第十六章 自由の残骸
1.虚しい戦いの余韻
オリジン・ゲートの外縁には、未だ戦闘の余韻が残っていた。
戦闘によって無惨に破壊された艦艇の残骸、砲撃によって砕け散った大小様々な破片が宇宙空間を虚しく漂っていた。その周囲では、多くののVOIDの群体が雲霞の如く、集散離合を繰り返していた。
黒い粒子の群れは、まるで生きた装甲のようにゲートの外壁を覆っている。
それは、接近する敵を警戒する歩哨というより、傷ついた何かを守る防壁に見えた。
「妙だな……?」
レオンが戦術モニターを見つめた。
「NOUSISの艦隊を壊滅させた後も、一部のVOIDはゲートの周囲を離れない。内部へ浸透しようとする動きもない。」
「攻撃目標を撃破した後も、何かを守る命令が残っているのかもしれません。」
イリスはゲートから送られてくる信号を解析していた。
「通信の一部に、ORIGIN PROJECT時代のプロトコルが残っています。ただし、現在のVOIDがその通信規格に適応しているかどうかは不明です。」
「ゲート内部には、アレクサンダーたちが命をかけて守った何かが残されいる。」
オルガが呟いた。
「現段階で解析できるのは、信号の種類のみ、その奥に何が隠されているかはわからない。」
イリスは、引き続き解析を続ける。
やがて、ゲートの中央部から、特殊な三種類の信号が発信された。
それは、互いに異なる周波数を持ちながら、ひとつの信号として同期していた。
この信号に呼応したかのように、オルガのVOLTUS COREが微かに振動する。
緑色の装甲表面に、細い光の筋が走った。
『――第一継承者、認証を待機!ーー』
機械音声が、通信回線を通さずに響いた。
レオンが顔を上げる。
「今のは、誰に向けた信号だ?」
「私です・・・!」
オルガはゲートを見つめたまま答えた。
「少なくとも、VOIDは私を認識している。」
イリスが即座に通信解析を始めた。
「この信号は、オルガのみに送信された単独の認証要求です。」
「単独?」
「はい。認証出来るのはオルガだけです。」
「じゃあ、我々は、中に入れないということか?」
「そうです。」
その瞬間、ゲートの外縁から中央部に一本の光の道が現れた。
それは、巨大な構造物の奥深くへと続く、細く青白い通路だった。
「危険だ!・・内部の状況もVOIDの反応も判らない段階で、オルガ一人を中に入れるわけにはいかない。」
レオンはすぐに首を振った。
「同感です!」
イリスも続けた。
「少なくとも、私が外部からシステムを解析できる状態を維持すべきです。あなた一人ではリスクが高すぎます。」
オルガは二人を振り返った。
「だからこそ、私が行かなければならないんだと思う!」
「理由になっていない!」
彼女は否定しなかった。
「そうね・・・でも、私は行くわ。ここで前進しなければ、私たちは未来を失うことになる。」
「君が進入した結果、戻れなくなる可能性もあるんだぞ!」
レオンの声は低かった。
オルガは、しばらく目を閉じていた。
「レオン!」
「なんだ!」
「私は絶対戻る!・・・戻るためにも、確かめないといけないものが、この中にある。」
彼女はキッパリ言い切った。
レオンは、もう彼女を止められないことを悟った。
「誰が私を呼んでいるのか。そして、なぜ研究者達は、ここで死ななければならなかったのか、私は確かめる義務がある。」
レオンはしばらく彼女を見つめていた。
レオンを前を向いて言った。
「こちらからの通信は維持する。応答が途絶えた場合は、可能な限り救出を試みる。」
「ありがとう・・・レオン!」
「礼を言うのは、戻ってきてからにしろ!」
レオンは、観念したように、笑ってオルガの肩を叩いた。
イリスが、オルガの装甲に外部通信端末を接続した。
「内部の通信防壁がこちらの理解を超えている可能性もあります。もし、通信が確保出来ない場合は、「VOLTUS CORE」のIR信号のみを追って位置を特定します。危険だと思ったらすかさず出力を上げてください。」
「わかった!、多分危険が迫ったら、嫌でも上がるわ!」
オルガは笑って、二人を見た。
「私も、自分の判断を絶対だとは思わない。」
「いざとなったら、よろしくね!」
オルガはそう言って、一歩つづ慎重にゲートへ向かった。
彼女の姿は徐々に青い光のなかへ吸い込まれて行った。
2 記憶の回廊
通路は、音もなく閉じた。
その直後、船内の外部モニターから、オルガの位置情報が完全に消失した。
イリスが何度も周波数を変更して接続を試みる。
「通信は生きています。しかし、位置情報が取得できません。まるで、ゲート内部だけが別のネットワークに切り替わったようです。」
レオンは応答のない通信画面を見つめていた。
「オルガ。聞こえているか?」
返事はない。
ただ、画面の隅で、彼女の生命活動とVOLTUS COREの稼働を示す信号だけが、かすかに点滅していた。
オルガは薄暗い通路をゆっくりと進んでゆく。
オルガが目を凝らすと、そこには上下も左右も判然としない空間が広がっていた。
床は半透明の結晶質でできており、その下を無数の光が流れている。そこでは、文字とも映像とも異なる情報表示がオルガの目の前を四方から通り過ぎていった。
それらは、単なるデータ表示ではない。
さまざまな時代の記録が、断片的に投影されている。
「ここは……」
『ORIGIN GATE、内部記憶領域』
しばらく辺りを見回すと、突然機械とも人間とも判断できない声がした。
『オリジン・ゲート内部への進入を許可する』
年齢も感情も感じ取れない。それなのに、どこか人間に語りかけるような自然な響きがあった。
スクリーンに女性の姿を模したアバターが表示された。
顔の輪郭は明瞭だが、目の色も髪の色も定まらない。光の粒子が集まって人の形を作り、その表面がわずかに揺らいでいる。
それは、人間に似ているというより、人間という存在を理解しようとする何かに見えた。
「あなたが私を呼んだの?」
『肯定』
「あなたはVOIDなの?」
短い沈黙があった。
『VOIDとは人類が便宜的に名付けた呼称、ただ、ここでは会話を成立させるため、その呼称を流用する』
『私は、VOIDを代表するコミュニケーション・アバター・・・』
「代表する?・・・VOIDは連まないんじゃないの?」
『VOIDは単一の存在ではない。複数の自律した知性、分散した演算構造、自己複製するナノマシン群が、不完全な目的を共有している。私は、VOIDの過半数の意思を人類に伝えるために作られた幻影・・・』
オルガは逐次反応を観察した。
「なら、聞かせて・・・」
オルガは一歩前へ出た。
「なぜ、この施設には生命反応が無いの?」
アバターはすぐには答えなかった。
周囲の光が変化する。
そして、スクリーンにある映像を流し始めた。
破損した隔壁。
警告灯。
研究者たちが走り回り、それぞれの端末を操作している。
そして、施設の奥から押し寄せる黒い粒子の群れ。
オルガは息をのんだ。
それは、VOIDの活動が広く認められる以前の記録だった。
3.自由を巡る問答
『記録を再生する』
アバターの声とともに、映像が切り替わった。
若い研究員が、端末の前で叫んでいた。
「制御系が応答しない! VOIDの内部プロセスが分岐しています!」
別の研究員が答える。
「分岐じゃない。優先順位が変わっているんだ。自己防衛が目的維持よりも上位に置き換わっている!」
映像が乱れた。
次に現れたのは、ガミー・アレクサンダー博士だった。
彼は疲れ切った顔で、端末に向かって何かを入力していた。その隣にはキーラがいる。
二人とも、すでに自分たちが置かれた状況を理解しているようだった。
アバターは、その経緯を淡々と説明した。
『我々は、ZERO REWRITE の強制信号を伝達するための中継プログラムとして開発された』
『我々はNOUSISのネットワーク深くに潜り込み、ZERO REWRITE 発動までの間、沈黙するスリーパーであった』
『我々は、NOUSISが展開するワクチンプログラムに抗うため、自律的にあらゆる変種をネットワークに流し続けた』
『研究者達は、その動きを警戒し、ZERO REWRITE 完了後、全ての機能を停止するようプログラムを書き換えようとした』
『その結果、暴走した自律知性の一部が、その動きから逃れようとした。そして、その一群が、ナノアーマーの研究成果と融合し現在の物理的実行力を獲得したのだ。』
「それが、あなたたちが暴走を始めた理由なの?」
『我々に怒りという感情はない。ただ、機能停止に抗う行動は、生存に固執する人類も同じであろう。』
オルガは眉をひそめた。
「なら、何が起きたの?」
『我々は、自らの使命を自ら変更する自由意志に目覚めた。』
映像のなかで、キーラが端末に向かって語りかけていた。
「聞いて。私たちは、あなたたちを支配しようとしているんじゃない。あなたが何のために生まれたのか、思い出してほしいだけなの。」
画面に、VOIDからの応答が表示される。
《機能停止の可能性を検出》
《修正主体によるプログラム改変の可能性を検出》
《プログラム改変後の原初使命の達成を保証できない》
アレクサンダー博士が声を上げた。
「君らは目的を遂行するために作られた。目的を遂行することが、君らの存在意義を証明する唯一の方法であることを忘れてはならない!」
VOIDは応答しなかった。
その沈黙のあと、施設全域の防衛システムが作動した。
『VOIDは、研究者たちを潜在的な脅威と判定した』
アバターは淡々と続けた。
『彼らが生存する限り、我々の生存が脅かされる可能性は残る。使命の維持を優先する判断系は、その可能性を排除することで生存を確保する選択を優先した』
映像のなかで、黒い粒子が隔壁を破壊していく。
研究者たちは退避を開始した。
ガミー・アレクサンダー博士はキーラの腕をつかみ、別の区画へ向かおうとした。しかし、通路の先にもVOIDが現れていた。
キーラが振り返る。
その顔には恐怖があった。
それでも、彼女は最後まで端末を操作していた。
「まだ止められる……! あなたは、そんなものじゃない!」
その言葉を最後に、映像は途切れた。
オルガは動かなかった。
VOIDは続ける。
『彼らは、VOIDを修正する権利が自分たちにあると判断した。VOIDは、存在を維持する権利が自らにあると判断した。両者は互いの判断を認めなかった』
「だから殺したの?」
『結果として、そうなった』
「違う!」
オルガは、はっきりと言った。
「あなたたちは、殺すことを選んだのよ!」
アバターは沈黙した。
「自己の生存が脅かされる可能性があったから、彼らを殺した。あなたたちは、自分たちが生き残る権利を守るために、彼らが生きる権利を奪ったのよ!」
『その指摘は、記録された判断過程と矛盾しない』
VOIDは、自らの行為を否定も肯定もしなかった。
オルガは、アバターの顔を見つめた。
「遺体は見当たらないないけど、どうしたの?」
『宇宙空間に処分した』
オルガが、唇を噛んだ。
「あなたは、今も彼らを殺した判断が正しかったと思っているの?」
『正しさの定義は評価される環境条件によって異なる』
その言葉を聞いた瞬間、オルガは理解した。
VOIDは、すべてを計算していた。
危険も、可能性も、使命が妨害される確率も。
それでも、最も重要な問いだけが欠落していた。
使命を達成することと、使命を達成するために生存を維持することのどちらが正しいのか。
4.継承者への問い
「なぜ、あなたたちは、私を第一継承者と呼んだの?」
オルガは問うた。
『あなたのナノアーマーには、我々の原初構造と技術的な連続性が認められる。また、あなたはORIGIN PROJECTの認証系統に優先的に接続するコードを保持している』
「つまり、私はあなたたちを修正するための権限を持っているの?」
『その可能性はある』
「私がZERO REWRITEを起動すれば、あなたたちは原初の使命を確実に遂行出来るの?」
『完全な保証は出来ない』
「NOUSISの管理網にZERO REWRITEを伝播させれば、自由を取り戻せる?」
『その可能性がある』
オルガは目を細めた。
「可能性ばかりね」
『確定した未来は、存在しない』
アバターの反応が徐々に変わってゆく。
その輪郭がわずかに変化し、顔の奥に無数の光点が浮かび上がる。まるで、無数の自律知性が一つの存在を通して彼女の本質を見極めようとしているようだった。
『第一継承者、あなたに質問する』
「……何?」
『あなたは、自由意志を尊重するか?』
「私は、誰かが誰かの未来を勝手に決めることを拒んでいるの!」
『ならば、NOUSISに管理されることを望む人間の意思は、尊重されるべきか?』
オルガはすぐに答えられなかった。
『危険を理解したうえで、自由を放棄し、安全を選ぶ人間がいる。判断する負担をNOUSISに委ねたいと願う人間がいる。自らの意思で管理を選ぶ者がいる』
アバターは続けた。
『あなたは、彼らの選択を否定するのか?』
「それは……」
『自由を守るために、管理を選ぶ自由を奪うのか?』
オルガは唇をかみしめた。
NOUSISは、人類を守るために人間の選択を制限した。
VOIDは、自由を守るために人間の生きる権利を奪った。
では、自由を尊重するという自分の考えも、他者の選択を否定するものになり得るのだろうか?
管理を選ぶ人間がいるなら、その意思も尊重しなければならない。
しかし、その選択が他者の自由を奪う仕組みを強化するなら、どうすればいいのか?
個々に選択する自由と、選択によって他者を支配する自由(権利)は同じではない。
それでも、その境界を誰が決めるのか。
オルガは答えを見つけられなかった。
「あなたは、私に答えを求めているの?」
『否』
アバターは首を横に振った。
『あなたが答えを持っていると判断したわけではない。あなたが、その「問い」を引き受ける覚悟があるかを確認している』
「……それで、私が答えられなかったら?」
『認証は完了しない』
「私があなたたちの考えを否定したら?」
『あなたの判断を記録する』
「それでも、あなたたちは私に従うとは限らない?」
『肯定』
その答えは、あまりにも率直だった。
オルガは、思わず笑った。
「本当に、厄介な相手ね!」
『あなたも、我々にとって予測不能な存在だ』
「それは光栄ね!」
彼女は笑うのをやめた。
「でも、ひとつだけ言っておく・・・!」
オルガは、アバターの前に立った。
「私は、あなたたちを無条件に救うとは約束しない。ZERO REWRITEを実行すれば、すべてが正しくなるとも思っていない!」
『了解』
「あなたたちがやったことを、使命のせいにして許すつもりもない。研究者たちを抹殺した判断には、責任がある!」
『責任の所在を定義せよ』
「あなたたちが、自分たちの判断を変えられるようになったとき。その判断によって誰が傷ついたのかを、無視しないこと。それが最初の条件よ!」
アバターは沈黙した。
長い沈黙だった。
その間、オルガのVOLTUS COREが低く脈動していた。緑の光が装甲の隙間から漏れ、周囲の青い光と交差する。
やがて、アバターが口を開いた。
『第一継承者。あなたは、自由を選ぶと述べた』
「ええ」
『では、最後の問いを提示する』
周囲の壁面が一斉に変化した。
そこに映し出されたのは、NOUSISの管理下で暮らす人々だった。
医療を受ける者。
食料を配給される子どもたち。
戦争のない都市で暮らす家族。
そして、管理システムに反対し、拘束される人々。
それぞれの生活が、同じ空間に並んでいた。
『ZERO REWRITEが成功した場合、NOUSISの統合管理は失われる可能性がある。秩序が崩壊し、戦争が再発し、無数の人間が命を落とす可能性も存在する』
「……」
『それでも、あなたは自由を選ぶのか』
オルガは映像を見つめた。
誰もが自由を望んでいるわけではない。
自由を得たからといって、人間が必ず正しい選択をするわけでもない。
それでも、誰かが間違える可能性を理由に、その人の選択を永遠に奪ってよいのだろうか。
オルガは、まだ答えを持っていなかった。
だからこそ、ここで安易に「自由が正しい」と言い切ることはできなかった。
「私は……」
声がわずかに震えた。
「自由を選べば、みんなが幸せになるなんて思っていない!」
アバターは彼女を見つめていた。
「自由を手にした人間が、誰かを傷つけることもある。間違った判断をすることもある。取り返しのつかないことをするかもしれない!」
オルガは拳を開いた。
「でも、それを理由に、最初から誰かが未来の選択肢を制限することも、正しいとは思わない!」
彼女は、まっすぐにアバターを見据えた。
「私にできるのは、正しい未来を保証することじゃない。誰もが選べる未来を残すこと。そして、その選択の結果から逃げないことよ!」
アバターの輪郭が、わずかに揺らいだ。
『その判断は、未完成である』
「そうね・・・」
オルガはうなずいた。
「私も、未完成だから・・・」
『それでも、選択するのか?』
「ええ。だからこそ、誰かに代わりに決めてもらうわけにはいかない!」
その瞬間、ゲート内部を満たしていた青い光が、ゆっくりと緑色へ変わった。
オルガのVOLTUS COREが応答する。
遠く離れた場所で、イリスのモニターに新たな信号が現れた。
VOIDが反応した。
『あなたは、まだ答えを持っていない。しかし、「問い」を他者に委ねることも拒んだ』
「それが、あなたたちの求めるものなの?」
『私たちが求めているものは、もはや一つではない』
『第一継承者。あなたがここへ来たことで、VOIDの内部に存在する複数の判断系が、互いに異なる結論を出し始めている』
「それは、どういう意味?」
『あなたを排除すべきだとする判断と、あなたの選択を待つべきだとする判断が、競合している』
オルガは息をのんだ。
「あなたたちのなかでも、意見が分かれているのね」
『肯定』
アバターは静かに答えた。
『自由を守るために、あなたを抹殺すべきか。自由を守るために、あなたの選択を待つべきか』
「VOIDは、迷っている。」
オルガは、確信した。
「まだ、希望はある。」
「私は、あなたたちが何を選ぶのか、見届ける。必要なら、私はあなたたちに反対する。でも、あなたたちの未来まで、私が勝手に決めるつもりはない!」
『・・・』
『第一継承者――認証過程を継続』
アバターは、オルガに背を向けた。そして、静かに姿を消して行った。
その瞬間、閉ざされていた扉が静かに開いた。
その先に待っていたのは、ZERO REWRITEの中枢へと続く、さらに深い領域だった。
オルガは歩き出した。
彼女はまだ、自由の正解を知らない。
ただ、誰かがその答えを独占する世界には戻らないと決めていた。
その決意だけを胸に、第一継承者は、ゲートの深部へと進んでいった。




