#256 ペータース人たち
"Filaichaides leimaile cenqais fainse laieche."
"Cen ad xalijasti, edixa miss firlex tydiestel. Lecu tydiest......?"
インリニアは二人して曇り空を見上げている俺達を怪訝そうに見てきた。馭者の言葉を訳して伝えてくるまでにどれくらい経ったのだろうか。空には延々と灰色の雲が流れ続けていた。シャリヤが横にいるのも合わせて時間の経過に気づかなかったのはある意味で良かったのかもしれない。
馬車の縁から降りて、シャリヤと一緒にインリニアたちについて行く。
(そういえば、"filaiches"と"firlex"は同じところで使っている気がするな)
ヴェフィス語の"filaiches"と"firlex"が似ているのは前々から気づいていたし、ヴェフィス語からリパライン語への借用が多いということもインリニアに教えてもらっている。彼女の訳からみて、"filaichaides"が"firlex"と同じ意味なのだろう。リパライン語訳の"firlex"が動詞なのだから、おそらくヴェフィス語の"filaiches"も動詞なのだろう。馭者が言っていた言葉は"filaich-"を語幹として変化していた。
借用されるヴェフィス語の動詞はリパライン語では変化語尾が落ちて、語幹だけになるのかもしれない。
順当に考えるなら、訳の主語が"miss"なのだから、変化語尾の"-aides"が少なくとも一人称複数を表している気がする。
"sa-ka-kə-mə-ə-na-a-ma-vu-we-e-bə?"
「ん、えっ? 何?」
"be-te-ti-ju?"
いつの間にか俺とシャリヤは人だかりに覆われていた。ヴェフィス語の考察で完全に周りへの視線に気づかなかった。その上、インリニアと馭者は周りに見当たらない。
彼らは質素な麻布で作られた服を着て、人によっては片手に鍬を携えたものも居た。特に危害を与えようとするような素振りも無い。好奇の目がこちらに向いている。彼らの髪はこの異世界で会ったこともあまりないブロンドで、くりっとした目は瞳の色がオブシディアンブラックであった。
あまり恐怖は感じないが、何を言っているのか完全に分からない。対応に困っているとシャリヤが耳打ちしてきた。
"Niss es phertars ja? mi tisod la lex."
彼女の言葉にはっとした。"phertars"といえば聞き覚えがある。ユミリアに行かされた学校の図書館には言語の本棚があったわけだが、確かあそこには"phertarsvirle"という言語名の本があったはずだ。"-virle"は"takangvirle"や"pergvirle"に共通する言語を表す語尾だった。ヒンゲンファール女史などが自分のことを"takang"と見間違えていた以上、これらが民族を指しているのははっきりしている。ペータースは言語で分けられる民族を指しているのだろう。
"Mer, Cene co firlex phertarsvirle, xalijasti?"
"Niv, lirs fi cene mi lkurf phertarsvirle pelx cene niv mi firlex celx niss lkurf penul phertarsvirle."
"Ar......"
完全に失念していた。シャリヤは古典語が話せるが、それは彼女の母語であるリパライン語の古典語だ。現代日本ですら古語を話せる人など逆に珍しいというのに彼女にペータース語の古語が話せると何故思ったのだろうか。
シャリヤは腕を組んでアンニュイな表情で集まっている民衆を見てきた。インリニアたちからはぐれたせいでここから動くわけにもいかない。そして依然、ペータース人の市民は興味深そうにこちらを見て声を掛けてきていたのであった。
"ka-jə-tu-wa-ñu-vi-ja-ə-ma-a-mə-nə-nu-wəj-su-te-e-le-e-ju-wa-ja-mə-ə-tə."
"ə-ə-mə-nə-si-bəj-i-ə-na-be-te!"
単語と単語の切れ目が良く分からないのはインド先輩の力が無くなってから初めてこの言語に出会ったからだろう。ヴェフィス語は良いとして、古典リパライン語の単語の切れ目が分かるのは謎だが、おそらく学校か何処かで聞いていたのかもしれない。
シャリヤは決意を顔に示しながら、一歩前に踏み出す。
"Lineparine'd lgcilier's molsa fghpha? Mi lghuning lineparine mg lghuning vel lineparine mal fghpha es shonkfasfsho pa."
シャリヤの声を聞いてペータース人たちは互いの顔を見合わせて不思議そうにしていた。彼女が話したのはきっと古典リパライン語なのだろう。言葉の端々に分かるような分からないような言葉が散りばめられている。
シャリヤは半分心配そうに垂れる銀髪を指に巻きつけて弄んでいたが、ややあってペータース人たちは一斉に喋りだした。
"be-tə-mə-ə-na-a-ña-ña-u-tu-kə?"
"be-te-ti-ju?"
"mo-mo-ə-ə-mə-ñə-ze-bə-te-e-le-ə-ə-mə-su-ju-lə-te-e-le-ko-waj-ti-ə."
いきなり話し始めたシャリヤに市民たちは興味津々の様子で囲っていく。自分から離れていくシャリヤに危険を感じた瞬間、人混みは一瞬で開けていった。開けた中心に居たのは黒髪ショートで、オブシディアンを思わせる深い黒の瞳を持った少女――インリニアであった。彼女はきょろきょろと群衆を見ながら、奇妙なものを見ているような目でこちらに視線を向けた。
"Cenesti, xalijasti, harmie coss es phertarsassa'tj?"
"Hnn...... Miss quneilenerfe veles ferkatavo nisse'st melx edixu malfarno ja."
シャリヤが事情を説明するとインリニアは頷く。納得した彼女の後ろには馭者が馬を連れながら、馬車を運んできていた。
おそらく、今の状況を説明しているのであれば、"ferkata"は「囲む、包囲する」を表す動詞なのだろう。これで包囲殲滅陣をリパライン語で表現出来るようになる日も遠くなくなった。
"Est adkesĥai plais, le nai jais. Kailai laiechè!"
馭者が馬車の先頭に乗りながら、呼びかける。おそらくシャリヤと俺が囲まれていたうちに荷物は載せ終わったのだろう。これで帰れるという言葉のはずだ。複数の言語が飛び交う中、シャリヤはインリニアに続いて馬車に乗り込もうとする。だが、何か後ろ髪を引かれたような気がしてペータース人たちのほうを向いた。最後に一言、通じようが通じまいが声を掛けたいと思った。手を振りながら、彼らの方に振り向く。
"Salarua!"
その一言にペータースたちはまた互いに見合わせる。だがしかし、今度は道を開けながら両手を上げて見送ってくれた。
"sa-ka-ta-ti-ju!"
"ra-ka-kə-ə-ə"
"ra-ka-kə-ra-ka-kə!"
何をしたとでもないのに満面の笑みで見送ってくれる彼らに疑問を抱いてしまう。言葉が通じなくても、通じさせようとした努力が通じたのか。車窓の風景で小さくなっていく彼らの姿を見ながら、しんみりと考えてしまった。




