14.心残り
開け放った窓からゆるりと入ってくる潮風。
大きく背伸びをし、深呼吸する。 外は素晴らしく天気がよくキラキラと眩い光を放つ海が、青を写し出している。
「・・・・っさまっ!」
ん?
「いやだってってんだろ! はなせ! 触るなっ!」
「離しません!」
・・・・・・・ジーク様?
「離せっていってをだろうがっ!」
「いい加減に我儘はおよしなさい!」
「煩い! 誰に向かって言ってるんだ! 刎ねるぞ!」
「ジークアンドレイ・アル・シャルジャ様、貴方様でございます! 刎ねるのならどうぞ刎ねてくださいまし、どうせ連れて帰ることが出来なければ討ち首ですからね! かまいませんよ!」
・・・・・・・・・・・・・・・清々しい朝は何処にいった?
「なんで俺がお前の首を刎ねにゃならんのだ!」
「今貴方様がおっしゃったでしょうがっ! それに顔も知らない執行人に刎ねられるくらいなら、剣を捧げた貴方様に刎ねられた方がましというものです!」
「があああああっ! 気色悪いこと言うなっ!!!」
「あっ! お待ちなさいっ!」
・・・・・・・・・・・・・・物騒な話になっておりますよ。 しかも家の庭で・・・。
私はベランダへ続く窓をパタンと閉めた。
「朝から何の言い合いをしているのでしょう・・・」
ミレーネの言ったように、お迎えが来たようだ。 まあ、あのジーク様の事だから素直には帰らないとは思うけど、腹心の護衛を困らせてばかりいたらさすがに可哀想ですわね。
ドアをノックする音がして、返事をするればノアがワゴンを引いて顔を出した。 ノアの顔は少しだけ困ったような笑いを耐えているような複雑な表情をしていた。
「・・・・おはようノア。 朝から騒がしいわね」
「おはようございます、お嬢様。 ええ、今ジュリアル様が回収に向かっているはずです」
一国の王子に対して、回収とはノアも大概だ。
「・・・・・・あら、ジュリお兄様は帰ってらしたの?」
「ええ、ずいぶんと遅かったようですが、お戻りになられてました」
強制収監がかかりましたね。
後、数分もすれば馬車の中に押し込まれローブで縛られて、国に帰ることになるでしょうね。
もしかしたら国境付近までは、縄を解いてもらえないかもしれませんわね。 お気の毒様。
水で顔を洗い、タオルで顔を拭き着替えを手伝ってもらいながら、 「もうそろそろ雄叫びが」 とノアはクスクスと笑い上げる。
扉も窓も閉めてあるので、そこまでは聞こえないだろうけど、窓を開放していたらきっと聞こえていただろう。
兄は叫んだり怒鳴ったりはしないから、ジーク様の叫び声が余計に響く。
化粧台に移動をして髪を梳いてもらい、ワンピースに合う髪型をノアが決め、結っていく間にレモンを絞った水で口を潤して、漏れる笑いにノアが表情を緩ませた。
「ジュリお兄様の睡眠を邪魔すれば、こうなることはわかっているはずなのに・・・ほんとどうしようもないお方」
「そうでございますね・・・。 なんと申してよいのかさっぱりでございますが」
「年に数回あれば、パフォーマンスをしているようよね」
「ええ、賑やかですわ」
鏡越しのノアと微笑みながら、編込んだ髪の毛に水色に白のレースが付いたリボンを結んでくれた。
「あら、強制送還ではなかったのですか?」
「・・・・・何気に酷いよな、リーシャは」
「おはようリーシャ。 ジークは今日中には帰るよ」
「おはようございます、ジュリお兄様。 ふふっ、滞在時間が多少なり延びてよかったですわね? ジーク様」
「・・・・・・兄妹揃ってほんと皆、似てる・・・って、強制送還ってなんだよ・・」
帰国したと思えば、普通にテーブルを囲み朝食を摘まんでいるジーク様は、私の朝一番の辛口なセリフにガックリと肩を落とし、大きくため息をついている。
心なしか、顔色が悪いような気がするが、朝からあれだけ暴れたら疲れもするだろうと、特に気に留めることなく、引いてくれた椅子に座った。
湯気の立つ野菜が沢山入ったスープが並べられていく。
ジーク様は黙々とスープを食べている。
黙々ではあるが、スープを食べるその表情は子供が大好きなお菓子を頬張るその顔、まさにそれ。
わかりますよジーク様。
うちの料理長はどの料理も美味しいのですが、この野菜沢山のスープは家族が一番好きな食べるスープなのです。
時間をかけて灰汁をとり、食べやすい大きさになるまで煮込み、秘伝の元と胡椒のみであっさり仕上げるだけで野菜本来の甘さが十二分に引き出された一品で、野菜嫌いな下の兄も二、三杯食べれるほどだ。
「道中に食べれるように保存の容器に入れてもらいましょう? ジーク様も護衛達も長旅になりますでしょう? 他に保存がきくような物を用意させてますから、そんな暗い顔をしないでくださいまし?」
「・・・・リーシャ・・・」
哀愁さえ漂う暗い表情のジーク様に、声を掛ければ嬉しそうな悲しそうな複雑な顔をして、微笑んだ。
「・・・・・・」
何か、引っ掛かる。
上の兄の様子を窺っても別段変わったこともなく、優雅に紅茶を飲んでいるだけ。
「お二方、何かありまして?」
顔を上げる兄に、ハッとした表情をするジーク様。
「別に何もないですが、朝からジークの雄叫びを訊いたので少し疲れが・・・」
「・・・・・いや、雄叫びなんぞあげてねえし! ほんとに酷いなーお前らは・・・」
「ふふっ。 ジーク様、護衛の方を困らせてばかりいては可哀想ですわよ? 刎ねられていいなんて忠誠心の強い方をもっと労わってあげてくださいな」
ジーク様は、ギョッと表情を強張らせたかと思えば、心底嫌そうに表情を歪め口を開く。
「・・・・・・・・・・聞いてたんかい・・・ああ、もう朝から疲れるから・・」
「こちらの方がですよ。 まったくあなたときたら・・・うちの護衛まで手こずらせるんのですから・・・」
「・・いやー、だってさ、縄を持って縛ろうとすれば誰だって抵抗するだろよ? あ、でも誰も怪我はさせてないぞ」
「「・・・・・・・・・」」
そういう問題でもないような気もする。
一介の護衛が、よその国の王子を縄で縛る事自体を不思議に思わないのか、それとも慣れてしまってそこはどうでもいいのか。
まあ、本人が気にしないのならいいのだろうけど、護衛の気持ちの本当の所が知りたいものだ。
「ソージャ様も大変ですわね」
「あ? ソージャ? あいつは先頭を切って縄を二十にする奴だから大変もくそもねえよ」
「「・・・・・・・・・・」」
思わず兄と目を合わせてしまい、小さく首を左右に振る兄に頷き返した。
国の王子は、日頃どんな扱いを受けているかと疑問を抱きつつ、兄を見返しても何の返答も得られず、なんとか気持ちを切り替えて、ジーク様に向き合えば、 「なんだ?」 と怪訝な顔をされてしまった。
このお方はひょこんと現れていつのまにか消えるので、帰るのならばきちんとご挨拶をしなければ。
「道中、くれぐれもお気をつけてくださいまし、そしてまた元気なお姿を拝見させてくださいね?」
「そうですね。 わたしも仕事に行くので今日はここでお別れとなりますね。 言いたくはないですが淋しくなりますよ」
ジーク様は目を見張り、こそばゆいようなはにかんだ笑顔を見せて顔を伏せるが、その時の顔が何故か泣きたそうに見えた。
が、「俺がいないと淋しいだろ?」 など冗談を言いながら上げた顔はいつも通りだったので、気のせいだったかと目の前にある野菜スープを堪能することにした。
その後、兄は王城へ向かい私は自分の部屋に贈り物を取り戻ることにした。 ノアが取りに行くと言ってくれたが、やはり最終確認は自分でしたいと思う。
花の絵が繊細に刻まれた木の小箱を開けて、皺にならないように丸く畳まれた物を取り出した。
10センチほどの太さになるシルクの生地に太陽に金、獅子に銀の糸、枝を巻くのは白の糸を刺繍した。 数か月と図案から試行錯誤してやっと出来上がったそれは、シャルジャ国で一般的に巻かれる紐ベルトだ。
「ジーク様、喜んでくれるかしら?」
「もちろんでございますわ! とても素晴らしい出来ですし、何よりお嬢様からの贈り物ですもの」
そうだと良い。
獅子が上手く縫えなくて何度も破り捨てようとしたくらい、根性と気合が入った物だ。
一国の王子に手縫いの物を贈るのは躊躇ったが、この国には騎士に、ハンカチに刺繍を入れ見送る習わしがあるので、ジーク様の国を調べて腰に巻くベルトにした。
まあ、気持ちの問題だ。
ノアに簡単に包装してもらい、ジーク様を探すべく部屋を出れば、当本人が廊下の向こうでウロウロとしているではないか。 私に気づいた護衛が困ったような顔をして頭を下げると、ジーク様も私の存在に気ついて駆け寄ってきた。
廊下は走るなと何度も叱られているのに・・・・。
「今、お前の部屋に寄ろうとしてたんだ」
「・・・・・ウロウロしているようでしたが?」
「・・・・行くかどうか迷ってたんだよ! こんちきしょう」
「・・・・・・・こ、こんち・・・」
こんちきしょうってなんですか!
なんだか、むかつきますわね。
「うわっ!ごめん、リーシャ! 今から帰るからさ、挨拶しようと思って! 夫人には挨拶終わったし!」
思いっきり顔に出ていたのだろう。
即座に謝るジーク様に言い返すことはせずに、わざわざ挨拶に来てくれたことで相殺する。
「もう、お帰りになられるのですね?」
「ああ、迎えがうるさいくてな」
「くす、仕方ありませんわよ、ジーク様」
クシャクシャに髪をかきながら、小さい声でああ、と返事をしたジーク様に違和感を覚える。
やはりいつもと違う雰囲気で、胸がざわつく。
それを探ろうとしたが、手に持ってきた贈り物の存在に気づき、目の前に差し出すとキョトンと目を丸くした。
「なにこれ?」
「私からのお礼ですわ。 もちろん大したものではないことを、頭に入れておいてくださいね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
目を丸くしたまま固まってしまったジーク様に、私は再度大した物ではないと言い訳すれば、「なに! くれんの? ありがとうリーシャ!」 と、私の手から素早く取り上げ、高く上げては目元に持っていくと言う変な動きを繰り返した。
「開けていい?」
「帰りのば」
この人、人の話聞かない人ね・・・・。 しかも満面な笑みを返されては嫌ともいえない。
どちらかと言えば、馬車の中で開封をお願いしたかったのだが・・・・・・もう何も言うまい。
「・・・これ・・・」
白い絹の生地の腰ベルトがジーク様の目に触れて、解いたリボンが風に舞い床へと落ちて行った。
なんだか気恥しく、視線が彷徨ってしまうがジーク様はベルトを握りしめ俯いたままだった。
「腰ベルトに刺繍を施すのは、健康祈願だとお聞きしましたのでイメージは太陽でジーク様の守護神は獅子とおっしゃっていたので・・・・」
最後は声が小さくなってしまった。
これは駄目だったかと内心落ち込んでいると、喉から絞り出されたような声が聞こえた。 ”ありがとう” と。
「ジーク様?」
ベルトを握りしめたまま額へと持っていくその手は固く閉ざされ、「ありがとう」 と言う言葉は震えている。
えっと、これって笑ってる?
――――― 泣いてる?
「ジーク様?」
「ありがとうリーシャ! 大事にするよ! ありがとうリーシャ! じゃ、時間がねえから帰る! またな!」
「えっ」
ガバリと顔を上げたジーク様は、慣れた手つきでそのベルトを腰に結んで、弾けんばかりの笑顔と共に、私の手を取りブンブンと振り回すとすぐに踵を返してしまい 「えっ? えっ? ちょっお見送り」 と、声を掛ける私に後ろでに手を振りながら去っていく。
「いい! ここで! ありがとうリーシャ! ずっと大事にするから! 元気でな!」
「ええ、あ・・・・・・」
走っていく後姿に手を振り返す事もできずに、その後ろに控えていたソージャ様が、いつになく深く頭を下げて消えていく。
呆気にとられた私を残して。
そして、この日を境に、ジーク様は姿を見せなくなった。