#320 食べられるもの
二人で出てきたのは繁華街だった。多くの人が行き交う中、隣を歩くシャリヤの姿は少し眩しかった。今日はニットのトップスに、短めのスカートを合わせている。肌寒いからか両脚は深い青のカラータイツを履いていた。健康的な男子である俺の視線はそんな魅力的なおみ足にたびたび引き寄せられるのであった。
一方、シャリヤは興味深そうに蒼い目をキラキラさせて、周囲に視線を振り向いていた。日本は彼女にとって初めての本当の異世界だ。見るもの全てに興味が惹かれるに違いない。
しばらく進んでいくと、俺はお目当ての露店を見つけた。
「おじさん、たこ焼き一つ」
「あいよ」
出来たてのたこ焼きにソースと青のりを掛けて、出してくれる。漂う香りが食欲をそそった。紙の容器に乗ったたこ焼きを受け取って、お代を出す。
たこ焼き屋の店主と思しきおじさんはすぐに次のたこ焼き作りに戻っていく。鉄板に材料を入れていく様子をシャリヤは不思議そうに見ていた。しばらくすると、忙しなくピックを動かして球状に整形していく、その様子を彼女は魔法に魅せられているように見入っていた。
"E is xeji!"
「ははっ、彼女さんは外国人かい?」
ピックさばきを止めずに店主は微笑して言った。悪気は無いに決まってるが、答えに困る質問だった。
「まあ、そんなところです」
「外国の人って、タコ大丈夫なんでしたっけ?」
店主の後ろの奥の方から見習いじみた青年がタッパーを片手に出てくる。店主は難しい顔をして悩みつつも、たこ焼きを捌く手を止めなかった。
「人によるだろ? そっちの彼女さんは食べられないものとかあるのか?」
「ああ、ええっと……」
そういえば、シャリヤの苦手な、あるいは食べてはいけない食べ物は聞いたことがない。ヒンドゥー教徒やイスラームに帰依している人、仏教徒などの食事における禁忌は有名だ。ただ、ああいった戒律は地域によって考え方や捉えられ方が大きく異なるらしい。インド先輩が以前聞いたイスラーム食文化の講演会の先生は「宗教だけではなく、その個人にも視点を当てて考えてみましょう」と言ったそうだ。
さて、それではシャリヤはどうなのだろう。リパラオネ教で食べてはいけないものがあるならば、彼女はそれをどう考えているのだろう。
手元にあるたこ焼きを果たしてシャリヤに食べさせても良いのか不安になってきた。
そんなことを考えていると、手が横から伸びてきた。次の瞬間、シャリヤは爪楊枝を取ってたこ焼きを一口頬張っていた。
「……」
店主も見習いも俺も目を点にして、その様子を見る。食べてしまった。もし、リパラオネ教で海の幸が禁忌だったら? シャリヤの苦手な食べ物が入っていたら? アレルギーは?
憶測と恐れが目の前を一瞬で走り抜けていく。彼女の反応を覚悟して、俺は唾を飲み込んだ。
三人に見つめられたシャリヤは不思議そうに首を傾げたのちに、何かを察したようにニコッと笑顔になった。
"Fqa es set doisn lu!"
"L, la lex es vynut."
脱力。ううむ、どうやら考えすぎだったみたいだ。店主たちにもシャリヤの感想を説明すると、二人とも顔を合わせて微笑んだ。うむ、これがやさしい世界と言うやつか。
俺もたこ焼きを一つ口に放り込む。たこ焼き屋の「まいど~」という声を背に、俺たち二人はその場を去っていった。
繁華街を出て、俺達は近くの公園に落ち着いた。たこ焼きの残りを平らげて、好きな人の隣で朗らかな日光を浴びる。至極、健康的で平和な時間だった。この日本が一応武力事態にあることを忘れてしまう。
"Mer, cenesti. Ferlkestan fon mors zu miss knloan pesta no i es harmie fal nihonavirle?"
陽気に呆けているとシャリヤが話しかけてくる。蒼い目が興味深そうにこちらを覗いていた。
"Fgir veles stieso takojaki. La lexe'd ferlk kantet dexafeleserl tako."
"Takosti? La lex metista kantet fomiejent?"
"Metista niv."
おそらく "fomiejent" は生地という意味だろう。生地を流し入れて、焼いて形成する。焼くものといえば、生地なのでシャリヤがそのように理解するのも不思議ではない。
俺はバッグからノートとペンを取り出して簡単なタコの絵を描いてみせた。それを見たシャリヤは怪訝そうな顔になる。
"Fqa es tako......?"
"Ja, tako niejod fal sistis."
"Hmmmmmm......"
シャリヤはそう唸りながら、困惑している様子だった。食文化によって食べるものは大きく異なる。その中には衝撃を受けるようなものを普通に口にしている人達もいる。彼女はそれが普通だと分かっているから、容易に否定の言葉を口にしない。
そんな彼女に敬意を表して、話題を変えることにする。
"Lirs, Tvasnker lipalaone letix fhasfa zu elx cene niv knloan?"
"Jopp...... xasto dosnetost veles fekleno."
"Hmm...... fekleno es elx fe eso e'i?"
"Ja, mal dosnetost es celeserl fakte larta'it."
"Firlex,......"
分からない単語を訊くと、また分からない単語が出てくる典型例だ。どうにも理解が進まない。シャリヤのほうも俺が分かっていないのを察しているようだが、これ以上説明するのに困っていた。
とりあえず、これまで食べてきたものにそれが含まれていないとシャリヤは認識しているはずだ。明確にダメなものを知るよりも、彼女の自己判断に任せよう。
"Co letix elx cene niv knloanerl?"
"Mi letix niv tvasnko ler elx cene niv knloanerl. Pa, Selene niv mi knloan tomato ja."
"Tomatosti? La lex at es nihona'd knloanerl?"
"Ers ete'd icco'd knloanerl pa nihon io m'es karnicitj knloanerl, loler larta knloan."
"Loler larta knloan pa co es snietij fal knloano la lex?"
"Ar, ja."
我ながら高校生にもなって好き嫌いがあるというのは恥ずかしいのだが、生のトマトは本当に受け付けない。焼いたり、ジュースになっていればどうも無いのだけど……そんなことを脳内で考えているとシャリヤは口元に手を添えて、くすっと笑った。
"Co es xale selun ja."
"Miss es selun fal no ja."
"Ja, jexi'ert."
俺の少しばかりの抵抗は何の意味もなく、シャリヤは上品に微笑み続けるのであった。




