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 そこは小さな集落……といっても、決して鄙びているわけではない。王都へ向かう途であり、良い湯が出ることもあって、旅稼業の者たちの宿として栄えている。

 もっとも、居住のための馬車持ち相手の宿だ。宿屋よりも湯屋が多いが、往来には客引きの小僧が立ち、湯治を楽しむ者たちは行き交い、なかなかに賑やかであった。

 さりとて宿が一軒も無いわけではない。むしろ車上の暮らしを一時、忘れるための床宿として豪奢な宿屋が何件もある。ギャロが選んだのは、その中でも特に大きな老舗であった。

 カステアの祭りでは、美也子のおかげで上々の売り上げだったのだ。少しくらい奮発してもバチは当たるまいと思ってのことである。

 その宿でも特に豪華な部屋に通されて、美也子は少しだけ尻込みした。何しろ部屋は二間、簡易なふすまのような建具で仕切られている。一間には大きな座卓が置かれ、すでに茶菓が用意されていた。そしてふすまを開ければ、部屋を埋めるほど大きなサイズのベッドが一つ。

 美也子が目を剥く。

「ちょっと、この部屋、いくらするのよ!」

「値段の事は気にするな。新婚旅行ってのをして無いんだ。その代わりだと思えばいい」

 それに続く言葉は、どこかため息のように力無いものであった。

「……俺が夫としてしてやれる事は、これぐらいのことしかないんだし」

 ギャロはまだ迷っていた。

 本当は元の世界に帰る手立てが見つかったことを、すぐにでも美也子に伝えるべきなのだろう。だが、もしも万が一にでも、ぬか喜びさせてはいけないだろうと思えば、言うことさえためらわれる。

(違うな。俺が言いたくないんだ)

 ずいぶんと意地汚いことだ。妻と呼ぶことを許されるぎりぎりのその時まで、美也子の心を独占したいなどとは。

「なあ、美也子」

 甘い声でささやく彼女の名前。それはずるい愛情。

「飯にはまだ早いし、風呂の前に……な」

 美也子の手を引き、寝室へと誘う。

(せっかくの『新婚旅行』なんだ。あと少し、ほんの少しだけ内緒にしたって、いいだろ?)

 この泊りの最後には、きっと打ち明けよう。それまで、うたかたの夢ぐらい許して欲しい。何しろ自分は、心底からこの女を……

「愛している」

 その瞬間、ギャロは自分の腕の中に花が咲くのを見た。

「私も、愛しているの」

 ささやき返す美也子は白い頬に血色をのせ、どこか誇らしげな笑顔を咲かせている。

「美也子、愛している」

 また一つ、花が咲く。

 その花を手折らぬように、そっと寝台に押し倒す。

「なあ、今だけでいい。嘘でいいんだ。一生、俺の傍に居ると、言ってくれ」

「なんで嘘なんかつく必要があるのよ。私はずっとギャロの傍に居るの。夫婦なんだから」

「ああ、美也子、お前は……」

 ギャロは美也子の首元に唇を寄せた。彼女は両手を広げて覆いかぶさる体を受け止めてくれる。それだけではなく、甘い囁き。

「夫婦だから、ギャロの子供を、産むの」

「俺の、子供を?」

 ギャロは少し顔を引いて、妻の顔を見下ろした。

「本当に、俺の……ために?」

「当たり前でしょ。他の誰の子供を産むって言うのよ」

 大きな目玉からぽたりと、大きな大きな雫がたれた。

「俺は、今まで、家族ってものに縁が無かった。その俺に、子供……か……」

 目玉の表面を流れ、鼻先まで伝い、そこから落ちる涙が美也子に降りかかる。

「ちょっと、なんで泣いてるのよ」

「だって、俺の……子供を、お前が……」

「ああ、もう! そんなことぐらいで!」

「そんなこと、じゃないだろう!」

「そうね、大切なことだわ」

「ああ、大切なことだ」

 ギャロはもそり、と美也子の上着をめくった。

「なあ、美也子、誓うよ。この先どんなに遠く離れることがあっても、俺の女房はお前一人でいい」

「離れるわけないでしょ、ずっと一緒に居るんだから」

「なあ、今日はもう、何も話したくない」

 ギャロは美也子に唇を寄せる。

「ただ……抱かせてくれ」

 幅の広い口をすぼめるようにして、男は女の声をふさいだ。


また、例のシーンがはみ出しました(と言って察した方はお月様へ~)

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