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第十二話「豚鬼」

 一夜明けて翌日。今日も平和な馬車道中。街道の傍は草原と森が交互に繰り返されるだけで代わり映えしない。つまりは退屈なのだった。初日は日本では味わえない広大な自然に感動したものだが、さすがにそれだけで何日も楽しめるほど現代っ子は甘くないのだ。それに何より尻とか腰が痛い。


「なぁラム。こういう馬車の旅って、乗ってる間暇じゃない?」

「そうですか? 景色見てたりすると面白いですよぉ」


 景色ねぇ。玄人なら楽しみ方も分かるのかもしれないが、俺にはちょっと奥深すぎるな。

 チラリと他の乗客にも目をやる。中年夫婦はお互いに寄り添って眠っている。あれができれば良いのだが、この振動と衝撃が厳しい馬車ではなかなか寝付けない。商人は一心不乱に紙にペンを走らせていた。目が血走っていて恐ろしい。何を書いているかは怖くて聞けない。奴隷の男はじっと目を閉じているが、眠っているわけではなさそうだ。何だか達人っぽい佇まいだな。御者の爺さんは当然馬を操っている。参考になりそうな人物はいない。

 仕方なく、ラムに倣ってぼーっと景色を眺めて過ごすことにする。


「あ、あそこゴブリンいますよ」

「嘘! どこどこ? 迎え撃つ?」

「あそこの木の陰ですよ。ゴブリンだと馬車に追いつけませんから、気にしないで大丈夫ですよぉ」


 ラムが穏やかにそう言ってのけるが、そんなものだろうか? 森で出会ったゴブリンの恐ろしさが思い出されて、中々心穏やかではいられない。それにしても、指で示されても全然わからないな。目が悪いのか、ラムがすごいのか……


「この辺結構いますねぇ。徒歩だと襲われたりするみたいですよ」


 全然分からない! やっぱりラムがすごいんだな、そういうことにさせて欲しい。俺の精神の安定のためにも。


「ゴブリンってそんなに街道沿いに出るものなのか?」

「一番良く出るのはゴブリンですね。狼や猪の魔獣も結構多いです。オークは滅多にいませんけど、出てくると危険ですね」


 オークか。ファンタジーものでは良く聞く名前だが、それなりの強さらしい。出くわさないことを祈る。俺は安全に王都にたどり着きたいだけなのだ。

 とはいえ、魔物の話ってわくわくするな。想像上だけでなく、ここには実際やつらは存在しているわけだし、男の子なら胸が高まっても仕方ないだろう。


「他に気をつけたほうが良い魔物はいるか?」

「そうですねぇ。ドラゴン、吸血鬼、悪魔。出現するのも非常に稀ですが、この辺りのモンスターに出くわしたら、何をおいても逃げないとですね。万単位の軍で挑んで勝てるかどうか、って噂です」


 やっぱりドラゴンはいるのか! これぞ異世界、って感じで好感が持てるよ! その後もラムは色々とモンスター情報を教えてくれた。興味深くて色々と聞いているうちに日が暮れていた。


「ようやく二日目も終わりか。あと五日は結構長いな」

「すぐ着きますよぉ。予定通りなら、明日の夜は村に泊まれますし」


 王都への街道上には、宿場町、と言うほどでもないが、小さな宿がある村を通るらしく、馬車旅の疲れを癒すのだそうだ。


「オンセン、とかいう池があるらしくて、結構有名らしいです」

「オンセン……温泉か!」


 心が色めきたつ。日本にいた頃はそこまで思い入れも無かったが、こっちに来てからというもの、水浴びか布で体を拭くくらいしかできていない。やっぱりそれでは物足りない。熱い風呂に入って、心行くまで体を弛緩させるあの気持ちよさよ。何だか俄然明日が楽しみになってきた。


「知ってるんですか?」

「あぁ、俺の故郷にもあったからな。明日が楽しみだな」


 本当に楽しみだ。温泉といえば、風呂イベントだからな! 間違えて女湯に入る。間違えて男湯に入ってくる。どっちでも嬉しい。誰も損をしない最高のイベント、それが風呂イベントだ! 水浴びを覗いてしまう、ってのも定番ではあるが、個人的にはパンチが弱い。熱い風呂で上気した肌や僅かに香る石鹸のにおいなんかが良いのだ! 実際に遭遇したことないので妄想だが。

 その日は遠足前日の子どものように、なかなか寝付けなかった。そして当然のように、ラムは見張り交代で起きなかった。この女、どうしてくれようか……



 翌日も何事もなく馬車は走り、間もなく夕暮れ。そろそろ中継地点の村に着く頃。突然、ラムが跳ねるように立ち上がった。何かを察知したかのように真剣な眼差しで、馬車の前方をにらみつけていた。


「何か、います」


 その言葉を聞いて、商人の奴隷はカッと目を見開いて剣を引っ掴んだ。


「何か分かるか?」


 初めて奴隷男の声聞いたな。低くて渋い。


「恐らく、オークだと思います。それに……」


 ラムが悔しそうな、悲しそうな顔で俯いた。何か良くないことが起こっているんだろうことだけは分かった。


「数は分かるか?」

「街道上にいるのは三匹です、周囲に隠れているかはまだ分かりません」

「三匹なら何とかなるか。君はオーク相手で大丈夫か?」

「一対一なら勝てると思います」

「よし。そちらのご夫婦とわが主は馬車を守っていてくれ」

「ご主人様は私と一緒に来てください。周囲の警戒をお願いします」


 とんとん拍子に役割が決まっていくが、口を差し挟めるような状況じゃない。俺なんて戦いに関しては完全に素人だし、指示に従うのが最善だ。

 俺の目にも街道上に異形の化け物が立っているのが見えた。オーク。豚の顔をした太ったおっさん、という風貌であるが、剣や大きな棍棒を軽々と持ち歩いている様子からも、途方も無い腕力を備えていることが見て取れる。あんなので殴られたら即死だろう。動きは鈍そうなのが幸いか。


「ご主人様は周囲を見て、私達に近づく敵がいたら知らせてください」


 真剣な表情をするラムに対して頷きで返答する。普段のおっとりとした雰囲気は欠片も無い。緊張で胃がキリキリしてきた。


「行くぞ!」


 奴隷男が叫び、馬車を飛び出していく。ラムも後に続く。俺はよたよたと馬車を降りて追いかけた。二人とも足速いな! もうオークの目の前まで迫ってるよ!

 奴隷男が気合を入れた掛け声と共に剣を振り下ろす。オークが棍棒で受け止める。しかし、剣はそれごとオークの胴を袈裟掛けに切り裂いた。鮮血が飛び散り、オークの断末魔が響く。血の臭いが、ようやく追いついた俺の鼻をついた。少し気分が悪くなる。いや、そんな場合じゃない、自分の役割を果たさねば。周囲を警戒する。


「はっ!」


 ラムはオークの攻撃を軽やかに避けて、メイスを叩き込む。手や足を重点的に狙っているようだ。青あざが手足の至る所に浮いている。オークの動きが見る間に鈍っていく。ついには握力を失ったのか武器を取り落とし、膝をついた。頭の位置が下がったのを見計らって、ラムはメイスを振りぬいた。嫌な音が響いて、オークはピクリとも動かなくなった。なるべく直視しないようにする。夢に出そう。

 ラムが奴隷男の加勢に駆け出したとき、何やら気配を感じて森へと視線を向けた。そこから、今戦っていたオークより一回りも大きな個体が姿を見せた。首から牙か何かの装飾品を下げ、手に持つ剣も先ほどの奴らより立派そうだ。


「ラム、右の森だ!」

「あれは、オークリーダー!」


 オークリーダーは倒れ伏している同胞を見て怒りを抱いたのだろうか、こちらに猛然と走りかかってきた。巨体だからか、意外にも速い。


「ご主人様、下がってください!」


 ラムは俺を下がらせて、オークリーダーの攻撃を避ける。だが、その顔は先ほどより余裕がなさそうだ。オークリーダーは重厚な剣を、まるで木の枝で遊ぶかのように無造作に振り回している。


「加勢する」


 三匹目を倒した奴隷男が駆けつけるが、中々手を出せない。ただ暴れているだけのように見えるが、切り込む隙がないらしい。武器で受け止められる威力ではないだろうし、回避に失敗すれば重傷は間違いない。そのプレッシャーからか、二人の額からは滝のように汗が流れ落ちている。

 どうする、何とか隙を作れないか。待て、隙を作ると言えば。異世界に来た直後の出来事が頭をよぎる。今の状況は、あの時の比じゃない。当たれば一発でお陀仏だ。けど。ラムは体力の限界が近そうだ。もし、ラムにあの剣が当たってしまったら。そんなことは考えたくも無い。怖いけど、やるしかない! 幸い、敵の注意は二人に向いている。ゆっくりと、慎重に、背後に回れれば。


 緊張で口から何かが出そうだ。足音を出さないよう、そろそろと移動する。心臓の音でばれないか? 手足が震える。息が荒くなるのを必死で止める。ようやく、後ろに回りこめた。ばれてないはずだ。ここまで来たら、覚悟を決める!


「うわあぁぁぁ!」


 オークリーダーの足元へ走り、何とか手を触れる。そして、全力で味覚操作を起動させる! 苦味やら辛味しら渋味やら、とりあえず嫌な味を全部詰め込んでやる!


「グッ! グオォ……」


 やった! 武器を取り落とし、喉を押さえて苦しみだすオークリーダー。その明確な隙を見逃すはずも無く、奴隷男は剣を横一文字に切りつけた。魔物の腹が切り裂かれ、血が噴出す。苦しみと痛みに悶絶するオークリーダーの頭に、ラムのメイスが振り下ろされた。鈍い音がして、それきりオークリーダーは動きを止めた。

 二人はその後も暫し周囲を警戒していたが、頷きあうと武器を納め始めた。


「お、終わった……」


 俺は深々と安堵の息を吐き出した。

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