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#131 Iska lut xelkener!


 廊下にはもはやひと気は無かった。先程まで廊下に散りばめられた囲碁の石にも似た白銀と黒の髪色の生徒たちはすっかりその姿を消している。生徒というものは、授業が終わるとすぐに家に帰りたいと思うものだが、それを考慮しても素早いものだと思う。

 日も暮れて窓から差し込む光で廊下の白い壁は淡いオレンジ色に染まっていた。レトラのいざこざからやっと抜け出すことができて、綺麗な夕焼けが見れることには感慨深いものがある。

 手を引いて、先生の前に連れてきたカリアホは眠そうに目を擦りながら翠の手を握り返していた。


"Jazugasakisti, mi josnusnon xel ci mal elx shrlo co tydiest pesta lkurfo misse'st plax."

"Ar, ja."


 先生の良く分からない言葉にとりあえず相槌を打つほかなかった。

 "josnusnon xel"という句が良く分からなかったが、多分"josnusnon"は"josnusn"に副詞を作る接尾辞"-on"が付いた形だろう。エスペラントで名詞語尾-oを-eに変えるだけで簡単に色々な副詞が作れるように、リパライン語でもこのように簡単に単語の派生が出来るらしい。ここでは"josnusnon"は「親のように」というような意味であるとして、"josnusnon xel"は「面倒をみる」のような意味なのだろう。エスペラントでも"Inter lupoj kriu lupe."と"lupo"の副詞形"lupe"が使われている。


 どうやら先生は翠とではなく、カリアホと話がしたいらしい。翠を呼び出したのは先に帰ってくれとわざわざ言うためなんだろうか。そういうことであれば、帰ってしまっても構わないのだろう。


"Firlex, mi tydies."

"Salarua, Jazugasakisti."


 先生は去ろうとする翠に朗らかな笑顔で挨拶をする。後ろにある階段へ向けて、先生と別れて進もうとする。ただ、翠はその場から動けなかった。


(しがみつかれているんだよなあ。)


 後ろからカリアホに両手でしがみつかれている。可愛いことは可愛いのであるが、異様な点は彼女が何か怯えた様子で警戒して、先生を見ているということであった。はっきりとは言えないが、何か勘付くものがあった。


"Reitonna! Aam je Syerkennar en bwin jimka! Annyar......"

"Kyntesti, Lecu co lkurf fal ete'd liestu?"


 カリアホはしがみつきながら強い語調で何かを言っていた。相変わらず彼女の言語は一切理解できないので、ほっておくとして翠は彼女と先生をとりあえず離す必要性を感じていた。

 だが、先生はそんな翠の言葉に耳も向けずに一点カリアホを見続けていた。


"Co qune mal celespacon. Cespal, deliu flanijurna veles retoo."

「は?」


 「今なんて?」――と口をついて日本語が出そうになる。

 先生は今自分たちに向けて、「殺されなければならない」と確かに言った。それは一体どういう意味なのか、全く見当もつかなかった。

 先生は面倒くさそうな顔をしながら、上着の内ポケットに手を入れて何かを取り出してこちらに向けた。目の前に突き出された銃口に翠は瞬時には反応できなかった。カリアホは更に後ろからこちらにしがみついてくる。


"Salarua, Jazugasakisti."


 瞬間銃声が聞こえた。何も状況を理解できず、終わりを悟った。


 銃声が聞こえた瞬間、銃声と共にこちらに倒れてきたのは先生の方だった。体を震わしながら倒れた瞬間に落とした拳銃を取ろうとしていたが、拳銃は遠くに飛んでいってしまっていた。倒れた先生の鮮血が廊下の灰色の床を染めていく、これだけの出血ではもう長くはもたないだろう。

 翠は三度も運は続かないと思っていたが、また誰かに助けられたようだ。こうやって死んでいく人間はレトラで何回も見た。見たことは見たが、やはりなれるものではない。

 目を逸らし、先生が居た方向――つまり、銃弾が飛んできた方向――を見ると一人の男が拳銃を持って立っていた。リボルバー式の拳銃は遠くからでも大分年季が入っているように見えた。


"Garta!"


 彼女はそう言って男の方へと走って行った。表情は一安心という様子であったがこちらにとっては何が何だか全く分からなかった。


"Xace fua sesnudo co'st laxtin'it. Pa, Co es harmae?"

"Ar......"


 全く状況が分からない。

 とりあえず感謝されているようだが、カリアホは誰かに狙われていたのだろうか?ガルタと呼ばれた男は、無線通信機らしきものを取り出して何処かと連絡をしている様子だった。粗野な口調で「お前は誰だ」と言っておいて、答えを聞かずに電話を始めるとは礼を逸してないだろうか。

 ガルタが連絡をしている間、廊下の先に何か黒い布のようなものが見えた気がした。カリアホも廊下の両端を交互に見て、"bwim je'm?"と不思議そうに言葉を発していたので間違いないが、視界の端にしか入っていなかったので何かを見間違えたかもしれない。そう思ってもう一回廊下の端をじっくりと見つめてみる。

 廊下の端の空間が揺らいだように見えたその時、先生が撃たれたときと同じような乾いた銃声が聞こえた。


"Jopp......"


 撃たれたのはガルタと呼ばれていた男だった。脇腹のあたりから服に血が滲んでゆく。カリアホは縮こまったままガルタの銃創から流れる血を見て顔面蒼白の状態で固まっていた。だが、ガルタ自身は流れる血には気にも留めずに手に持つリボルバーのシリンダーを外に振り出して、どこから取り出したか分からない弾を一弾ずつ味わうように込めていった。

 そして、一歩づつゆっくりと銃弾が飛んできた方向へと足を進めていく。廊下の端では揺らいでいた空間に、黒い外套をまとった数人の姿が見える。彼らは焦った様子で、迫りくるガルタを殺そうと引き金を引く。銃弾はガルタの足や腕に当たるものの、ガルタは歩みを止めることはしなかった。

 翠もカリアホもこの異様な状況に、不思議な安心感を感じていた。


"Iska lut xelkener......!"


 弾を込め終わり、ガルタはそう言ってリボルバーから目を離して黒外套の人間たちをキッと睨みつけた。

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