S2第五十四章 資産評価
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
一時間後、山口が「八割」を送り届けてきた。
やってきたのは人間ではない。
箱だ。
黒いハードシェルのアタッシュケース(データボックス)が一つ。二本の封印テープ、赤字の移送伝票。そして、一目見ただけで反吐が出るような付記が添えられていた。
――【現場責任者による開封限定。全内容を局内評価会議へ同時転送のこと】。
俺は当直室の入り口に立ち、高 國城がその箱を運び込むのを眺めていた。最初に出た言葉はこれだ。
「評価? あんたらは証券マンか何かか? それともプライベート・エクイティ・ファンドかよ」
高は机の上に箱を放り出し、鼻で笑った。
「じゃなきゃ、何て呼ぶと思ってた? 『ケア会議』とでも言うか?」
真壁 宗一郎は応えず、ただ手袋を嵌め、長机の向こう側に座り直した。希は右側に寄りかかってタブレットを抱え、林 雨瞳は相変わらず窓際に立っている。まるで全ての馬鹿げた出来事は、彼女の冷徹な眼を一度通らなければ確定しないとでも言うように。
神代 弥生は俺の左手側に立っていた。遠すぎず、近すぎず。誰にも文句を言わせないが、決して無意味ではない距離感を保って。
通信機のライトが点滅している。
回線の向こう側にいる山口は、今回は一人ではなかった。
背景から別の呼吸音が聞こえる。時折紙を捲る音、あるいは押し殺した話し声。どこかの会議室に連中が勢揃いし、俺たちの机の上にあるものを朝刊代わりに読んでいるような気配だ。
真壁が封印を解きながら、淡々と尋ねた。
「何人が聞いている?」
山口の答えは潔いものだった。
「四人だ」
「私、リスク編成分制から一名、資産格付組から一名、臨時案件審査から一名だ」
希が先に笑い声を漏らした。
愉快だからではない。呆れ果てた笑いだ。
「資産格付ね……。うわぁ、弥生さん、あんたマジで商品扱いされてんじゃん」
弥生は彼女を見ることなく、ただ冷ややかに言い放った。
「会議室に隠れてしか喋れない連中なら、好きに言わせておけばいいわ」
山口はその刺を耳に留めないかのように、事務的な口調を崩さない。
「先に明確にしておこう。今日のこれは『接収』ではないし、過去の再現でもない」
「評価だ」
「神代 弥生の代替性、および安定した再現条件を備えているか」
「周 士達の関連反応、および制御可能な出力を備えているか」
「そして両者が合わさった際、第六の条件鎖における資産核として足るかどうかを評価する」
その最後の一言を聞いて、俺は吹き出しそうになった。
「資産核だと?」
俺は机の上の黒い箱を見つめ、それから通信機に視線を投げた。「山口、あんたらは人間まで貸借対照表に書き込まねえと気が済まないほど貧乏なのか?」
山口は俺を無視して続けた。
「周さん、君の感情は理解できる」
「だが、異常リスクに安定し、検証可能で、交換可能な構造条件があるならば――それは局(BEA)において『資産』と見なされる」
「じゃあ、制御不能になったら?」
「それは『損耗』と呼ぶ」
その言葉が出た瞬間、当直室が静まり返った。
あまりにも淀みがなかったからだ。
そんな風に口にするのは、あるいは生身の人間をそうやって計算するのは、彼にとって初めてではないのだと確信させるほどに。
窓際で、林 雨瞳が静かに口を開いた。
「なるほど。あんたたちは異常事態を処理しに来たんじゃない。見積もり(クォーテーション)に来たのね」
山口は今度こそ、微かに笑った。
「林さん。多くの場合、処理できるかどうかは、まず処理する価値があるかどうかで決まるのですよ」
その時、真壁が箱を開いた。
箱の中には整然としたファイルではなく、三層に分かれた内容物が収められていた。
最上段には硬質紙に印刷された封印鎖の摘要。二段目には三つの資料夾。そして三段目には、旧型の録音筆と一つの封筒。そこにはこう記されていた。
――【大湊港・第一次接触名簿/外部アーカイブ未登録】。
真壁 宗一郎はその封筒を一瞥したが、すぐには開けず、最初のアブストラクトを手に取った。
「始めよう」
山口側は、その言葉を待っていたかのように即座に本題へと切り込んだ。
「資産格付組より第一の質問だ。神代 弥生の代替性は、一過性の接合か、環境的なトリガーによるものか、あるいは再現可能な人格条件か?」
希が眉をひそめる。
「クソみたいな報告書ね……。結局どういう意味よ?」
真壁が彼女のために「人間の言葉」へ翻訳してやった。
「つまり、弥生の昨夜の状態が、ただの偶然か、場所のせいか、あるいは彼女本人であれば誰でもいいのかを問うている」
希は「はぁ」と声を漏らし、即座に顔色を悪くした。
その問いを剥き出しにすれば、あまりにも露骨だったからだ。連中が値踏みしているのは「事件」ではない。彼女という人間が、果たしてその価格に見合う価値があるのかどうかだ。
俺は横目で弥生を見た。
彼女の顔は少し青ざめていたが、口元は逆に固く結ばれていた。そうやって値踏みされると、彼女は自動的に通常よりも冷徹な状態へと戻るらしい。突き刺されていないわけじゃない。刺されたからこそ、誰にも出血を見せないよう、あえて微動だにせず立っているのだ。
真壁は彼女の代わりに答えず、こう言った。
「自分で言え」
弥生は二秒ほど沈黙した。
当直室の全員が、彼女の言葉を待っていた。
やがて彼女が口を開く。その声は、ひどく透き通っていた。
「昨夜のことは偶発ではありません」
「けれど、あなたたちが想像しているような、条件を自由に差し替えられるテンプレート(型)でもない」
「第六の根が探しているのは、一人の女でも、一人の神代でも、一人の判読者でもないわ」
「それは、『位』を探している」
山口が即座に食いつく。
「そして君は、その『位』を補完できる」
弥生は通信機に視線を向けた。
「昨夜は、そうだった」
「今夜、明日、場所が変わり、圧力が変わり、立ち位置が変わった時もそうであるかは――未定よ」
通信機の向こう側で誰かが低く呟き、山口はそれを聞き届けてから問いを続けた。
「つまり君の主張は、代替性は成立するが、場域、ストレス源、および関連者の状態に依存する、ということか?」
「ええ」
「ならば偶発的サンプルではなく、評価可能な資産だな」
俺の眉間がぴくりと跳ねた。
あの野郎、繋げやがった。弥生の言葉は本来、定義されることを拒絶するものだった。だが奴は、その中から最も「値付け」に都合のいい部分だけを強引に抽出した。
真壁は奴がそう来るのを予見していたかのように、資料を一頁めくり、淡々と釘を刺した。
「間違いだ。それは『条件付き成立』と呼ぶべきもので、自由に調用できるという意味ではない。その二つを混同するなら、後で事故が起きても俺を責めるな」
山口の側から、紙を捲る微かな音が聞こえた。
続いて、第二の質問。
「資産格付組、第二の問い。周 士達の関連反応には、非代替性が認められるか?」
俺は笑った。
「白話文(翻訳)するとこうか。『俺以外に、あんたらのそのガラクタを反応させられる奴はいるのか?』」
山口は今度は否定しなかった。
「概ねその通りだ」
真壁が俺を見上げた。
「自分で答えろ」
俺は机の縁に寄りかかり、二秒ほど考えた。
「もし、第六の根が俺だけに固執しているのかと聞かれたなら、知らねえよ。だが、昨夜のような反応において、俺が代わりのきく存在かと言えば――」 俺は弥生を一瞥してから、後半を続けた。「今のところ、そうは思えねえな」
当直室が一瞬、細い糸を張ったように静まり返った。
希は顔を伏せてタブレットを眺めるふりをしていたが、耳は明らかにこちらを向いていた。老高は壁に背を預けて腕を組み、俺がそう答えるのを分かっていたような顔をしている。林 雨瞳は俺を一度見た。その瞳には賛成も反対もなく、ただ『その一言で、また値が跳ね上がったわね』と告げているようだった。
案の定、山口が即座に追い打ちをかける。
「理由は?」
俺は笑った。
「あんた、図面を読むのは得意なんだろ? 昨夜の曲線、評価会議に持っていったんじゃないのか?」
「俺が退けば、彼女は安定しなかった。彼女が触れれば、密封箱は鳴るだけじゃなく、位置を変えた。あれは俺一人の反応でも、彼女一人の反応でもない。俺たちの間にある『距離』が数値を食ってるんだ」
「これ以上、俺に報告書を書かせるつもりか?」
通信機の向こう側で一拍、沈黙が流れた。
誰かが低く言った。「関連性が高すぎる」
別の冷ややかな声が続く。「高すぎれば分散は不可能だ。さもなければ定格価格が歪む」
俺はその言葉を聞いて、直接笑い出した。
「あんたたち、とうとう『定格価格の歪み』なんて言葉まで使いやがった」
山口は隠すことなく、事務的に話を続けた。
「局内では現在、二つの意見がある」
「一方は、君たちを高リスクな結合条件と見なし、資産流出を避けるために即座に拘束・管理すべきという意見」
「もう一方は、再現性が未実証である以上、早期に凍結すれば逆に損耗を早めるとする意見だ」
老高が毒づいた。
「クソが。家畜の話でもしてるみたいだな」
「いいえ」 林 雨瞳が冷ややかに言った。「家畜なら少なくとも肉にするでしょうけど、連中はこれを『飼い慣らして種を付けさせたい』のよ」
希が思わず「ぷっ」と吹き出し、次の瞬間には慌てて口を押さえていた。
希が思わず「ぷっ」と吹き出し、次の瞬間には慌てて口を押さえていた。
胸の内に燻っていた苛立ちが、林 雨瞳のその痛烈な一言で、危うく爆笑に変わりそうになった。
隣に立つ弥生の目尻さえも、微かに引き攣っている。怒りゆえか、あるいはそのあまりに的を射た比喩に、何かが刺さったのか。
真壁 宗一郎は手元の摘要を置き、ようやく「本物の牙」を剥いた。
「局(BEA)の中で値付けの話をしているなら、『いくらか』を語る前に、まずは『どう算出するか』を語れ」
通信機の向こうで、山口が言葉を止めた。
「……言ってみろ」
真壁は人差し指を机に突き立てる。
「第一に、再現性は昨夜の結果だけで測れるものではない。条件の構成要素を見ろ。場域、配置、封印状態、心理的ストレス、第三者による監視、そして――」
彼は俺と弥生に視線を這わせた。
「――当事者二名の『主観的な拒絶の程度』だ」
希が顔を上げた。「主観的な拒絶までカウントに入るの?」
真壁が冷淡に返す。「当然だ。生身の人間の立ち位置で成立する現象を、機械的なトリガーと同一視するなど、白痴の仕業だ」
思わず拍手したくなった。
これほどまでに「人間を部品化する」ことに長けた男が、自らそれを白痴と断じる。山口の提示した演算式が、いかに現場を無視した、グロテスクで傲慢なものであるかの証左だ。
通信機の向こうで、別の男が口を挟んだ。山口ではない。より乾いた、死体置場の空気のような、後始末など微塵も考えていない声だ。
「主観的な拒絶の程度を核心パラメータに組み込めば、資産のボラティリティ(変動率)が跳ね上がる。それは予算編制に不都合だ」
『不都合』――。
その四文字を聞いた瞬間、俺は迷わず割り込んだ。
「どこのどいつだ、あんた?」
山口が代わりに答える。
「資産格付組の白石だ」
「白石さんよ」俺は吐き捨てた。「あんた、これまでの人生で本物の人間に触れたことはあるか?」
当直室が一瞬で静まり返り、続いて老高の肩が、笑いを堪えるように小刻みに震え出した。
白石という男に、ユーモアの通じる隙間はなかった。彼は真面目そのもののトーンで答える。
「私はただ、デリバラブル(納品可能)な条件を処理しているに過ぎない」
「なら、今この瞬間から勉強し直した方がいい」
俺は通信機を睨みつけ、一文字ずつ叩きつけるように言った。
「昨夜のアレは、ボタンを押せば出てくる自販機のコーラじゃねえ。彼女はあんたらの倉庫にある『穴埋め用の予備部品』じゃないし、俺も差し込めば数値が出る『コネクタ』じゃねえんだよ。人間を無理やり規格に押し込んでみろ。出てくるのは安定じゃなく、大抵は『爆発』だぜ」
今回ばかりは山口が沈黙した。
俺の言葉が心に響いたからではない。彼自身、その「爆発」の危険性を骨の髄まで理解しているからだ。ただ、それをより安く、より精算しやすい「事務的なエラー」として書き換えたいという強欲が勝っているだけなのだ。
その時、弥生が口を開いた。
「白石さん」
その声は、凍てつく青森の海よりも冷たかった。
「私を資産格付に組み込みたいなら、まず二つのことを記録しておきなさい」
「第一に、私は受動的な媒体ではないこと。第二に、私には意志があること」
通信機の向こうで、鼻で笑うような音が微かに漏れた。誰かが鼻白んでいるのだろう。
だが、弥生は止まらない。
「今、あなたたちが値付け(プライシング)の話をできているのは、昨夜、私が拒絶しきらなかったからよ。それはあなたたちの能力ではなく、私の『決断』によるもの」
「もし次も人間を条件物として塗り潰すような計算式を使うつもりなら、最後に手にするのは安定ではなく――完全な機能不全よ」
空気が一変した。
物理的な温度が下がったわけではない。ただ、彼女が自身の存在を「資材」から「主体」へと奪還したその瞬間の、静かな衝撃波が部屋を支配したのだ。
希は目を輝かせ、対面の連中に平手打ちでも食らわせたかのような顔をしている。老高が低く「いいぞ」と呟いた。林さんは組んでいた腕を解き、ようやくこの茶番の中に「人間の言葉」が降りてきたことを認めたようだった。
真壁は彼女を遮らなかった。
おそらく彼は、最初からこの「位」を弥生に譲るつもりだったのだろう。
彼女自身の口から告げられなければ、この言葉に「価値」は生まれない。
これは庇護などではない。
彼女による、彼女自身の再定義だ。
山口側の白石という男は、二秒ほどの沈黙を置いてから、氷のように冷たく返した。
「意志そのものが安定度に影響を及ぼすというなら、当該資産は『高損耗・高ボラティリティ型』として定義すべきだ」
その一言で確信した。こいつは人間を見ず、紙の上の数字しか信じない典型的な手合いだ。
だが、タチの悪いことに奴の言い分は完全に間違っているわけでもない。
連中からすれば、神代 弥生が「人間」であればあるほど、管理は困難を極めるからだ。
真壁 宗一郎が淡々と引き取った。
「ならば、そう列記しろ。高損耗、高ボラティリティ、非代替性、起動には双方の合意を要する――。これこそが、現時点で最も事実に即した格付だ」
山口がようやく会話の主導権を奪い返す。
「……その分級に従うなら、局(BEA)は低価格での凍結を承認しない。必然的に高価格での監視・管理へと移行することになるぞ」
「構わん、進めろ」
真壁の言葉に、俺さえも思わず彼を二度見した。
それはつまり、こういうことだ。「いいだろう、人間を資産として扱いたいなら、まずはあんたらに手出しを躊躇わせるほど、その価格を吊り上げてやる」と。
「高価格管理」――それは自由を意味しない。ただ「高価」であるというだけだ。
高価であればあるほど、動かすための手続き(プロセス)は煩雑になり、参入障壁は上がり、外部から余計な手が伸びにくくなる。
耳触りは最悪だが、今のこのクソったれな盤面においては、低価格で使い潰されるよりはマシな選択だ。
山口も明らかにその狙いに気づいている。
だからこそ、彼は価格の不毛な議論を切り上げ、第二層の資料へと踏み込んだ。
「では、使用権の話をしよう。神代 弥生を高ボラティリティ・非代替性替位資産、周 士達を高関連・不可分接触条件と定義した場合、両者の組み合わせにおける『起動権』はどこに帰属すべきか?」
先ほどよりもさらに吐き気のする問いだ。
これまでは「いくらで売るか」を話していたのが、今度は「誰がそれを使うか」という段階に移行した。
希が堪えきれずに声を荒らげる。
「あんたたち、病気じゃないの!? 今度は誰が『触る』権利を持つか、仕分けを始めるつもり?」
山口はどこまでも平穏だった。
「触るのではない。使用権限の問題だ」
「クソが。何が違うってんだよ!」
老高の怒声が混じり、部屋の空気はようやく「現実味」を帯び始めた。
だが、真壁はその場の空気が霧散するのを許さず、静かに、しかし断固として告げた。
「使用権は局内のいかなる単一ユニットにも帰属させない。現場の三者――俺、士達、そして神代に帰属させる」
山口が即座に問い質す。「なぜ君がそのリストに入る?」
「第三者による牽制がなければ、あんたたちは『再確認』という名目で、資産の搾取を繰り返すからだ」
真壁の声に温度はない。
「それに、俺がいなければ、現場で数値以外の『損切り(ロスカット)』を判断できる人間はいない」
可愛げのない物言いだ。
だが、彼が正しいことは俺が一番よく知っている。
昨夜、もし彼が最後に「あと三十秒、離れるな」と「もういい」という言葉を発していなければ、事態は取り返しのつかない破滅へと突き抜けていたかもしれない。この男は冷酷だが、少なくとも「どこで止めるべきか」の境界線だけは把握している。
通信機の向こうで、誰かがまた低く囁き合った。
雑音に紛れて断片的な単語が耳に届く。
――「バインド」、「高値維持」、「転売性の低さ」、「政治的コスト」。
弥生もその言葉を理解したのだろう。彼女はさっきよりも背筋を伸ばし、まるで自分を値踏みするその軽薄な声に対し、自らを薄く鋭い刃へと変えていくかのようだった。
山口が再び口を開いた。
「局(BEA)による暫定評価を伝える。神代 弥生:高ボラティリティ・非代替性・人格条件型替位資産。暫定編級――【甲下】。周 士達:高関連・不可分・トリガー反応型核心ノード。暫定編級――【甲中】。複合条件が未実証であるため、甲上は据え置く」
希が息を呑んだ。
「……本当にランク付けしやがった」
老高が鼻で笑う。
「今まで雑談してたと思ってたのか?」
俺は沈黙を守った。
評級に驚いたからではない。山口という男が、俺の想像以上に「計算高い」ことに寒気がしたからだ。
あいつは、あえて最高ランクを付けなかった。
それは慈悲ではない。余白だ。
「まだ上がある」という余白。それはつまり――「もう一度、テスト(評価実験)を行う」という意欲に他ならない。
真壁も同じ結論に達したのだろう。彼は迷うことなく、核心を突いた。
「それで? あんたたちは今後、どうやって『甲下』を『甲中』に、そして『甲中』を『甲上』へと押し上げるつもりだ?」
山口から、笑い声が消えた。
「七十二時間以内に再現性を検証できるかだ。もし可能なら、局(BEA)は二次起動を要求する。不可能なら、価格は下方修正、リスクは上方修正だ。その場合、処理方針を切り替えることになる」
その一言は、剥き出しの刃を突きつけたも同然だった。
成果を出せば、値が上がる。
出せなければ、ただで済むわけではない。直ちに「失敗資産」、すなわち「高リスクな廃棄物」へと格下げされるのだ。
弥生 がついに、氷のような声で問いを投げた。
「その『処理方針を切り替える』というのは、どういう意味?」
今度答えたのは山口ではなく、あの白石だった。
「高ボラティリティかつ安定化不能な人格条件型資産は、原則として長期保有しない。継続的に案件への干渉が認められる場合、切り離し、封印、あるいは必要に応じて――」
彼は言葉を切った。
そして、続く二文字を、まるで紙屑を捨てるかのような軽薄さで口にした。
「――排除する」
当直室に、冷水を浴びせられたような静寂が走った。
希の身体が強張る。老高 の顔色が一瞬で底まで沈んだ。林さん の眼差しはもはや会議を眺めるものではなく、死人を検分するそれへと変貌していた。
俺が口を開くより早く、弥生 が先んじた。
「霊務局(BEA)は、普段からそうやって人命を語るの?」
白石の声には抑揚がない。
「語っているのは、損耗制御だ」
俺は、あまりの傲慢さに怒りを通り越して笑いが漏れた。
「いいぜ」
俺は通信機を睨み、一音ずつ刻みつけるように言った。
「今日、誰がその言葉を記録したか知らねえが、もし万が一その段階まで話が進んだら――俺が真っ先にこの音声を世間にぶちまけてやるよ」
山口が慌てて白石を遮った。
「これは正式な結論ではない。あくまで高リスク分級におけるワーストケース・シナリオだ」
「白々しいわね」雨瞳 が初めてテーブルの側まで歩み寄った。その声は硬く冷たい。「あなたたちのような組織では、ワーストケースこそが常に『既定路線』でしょう?」
その痛烈な一撃に、山口は半秒ほど言葉を詰まらせた。
真壁 宗一郎が、手にしていた封印鎖の摘要を机に叩きつけた。
「……そこまでにしろ」
声は低かったが、当直室は瞬時に静まり返った。
「評級も値付けも勝手にやればいい。だが、ここは貴様らの処分方針を練るためのホワイトボードではない。これ以上時間を無駄にするな。資料を進めるぞ」
彼は一つ目の資料夾を開いた。
中には港湾地区の平面図、二枚の移動時系列、苛立ちを覚えるほど不鮮明な四枚の監視映像、そして――一目見た瞬間に「毒」が混じっていると直感させるリストが入っていた。
【第一次接触人員・計七名】。
だが、そのリストに記された名前は六つしかなかった。
七番目の枠は、空白だった。
印字ミスではない。意図的に、そこだけが白く残されている。
俺はその空白を凝視し、眉間の皺を深くした。
「七人目はどこだ?」
山口はすぐには答えなかった。
真壁もその異変に気づき、空白の欄を指先で静かに叩いた。
当直室の誰もが、言葉を失っていた。
こうした公的な書類において、理由のない空白など存在しない。空白の意味は二つに一つだ。人間が消失したか、あるいは――その名を記すことさえ許されないか。
山口がようやく口を開いた。声は先ほどよりも一段、低く沈んでいる。
「それが、私が『八割』しか渡せなかった理由だ。残りの二割を隠したかったわけではない。その一枠が埋まった瞬間――これまでの評価モデル(アルゴリズム)は、すべて根底から崩壊する」
俺はそのリストを見つめながら、胃の底が冷えるような不快な予感に襲われていた。
この章で散々「俺たちの価値」を議論してきたが、本当に恐ろしいのはその価格などではない。
――誰かが、まだこのテーブルについていないのだ。
真壁 宗一郎は顔を上げず、ただ低く問うた。
「この七番目の枠は、神代 弥生の代替性に関わっているのか?」
山口の答えに、一秒の空白が混じる。
「……関わっている」
「周 士達の高関連性にもか?」
「それもだ」
「なら、これを『八割』などとよく抜かせたものだな」
山口はその追及には答えなかった。
彼はただ、冷え切った事実だけを宣告する。
「だからこそ、私は値踏み(プライシング)に来たのだ。最後の一枠を埋める前に、私はどうしても知っておく必要がある……」
通信機から漏れ出る言葉が、一つ、また一つと、机に釘を打ち込むように響く。
「――君たち二人が、果たしてその『代償』に見合うだけの価値があるのかどうかを」
当直室は、呼吸音さえもが録音されそうなほどの静寂に包まれた。
俺は、七人目が欠落したその名簿を見つめ、それから隣に立つ 弥生 に視線を投げた。
彼女もまた、その空白を凝視していた。
顔色はさらに蒼白さを増している。だが、それは恐怖によるものではなかった。
彼女もおそらく、俺と同じ結論に辿り着いたのだ。
俺たちが今、こうして天秤にかけられ、値踏みされている理由。それは、昨夜何が起きたかだけが原因じゃない。
ずっと以前から、その『空白』を埋めるための生贄が現れるのを、誰かが待ち構えていたのだ。
そして俺たちは、最悪なことに――ちょうどその値札が貼られる場所に、立ってしまったらしい。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




