王太子の依頼
三階の事務所の中央には、来客用の机が一つとそれを囲んで一人がけと二人がけのソファが二つずつある。普段正しい目的で使われることは少なく、専ら店員たちが好きなように利用している。お茶を飲んだり昼寝をしたり、とまったりとしていることが多かった。
今はそこに、店番をしているリエナシーナを除いた<踊る猫の髭>の住人が座っていた。
一人がけのソファにはディグラムと体格の大きなロイグランが対面になって座り、二人がけのソファにはシスカと先ほどまでいなかった茶髪の男性が座っている。ロイグランよりは小柄だが決して細身ではなく、素人目に見ても無駄な筋肉がついていないバランスの取れた体つきしている。誰だろうと顔に浮かんだアシィにラスアがここの店員の一人、アサファだと教える。その声が聞こえたのかアサファがたれ目がちな薄い茶色の瞳をアシィに向けて軽く会釈をした。それに慌てて会釈を返したアシィにわずかに笑いかけて、アサファはディグラムへと視線を戻した。
アサファの対面にラスアと並んで座っていたアシィも、彼の視線を追ってディグラムへと視線を移した。
「全員集まりましたね。それでは始めましょうか」
ディグラムが話し始めると、全員の視線が彼に集中した。
「今回我が<踊る猫の髭 >の裏稼業にこの国――コッズウィーン国の王太子殿下より依頼がありました。内容はある事件が解決するまでの間ここにいるアスティリア王女殿下を護衛すること」
<踊る猫の髭>には書店としての表の顔と危険な仕事を請け負う裏の顔がある。初めは純粋に書店としてディグラム店を開いた。そこに彼の魔術師の腕を頼って持ちこまれる厄介な仕事も次第に請けるようになっていったという。ディグラム自身はそのことを苦々しく思っているようで、表立った宣伝は一切していない。断りきれない場合のみ引き受ける、というスタイルをとるようにしている。ただ、ここの仲間たちは全員が全員腕が立つため、密かに有名になってしまっているらしい。
ディグラムは、リエナシーナ以外の仲間とはこちらの仕事を通して知り合い、紆余曲折の末一緒に仕事をすることになったらしい。
らしいと言うのはラスアが裏の業務には一切関わっていないからだ。せいぜい前述したことを知っている程度しか知らない。
時に命に関わるような危険な仕事であるため、保護者であるディグラムはラスアを関わらせることを嫌がっている。そのことにラスアも異論はないので、彼女が裏の仕事の説明に同席するのは今回が初めてだった。
「ある事件っていうのは?」
アサファが誤魔化すなよ、とディグラムを見た。
旧知であるとはいえ一介の魔術師に王族の娘を預けるなどありえない。護衛が必要と言うなら、王宮内で腕の立つ人間を警護に当たらせればいい。それにもかかわらず、王女を外に出すなど、よほどの事情があるとしか思えない。
暗に厄介ごとである、と告げられている以上事情を全て聞く権利がロイグランたちにはある。
シスカもアサファも同じ考えらしく、若干責めるような目でディグラムを見ていた。
「分かっています。きちんと説明しますよ。今から二週間前に、アスティリア王女の毒見役が、殿下に用意されたお菓子を口にして亡くなりました」
「毒、か?」
ディグラムの声は平素と代わらなかったがそれに呟いたロイグランの声が硬かった。
王侯貴族に毒殺はつきものとはいえ、幼い少女を狙った犯行にラスアも嫌悪感を抱かずにはいられない。隣に座っているアシィの顔をちらりと見た。
取り乱すような様子は見られなかったが、その表情は硬く、そして辛そうだった。
当然だ。もしその菓子を口にしていたら今頃命はなかったのだし、少女が助かった代わりに他の命が失われたという事実は残る。毒見役なのだから仕方がない、と割り切ることができるような考えを持っているような少女には見えない。
かすかに服を引っ張られたように感じると、アシィが制服の裾をぎゅっと握っていた。
ラスアはそのことに気づかない振りをして、そっと視線をディグラムへと戻した。
「その通りです。調べたところによると即効性の毒物が仕込まれていました。そして、王女の暗殺と思われる事件はその件を皮切りに少なくともこの半月で六件起こっています。」
「そんなに頻繁に起きたの?」
たった半月の間に起きた回数の多さにラスアが目を見開く。
アシィを狙う目的は分からないが。ディグラムの口ぶりから彼女の暗殺未遂はこの件が初めてだろう。それにしてはその回数は少々異常だ。
「ええ。当然王太子殿下もすぐに対策を練りました。アスティリア殿下の護衛を増やし、早急に犯人を捜す手筈も整えました。」
王女暗殺は大事件だが恰好のスキャンダルにもなりかねない。その捜査は公にはならないよう、慎重に行われているのだろう。事実今のところアジェンダではそういった噂は流れていなかった。
「だけどまだ見つからない?」
「アサファの言うとおりです。実行犯は何人か捕らえましたが、その場ですぐに自殺をしてしまい、黒幕の特定までにはいたっていません」
「けど、目星くらいはついていているんじゃないの?」
ある程度以上の地位にあれば陰謀、暗殺はある意味日常茶飯事ともいえる中、心当たりがゼロではないだろうとシスカが暗に告げれば、ディグラムは困ったように笑う。
分かっているけれど言えない、と彼の態度が告げていた。それに関しては当の王太子から口止めをされているようだ。
シスカもそのあたりをすぐに察して、この場で問い詰めるようなことはしなかった。
「先ほど言ったとおり、黒幕は見つかっていません。しかしこのままにしておけば、王女への危険は高まる一方です。そこで、殿下は一つの計画をたてました。そのために今回アスティリア王女殿下をこちらで預かることになりました」
「その計画ってのは?……言えねぇなら無理にとはいわねぇが」
<踊る猫の髭>が請負うものはずば抜けて危険度が高いものが多く命の危険を感じたことは一度や二度ではない。少しでもその危険を回避するために情報は多いほうがいいとロイグランは長年の経験から知っていた。
同時に高い身分になればなるほど正確な依頼内容を誤魔化したがる事も事実だ。
これに関しては期待をしていない、と面白くなさそうな顔をしてロイグランが聞いた。
「その前に先に聞きますが、<意思ある武器>のことはご存知ですか?」
これまでの話と全く関係のない質問を、ディグラムがその場にいる全員にした。