S2第五十六章:セカンド・フォース
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
神楽の連中は、門限のチャイムを土足で踏みつけるようにして現れた。
短三回、長一回。その合図のあと、当直室の外は一瞬の静寂に包まれた。廊下全体が、これがただの来客ではないことを察したかのような沈黙だ。老高が一つ目の扉を開けに向かう際、その足音はいつもより重く響いた。真壁は立ち上がらず、ただ「神代家を介さず」と記されたあの修正書を机の中央に押し留めていた。その小文字の上に指を置き、自ら名乗りを上げにくる「身内」を待つかのように。
俺は机の側に立ち、横目で弥生を見た。
彼女は動かない。
背筋は凍りついたように伸び、顔色は蒼白なままだ。その眼差しは、一晩中眠らずに「自分の名前があらかじめ他人のリストに予約されていた」という事実を突きつけられた人間特有の、底知れぬ冷たさを湛えていた。
だが、俺には分かっていた。彼女が極限まで張り詰めていることが。
これは単なる指名じゃない。
過去の亡霊が、彼女を迎えに来たのだ。
二つ目の鍵が解かれる音がし、続いて軽やかな靴音が響いた。急ぐ風でもなく、乱れることもない。まるで局(BEA)へ押し入ったのではなく、最初から自分たちの所有物であったものを回収しにきたかのような、尊大な足取り。
入ってきたのは二人だった。
先頭を歩くのは、一人の女。
年齢は判然としない。三十代前半にも見えるし、四十前後と言われれば納得もできる。黒髪は整然と結ばれ、神職の衣でもなければ制服でもない、極めてタイトなダークグレーのロングコートを纏っている。白いシャツのボタンは一番上まで留められ、袖口、襟元、靴の表面に至るまで、雨の中から掬い上げたばかりのように潔癖なまでに清潔だ。手には薄いハードケースを提げていた。角がひどく摩耗しているのは、それが虚勢のための小道具ではなく、頻繁に開閉されてきた実用品である証拠だ。
後ろには一人の男が控えていた。痩身で背が高く、白い手袋を嵌めている。入室から立ち止まるまで一言も発さず、さながら「自立歩行する刃」のような佇まいだ。
女は机の三歩手前で足を止めた。
視線はまず密封箱へ、次に壁の熱曲線へ、そして最後に――弥生へと注がれた。
その一瞥は、ひどく短かった。
だが、総毛立つほどに短い。
それが初めて見る顔ではないからだ。あるいは、「この手の人間」を扱うのが初めてではないからだ。
「神楽本部、臨時収束係――雨宮 静」彼女が口を開く。その声は淡々と、社交辞令を一切排除していた。「大湊港旧案、封門附則に基づき、第七枠の後継判読者を接収する」
希が真っ先に顔をしかめた。
「うわぁ……。本人に触れもしないうちから、いきなり『後継』呼ばわりかよ」
雨宮は希に視線すら向けず、手にしていたハードケースを机に置き、半寸ほど前へ押し出した。
「真壁さん。旧案の優先権を持参しました。それと……旧案における未公開の補足資料も」
真壁がようやく眼を上げた。
「来るのが早かったな」
「あなたが解くのが遅すぎたのです」 雨宮の口調は、ただ事実を述べているに過ぎない。「大湊港のあの空白は、長く空きすぎていた。あなたたちがその端に触れた以上、これ以上霊務局(BEA)に独占的な解釈権を委ねる理由はありません」
通信機の向こうで山口が二秒ほど沈黙し、ようやく重い口を開いた。
「雨宮さん。ここはまだ局(BEA)の観測プロセス(フロー)の最中だ」
雨宮は通信機へと向き直る。その眼差しは、無礼なほどに冷淡だ。
「山口さん。あなたがいることも、今ひどく不機嫌であることも承知しています。ですが、霊務局(BEA)はあの大湊の一件で既に証明済みのはずだ。あなたたちのやり方では、替位者を『壊す』だけだと」
彼女は一拍置き、さらに鋭い一撃を加えた。
「今回は、あなたたちが勝手に値を付けてからこちらに通知するような真似は、させません」
当直室が一瞬、静まり返った。
壁に背を預けた老高の口角が、微かに吊り上がる。希はタブレットを抱き締め、「うわ、泥仕合が始まったぞ」と言わんばかりの表情だ。林さんは沈黙を守り、一晩中隠してきた刀をようやく白日の下に晒した両陣営を、冷ややかな眼で検分していた。
真壁がハードケースを開いた。
中の一枚目にあったのは、公文書ではない。
一枚の、複写された写真だった。
モノクロの、古い写真だ。
港湾地区、臨時封印室の入り口。臨時照明が不自然なほど明るく焚かれ、写真の中には半開きの扉の前に立つ一人の女が写っていた。身なりはわずかにブレており、顔を少し傾けている。まるでレンズの外にある「何か」を凝視しているかのように。周囲の三人が彼女を連れ戻そうと手を伸ばしているが、誰一人として彼女の肌には触れていなかった。
写真の右下には、手書きの注釈が添えられている。
――【二十二時五十二分、補位直前】。
一目見て理解した。これは俺たちに状況を説明するための資料などではない。
これは、弥生に見せるためのものだ。
あるいは、彼女を「二人目」として定義しようとするすべての連中に向けた、確定宣告だ。
真壁は写真を置き、二枚目をめくった。
そこには、残酷なまでの比對表が並んでいた。
【左:大湊港案件/第七枠の前兆】 【右:本案件/神代 弥生】
以下の項目が、一対一で対応するように列挙されている。
・封印場域内において、判読者が自発的に「物ではなく門」と判定。
・非接触状態において、媒介感ではなく位置感が先行。
・近距離成立後、封印波形が一時的に減衰。
・当事者の主観的な拒絶が高いが、補位の完遂は可能。
・外部監視の存在下で、数値のボラティリティが増幅。
・特定の関連者との距離変化に高度に依存。
そして最後の一行が、赤ペンで無慈悲に囲まれていた。
――【第二の替位者が出現した場合、神代家を介さず、神楽本部が優先的に接収すること】。
今日、神代の本家が彼女を切り捨てたのではない。霊務局(BEA)が彼女を値踏みしたのではない。彼女という存在の「行先」は、七年前の前任者が連れ去られたその瞬間に、あらかじめ断罪されていたのだ。彼女はそのレールの上に、ただ立たされたに過ぎない。
真壁が三枚目をめくる。
それは比對表ではなく、神楽内部の認領申請書の写しだった。日付は大湊港事件のわずか三日後。申請欄の文言はひどく簡潔だ。
『封門注記は未了。後継替位者に対する追跡権を留保する。神代家による先行受領を禁じ、必要に応じて直ちに借用を行うものとする』
真壁はそれを読み終えると、無言で机の上に放り出した。
「……つまり、最初から神代には全容を知らせるつもりはなかった、ということか」
雨宮 静は淡々と答えた。
「知らせるつもりがなかったのではありません。不信があったのです」
その言葉に、通信機の向こうの山口さえも沈黙した。
真壁が眼を向ける。
「誰に対する不信だ?」
雨宮は、ここでようやく弥生を真正面から見据えた。
「神代家は、『門の中の者』を収容しない」
彼女の声は低く、そして明確だった。
「使えるうちは判読させ、不要になれば即座に切り捨てる。大湊のあの一枠も、もし神代の手に渡っていれば、四十七秒どころか一秒も保たなかったでしょう。だから我々が借り受け、そして連れ去った。今回も、同じことです」
弥生はずっと沈黙を守っていた。
だが、ここでようやく顔を上げ、雨宮の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「……ずいぶんと、『人助け』をしているような口振りね」
雨宮がわずかに頷く。
「助けに来たのではありません」
当直室の空気が、さらに一段階凍りついた。
続く後半の言葉には、慈悲の欠片もなかったからだ。
「――接収し、不純物を切除しに来たのです」
希が息を呑み、今にも罵声を浴びせそうな顔になった。老高は「ちっ」と舌打ちし、神楽という組織の吐き気を催すような本性が露呈したことに、半ば呆れたような表情を見せる。雨瞳は腕を組み、その眼差しに鋭い殺意を宿した。ここが当直室でなければ、今すぐにでもこの女を外へ叩き出しているだろう。
俺は雨宮を見据え、口を開いた。
「あんた、自分の言い草が最高にイカしてる(高明)とでも思ってるのか?」
彼女の視線が俺へと移る。
「周 士達」
彼女は、俺の名を迷いなく呼んだ。
「これを侮辱だと受け取るなら、君はまだ何も理解していない。切除されるということは、まだ『生きている』ということだ。霊務局(BEA)の連中に『高損耗資産』として評価された後に待っている末路がどんなものか――君も先ほど、耳にしたはずだ」
白石が口にした「排除」という言葉。それを忘れるはずもなかった。
だからこそ、俺の苛立ちは収まらない。
「神樂はどうなんだ?」俺は彼女を正面から見据えた。「連れ去ったあとは名前を消し、記録を抹消し、あの名簿には『第七の空白』だけを残す。あんたはこれを、横領ではなく接収だと呼ぶのか?」
雨宮 静は視線を逸らさなかった。
「相手によります。外部に対しては『消失』。ですが、内側の者に対しては――それを『安住』と呼びます」
反吐が出るような言い草だ。
不潔な響きだが、それが完全な嘘とも思えないところが、余計に癪に障る。
真壁 宗一郎が、重い口を開いた。
「旧案の優先権は確認した。だが、弥生はあんたらの書類上にある『空欄』ではない。彼女がついて行くかどうかは、アーカイブが決めることではないはずだ」
雨宮は眉一つ動かさない。
「だからこそ、私が直々にここへ来たのです。移送命令を下しに来たのではない。彼女に問うために来た……今、この瞬間に『切除』を望むかどうかを」
「切除」という言葉を、彼女はひどく軽やかに口にした。だが、それはどんな官僚用語よりも不吉で、醜悪な響きを持っていた。
弥生の瞳に、鋭い冷徹さが宿る。
「……何を、切るというの?」
「神代を」雨宮が答える。「そして、君を再現可能な資産として扱う局(BEA)の演算式を、だ。私と共に来れば、二度とその査定表の上に立たされることはない。……断れば、彼らは七十二時間以内に、必ず『二度目』を強要するでしょう」
彼女は、その「二度目」が何を意味するかは語らなかった。
だが、この場にいる全員が理解していた。
再確認。再補位。……そして、「門」のさらに深淵へと踏み込ませることを。
希がタブレットを握る指先に力を込める。老高は通信機の方へ顔を向け、山口が今どんな面をしているか想像しているようだった。林さんは弥生を見つめ、無言で彼女の「選択」を待っている。
案の定、山口が沈痛な声で割り込んできた。
「雨宮さん。君のその言動は、被験者を局内の観測フローから逸脱させるための誘導だぞ」
「いいえ」雨宮が淡々と返す。「私は彼女に『第二の選択肢』を提示しているだけです。あなたたちが今彼女に与えているのは、高値での監禁か、あるいは損耗による処分だけでしょう?」
白石が何かを言いかけたが、山口がそれを押し殺した。
真壁が机の後ろで十指を組み、この場を支配する空気を手繰り寄せた。
「いいだろう。……誰も彼女の代わりに決めるな」
彼は弥生を見た。
「弥生。お前自身で答えろ」
当直室は、空調の低い唸りだけが聞こえるほどの静寂に包まれた。
全員の視線が、弥生へと集中する。
白い光に照らされた彼女は、一振りの薄い刀のように鋭く、危うげに見えた。昨夜は無理やり門の中に立たされ、今朝は神代の本家から切り捨てられ、今は霊務局(BEA)に値を付けられ、神樂には旧案の「後継」として回収されようとしている。……それでも彼女は、折れずに立っていた。
長い沈黙ののち、彼女は口を開いた。
「……あなたとは、行かない」
その一言が放たれた瞬間、室内の空気が一度沈み、そして妙な熱を帯びて変質した。
雨宮は驚きも、落胆も見せなかった。まるで最初から、この答えが返ってくることを予見していたかのように。
「理由は?」
弥生は雨宮を真っ直ぐに見据え、平坦な声で告げた。
「あなたは私を救いに来たのではない。私を、名前のない『別の場所』へと繋ぎ替えようとしているだけだから」
雨宮が微かに頷く。「それがどうしたというのです?」
「どうした、ですって?」弥生の唇が、さらに固く結ばれる。「私は昨夜、他人に値を付けられたばかりよ。今日は別の誰かに、別の言い訳で『回収』されるつもりはないわ」
彼女は一拍置き、さらに鋭い一撃を加えた。
「神代の本家が私を捨てたからといって、私が神樂の『空白』に収まらなければならない理由なんてないはずよ」
希の目が輝き、老高が「ほう」と感心したような声を漏らす。林さんの冷え切っていた表情も、わずかに和らいだように見えた。
雨宮 静は弥生を見つめた。その眼差しは初めて、彼女を「埋めるべき空欄」としてではなく、一人の「人間」として検分しているようだった。
「ここに残れば、君は永遠に『空欄』のままだというのに?」
「少なくとも、この場所には私自身の意志で立っているわ」弥生は言った。
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸に昨夜から居座っていたあの鬱屈とした熱が、すっと収まっていくのを感じた。
彼女の不幸は、誰かに目を付けられたことじゃない。
あらゆる勢力が、彼女を勝手な枠に嵌め込もうとしていることだ。
だが、彼女自身が「ここに立っているのは自分だ」と断じるなら、それはもう他人が書き換えたバージョンではなくなる。
雨宮はそれ以上、言葉を重ねて追い詰めようとはしなかった。
彼女はただ、ハードケースの中から最後の一枚を取り出し、机の上に置いた。
それは、別の写真だった。
港湾地区ではない。室内だ。
白く、空虚な部屋。壁には何もなく、中央に一脚の椅子だけが置かれている。そこに座っている一人の女。長い髪が垂れ、顔は隠れて見えない。撮影日は大湊港の事件から五日後。
右下には、やはり名前はなく、ただ一行の文字が記されていた。
――【第七枠、暫定的安定ののち】
一目見ただけで分かった。それは正常な「安定」などではない。
写真の中の人物は、あまりにも正しく座りすぎていた。くつろいでいるのではない。背後から何かに身体ごと吊り上げられているかのような、不自然な正しさだ。
雨宮 静はその写真を弥生の前へと押し出した。
「彼女も当時、似たようなことを言っていました。他人に名付けられるのは嫌だ。連れ去られるのも嫌だ。自分はまだ立っていられる、と」
彼女は弥生を見つめる。その口調は依然として平坦なままだ。
「三日後、彼女は門の内と外の区別がつかなくなりました。五日目には、自ら名前の抹消を要求したわ」
弥生はその写真を凝視したまま、手を伸ばそうとはしなかった。
「……そのあとは?」
「そのあとは、何もありません」雨宮が告げる。「だからこそ、今日この優先権が存在するのです」
真壁 宗一郎が、ここでようやく割って入った。
「雨宮さん。あんたの言い草は、まるで予言だな」
「予言ではありません」彼女は言った。「これは『切り欠き(ノッチ)』です」
彼女は指先で写真を叩き、それから弥生の前にある比對表を指した。
「同じ刃が、一度誰かを切り裂いた。二度目は、通常よりも正確に、より深く切り込むだけのことよ」
その一言を聞いて、俺のうなじに薄ら寒い戦慄が走った。
弥生を連れ去ろうとしているのは、神樂だけではない。ここにいる全員が理解しているのだ。彼女は初めて起きた「事故」ではない。彼女の身に起きつつあるのは新しい傷ではなく、かつての古傷が別の人間を媒介にして再び開こうとしている現象なのだ。
山口が再び口を開いた。その声からは先ほどまでの事務的な余所余所しさが消え、獲物を奪い合う獣のような生々しさが滲んでいた。
「真壁」
「神樂が旧案の優先権に基づき、随伴観測を要求すると言うなら受け入れよう。だが、身柄の直接引き渡しは不可能だ」
雨宮は通信機を見ようともせず、真壁だけを視界に収めていた。
「最初から強引に連れ出すつもりはありません。私はただ、楔を打ち込みに来ただけです。彼女に教えておきたかったのですよ。神代の本家以外にも、霊務局(BEA)以外の『死に様』があることをね」
老高がその言葉を聞き、ついに我慢しきれず毒づいた。
「どいつもこいつも、言葉選びが鼻につくぜ。消音だの、切り欠き(ノッチ)だの、死に様だの……。結局、やってることは同じクソじゃねえか」
雨宮は、珍しく老高に視線を向けた。
「ええ」
彼女は、あっさりとそれを認めた。
「だから、私は善人のふりをしてここに来たわけではありません」
真壁が手を挙げ、場を収めるよう促した。
「いいだろう、話はここまでだ。結論はシンプルだ」
彼は雨宮を見据える。
「彼女はあんたとは行かない。旧案の優先権は認め、傍聴と随伴観測の資格は付与しよう。だが、連れ出しの権利はない」
続いて、彼は通信機に向き直った。
「山口。霊務局(BEA)側が依然として彼女を『甲下』や『甲中』の資産表に載せたいなら、神樂の持つこの旧案優先権も加味しろ」
彼は指先で机を叩いた。
「つまり、これからは誰も単独で喰い(モノポリー)にすることはできない、ということだ」
その宣言が下った瞬間、テーブルの上の権力図は一変した。
霊務局(BEA)が査定表を握り、真壁が現場を支配し、神樂が旧案を盾に門を叩く。真壁は一言でその三者を互いに縛り付けたのだ。誰もが触れられるが、誰も独り占めはできない。
山口側は沈黙した。この状況が自身の構築した評価モデルをどれほど複雑にするか、必死に計算を弾いているのだろう。雨宮は反論せず、ただハードケースを静かに閉じた。
彼女は弥生を見つめ、初めて、その声をわずかに低くした。
「今行かないというなら、それでいいでしょう。……ですが、一つだけ覚えておきなさい。彼らが次に君の『価値』を証明させようとする時、昨夜のような最低限の接触では済まないということをね」
当直室の誰もが、その言葉を否定しなかった。
それが真実だからだ。
再確認が始まれば、二度と引き返せない深部までの接触を要求される。この場にいる全員がそれを理解していながら、あえて口にせずにいた残酷な事実を、彼女は白日の下に晒した。
弥生は彼女を見返した。その瞳は、氷の奥で炎が揺らめいているかのような冷たさと熱を宿している。
「――それは、私の問題よ」
雨宮 静は、わずかに頷いた。
「ええ。だから私は今日、門の外には別の歩き方があることを教えに来ただけよ」
彼女は言葉を切り、視線をひどく軽やかに俺へと這わせた。
「それと……関連者をいつまでも門の外に留めておけるなどと、あまり信じすぎないことね」
その言葉は俺に向けられたものではなかったが、あえて俺に聞かせるように放たれた。
言い返そうとした瞬間、廊下の向こう側から別の足音が響いてきた。
それは神楽のような静謐な足取りではない。
焦り、乱れ、そして遅参した埋め合わせに躍起になっていることが丸分かりな、無様な響きだ。
当直の隊員の声が、再びインターホンから弾け飛んだ。
「真壁さん! 神代家から使者が到着しました! 正式な異議申し立てがあるとのことです、神楽の旧案優先権に対して――」
言葉が終わるより早く、老高が盛大に白目を剥いた。
希に至っては、同情の欠片もない笑い声を上げる。
「うわぁ、今更来たの? 切り捨てた後で欲しくなっちゃったわけ?」
窓際で、林さんが冷え切った声を出す。それはこの茶番劇に対する、最も辛辣で、かつ正確な注釈だった。
「奪い合いに来たのではないわ。切り口が『正解』だと知って、慌てて自分の刀だと主張しに来たのよ」
俺は弥生を見た。
彼女は白い光の下で、氷細工のように立ち尽くしている。背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま。だが、今の報せは先ほどの神楽の乱入よりも、さらに吐き気を催すものだろう。
神楽は、彼女という「古傷」を認めに来た。
だが、今更やってきた神代家は――その傷に「価値」が付いたのを見て、ようやくそれが自分たちの分け前だったと思い出したのだ。
真壁 宗一郎が机に手を突き、ゆっくりと腰を上げた。
「いいだろう」彼は言った。「これで役者は揃ったらしいな」
雨宮 静は立ち去る気配を見せず、山口も回線を切らない。机の上には沈黙を守る密封箱。壁には二本の熱曲線。大湊港の名もなき「第七の枠」の写真と、弥生の比對表が中央に並び、まるで過去と現在を一枚の板に釘付けにしている。
その時だ。
当直室へ続く、第三のセキュリティ(門禁)が鳴り響いた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




