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214.俺は英雄じゃない 3

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

銃弾はなかった。待ち伏せもなかった。飛び出してくる鉄の怪物もなかった。


あったのは——馬鹿げているほど空っぽな工場棟だけだった。


高い。天井が高すぎて、上部のクレーン梁が暗闇の中に吊り下げられた絞首台みたいに見える。広い。広すぎて、中型船の竜骨《りゅうこつ》でも持ち込めば収まってしまいそうだ。床は普通の工場コンクリートじゃない——厚みを増した耐圧底板で、そこには引きずった跡、冷凝塩斑《れいぎょうえんはん》、焼灼《しょうしゃく》紋、そして何か黒い付着物が一面に広がっている。工場棟の中央には巨大な凹槽《おうそう》があり、周囲を多層の電力供給レールと固定架が取り囲んでいる。何らかの容器がここに置かれ、そして少し前に丸ごと吊り上げられて運ばれた——そういう痕跡だ。


希(シキ)が縁に立ち、顔色が白くなっていた。


「倉庫じゃない」


レイチェルが続けた。


「……産台《さんだい》だ」


誰も反論しなかった。


この光景は、すでに修辞を必要としないほど不快だった。


四方の壁面には管線が張り巡らされている。冷却、供電、回収、圧力開放——全部が同心円状に中心へ向かって収束している。高いところには観察窓が何列も並んでいる。工員が機械を見るんじゃない。医者が手術を見るような、看守が処刑を見るような、狂人が自分の作品がついに呼吸し始めるのを見るような——そういう窓だ。


エリザヴェータが中央の凹槽の傍に屈み、手袋で黒い付着物を一拭きして、鼻に近づけた。すぐに眉をひそめる。


「油ではないわ」


葉 綺安(イェ・キアン)が訊いた。「じゃあ何?」


エリザヴェータが二秒、沈黙した。


「……金属の焼蝕《しょうしょく》と、何らかの有機残留物が混合したもの、のようじゃ」


ヴィクトリアが端的に言い換えた。


「ワイスマンの黒泥ね」


レイチェルが頷いた。


「……何かがここで作られた。あるいは改造された。そして、たった今運び出された」


林 雨瞳(リン・ユートン)は凹槽の外縁に沿ってゆっくりと歩き、すべての接線、固定溝、磨耗痕を目で追った。頭の中にあるのは一枚の地図じゃない——何枚もの地図が重なっている。炎上するロッテルダムの港区。山口多聞が艦隊ごと限界まで引っ張っていく姿。ビスマルクの偽核心が起爆されたタイミング。そして今、葬儀が終わった直後みたいに空っぽのこの工場棟。


ようやく、わかった。


ワイスマンが本当にやりたかったことが。


単純に彼女たちを地上の戦線から引き離すためじゃない。周 士達(ジョウ・シーダー)を消耗させるためだけでもない。


彼が求めていたのは——校正だ。


海上の大規模衝突は、ある「主体」が感情、エネルギー、敵意、供給干渉の全てを極限まで押し上げられた状態で、最後の収束を完了するために必要だった。ある種の病的な儀式みたいに——遠くで誰かが血を流し、誰かが誤判断し、誰かが歯を食いしばって「核心はすぐそこにある」と信じ続けていなければならない。そうして初めて、こちら側で本当のものを最後の軌道へ乗せることができる。


葉 綺安(イェ・キアン)が空の凹槽を見下ろし、低く毒づいた。


「遅かったわね、私たち」


林 雨瞳(リン・ユートン)が首を振った。


「違う」


全員が彼女を見た。


彼女は工場棟の奥にある、より大きな内扉を見つめていた。


外部物流用の扉じゃない——より深部へ続く構造扉だ。扉体は分厚く、縁に新しい磨耗痕がある。地面の引き軌がそこへ真っ直ぐ延びている。何より重要なのは——扉の下縁から、まだ散っていない冷霧が漏れていることだ。


「遅かったんじゃない」彼女は言った。「一歩足りなかっただけ」


希(シキ)がすぐに理解して、端末を持って前に出た。


「扉の向こうにまだ区画がある」


エリザヴェータも続いた。


「しかも信号が完全には消えておらん——内側へ後退しておるだけじゃ」


葉 綺安(イェ・キアン)が息を一つ吐いた。肺の中の半分の火薬を押し戻すみたいに。


「なら入るわよ」


彼女たちは扉の突破にかかった。


今度はそう簡単じゃなかった。錠前は新品だが、外側は意図的に古びて見えるように仕上げてある。希(シキ)が制御盤を解析し、エリザヴェータが残留電力を傍受《ぼうじゅ》し、ヴィクトリアとレイチェルが両側を掩護し、葉 綺安(イェ・キアン)は扉の脇に屈んで指向性破壊装置を設置しながら、ずっと口を動かしていた。


「ドイツの連中ってわからないのよ、物はみんな銀行の金庫みたいに作るくせに、頭の中は公衆トイレの落書きみたいなんだから」


ヴィクトリアが静かに返した。


「扉は外の人間に見せるものだから。自分たちの頭は自分たちで使わないから」


希(シキ)の指が素早く飛んだ。


「制御盤に遅延プログラムがある。追手をここで足止めするために、わざと仕込んだのかもしれない」


エリザヴェータが眉をひそめた。


「遅延だけじゃないわ——記録もある。誰が開けたか、いつ開けたか、全部が送信される」


葉 綺安(イェ・キアン)が冷たく笑った。


「結構じゃない。ワイスマンに知らせてあげましょ——私たちが借りを返しに来たって」


林 雨瞳(リン・ユートン)は扉の前に立ち、何も言わなかった。


ただ、掌を見ていた。


あの火が、また少し小さくなっていた。


小さいだけじゃない——弱くなっていた。一人の人間が最後まで踏ん張って、もう呻き声を上げる力もなく、胸腔の中のほんの一点の、負けを認めない熱だけが辛うじて燃えているみたいだった。


周 士達(ジョウ・シーダー)の、あの憎たらしい顔が浮かんだ。


冗談を言うとき、いつも命を軽く扱うみたいな顔をしていた。


最悪の状況の中でも、あの死んでも責任を取らなそうな口調で、周囲の人間の正気を引き戻せる男だった。


それから——何度も。あいつは最前線に立っていながら、必ず一度だけ振り返って彼女を見た。恋愛的な目つきじゃない。戦場で最も危険で、最も持ってはいけない種類の確認だ——お前はまだいるか、お前は倒れていないか、この世界はどれだけ下水道みたいに腐っていても、少なくとも一人だけ、一緒に踏ん張っている人間がいるかという確認。


ずっと慣れたつもりでいた。


今になってわかった。


慣れていなかった。


まったく、慣れていなかった。


希(シキ)が顔を上げた。


「いける」


葉 綺安(イェ・キアン)が最終解除を押した。


分厚い内扉が低い金属の唸りを上げた——巨獣が渋々、骨を一本ずらしたみたいな音だ。それから錠前の内部が一節また一節と後退して、扉全体が両側へ滑り始めた。


風が内側から吹き出してきた。


普通の風じゃない——冷たく、乾いていて、消毒液と焼け焦げた電線の匂いを帯びた風だ。


扉の向こうは長い廊下だった。


両側に観察窓と密閉室が並び、床には新しい車輪の跡があり、壁際には撤収作業で持ち出せなかった固定夾具《こていかいぐ》が捨てられている。廊下の最奥に微かな白い光がある——手術室が最後の一灯を消し忘れたみたいに。


彼女たちは進んだ。


一室目、空。


二室目、空。


三室目に構造図が何枚か残されていた。半分は引き裂かれていて、巨大な艦体輪郭と器官化マーキングが重なり合った部分だけが読み取れる。四室目は制御室で、主機はすべて引き抜かれ、まだ温かいケーブルトレイだけが床に散乱している。五室目は医療室とも整備室ともつかない空間で、金属台面に黒い焼灼痕があり、隅のゴミ袋には使用済みフィルター材と金属繊維が混じった何らかの包材が詰め込まれていた。


一室進むたびに、空気が少し重くなった。


敵がいるからじゃない。


いないからだ。


この種の空虚が——最も悪質だ。何もないんじゃない、ものがたった今立ち去ったんだ。葬列を追いかけて、追いついたときには花輪がまだ飾られていて、地面の水がまだ乾いていなくて、でも霊堂はもう空になっている——そういう空虚だ。間に合わなかったんじゃない、ちょうどこの瞬間に到着するように、最初から計算されていたんだ。


ワイスマンは彼女たちにこれを見せたかった。


追ってきたのは正しいと知らせたかった。


そして、遅かったとも。


廊下の突き当たりに、巨大な円形艙室《そうしつ》が現れた。艙門は半開きで、内部は過剰なほど白かった。神聖な白じゃない——工業照明が一切の血色を病歴の白に照らし変える、あの白だ。


林 雨瞳(リン・ユートン)が最初に入った。


そして、止まった。


そこが、工場全体の真の核心室だった。


円形空間の中央に昇降プラットフォームがある。プラットフォームの上には本来、何か大型の物体が固定されていたはずで、今は割れた固定アームの輪だけが残っている。四方の壁面はびっしりと監測計器と導流溝で埋まっていて、大半はすでに機能を失っているが、いくつかの表示灯がまだ最後の赤い点滅を続けている。プラットフォームの下には、より深部へ続く輸送軌道がある——棺を送り出したばかりの軌道みたいに、空っぽだ。


プラットフォームの縁に、一枚の黒板が立てかけられていた。


比喩じゃない。本当に黒板だ。


白チョークで一行のドイツ語が書かれていて、隣には極めて雑な矢印が描かれ、空っぽのプラットフォームの中央を指していた。


エリザヴェータが翻訳し終えて、全身が沈んだ。


「ご観覧に感謝する。真の誕生は、観客に邪魔されるべきではない」


葉 綺安(イェ・キアン)が笑った。


ひどく歪んだ笑い方だった。


「あいつがいつか私の手に落ちたら、骨を一本残らずチョークにしてやる」


希(シキ)がプラットフォームの縁に立ち、突然、力任せに顔を拭った。


「信号、完全に消えた」


レイチェルが訊いた。「いつ?」


エリザヴェータが残留熱値を見て、声が固くなった。


「十分以内。長くても十五分」


ヴィクトリアが、冷静さが残酷に近いほどの声で言った。


「つまり私たちは、ちょうど尾灯を見送るタイミングで来たってことね」


この一言が、最後の針だった。


林 雨瞳(リン・ユートン)がついに顔を伏せて、自分の掌の半環戒を見た。


あの魂火は——落花生ほどの大きさになっていた。


本当に、落花生ほどだ。


小さくて、馬鹿みたいで、それでも意地を張っている。


それが一度、揺れた。


希(シキ)が気づいた。最初は固まって、それから声が完全に割れた。


「……姉さん」


林 雨瞳(リン・ユートン)は動かなかった。


ただその火を見つめていた。


世界でまだ自分に答えてくれる、最後の一つを見つめるみたいに。


それからその火がまた揺れた。


今度は——落花生とも言えなかった。


暴風の中で誰かがマッチを護っている、手はもう焼け爛れているのに、それでも火はまともに燃えてくれない——そういう火だった。


葉 綺安(イェ・キアン)が顔を背けて、奥歯を強く噛んだ。


ヴィクトリアは直立したまま、指の関節が白くなるまで握りしめていた。


エリザヴェータが眼鏡を外した。目の縁が、みるみる赤くなった。


レイチェルが何か言おうとして——最後は何も言わなかった。


全員がわかっていた。あれが何を意味するか。


死とは限らない。


でも確実に——限界の向こう側にいる。


林 雨瞳(リン・ユートン)は、ひどく疲れた気がした。


今日始まった疲れじゃない。横須賀から、海の上から、いつも間に合うかどうかギリギリのところで人を引き戻し続けてきた、あの全部が積み重なった疲れだ。ずっと泣かなかった。泣けないんじゃない——泣く暇がなかった。戦場で泣くのは、弾丸に招待状を送るようなものだ。まともな人間はそんなことしない。


でも今——この、搬出された後の工業の子宮の中で、ワイスマンが彼女たちのために残したこの嘲笑の前で、掌の中の火が消えかけているのを見ながら——罵倒の言葉さえ、出てこなかった。


肩が先に落ちた。


それから全身が、ずっと支えてきた鉄筋を誰かに背後から引き抜かれたみたいに、力を失った。


大きな声は出なかった。


ただ、涙が落ちた。


予告なく、構えもなく、文学的な演出もなく。


ただ、落ちた。


希(シキ)が最初に崩れた。


死に物狂いで堪えていたのに、林 雨瞳(リン・ユートン)が泣くのを見た瞬間、自分も一緒に泣き崩れた。戦場に叩き起こされたまま、まだ大人になりきれていない子供みたいな泣き方だった。泣きながら顔を拭い続けて、拭いているうちに悪態と鼻声が混ざり合っていった。


「あの馬鹿……あの馬鹿は一番しぶとかったじゃないか……一番口が悪かったじゃないか……あいつは、あいつは——」


葉 綺安(イェ・キアン)が歩み寄って、希(シキ)を両腕で引き寄せた。自分の目の縁も、赤かった。口だけはまだ強がっていた。


「泣くんじゃない。まだ死んでもいないのに、先に葬式みたいな顔して。あの馬鹿野郎が本当に戻ってきたら、第一声で絶対にお前の泣き顔を笑いものにするぞ」


言い終えて、自分の声も掠れた。


ヴィクトリアはしばらく俯いていて、それから手を伸ばして、林 雨瞳(リン・ユートン)の肩にそっと置いた。


普段は鋼板とほぼ同じ女が、今は手つきがひどく軽かった。


エリザヴェータが顔を背けた。それでも涙は落ちた。レイチェルが息を吸った——場全体を立て直そうとするみたいに。でも口を開いたとき、声の尾が震えていた。


林 雨瞳(リン・ユートン)が右手を上げた。


その指輪を、全員が見える高さまで持ち上げた。


落花生ほどの魂火が、冷たい白い光の下で、ほとんど透けそうなほど弱く灯っていた。


それが、もう一度だけ輝いた。


遠い海の、最後の一灯が波に揺られているみたいに。


そして——消えた。


本当に、ただそれだけだった。


轟音もなく、演出もなく、英雄主義的な引き延ばしもなく。


誰かがそっと、蝋燭の火を一息で吹き消したみたいに。


円形艙室全体が、恐ろしいほど静まった。


希(シキ)の泣き声が一瞬で止まった。誰かに首を絞められたみたいに。


葉 綺安(イェ・キアン)の顔から、一瞬で血の気が引いた。


ヴィクトリアの目の奥に、初めて、狼狽《ろうばい》に近い空白が浮かんだ。エリザヴェータが手の甲で口を覆った。レイチェルが目を閉じ、再び開いたとき、目が赤くなっていた。


林 雨瞳(リン・ユートン)は、火の消えた指輪を見つめていた。一面の海が、自分の掌の中で死んでいくのを見ているみたいに。


叫ばなかった。


気を失いもしなかった。


ただ涙を流しながら、低く、ひどくゆっくりと、一言だけ言った。


「あいつはまだ負けていない」


葉 綺安(イェ・キアン)がすかさず続けた。まるでその言葉が床に落ちる前に拾い上げるみたいに。


「そうよ。あんな疫病神、そう簡単にくたばるわけがない」


レイチェルが息を吸い込んで、強引に自分のリズムを取り戻した。


「……泣き終わった? 終わったなら動く。ワイスマンが荷物を移したのは、私たちにここで追悼会を開かせるためじゃない」


ヴィクトリアが頷いた。


「そう。ここは入り口にすぎない」


その一言で、全員が顔を上げた。


入り口。


そうだ、ここは入り口にすぎない。


終点でも、核心でも、最後の部屋でもない。この工場全体、ルール線全体、海上の大規模誘導——全部が、もっと大きな構造の前室だ。ワイスマンは彼女たちをここへ引き込んで、踏み込むのを見届けて、正しい方向を追っていると確認させて——それでも門の敷居にしか到達させなかった。


隠すつもりなんてなかった。


見せびらかしていたんだ。


希(シキ)は泣くのを必死に堪えながら、残りのデータを端末に素早く取り込んだ。


「ここに下行経路がある。プラットフォーム下の輸送軌道は外向きじゃない——もっと深部へ続いてる。工場の下にさらに構造層があるか、別の施設に繋がってるかもしれない」


エリザヴェータも作業状態に戻った。鼻声はまだ残っていたが。


「しかも最後の通信は完全に消えたわけじゃないわ——ローカルネットワークを離れて、別の媒体に切り替わっておる。有線から、もっと深層の……何と言うか、共鳴通路みたいなものに移行した感じじゃ」


葉 綺安(イェ・キアン)が顔を拭い、罵倒を砲弾みたいに撃ち込む女に戻った。


「人間の言葉で言って」


エリザヴェータが歯を食いしばった。


「本当の入り口はこの工場の中にはないかもしれない——でも、絶対にここから入る、ということよ」


レイチェルが周囲を見回した。視線が最後に止まったのは、彼女たちが今し方こじ開けた大扉と、プラットフォームの下にまだ完全には姿を現していない下行構造だ。


彼女は言った。


「……海上は、私たちの目を引き剥がすためにあった」


ヴィクトリアが続けた。


「ここが——錠前を開ける場所だった」


葉 綺安(イェ・キアン)が冷笑した。


「つまり私たちは死に物狂いで走り回って、最終的に玄関まで鼻面を引っ張られてきただけってわけね」


林 雨瞳(リン・ユートン)は、火の消えた指輪をゆっくりと掌の中に握り直した。


涙は止まっていない。でも目の色が変わっていた。


痛くなくなったわけじゃない。


痛みがある一点を超えると、ひどく澄んでくる——そういう変化だ。


刃を研ぎ直したみたいに。


彼女は空のプラットフォームを見た。それからもっと深い場所を見た。


海戦は主戦場じゃなかった。


周 士達(ジョウ・シーダー)が乗艦したのは、あの戦いに勝つためじゃなかった。


ワイスマンに鐘槌《かねつち》として使われて、ここを叩き鳴らすためだった。


山口多聞と艦隊全体が海上で噛みついていたのは、敵艦だけじゃない——時間だ。


もし彼女たちがまだここで泣いているなら、海上で燃えた人間たちは全員、無駄死にになる。


林 雨瞳(リン・ユートン)は深く息を吸った。声はまだ嗄《か》れていたが、もう揺れていなかった。


「持ち出せるデータは全部持ち出す。下行構造を確認する。十分後、完全な経路が見つかっていなくても——下へ進む」


希(シキ)が頷いた。目はまだ赤かった。


エリザヴェータが配線を始めた。


ヴィクトリアとレイチェルがプラットフォーム周辺の確認に向かった。


葉 綺安(イェ・キアン)はあの黒板の前まで歩いていき、あの不快な一行を二秒間じっと見据えてから、手を上げた。


ドン。


チョークの文字が砕け散り、白い粉が床に舞い落ちた。


数分後、希(シキ)がプラットフォーム下部から、隠された昇降構造の起動残件を一組見つけた。完全なシステムじゃない——急いで撤収したときに残していった尻尾みたいなものだ。エリザヴェータが電源を繋いで二度試みると、プラットフォームの縁全体が低い唸りを上げ始めた。どこかの底板が緩んで、さらに一層深い鋼製の縦坑《たてこう》が姿を現した。


冷たい風が下から湧き上がってきた。


地下室の風じゃない。


もっと深く、もっと空虚で、もっと広い場所にしか存在しない風だ。


ヴィクトリアが中を照らした。光束が下へ伸びていく——底には届かなかった。


「下に何かある」


葉 綺安(イェ・キアン)が口の端を引いた。


「当たり前よ。この一晩で下に何もなかったら、ドイツ中の工場主を全員訴えて潰してやる」


林 雨瞳(リン・ユートン)は縦坑の縁に立ち、その下へ続く黒を見つめた。


ワイスマンがなぜ工場をこの形で残したのか、ようやくわかった気がした。


「入り口」というのは、元来こういう形をしているものだからだ。


外殻がある。偽りの空間がある。「もう着いた」と思い込ませるのに十分な奥行きがある。そして、本当に開けなければならない扉がある。人間は扉が見えた瞬間に最も油断する——到着することと完了することを、同じだと思い込む。でも本当に厄介なのは、たいてい扉の向こうの最初の一歩だ。


彼女は銃を握り直して、全員を振り返った。


「降りる準備をして」


希(シキ)が涙を拭い、頷いた。


葉 綺安(イェ・キアン)が長く息を吐いた。


ヴィクトリアとレイチェルが立ち位置を入れ替えた。


エリザヴェータが最後のデータを保存し、ケーブルを引き抜いた。


この女たちの中に、神様みたいな人間は一人もいない。


戦場に、男たちに、死者と生者に同時に削り続けられて、もう少しで怒りも尽きそうな連中だ。泣いた。痛かった。自分たちが見事に手玉に取られたとわかっている。それでも前へ進む。進まなければ、後ろで流れた血が全部笑い話になるから。


林 雨瞳(リン・ユートン)は最後にもう一度、掌を見た。


指輪の魂火は戻っていない。


冷たい金属だけが残っている。


それでも彼女は指輪を嵌め直した。


誰かの一時的に失われた鼓動を、自分の手に強引に掛け直すみたいに。


彼女は振り返り、一路追い続けて、一路こじ開けてきた工場の主扉を見た。それからいま本当に姿を現した地下縦坑を見た。前者は作り笑いみたいだ。後者こそが牙だ。


葉 綺安(イェ・キアン)が彼女の背後に立ち、低く言った。


「私たちは、本当の入り口まで辿り着いた」


林 雨瞳(リン・ユートン)は答えなかった。


ただ手を伸ばして、最後の内部機械ロックを解除した。


遠くで、主工場棟の重い鋼製大扉が、金属歯車の噛み合う音とともに、ゆっくりと両側へ開いていった。


扉の外は夜だ。


扉の内側は——もっと深い黒だ。


工場の大扉が開いた。


中は空だった。

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