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#315 そんなわけあったりする


 やっと店の前にまで来ることができた。翠はこの店でノートとペンを買ってきてほしいと言っていたわけだけど、私はまたもや店の前で悩んでいた。


(このお店、何処から入ったら良いのかしら……?)


 店の前側は全面ガラス張りに見える。取っ手のあるドアも無いし、ホテルにあったような回って入る入口のようなものもない。どうしようかと店の前をゆっくりと歩いていると、ガラス張りの一部が横に開いて道が開いた。

 いきなりのことでビクッと反応してしまう。どうやら自動ドアだったらしい。ユエスレオネだと、入口は分かるようになってるものだから、こんなところにドアがあるとは思わなかった。


 店内は閑散としていた。見た目は普通の文房具店だが、幾らか本も置かれていて身構えてしまう。

 ユエスレオネの本屋や文房具屋さんの中には、古代の詩学院クローマに由来する由緒正しきものがある。だから、ある種の本屋に入るときは身だしなみとか振る舞い方に気をつけなければいけない。店員を怒鳴りつけでもすれば、最悪刑事警察官に連れて行かれることになる。

 ニホンにクローマは無いだろうけれど、それでも本屋に入るときに身構えてしまうのはユエスレオネ人の癖なのかもしれない。

 さすがは異世界、見たことのない筆記用具がいくつか並んでいる。エレーナと絵画教室に行っていたときは色々な絵筆に触れたものだけど、比べられないほどのバリエーションだ。


「イラッシャイマセー」


 店の奥の方から、声が聞こえた。店員かな?

 この言葉はそこかしこで聞いたことがある気がする。お客さんが来たときの挨拶なのかもしれない。


(なんだか、シャーツニアーみたいね)


 普通、ユエスレオネのお店ではお客に一々挨拶はしないものだ。小さいお店の知り合いだったらするかもしれないけど、それなら "Salarua" なんて言うのは少し違和感がある。 "Salar, ers farkzirvhi?" "Ja, xi ja." みたいな会話が思い浮かぶ。

 一方で教会では、入ってきた礼拝者に "arnema!" と声を掛ける。この言葉の意味は説明が難しいが、「ようこそ私達のフィアンシャへ。アレフィスの命により、私があなたのお世話をいたしますので何なりとご用命ください」くらいの意味だ。


「ナニヲオサガシデスカ?」


 っと、考え事をしていたら店員に話しかけられてしまった。顔を見ると壮年の男性だった。他に店員が居ないところをみると、この人が店主のようだ。

 メモを取り出しながら、今度はミスしないと心に決めて書かれているリパーシェを読み上げた。


"Mer, Peng to norto ga hoxirngdeskedo......?"

「ペン ト ノートデスネ」


 私の言葉を繰り返して、店主は何やら棚を探し始めた。一本のペンとノートを取り出すと、私を手招きしてレジスターのところまで行った。今度はちゃんと私の言葉が伝わったらしい。これで翠に胸を張って "Edixa mi lkurf nihonavirle!" と言える。

 店主の男性は品物に受話器のようなものを当てながら、レジを叩く。値段が、セグメントディスプレイに表示された。ニホンで使われている数字はなんだかリパーシェのものに少し似ている気もする。異世界とはいえ、人間の歴史を辿っていれば似通ってくるのだろうか?


「サンビャクニジュウエンデス」

"ha, hai......"


 翠に教えてもらったとおりだ。店員はお会計のときに「~エン……」と言ってくるので、そのときにお金を出せばいい。しかし、今回は私が言葉もわからず、数字を読めないから、必ず買えるくらいのお金を持たせてくれた。だが、それは瞳に光のない怖い肖像画(この人はノグチ・ヒデヨという偉いお医者さんらしい)が書かれた一枚の紙切れだった。店主に紙切れを渡すとすんなり受け取ってくれたが、それでも足りるか心配だった。


(だって、10レジュ紙幣みたいだもの)


 そんな私の心配をよそに店主はカチャカチャとレジを操作して、お釣りを出してくれた。お財布にお釣りを収めて帰ろうとしたら、店主が更に声を掛けてきた。


「ドコノクニカラキタノ?」

"Ar, mer......"


 いきなりのことで戸惑ってしまう。何かを訊いていることは分かるのだけど、内容は分からない。今になっては、翠がユエスレオネに来て初めてのときの気持ちが手にとるように分かる。ううん、どうやって答えよう。

 そんな私の困惑を察したのか、店主は背後に貼られていた図を指差した。青と緑で色付けされた図――多分地図だろう。彼はその地図をぐるっと人差し指で示す。

 そして、少し右上くらいにある島々を指して、ニコッと笑った。


「ココガ ニホン デキミハチガウクニカラキタンダヨネ?」

"A, ja...... ハイ」


 ニホン、という言葉で彼が示そうとしていることは大体理解できた。つまり、どこの国から来たのか訊いているのだろう。まだ来てから数日しか経っていないけれども、ニホンにはリパラオネ人にしか居ないような銀髪蒼目の容姿の人は居ない。だから、私を外国人だと思っているのだろう。

 けれども、それだと違う意味で答えに困ってしまう。


(私、「異世界人」ってことになるわよね……)


 本屋の店主に嘘をつくわけにはいかないし、かといってニホン語では言えない。どう表現しようか、頭をフル回転させる。「リパライン語で言っちゃいなよ」という外電波を受信したが、それを無視してもっと現実的な方法を探した。

 そして、出てきた答えは一つだけだった。


「ウゥン……?」


 腕を伸ばして私はある一点を指差していた。それは地図の外の領域。海も陸地もない場所。それが私にとって出来る「異世界」の表し方だった。

 店主は不思議そうな顔をしていたが、指を鳴らして明るい顔になった。


「イセカイ! ……ナアンチャッテ! ソンナワケナイカアッハハハ!」


 なんと言っているのかは分からないけど、どうやら私の答えに満足してくれたらしい。

 私は胸を撫で下ろしながら、店を後にするのであった。

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