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#311 信号機の珍しさと試用期間


 解読は進んだ。あれから二日掛けて、あちらこちら理解の道を蛇行しながら内容のすべてを訳すことが出来た。俺のリパライン語力も幾分か鍛えられたような気がする。

 紆余曲折の末に出来た訳文を俺はバッグの中に大切にしまい込む。シャリヤの服装はいつも通りの落ち着いた感じに戻っていた。しかし、今日はそれが何処かよそ行きな感じで、落ち着かないように見えた。

 それもそのはず、この日は谷山に呼ばれて訳の結果を説明する日となっていたからだ。


 ホテルのカウンターに鍵を預け、二人で回転型ドアの外へと出る。降り注ぐ日差しがやけにうるさく感じた。こっちではもう10月らしく、熱くもないが寒くもない陽気な時期だった。

 シャリヤも手でひさしを作りながら、日の強さを感じていた。


(まあ、三日間こもりっぱなしで翻訳してたからな)


 彼女はなんだかんだ言って久しぶりに外に出られて上機嫌という様子だった。ただやはり、緊張した面持ちなのは変わらなかった。慣れない街の様子をせわしなく見回している。


"Lirs, harmie xelken ceces niv fal no ja?"


 目的地である駅へと進みながら、シャリヤに問いかける。話していれば多少は緊張も解消するだろうと思った。

 ここで使った単語 "ceces" は、翻訳中に知った単語の一つだ。元々 "cec" が語幹で「攻撃、攻め」を表す。それに動詞語尾 "-es" がくっついて「攻める、攻撃する」を表すようだ。ちなみにシャリヤによると "cec" が名詞として使われることは少なく、名詞語尾 "-o" がついた "ceco" という形で用いられることが多いらしい。


"Niss kantet niv elmo'c, cenesti. La lex es verleto penul lineparine gelx selene niv niss es e'i xale cafi'a."


 シャリヤはサファイアブルーの瞳を瞬かせて答える。日差しのせいか、彼女の瞳はいつも以上に美しい宝石のように見えた。

 サフィアといえば、叙事詩の時代に行ったときに知ったユフィアの敵である「ヤバい奴」のことだった。確か、レフィも記憶を失う前の俺についてそういう言及をしていた気がする。つまるところ、「サフィアのようなこと」とは「無意味な虐殺」のことだろう。

 なるほど、シェルケンの目的は古いリパライン語の強化だ。そのために異世界を侵攻し、住民を支配して言語を強制しようとする。故に異世界人は出来るだけ生かしておきたいわけで、それが戦闘を一時的に止めている理由になっているようだ。


 他愛もない話を続けていると赤信号で歩みが止められた。

 そこでやっと周囲からの視線が集まっていることに気づく。その視線は俺の隣のシャリヤに向けられていた。まあ、確かに彼女は一言で言うなら美少女だ。衆目を集めるのも納得だ。

 しかし、一言二言リパライン語で言葉を交わしていくうちに、周囲の男子諸君の嫉妬の眼差しは離れていった。


(ふっ、コミュニケーションが出来ないだけで諦めるとはヤワ奴らだな)


 きっと彼らは日本語が通じるロシアンハーフとかの方がお好みなのだろう。

 そんな下らない優越感に浸っていると、いつの間にか自分の横からシャリヤが消えていた。何処に行ったのだろうと周囲に視線を巡らせると、彼女は横断歩道の上を歩きだしていた。

 まだ、信号は赤だ。これはマズイ。


「ちょっ、ちょっと待ったっ!」


 急いでシャリヤの腕を掴んで、元いた場所まで引き戻す。引き戻されたシャリヤはきょとんと不思議そうな顔をしていた。


"Harmie?"


 大勢の前で信号を無視して道路を横断しようとしたあげく、「どうしたの?」と来た。なんだが頭が痛くなってくるがこれも文化の違いなのかもしれない。

 よく考えると、戦時期のユエスレオネには信号機が無かった気がする。そもそも車の往来が少なかったはずだ。道路の横断一つとっても場所によって雰囲気が大きく異なる。浅上曰くインドの道路は無法地帯と言ってもいいらしく、横断歩道などあってないようなもので安全運転を奨励する看板に書いてあることは「運転は競争ではありません」だという。

 とにかく、シャリヤが当分日本に暮らすのであれば、色々と覚えさせる必要がありそうだ。

 俺は「私なんかやっちゃいましたか?」という感じのシャリヤに信号機を指して示す。


"Fgir es ralde felx deliu miss pusnist fasta fqa'd kosnust leiju."

"Ar, mag als pusnist tavonj fal fqa ja. Pa, harmie?"

"Cun, la lex kantet elx cene niv miss tydiestil. Fgir es ralde felx cene tydiest...... fgir's."


 車を指差して言う。相当する単語が分からなかったからだったが、シャリヤは得心した様子で同じ車を指差した。


"Ers tierij."

"Ja, metista."


 信号が青に変わるとともに俺たちはまた歩きだす。信号機の近くになったとき、思い出したようにシャリヤは息を漏らした。


"Fgir es faxinisti'a."

"Co kantet fqa?"


 信号機を指差して訊くと、シャリヤは頷いて答えた。


"Ja, yuesleone io la lex mol niv loleronj. Sapper duxien fua la lex."

"Hm......"


 どうやら、ユエスレオネでは "sapper" つまり「交通整理員」が交通整理を行うのが一般的らしい。信号機はそれほど普及していないから、シャリヤはその意図を読み取れなかったというわけか。小学生レベルの交通ルールから知らないとなると先が思いやられる。しかし、コツコツやっていくしか無いだろう。彼女にとってこの国で頼れる人間は俺だけなのだから。

 しばらく歩いていくと、待ち合わせ場所であるレストランの前で待っている谷山の姿が見えた。俺たちを見つけると柔和な顔で手を振ってきた。


「やあ、遅かったね」

「まあ色々とありまして……」

「まあいいや、席は取ってあるから入っちゃおう」


 そういう谷山の後について店に入っていく。シャリヤはこれまた不思議そうに周りを見渡していた。

 店は完全個室スタイルの少しお高めそうな店だった。一応俺に渡した文書は機密とまでは行かないが、世の中にバラ撒いて良いものでもないのだろう。席に付き、適当に注文をしてウェイターが去ったのを確認して、俺はバッグの中から訳文を書き留めた文書を谷山に手渡した。


「これがあれの訳文かい?」

「そうです。多少誤りはあるかもしれないですけど、大体は正確に訳せていると思います」

「それは結構」


 そう言いつつ谷山は眼鏡を外して、紙に顔を近づけた。つかの間の静寂が俺を緊張させる。もし翻訳が駄目だと言われて、お前は使えないと言われたら一体どう生きていけば良いのだろう。

 そんな心配が心を巡っていくうちに谷山は紙から顔を外した。

 そして、片方の口角を上げてニマッと笑った。


「うん、確かに良く出来ているようだね」

「……どういうことですか?」


 谷山はそんな俺の疑問に言葉では答えず、ビジネスバッグの中から取り出した紙を俺に向けて滑らせて答えた。題名は「Orders regarding the implementation of the plan」だ。

 なぜあの題名が英語で? その疑問はすぐに解消された。


「日本に》……ああ、シェルケンだっけ、が現れたとき、言語が分からないってことで言語学者にお伺いを立てたんだよ。そしたら、アメリカの大学から調査隊がやってきたんだ。彼らは調査を続け、この訳文を出した。だが、よく見てくれ」


 谷山は紙の一点を指差した。良く見ると、ところどころ――というより、殆どが黒くて細い長方形で埋め尽くされている。まるで検閲でも受けたような感じになっていた。


「先方はこれがよく分からなかった部分だと言ってる。言語学者の調査は一朝一夕で終わるものじゃないし、今の段階ではこれしか訳せることはないと言ってきたんだ」

「まあ、そうですよね。俺もこの言語を覚えるまで一ヶ月以上掛かりましたし、言語学者でも完全な訳文を作れるようになるには時間が掛かると思います」

「どうだかね」


 谷山は胸ポケットに手を伸ばして、煙草の箱を取り出しながら言う。そして、俺達が目の前に座っているのを見て「おっと」と呟き、胸ポケットに箱を戻した。


「僕には真実は50:50に見えるんだよ」

「言語学者たちは半分理解しているものを提出していて……あとの50は何なんです?」

「隠蔽だ」


 谷山は歯に衣着せぬに言い切った。


「考えてみて欲しい、異世界から軍隊がやってきて、その兵器が鹵獲できるとする。それが地球上の科学よりも先の技術を使った兵器だとしたら、どの国だって喉から手が出るほど欲しいに決まっているだろう?」

「まあ、確かに……」

「海外の人間が提出したものを完全に信用できないのはそういう理由だ。一方でアメリカは日本の同盟国だ。完全に情報を出さないのもおかしな話だろう。だから、提出された訳文の一部は信用できるわけだ。それで――」

「俺を試したんですね」


 一人で長話をし始めそうな谷山の言葉を区切るように言う。彼は眼鏡を掛けながら、俺に向き合う。


「そういうことになる。すまないが、これは国防に関することだ。君がシェルケンという僕たちも米軍も知らない存在を口にした時点で、信用に値するかどうか揺らいでいたんだ」

「そう言われても……俺はどうすれば良いんですか」

「別に。今回と同じように僕が渡した文書を訳してくれればいい。特別なことは何も必要ないさ」

「結局、谷山さんは俺を使って何がしたいんですか」

「うーん」


 谷山はこんな話をしていてもいつも通りのほんわかした顔だった。その腹の中には一体何を潜めているのだろう。考えていると背筋に寒気が走った。


「イニシアチブを取りたいんだよ。戦いの優位は情報力で決まる。情報をより多く持っている方が勝つ。単純にそれだけだよ。シェルケンに対して勝つのにも、他の国に彼らの武器の情報を抜かれないためにも情報が必要だ。君はその鍵を握っている」

「そんな大層なもんじゃないと思いますけど……」


 その先を言い淀んでいると、ウェイターが料理を運んできた。


「ま、辛気臭い話はここまでにしよう。ここのイタリアンは友達の防衛省幹部の行きつけでねえ。本当に旨いんだよ」

「はあ……」


 俺は脳裏に名詞に書いてあった谷山の肩書――「情報本部 特殊分析官」――を思い出しながら、焦点の合わない目で運ばれてくる料理を見つめるのだった。


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Co's fgirrg'i sulilo at alpileon veles la slaxers. Xace.
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