また何なんだ?」とシャリヤに聞こえたはずである。そして "mak kanteterl" は「また意味すること」というふうにも聞こえるわけだ。
何はともあれ、これで二文目の意味も分かったことになる。「我々は計画について再び考えねばならない」だ。




