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#270 広がる面倒


「いってえ……」


 意識が戻ると車の天井が見えた。どうやら車内から投げ出されずには済んだようだが、頭を打って衝撃で脳震盪にでもなっていたらしい。

 体の節々が痛む中、体を起こす。車内に八ヶ崎翔太の姿は見えない。そればかりではない、車内を見回してもインリニアとクラディアも居ない。

 そっと車の前方を見る。そこには正気のない体が二つ席に沈んでいた。そう、翔太がこの二人を射殺したところまでは覚えている。だが、そのあとは意識を失ってしまったのだった。

 車内から出ようと光挿す方を目指す。車体は横転した様で地面との間に奇妙な高さがあった。飛び降りた途端、足にぐにゃりと不気味な感触が伝わる。背筋に不愉快さを覚えながら足元を見るとそこには男が仰向けに倒れ込んでいた。恐らくその装備から見てCSTOから送られてきたという兵士だろう。胸元に血痕が二つ見える。自分の状況が危険であることがリアリティを持ってまざまざと感じられるようになってきた。

 銃を持っていたのは翔太だけではない。


"мрозий!"


 後ろから聞こえた叫び声に生理的に手を挙げてしまう。CSTOの兵士はこちらに小銃を向けながら睨みつけている。その表情は怯えと興奮が入り混じったものであった。交戦の意思はもちろんない。勝ち目は絶対にないからだ。


"положий позадуо твой рукумс медл――"


 指示に従おうとした途端、その兵士はその場にいきなり倒れ込んでしまった。倒れた瞬間にひゅうと肺から空気の抜ける音がする。タクティカルベストの背中に滲む赤に、俺は安心と共に衝撃で立ち尽くすしか無かった。

 その後ろに居たのは八ヶ崎翔太。兵士に向けられていた銃口は倒れるとともにすぐに下げられた。


「危ないところだったな」

「何故殺したんですか、協力者なら他にでも使いみちがあったはず」

「国連軍も、CSTOもそこまで甘くない。世界を越えて来られる技術――ウェールフープ技術の鱗片を手に入れた以上、奴らはいくらでも俺たちを追うことが出来る」

「奴らは、俺達じゃなくてこの世界の人間を利用すれば済む話なのに何で俺達を追うんですか」

「まあ、ウェールフープの軍事転用に関してはさしたる問題じゃないんだろ。問題は軍の他に軍事的なウェールフープを熟知した人間の存在だ。実際に俺達はもう既に国連の多国籍軍とCSTOの緊急展開部隊の双方を敵に回したことになっている」

「そんな……」


 失望の声が漏れるとともに翔太の後ろからクラディアとインリニアが姿を表した。服の端々には泥が付いている。どうやら、近くの茂みに隠れていたらしいかった。インリニアは俺の姿を見ると安心した様子で強張った顔の力を抜いていた。


「これからどうするつもりですか?」

「どうするもこうするも」


 翔太は髪をかき上げながらため息をつく。彼にとっても面倒くさい状況には変わりないらしい。


「地球の追っ手を避けながら、夕張を追いかけるしか無いだろ。お前がシャリヤを取り返すことができるのもそれしかない」

「何か手掛かりはあるんですか?」

「まあ、何度も聞くな。もう既にクラディアの調べでこの世界から別の世界に夕張が行ったらしいことは分かっている」

「また、異世界転移しろということですか」


 彼は肩を上げて答えた。どうやら「Ja」ということらしい。


「少しだけ問題があってな、俺達だけでは転移出来ないということだ」

「はあ」


 翔太は胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出して、車体に立てかけるようにして広げた。右下には国連のシンボルが印刷されていた。恐らく国連軍の施設に居たときに持ち出してきた周辺の地図なのだろう。


「この周辺には国連軍の基地が存在する。異世界に転移するのに必要なウェールフープ装置は近場となるとそこにしか存在しない」

「も、もしかして……」

「そこに忍び込んで目標の異世界に転移できれば俺達の勝ちだ。転移後に転移装置は爆破して、国連軍とCSTOの奴らに追っ手を出させないことも可能だろう」

「この四人で、そんな無茶をやるんですか?」

「それしか方法はない。一応俺達は彼女――インリニアを除いた全員がケートニアーだ。多少なりとも傷を負っても問題はない」


 翔太の目には確信が見えていた。無茶振りの中にその作戦を成功させようという胆力が見えてくる。そんな自信に対して軽々しく自分はNOとは言えなかった。


「分かりました、でも出来るだけ安全な方法でお願いしますね」

「誰がわざわざ危険な方法を選ぶんだ。“ああいう勇気は匹夫の勇、本当の勇気は別のものだ”と言うだろ」


 広げた地図を畳みながら翔太はそう答えた。瞬間なにかひもじそうな音が背後から聞こえた。


"Ar, mer......"


 振り向くとインリニアがお腹をおさえて赤面していた。その隣に棒立ちになっていたクラディアは表情一つ変えず"Co'c lubu's mol?"と話しかけていた。インリニアは恥ずかしそうにそれを否定して首を降る。


「まあ、その前に腹ごしらえか」


 翔太はその様子を見ながらなんとも無かったかのように言っていた。


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