第十九話「迷宮」
迷宮。迷宮かぁ。胸がときめく響きではあるが、残念ながら俺は戦闘力はからっきしなのだ。キュウとラムに頼って攻略する、というのもできなくはないのだろうが、気は進まないなぁ。
そんなことを考えていると、マギは注釈を付け加えた。
「迷宮を踏破しろ、というわけではありません。迷宮の中にある、魔力を阻害する部屋まで着いてきて頂きたいのです」
「魔力を阻害する?」
「はい。その部屋では魔法が使えません。ですが今までに試したところ、神の加護は使えるようなのです」
そこからマギは怒涛のごとく説明をしてくれた。この世界のあらゆる事象にはマナが関わっていて云々。神の加護はその例外ともいえる特殊な……うん、さっぱりわからん!
「カカカ。マギよ、懲りん奴よな。リョータに小難しいことを言っても理解できんわ。黙って指定した場所まで行って加護を使え、と命令すれば良いのじゃ」
馬鹿にされているのだが、実際反論はできない。マギも相当言葉を選んで説明してくれているんだろうけど、魔力とかマナとか魔法とかが実感として分からないからなぁ。
「とりあえず分かりました。迷宮に行きましょう」
「ありがとうございます、リョータさん。それでは早速明日出発しましょう。道具や食料はこちらで揃えています。皆様には宿をご用意しますので、今日はゆっくりとお休みください」
念願の宿ゲットだぜ! ついでに報酬もそれなりの額をいただけるようだ。キュウに使い込まれないようしっかり管理しよう。あいつ、気付いたら美術品を買い漁ろうとするんだよな。何度慌てて止めに入ったことか。ラムを見習って欲しい。ラムは屋台で物欲しそうに食べ物を眺めるだけだからな。つい買い与えてしまうが、これは俺の心の平穏を保つための必要経費だ。
翌日、再び俺達は馬車の上にいた。今回はキュウの出した謎の高級馬車ではなく、研究所が持つ質素なものだ。これから半日ほどで遺跡の入り口に着くらしい。意外と近い所にあるんだな、迷宮。
「そういえば、皆様はこの調査を終えたらどうされるのです?」
マギが俺に尋ねる。これが終わったら、一応急ぎの用事はなくなるはずだ。確定している予定は一つだけだ。
「近いうちにラムの故郷に行こうと思ってます」
「ご主人様、覚えててくれたんですね」
ラムが顔を綻ばせる。覚えてるに決まってるだろ。俺がこの世界に来て、初めて自分の意思で行きたいと思った場所なんだから。
「行くなら秋がお勧めですよぉ。ただ、冬はダメです。絶対ダメです。地獄です」
珍しいラムの真顔だ。そこまで言わせるほどの何かがあるのだろうか。ゴクリと唾を飲む。まぁ、秋が良いというのならその時期にしよう。わざわざ地雷を踏みに行くことはない。
「と言うわけなので、秋口くらいまでは王都で観光でもしつつ、路銀を稼ごうかと」
「そうですか。それではしばらくの間はデータを色々と取らせて頂けると助かります」
「そうじゃぞ、早いところお主の加護を誰でも使えるようにせねばならんのだからな」
キュウが幌の上から顔だけを見せて口出しする。分かってるよ、俺だってキュウの血族になるのはごめんだ。さっさとキュウ専属の味覚操作マシーン役を見つけ出そう。世界は広いんだ、こんな暴君にだって喜んで仕えたいと思う奇人はいるだろう。とはいえ、不安はある。神の加護はかなり特殊らしいことは俺の足りない頭でも理解はできている。
「神の加護を他人も使えるように、なんてできるんでしょうか?」
「やって見せます。そのための研究です」
俺を安心させるかのように、マギは自信たっぷりに笑みを浮かべた。
「ふぁっ、ご主人様、すごい、すごいですぅ」
「ラムばかりずるいぞ。ワシも、もっと欲しいのじゃ、リョータぁ」
「キュウ様はさっき十分楽しんでたですぅ。次は私ですぅ、ご主人様、はやくぅ」
弁明しておくが、俺は何もやましいことはしていない。いつもの食事シーンである。いや、毎回こうなるのがおかしいんだけど。以前はラムだけだったのだが、キュウにまとわりつかれるようになってからは、二人して恍惚の表情を浮かべながら迫ってくるので色々と辛抱たまらん。
「これは……中々すごい光景ですね」
「お恥ずかしい限りです」
マギは呆れと驚きが入り混じったように苦笑している。俺も部外者だったなら、なんで飯食ってるだけでそんな喘いでるんだ、と突っ込まずにはいられないだろう。行き過ぎたグルメ漫画のようである。
「食事どきにはこんな風に加護を使ってるんですが、手を触れないといけないのが面倒でして」
「なるほど」
実はこれが結構な悩みのタネなのだ。手がふさがっているために、俺は食事を取れない。乗り合い馬車に乗っているときなんて、全員にかけて回っていたから俺が食べる頃にはスープが冷め切っていたこともあったのだ。折角専門家がいるのだから、解決策をもらえないかと水を向けて見ると、意外な回答が返ってきた。
「リョータさんの加護を他の人も使えるようにするのは時間がかかると思いますが、リョータさんを補助する魔道具なら早期に作れるかもしれませんね」
「本当ですか?」
「ええ。手を触れないで味覚を操るようにするのは、比較的簡単にできるかと思います」
「それだけでも使い勝手がかなり良くなりますよ」
やっぱプロはすごいな! 聞いてみるもんだ。遠隔で味覚操作できるようになるだけで、一緒にご飯を食べられるようになるし、モンスターへのけん制としてもぐっと使いやすくなる。期待に胸を膨らませている俺に、マギは言葉を続けた。
「ですが、リョータさんの加護にはもっと多くの可能性があると思っています」
「より奥深い味を体感できるようになる、とかですか?」
マギとラムがクスリと笑う。な、何でよ!? そういう話じゃないの?
「リョータさんの加護は味覚、つまり五感を操作するものです。原理さえ分かれば他の五感、触覚や視覚も操れるようになるのではないか、と」
マジか! 触れてもないのに激痛を走らせたりとか、視覚を遮断して何も見えなくしたりとかできるってこと? そこまで行くと滅茶苦茶強力な加護だな! ようやくチート能力の片鱗が見えてきたな。
「リョータよ、嗅覚操作を真っ先にできるようにすべきじゃ」
「何で?」
話を聞いていたキュウが幌の上からぶら下がった状態で話し出した。嗅覚って、そんなに有効な使い道は思い浮かばないんだけどなぁ。
「うむ。味に満足してくると、次はにおいが気になりはじめての」
左様ですか。本当に血を飲むことしか考えてないのね、キュウさんってば。却下。
馬車が止まった。俺の目の前には薄暗い洞窟への入り口がぽっかりと開いている。周囲には迷宮に挑む人向けにか、行商人や屋台が数件立っていた。ちょっとした観光名所のようになっているようだ。
「ここが迷宮の入り口です。目的の部屋は浅い階層にありますので、強力なモンスターも出ませんが、念のためご注意を」
マギが慣れた様子で洞窟へ足を踏み入れていく。俺達もそれに続く。マギが何事か呟くと、手元から光の玉が浮かび上がり、周囲を照らし出した。明かりの魔法だろうか。おかげで薄暗い洞窟の中がはっきりと見えるようになった。天井も床もむき出しの岩と土で出来ていて、人の足で踏み固められた通路らしきものがある。洞窟の幅は思ったよりも広く、三人くらいが横並びでも歩けそうなくらいだ。
しばしの間マギの先導で歩いていくと、マギが注意を促した。前方にいくつかの小さい人影が見える。あれは。
「ゴブリンか」
「お任せください」
マギが前を見据えると、空中に石礫が形成されていく。瞬く間にこぶし大ほどの大きさに成長していくと、すさまじい速度でゴブリンを打ち貫いた。魔法すげぇ!
「魔法すごいですぅ!」
「これでも魔法学者ですから」
ラムが賞賛の声を上げ、マギは照れくさそうに笑った。
その後も何度か魔物と遭遇したが、出会い頭の魔法一発で殲滅されていく。暫く行くと、今度はオークが出てきた。
「次はワシがやろう」
キュウがずいと前に出る。何か企んでいる顔をしている。短い付き合いだが、少しずつ分かってきた。こういう顔をする時は大抵ろくでもないことをしでかすのだ。
キュウが跳躍する。背中から翼が生え、目には赤い炎が宿る。壁を蹴ってオークに向かって加速をつける。突き出された右脚がオークに衝突する、その瞬間。
「必殺! 吸血キーック!」
キュウは叫んだ。誰の影響を受けたかは一目瞭然だ。オークはきりもみ回転しながら吹き飛び、冗談みたいに壁に人型の穴を開けた。キュウさん、マジ半端ねぇっす。
さて、敵も倒したし先に行こうか、と思ってマギを見ると、彼女は瞠目していた。その視線の先にはキュウがいる。コウモリ状の羽根を生やし、鮮血のような赤い瞳の少女が。あ、やっべぇ! 吸血鬼だってバレたんじゃない?




