#317 ミッション・コンプリート
「大丈夫かなあ……」
俺はホテルの天井に問いかけるように呟いた。高級そうな壁紙は何も答えてくれない。
シャリヤが帰ってくる頃合いになると、心配で居ても立っても居られなくなってしまった。色々と教えたは良いものの、色々と思い浮かべてしまう。テレビ番組を見てても上の空で、結局消してしまった。そして、ベッドの上に大の字になって呆けていた。
まだかと待っていたところ、呼び鈴が鳴った。飛び起きて、玄関に近づく。ドアを開けるとそこには誇らしげに胸を張るシャリヤが居た。瞳の蒼がいつも以上に鮮やかにいきいきとしているように見えた。
"Edixa mi dosyt ja, cenesti!"
そういってシャリヤはビニール袋を突き出してきた。受け取って、中身を確認するとペンとノートが入っていた。
"La lex es set ja! Lecu co klie mal perneon desniex."
"Ja, pa, selene mi es panqa'd iulo'i ja."
そういうシャリヤはなんだか様子が変だった。視線はわざとらしくそらしているし、頬もなんだか赤らんでいる。一体どうしたというのだろう。
手を後ろに回して、もじもじと指を絡めているらしい。
"Mal, selene eso e'i elx es harmie?"
"Jopp......"
耳まで赤くしているシャリヤは俺の問いに答えずに、部屋の奥の方へと向かう。ベッドの端に座ると、彼女は自分の膝を叩いた。
"S, sulaun fal fqa!"
"Hm......"
一体道中で何を吹き込まれたのだろう。気になるところではあるが、このままシャリヤを放置するのも可哀想だ。シャリヤの隣まで行って、お言葉に甘えて膝枕に頭を乗せる。温かいし、安心できて控えめに言って最高に幸せだ。
だが、どうやらシャリヤには次策があったらしい。腕を胸ポケットの方にまで持っていくのが見えた。
"Mal, wioll mi fas ja."
一体何を?
声色は先程の恥ずかしさよりも、緊張が上回っているような気がした。なんだか不安が湧き上がってくる。道中で何か間違ったことを教えられたりしたのだろうか?
(おのれ、社会め、純粋なシャリヤを……)
そんな考えは、耳の中に入ってくる感触ですぐに消え去った。耳の壁を軽くなぞるような感触に身体がゾクゾクと震える。
これは……耳かきだ!
異世界語を話す異世界人による耳かき、おそらくどんなASMRにも無いだろう。意味のわからない囁きによる動画はあった気がするが、意味のある異世界語の囁きによる耳かきボイスなんて誰が想像できただろうか?
ところがどっこい、夢じゃありません! これが現実!!
"C, cenesti, ers vynut?"
"Ar, ja, ers set vynut......"
内心興奮が冷めやらぬままに答える。シャリヤはどうやら耳かきをするのが初めてらしく、あまり力を入れずにかいていた。このおあずけ感もまた良い感じで、ゾクゾクが止まらない。
しかし疑問なのは、一体誰がシャリヤに耳かきを教えたのかだ。
"Xalijasti, harmue co letix fgir?"
"Edixa xorln larta zu lkurf lineparine sties mi mal celes icveo fqa."
"Lkurfersti lineparine? La lex es niv xelken?"
"Mi at tisod xale la lex pelx edixa si lkurf nivo."
"La lex es xorln ja......"
シェルケンではないリパライン語を話す人間といえば、まず考えられるのは異世界の創造者であった浅上慧――インド先輩だ。だが、彼はもうこの世界には居ない。夕張やシャル、クラディア、翔太の可能性もあるが、それならシャリヤに耳かきを渡してそれで終わりとはならないだろう。
となると、一気に誰なのか分からなくなってくる。
"Fqa veles stieso "mimikaki" fal nihonavirle?"
"Ja, jexi'ert...... lirs, si lkurf nihonavirle?"
シャリヤは俺の頭の上で首を振った。
"Si lus lineparine lap fal lkurfil mi'tj. Pa, si qune nihonavirle'd kraxaiun."
"Lecu mi lkurf mels la lex el taniyama xici."
"Dalle tisoderl, edixa jol si metista es xelken ja......"
心配したような声だった。耳かきをする手も止まってしまっている。 追求しすぎて怖がらせてしまっては元も子もない。そもそもシャリヤは無事に帰ってきたのだし、今は落ち着いて生活することだけを考えていればいい。
そう思い、シャリヤの膝を撫でながら、ゆっくりと努めて落ち着いた口調で言った。
"Xalijasti, metista es vynut. Atj taniyama xici mol melx cene no io miss mol qa'tj fal fqa."
"Jexi'ert......"
"Es mimikaki'i fal no plax ja."
頭の上のシャリヤがこくりと頷いた。
平穏な時間が流れてゆく。彼女の膝枕の上で寝てしまうのは時間の問題だった。




