#298 こんな雨、珍しいわね
見上げる曇天はどんどん暗くなってきていた。少し前から振り始めた雨は、その雨足を強くしてゆく。まるでウェールフープを天に放ったときのような叩きつけるような雨の中、俺は寮の廊下を隔てる柵に手を掛けて、外の様子を静かに伺っていた。
レフィは雨が振り始めると先に帰ってくれと頼んできた。寮には門限があり、それ以降に帰ってくると面倒なことになるというような趣旨の話だった。君はどうするのか、と訊くと彼女はすぐに帰るから大丈夫だと胸を叩いて言っていたが隣人はまだ帰宅していない。
自室に引きこもっていても外の様子が気になってしょうがなかった。特段、なにかすべきことがあるわけでもなく、俺は残りのお菓子を消費しながら、雨を見つめていた。
そんなとき、隣の寮棟から誰かが扉を開けて出てきた。黒髪ショートボブの頭が混沌とした曇り空を見上げたのちに、こちらに気づく。
"Harmie'i co es, cenesti?"
"Elernasti...... Mi'd virlarteust furdzvok nat mol niv fqa'l. Ci eski tydiest."
"Ci eski fua harmie? Xerfxirfar lkurf adircafen pyviest fal no ja."
"Hm......"
説明する語彙力が無いだけでなく、最初から説明するのが面倒だった。ともかく、エレーナの口調は何か焦っているようにも感じられた。意味の分からない二文目が気を引いた。
"Zu, la lex kantet harmie?"
"Fqa xale rielied es infavenorti fal dyin. Mag, jol la lex metista is foatostolfa."
"Foatostolfa kantet......"
"Jol la lex reto larta!"
度重なる疑問にエレーナは少し強い口調で言った。"foatostolfa"というのは人を殺す天候、つまり災害のことを指すようだ。よりにもよってこんなときに災害級の豪雨が降ってくるだなんて。
彼女は本気でガルスの両親を探そうとしていた。もしかしたら、学園の外まで行ってしまったかもしれない。そうしたら、この珍しい豪雨の中でどうなるか分かったものではない。
"Cene niv mi...... en snutokastan ja."
"Cenesti......?"
エレーナが少し怪訝そうに問いた声を背後にして、俺は走り始めた。寮から出て、レフィと最後に別れた場所を目指す。後ろから何か呼び掛けるような声が聞こえた気がするが、すぐに雨音にかき消された。叩きつけるような雨で全身はすぐにずぶ濡れになった。最悪の気分だ。だが、それよりも今はレフィのことが心配だった。
"Lefhisti!"
ベンチの辺りで叫んでみるも、のれんに腕押しといった感じで声は雨音に吸い込まれていった。顔に垂れてくる雨水を振り払って、また走り始める。どこへ? 分からない。分からないがとにかくこのまま放っておくわけにはいかない。
元々、運動神経が良いわけでも、体力があるわけでもない。だからすぐに息が上がって走れなくなった。膝に手をついて、肩で息をする。背中が雨で強く叩かれると、世界が自分を嘲笑しているように思えて、憤りが喉元まで上がってきた。「くそっ」と言ってみる。目の前の状況は何も変わらなかった。
"Jei! harmie'i co es fal fqa xale rielied!?"
雨音を断ち切るような声だった。その声は背後の練習所棟の出入り口から聞こえてきた。男女が二人、共に面識がある生徒だった。決闘で相対した生徒だ。
"Cossasti! Edixa coss xel lefhi?"
"Ci eski tydiest lerssergal ler."
女子生徒の方が俺の背後を指差して言う。大雨で視程が微妙だが、指差した先にはうっすらと門のようなものが見える。どうやらそこから学園のそとへと行けるようだった。
"Xace!"
"Jei! Harmue co tydiest!? Fgir es malef dea!"
"Deliu mi melfert ci!"
吠えるように二人に言うと俺はまた門を目指して走り出した。背後からはそれ以上何か引き止めるような言葉は聞こえてこなかった。いや、豪雨に遮られてきこえなかったのかもしれない。いずれにせよ、俺には重要なことではなかった。
門につくと、太めの車道の脇にある歩道に繋がっていた。どっち方向に行ったのか分からず、きょろきょろしているといつの間にか目の間に見覚えのある黒いワンピースの少女が現れた。
彼女は黒い傘を手に持って門に寄っかかっていた。
「アレス・シャル…… 何の用だ。今お前に構ってる暇は――」
「あっちよ」
シャルは歩道の一方向を指して、そういった。
「……レフィか?」
「そう」
「何故助ける」
「そうねえ……」
シャルは悩ましげに頬に手を当てながら考えていた。そんな様子を見ていると、やはりこいつに構っている暇はないと思えてきた。分からないなら、どっちも捜索するまでだ。
俺はシャルの返答を聞く前に、とりあえずの留保を付けてシャルの指した方向へと走り出した。




