#128 まずはテストから
とりあえず、この民族衣装っぽいものを来ている少女はカリアホと呼ぶことにした。スカルムレイのほうは長くて読みづらいからだった。中庭を横断して、教室に向かうまでに彼女は壁や窓を見て見とれているような表情を浮かべていた。学校は新しく建てられたようにとても美しい現代的なデザインになっていたが、壁は総じて見ているうちに頭の中が真っ白になるほどの白さだし、窓は何の変哲もないガラス窓だ。見ていて何が楽しいのか分からないが興味津々という雰囲気でカリアホは通る壁を触ったりしていた。
"Naaramantue kuuratas razadi friitaa te bwins teg din patorbaamotso..."
真っ白な壁に黒髪ロングの民族衣装の女の子。これだけの組み合わせなら、エスニックファッションの写真展にでも張ってありそうな写真だが問題は彼女が白い壁を興味深そうに撫でながらぶつぶつと何やら言っていることであった。
この際そんなことはどうでもよく、翠はカリアホを引っ張ってやっとのことで教室を発見した。早速ドアを開けて中に入ると、もう既に多くの人が居た。銀髪と黒髪の比率で言えば、黒髪のほうが多いらしい。リパライン語を母語とする民族は銀髪が一般的なのかもしれない。
既に着席していた生徒たちは翠に見向きもしないでおしゃべりを続けていた。
"Linaiparinaile filaichés ne mait fa kynaide welles cieny?"
"am bohúḷ, ko danúḷ heyákáṣlo"
"vliqéliy'ĵoizša d'asa ĵe séné mai, múvr'titi yë cëktemë!"
"ka1 kia1 a tui2 nui2 nan2? pai2 hia1 mok1 a!"
"noytuiku i sakikar aa."
補習クラスの中にいる生徒たちはもちろんリパライン語を話すことが困難な人たちだ。わざわざ学校にそういったクラスを開くほどにリパライン語が話せない人間が一定数居るということは理解できるが、いざ入ってみると皆話している言語がまちまちである。本に書いてあった言語名だけで存在は知っていたが、これだけの言語がこの異世界にあるのだと実感できた。
そんな補修クラスの中に見覚えのある顔が見えた。
"Ar, jazgasakisti."
"Salarua, infarni'asti."
声を掛けてきたのは相変わらず腰に帯剣している黒髪ショートの少女インファーニア・ド・ア・インリニアであった。翠が名前を呼んだからか、また顔を赤くして"inlini'a!"と抗議される。からかいやすくて可愛いものだが、自分は出会ってから数分後の女の子をからかうような性格だっただろうか?
インファーニアは身なりを直すと机にあるプリントに向き直った。補習クラスの最前列に座るとは意欲がある生徒なのだろう。なんとなく、雰囲気からわかっていたが、優等生タイプというか。そんな感じがした。邪魔にならないように空いている教室の後方へと向かった。
教室はどうやら自由着席のようだ。席順を表すようなものもなかったためとりあえずは適当に座っていれば良いのだろう。
おどおどしていたカリアホを窓際の後ろの方に座らせ、その隣りに座った。相変わらず、彼女は窓ガラスを撫でて何やら呟いていた。そんなこんなしているうちに前のドアが開き、教師らしき人が入ってきた。
初老の男性の先生は非常に落ち着きがあるように見えた。持ってきたバインダーを教卓の上にゆっくりとおいて挟まれたプリントの一枚を取り出してさっと眺めた。そして、教室を一度見渡してから、ぱちりと手を叩いた。
"Salarua, alsasti."
"""Salarua!"""
生徒たちが先生の挨拶に呼応した。さすがにこの世界に住んでいるうえでリパライン語の挨拶を知らないものは居ないようで、知っているとばかりに自信のある返答が空気を揺らしていた。
しかし、カリアホは目を丸くして"zara...wa......?"と何もわからないような表情をしている。それはそうで、彼女はリパライン語が全くわからないのだから"Salarua"という挨拶すらも何を言っているのか理解できていないはずだ。
"Tar Yatsugasaki, Zalaawa je'm......?"
口元からリパライン語ではない何らかの言語が漏れ出すように聞こえた。
カリアホはおどおどした表情でこちらに助けを求めていた。黒曜石のような綺麗な瞳は潤んでいて、唇は通じているのか通じていないのか分らない自分の母語で言葉を紡ぎ続けても良いのかと迷っている様子であった。
自分は苦笑で返すしかなかった。挨拶は雰囲気で理解するものだし、自分もそうやって理解した。
彼女にとっては非常に辛いかもしれないし、自分もリパライン語を解読し始めた最初の頃はこんな感じであった。彼女の辛さやもどかしさは理解できるところもある。だからこそ、彼女を言語的安全に導きたいという思いはあるのだが、挨拶を説明するのは非常に難しいことなのだ。
"Sysnul io miss es pormerz'i fua kakiterceno lersse'it fal panqa. Cossa'd lersse'it furnkieo veles lkurfo mi'st fal qate fqa'd lersse."
そう言いながら、先生は予め用意していた紙袋から数枚の紙を取り出して前から配り始めた。多分、レベル別のクラス分けのためにテストを行うのだろう。先程までざわざわしていた教室も、一気に静かになっていた。
"Fi coss letix levip, lus levip."
翠は前の席に座るインリニアを思わず睨みつけた。
(あの子が倒れてこなければ、辞書も見つけられただろうに)
イライラとした感情を抑えながら、前の席の生徒が渡すプリントを受け取る。リパーシェ文字の羅列にめまいを覚えながらも、翠は問題を解くことに集中した。




