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その会話は二人だけの胸にしまわれた。座長にすら明かさない、夫婦の秘密だ。それでもわずかな距離感の違いに、何かを感づいたものはいるだろうが、面と向かってその理由を質すものは誰も居なかった。
まったくの日常。がたごとと揺られる旅暮らしに二人は戻った。
だが、旅は平穏の繰り返しではない。それは林の中を通っているときだった。
「雨が来る」
空のにおいを嗅ぐように鼻先をあげたギャロが、ぽそりとつぶやいた。
「嵐になるだろう。座長に相談したほうが良い」
王都はすでに近いが、それでもここから一昼夜はかかるだろう。そしてギャロの予想では、その嵐のピークは今夜であるという。
「よろしくないね」
座長は珍しく大真面目な顔で顎を掻いた。
大地に根を下ろした普通の家屋とは違って、馬車は嵐に弱い。無理に進めば風にあおられて転がるか、増水に押し流される危険もあるのだ。しかも近くに集落はない。無理に馬車を進めるよりは、少しでも安全に嵐をやり過ごすことが最優先だろう。
「誰か、川が近くに無いことを確かめておいで! あと、崖の近くも避けたいね。下手に風通しのいいところに出るよりは、このまま林の中にいるほうがリスクは少ない!」
「座長、俺はそこらに他の旅座がいないか確かめてくる」
「ああ、そうだね。この時期なら居るかも知れない。知らせておやり」
男衆の何人かがばらばらと走り出す。その中にはギャロの姿もあった。
「美也子、俺はこのまま雨に打たれてくる。お前は絶対に来るな!」
その背中は、妻への慕情を無理やりに引き剥がそうとしているかのようだ。だから美也子は、縋るように伸ばしかけた指先を引き下げた。
あの日以来、肌を重ねていない。残り少ない日々を惜しむようにとても大事そうな手つきで、身を寄せ合って眠るくせに、その手が不埒な行為を求めることはなかった。
もちろん、体の交わりだけが愛情でないことは知っている。だが、それは本能だ。愛する男の肌を知ってしまった身体が、彼を求めて夜毎に泣く。
その上、今宵は一人寝か。
(別に、かまわないのに)
どうせ別れが決まっているのなら、冷たい抱き方でかまわない。今まで通り抜けた彼氏たちのように、体だけの愛情を教えてくれたら、どれほど気が楽か知れないのに、彼は、決して美也子を抱かない。だから余計に、募る。
少しだけ気持ちを持て余しながら、それでも夕刻までは風に備えて馬車を木にくくったり、馬を避難させたりで、なんとなく時間がつぶれた。
雨が降り出したのは早めに支度した夕飯を手の空いたものから順番に掻きこんでいる最中だった。
そして、その雨とともに、小さな旅座の一団はやってきた。




