214.俺は英雄じゃない 1
この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。
ビスマルクはワイスマンが精巧に仕掛けた豪華な罠で、俺はその餌に食いついた間抜けだ。
中央に鎮座するあの巨大で、静かで、心臓みたいに見える工業構造体は、まだ俺の目の前にある。幾重にも巻かれた導線、固定環、節点シェル、そして意図的に人目に触れるよう残された刻印——精巧すぎる。まるで、白痴向けに用意された高級詐欺みたいだ。これに力がないとか、まったく役に立たないとか、そういう話じゃない。ただ、こいつはこの艦の「真の核心」じゃない。こいつの存在意義はただひとつ——ここまで一路殺し込んできた者なら誰でも、「そうだ、ここだ、この艦だ、ワイスマンはこの偽心臓の裏に隠れて待っている」と確信させること、それだけだ。
そして俺は——くそっ——本当に、そのシナリオ通りに歩いて来てしまった。
工業製の偽心臓の前に立ちつくしながら、艦隊全体との同期とビスマルク本体の圧力で胸の奥がじくじくと疼いている。それでも、この発見のせいで、頭の中はかえって冷え冷えと冴えわたっていた。
外ではまだ戦っている。
聞こえる。
耳じゃなく——骨で。
榛名と霧島が最前線で重砲火を正面から受け止めている。扶桑と青葉は沈み込むような、傾いたような角度から噛みつき続けている。飛龍、蒼龍、瑞鶴、翔鶴の航空リズムはまだ切れていない。菊月、夕月、卯月は外周で命を削りながら俺のために角度を切り開いている。筑摩と利根は二本の冷たい神経みたいに、外洋の悪い知らせと、もっと悪い知らせを次々と俺のほうへ引き抜いてくる。
だが、ビスマルクは乱れない。
俺が乗り込んでも揺らがない。ここまで踏み込んでも節点崩壊が起きない。ドイツ海軍亡霊シーケンスの外側では、シュペー《グラフ・シュペー》とシェーア《アドミラル・シェーア》が今も安定して火線に噛みついている。
これが答えだ。
ワイスマンが本当にここにいるなら、ここが真の中枢なら——俺がこれだけ深くまで斬り込んできた時点で、外が何も変わらないはずがない。
だから俺の見つけ方が遅かったわけじゃない。
最初から、間違った場所に放り込まれていたんだ。
「山口」俺はあの偽心臓を睨みつけたまま、歯の隙間から搾り出すみたいな声で言った。「ビスマルクの中にあるこれは、核心じゃない」
山口多聞はすぐには答えなかった。
遠方からの砲撃が一波、艦内に重く伝わってきた。ビスマルクの金属骨格が、その瞬間だけ一斉に低く唸る。普通の軍艦が被弾したときの振動じゃない——もっと大きな何かが、外の砲火に内側から応答しているような感覚だ。
二秒後、山口が言った。
「わかってる」
俺は眉をひそめた。
「最初からわかってたのか?」
「最初からじゃない」声は相変わらず冷たい。「今、確信した」
「俺にとっちゃ、どっちも同じくらい腹が立つ」
「なら早く撤退しろ」
俺はすぐには動かなかった。
動きたくないんじゃない——この瞬間、違和感がさらに鮮明になったからだ。中央の偽心臓は静かすぎるほど綺麗だ。周辺の導線や工業シェルは複雑に見えて、節点の流れ方は実際にはひどく単純だ。本当の演算や指揮を支えるためじゃなく、特定の事象が起きたあと、何かをひとつの場所へ送り込むためだけに作られている——そんな構造だ。
俺は一歩踏み出し、半身を屈めて、台座の脇にある目立たない金属の継ぎ目を覗き込んだ。
継ぎ目の縁に、細かい焼け跡がある。
古傷じゃない——最近、繰り返し高圧の電流を流し続けた痕だ。
しかも方向が内向きじゃない。外向きだ。
首筋がすっと冷えた。
「山口」
「聞いてる」
「これは、偽の核心ってだけじゃ済まない」
「どういうことだ?」
俺はその継ぎ目に手を伸ばした。死神の指輪が触れた瞬間、偽核心の構造体全体が——まるで水中で電流を流されたみたいに——周囲の導線と固定溝に沿って、ごく薄く、ごく短い幽光を走らせた。起動じゃない。覚醒でもない。ずっと前から待機していて、最後の確認信号だけを待っていた何かが、俺の一触れで目を開けた——そういう感じだ。
俺は勢いよく立ち上がった。
「こいつは俺を待ってた」
「詳しく」
「この構造体全体は、俺を止めるためじゃない——俺が入ってきたあとに起動するために作られてる」俺は半歩後退しながら、空間全体の構造を素早く視線で舐める。「工業シェル、偽節点、ワイスマンの刻印、ルール《ルール》の略号、わざと燃やし切らずに残したデータテープ——全部が『ヒントらしすぎる』。ここは何かを隠す場所じゃなく、人を引き込む場所だ。この偽心臓の目的は最初から、『ワイスマンがここにいる』と俺に思い込ませるだけじゃなかった——俺を実際にここまで歩かせて、触れさせて、接続させること、それが目的だ」
山口側が半秒、静まった。
「自爆装置か」
「そうだ」俺はあの偽心臓を見据えながら、なぜか笑いたくなった。「ただの自爆じゃない。こいつは、死神の指輪と飛龍の鋲を身につけて、日本側霊艦編隊まるごとと繋がってる間抜けが歩いてくるのを待ってた——そいつに点火を完成させるために」
「撤退しろ」
今度は他に何も言わなかった。
俺も言われるまでもなかった。
なぜなら次の瞬間、空間全体が本当に変わったからだ。
爆発が先じゃない。
音だ。
低く、重く、長く——ビスマルクの船体の最深部で、誰かが鐘をひとつ打ったみたいな音。耳で聞く音じゃない。足元の鉄板から直接滲み上がってきて、脛を伝い、骨盤と胸腔まで這い上がってくる。周囲でそれまで薄暗く灯っていた導線、節点環、封鎖シェルが一斉に、ごく淡い赤黒い流光を帯びた。血液を——とっくに干上がっているはずの管に——無理やり注ぎ込んでいるみたいだ。
俺は踵を返して走り出した。
「山口、ビスマルクが爆発する!」
「わかってる」山口の声が、初めてわずかに平坦さを失った。「全艦隊、撤退援護に移れ。榛名・霧島は前に出ろ、扶桑は中央ラインを押さえろ、青葉は斜角を切れ、菊月・夕月・卯月は収容態勢、飛龍・蒼龍は甲板上の火点を制圧、瑞鶴・翔鶴は上空を掃討しろ!」
命令が飛んだ瞬間、胸の中に——ドック丸ごとぶち込まれたみたいな衝撃が走った。
さっきまでとは比べ物にならない。
今は通常の砲火交換じゃない。山口艦隊全体が、罠の中に踏み込んだ俺というどうしようもない馬鹿のために、強引に生還ルートを引き裂いているんだ。
工業霊柩みたいな通路を全力で駆け戻りながら、飛龍、蒼龍、榛名、霧島、扶桑、青葉、瑞鶴、翔鶴、駆逐艦群、観測網——全艦からの同期反圧が一斉に俺を叩いて、視界が白く飛びかけた。耳の中は金属の呻き、砲撃の鈍震、そしてビスマルク内部を流れ始めた危険な共鳴音で埋め尽くされている。単純な出火でも、普通の爆薬のカウントダウンでもない。この艦が——内側から過負荷を起こしている。餌として作られた偽核心がついに使命を果たし、蓄えていたものを一層また一層と外へ解き放ちながら。
最初の角を曲がったとき、さっき俺が処理したはずの守墓人の残骸がひとつ、ぴくりと動いた。
復活じゃない——艦内で暴走し始めた節点に電撃を受けて、胸部が糸で引っ張られるように持ち上がっただけだ。溶接事故と旧海軍の死体を半分ずつ合わせたみたいなその顔が、再び俺のほうへ向いた。口から、ひどく耳障りな金属の摩擦音が漏れてくる。
「お前らって本当に、残業しても疲れないのな」
俺は直接一蹴りで吹き飛ばし、その胸を踏みつけて通過した。追い打ちをかける余裕はない。今この艦自体が最大の死体であり、しかも爆発寸前の死体だ。
二つ目の区画の照明が全灯した。
普通の点灯じゃない——天井、隔壁、床の導線溝に沿って、工業用の蛍光管が一本一本、発炎するみたいな赤白色で爆ぜていく。通路全体が、生産ラインが過負荷直前の工場みたいに照らし出された。壁際に嵌め込まれていた封鎖シェルが次々と弾け飛び、中から出てきたのは弾薬でも設備でもなく——圧縮されたような黒い節点の塊だ。生きてはいない。それでも、光の中で震えている。煮詰めすぎた血の塊みたいに。
背筋が冷えた。
これは単純に艦を爆破するんじゃない。
ビスマルク丸ごとを、響鐘にしようとしている。
外洋に展開するドイツ海軍亡霊シーケンス、ロッテルダム港外でこちらの視線を海上に釘付けにしている大海戦、そして引き込まれた節点導体である俺——全ての条件が今、揃った。この偽旗艦の目的は俺を単純に爆殺することじゃない。俺を、飛龍側の艦隊同期を、この海域全体の戦場圧力を使って——もっと深い場所にある何かのノードを、力ずくで叩き鳴らすことだ。
走りながら、俺はようやく全部を繋げた。
「くそっ、最初から俺一人を爆死させたいわけじゃなかったのか……」
「はっきり言え」山口の声に、初めてはっきりとした緊張が混じった。
「この艦は鐘だ!」俺は叫び返した。「核心でも指揮中枢でもない、叩くための鐘だ!ワイスマンは俺たちの艦隊とドイツ海軍亡霊シーケンスをこの海域に引き込んだ——ただ戦わせるためじゃなく、この場を使ってもっと深い節点を叩き鳴らすために!」
一秒も経たないうちに、山口が返した。
「ドイツか」
「そうだ、本当の標的はドイツにある!ロッテルダム、港、ビスマルク——全部、俺たちの目を海上に縫い付けておく蓋だ!」
「了解した」
了解した、じゃねえよ。
そう言い返したかったが、今は無理だ。
なぜなら次の瞬間、通路の前方が一面崩れ落ちたからだ。
構造の自然崩壊じゃない——隔壁内側に仕込まれていた工業シェルが過負荷で外側へ爆裂したんだ。鉄板が内側から手で引き裂かれたみたいに捲れ上がり、火花と黒煙と奇妙な節点の残光を帯びた金属構造物が、一斉に俺めがけて降り注いできた。俺は横へ飛んで壁に叩きつけられ、肩がびりっと痺れ、耳の横で轟音が炸裂し、破片が頭皮を掠めて飛んでいった。
「くそっ!」
床に伏せたまま、一秒以内に確認する——生きてる、手足が動く、死神の指輪はまだ痛みを発している。それだけ確認して、即座に立ち上がる。
艦全体が叫んでいる。
人の声じゃない——金属、節点、導線、外装シェル、そして軍艦の中に無理やり詰め込まれた工業儀式システム、その全てが同時に叫んでいる。過熱した電線が何百本も絡み合うような音、古い教会の大鐘を製鋼炉に放り込んだような音、そして空気そのものに歯の根が浮くような共振が満ちている。
俺は側部区画に迂回した。
上がってきたルートはもう使えない。各所で過負荷爆裂が起き始め、工業守墓人の何体かがその過程で再び引き起こされ、半死半生のまま暗がりから這い出てきている。人型を保っているものもあれば、工具台と兵士の死体をでたらめに溶接したとしか思えないものもある。こういうときに気持ち悪がる余裕はない——邪魔なら全員ぶち抜くだけだ。
側面から飛びかかってきた一体目は、短刀を喉と鎖骨の間の、節点線に一番近い継ぎ目に突き刺して、そのままの勢いで壁の扉枠に縫い付けた。足元から足首を掴みにきた二体目は、見もせずに銃を抜いて胸部の工業シェルめがけて三発叩き込んだ。この鉄の棺の中で銃声は小さな金槌で鍋を叩いたみたいに響くが——効果は十分だ。そいつは全身を痙攣させ、黒い液体と電撃じみた何かを噴き出しながら崩れた。
「悪いな、今日はお前らのデザインを尊重してる暇がない」
足を引き抜いて走る。
速くは走れない。
陸上のダッシュじゃない——自爆直前の工業霊柩の中で、出口を探しながら進んでいる。一歩一歩を踏み確かめないといけない。足元は平らな地面じゃなく、いつ跳ね上がり、横に裂け、内側から爆ぜるかわからない鉄板だからだ。上からはさらに過負荷の轟音が圧し掛かってくる。ビスマルク全体が、核心から外側へ向かって裏返るように——自分自身を剥き出しにしようとしているみたいだ。
山口の声が再び来た。今度は山口だけじゃない。
背景で他の報告が飛び交っている——短く、速く、硬く、無駄な言葉はひとつもない。
「榛名、前端被弾——まだ持つ」
「霧島、右舷に圧迫、砲火を吸っている」
「菊月、収容ウィンドウに入った」
「夕月・卯月、煙幕ライン展開完了」
「飛龍航空隊、損耗増加——制圧継続中」
「シュペー《グラフ・シュペー》、角度変換」
「シェーア《アドミラル・シェーア》、外周へ切り込み」
「後方の重艦、動きあり——ティルピッツの反応が深まっている疑いあり——」
「ティルピッツ」という名が聞こえた瞬間、俺はもう少しで口から最悪の言葉が出るところだった。
つまり向こうはビスマルク一隻じゃない。
ドイツ海軍亡霊シーケンスを、一隻また一隻とこの海域に引き込んでいる。そして俺たちはそれに付き合って、高級な海上花火大会を一晩中やらかしていた。ワイスマンのやつは艦上にいない。それでも、俺たちがどう動くか、どこまで戦い続けるか、どのタイミングで旗艦を叩きに来るか——全部計算済みだ。乗り込んだあとにこの偽旗艦がどう爆発して、何の効果を生むか、それすらも最初から書いてある。
「山口!」
「言え!」
「時間稼ぎが目的じゃない!」俺は変形して詰まった隔壁扉を蹴り飛ばしながら叫び返した。「時間は副産物だ!この海戦はドイツ内線で起きている本当の動きを隠すための鐘の音だ!ロッテルダムは海上の鐘口、ビスマルクは鐘槌、俺たちはそいつのために鐘を鳴らされた馬鹿どもだ!」
一秒、沈黙。
そして山口はたった一言だけ返した。
「前端の撤退を始めた」
その一言が、かえって胸の中を冷やした。
山口多聞という人間が「撤退を始めた」と口にするのは——このまま続ければ編隊ごと失うと本当に判断したときだけだ。つまり外はもうそこまで追い詰められている。
それでも山口はまだ引いていない。
これが一番、俺に対して不公平なところだ。
感動している余裕はなかった。なぜなら前方の区画全体が突然震え、次の瞬間、天井が内側から爆薬を詰めたみたいに激しく裂け開いたからだ。不釣り合いなほど太い工業用の導流管が、斜めに落下してきた。俺の反応は辛うじて間に合い——右へ飛んで肩から床を滑り、背後で轟音、火花と金属破片が犬みたいに追いかけてきた。
着地した瞬間、左前方に見覚えのある出口標識が目に入った。
現代的な表示じゃない——上がってきたとき頭に刻んだ、外板接近ルート付近の構造だ。
ようやくだ。
俺はすぐに立ち上がってそこへ向かって走り出した。胸の中で、焼けた錐で内側からぐりぐりと捻じ込まれるような痛みが続いている。死神の指輪はもう補助ツールなんかじゃない——腕ごと焼き尽くそうとしている刑具だ。それでも頼るしかない。こいつなしでは、この艦がどの方向へ向かって爆発しようとしているかさえ判断できない。
出口は目の前だ。
だが、あと少しで手が届くというその瞬間——ビスマルク全体が、さらに低く、さらに重く、もはや機械とは思えない音を発した。
爆発じゃない。
息を吸うような音だ。
全身の毛が、一斉に逆立った。
「伏せろ!」
山口が叫んだんじゃない——俺自身の本能が先に口から飛び出した。
次の瞬間、ビスマルクが本格的に崩れ始めた。
一点に火がついて、一発鳴って、みんなまとめて吹き飛ぶ——そんな普通の自爆じゃない。艦全体が内側から外側へ、一層また一層と裏返っていく。まず艦内の偽核心と工業シェルシステムが全面過負荷を起こし、内部圧力をすべての鋼梁と導線溝に力任せに叩きつける。次に外板が面単位で膨れ上がる——まるで下から怪物が這い出ようと暴れているみたいに。そしてようやく火だ。亀裂から噴き出し、通路の突き当たりから噴き出し、天井、隔壁扉、角、継ぎ目という継ぎ目から一斉に噴き出す。
一瞬にして、逃げ道全体が燃え盛る金属の食道に変わった。
俺は前へ飛び込み、ほとんど身体の記憶だけで出口の方向へ転がった。背後から爆風が逆流してきて、俺の身体をゴミ袋みたいに前へ叩きつける。耳は一瞬で壊れ、聴力がこもった轟音だけになり、世界全体が分厚い水の膜の向こうに行ってしまった。
それでも、外がもっとひどいことになっているのはわかった。
これは単なる内部爆発じゃない——ビスマルク丸ごとと、その外側を包むドイツ海軍亡霊シーケンスを共振させながら、一気に叩き出す自爆だ。
ようやく甲板の縁まで転がり出たとき、目に飛び込んできたのは夜の海じゃなかった。
火だった。
ビスマルクの中央部が内側から引き裂かれたみたいに、鉄板が一枚また一枚と外側へ捲れ上がり、火がその内側から噴き出している。橙色じゃない——汚い黒と暗い赤が混じった火だ。燃料が燃えているんじゃない、死んだ艦隊の中に長年圧縮されてきた戦争の澱が燃えているみたいな火だ。甲板全体がもう甲板じゃない——割れかけた鉄の墓碑だ。
さらに遠い海上では、山口艦隊が本当に命懸けで俺の道を切り開いていた。
榛名が最前線に張り付き、艦影に明らかな重傷の跡があるのに、それでもビスマルク前端から引き戻そうとする圧力を受け止める角度に食らいついている。霧島が右側から重刀みたいに火線の間へ斬り込んでくる。扶桑がより沈んだ位置で中央ラインを強引に引っ張り、シュペー《アドミラル・グラフ・シュペー》とシェーア《アドミラル・シェーア》が噛み返そうとするリズムを力ずくで断ち切っている。青葉は斜角からずっと噛み続けている——一口一口は大きくないが、快適に追い打ちをかけさせない程度には十分うっとうしい。
さらに外周では、菊月、夕月、卯月の三隻が完全に命を捨てた動きをしていた。
「接応」なんてものじゃない。自分たちの船体と速力を使って、理論上存在するはずのない逃げ道の隙間を力ずくで切り裂いている。海面は爆発で立ち上がる白波、火線、煙幕、ドイツ側の近距離制圧で埋め尽くされている。その中を三隻は乱切り、乱突破、乱噛みで駆け回っている——自分たちが戻れないかもしれないとわかっていながら、それでも飛びかかっていく三匹の野犬みたいに。
空はもっとひどかった。
飛龍と蒼龍の艦載機の影が、最後の力を振り絞ってビスマルクと周辺ドイツ艦の甲板と上部火点を叩き続けている。瑞鶴と翔鶴は後方空域を支えて、ドイツ側の死臭を漂わせた航空隊が一面から押し下ろしてくるのを食い止めている。空中、海面、火、煙、金属、死気、古い砲声が全部混ざり合って——もはや戦場じゃない。鋼鉄の霊界そのものが発狂している。
「山口!」俺は叫んだ。
「飛び込め!」
「今かよ?!」
「それとも艦に着陸の手配でもさせるつもりか?」
この死人軍官は、こんな状況でも相変わらず殴りたくなる物言いをする。
だが、正しい。
ビスマルクはもう船じゃない——崩壊しつつある巨大な爆弾だ。甲板の下では区画が次々と裏返り、鉄板の継ぎ目から黒赤の節点火を帯びた高圧気流が絶え間なく噴き出している。あと一秒遅れたら、俺は爆風で吹き飛ばされるんじゃなく、この空旗艦と一緒に、やつが用意していた棺の心臓に巻き込まれて、高級戦術教材になる。
俺は前へ駆けた。
足元の甲板全体が割れている。多くの場所が砕けてるんじゃなく、上に向かって膨れ上がっている——ビスマルクというこの巨大な鋼鉄の死体が、最後の一度だけ全身の骨で世界を叩こうとしているみたいだ。縁まで走りきったとき、ちょうど菊月が、ほとんど存在できないはずの火浪と水壁の隙間を噛み破って入ってくるのが見えた。
小さすぎる。速すぎる。命知らずすぎる。
それでも来た。
飛び移ろうとした、その瞬間——船体がまた一度、激しく揺れた。
今度は普通の爆発じゃない。偽核心区画が外板まで完全に繋がった総崩壊だ。ビスマルクの中央部全体が、内部の巨大な何かに下から掴まれて上へ持ち上げられたみたいに——足元の甲板が一気に傾いた。少しじゃない。脳の中の平衡感覚が全部死ぬくらいの角度だ。
俺の身体が外側へ滑り出した。
手が先に縁を掴もうとした。掴んだのは、緩んでいる鉄板一枚だった。その鉄板が外れた瞬間、終わったとわかった。
「くそっ——!」
次の瞬間、艦全体が爆ぜた。
「轟」の一音で終わりじゃない。
まず、汚い白さの光が船腹の中央から力任せに突き抜け、続いて黒赤の火浪が中央部を両側へ引き裂く。砲塔、構造物、外板、古い鋼梁、工業シェル、節点の残光、船に無理やり詰め込まれていた偽心臓と管線、全部が一斉に外へ噴き出す。海面全体がその力に掻き回されて、俺には何も見えなくなった——ただ、風でも波でもない何かが俺の身体を叩いて、ビスマルクの縁から引き剥がしていく。
飛んだ。
本当に飛んだ。
まず無重力。次に灼熱。そして衝突の直前、世界が一瞬だけ特別に静かになる、あの空白。
半空中で、たくさんの断片が見えた。
榛名がまだ前で踏ん張っている。
霧島が火の中へ強引に切り込んでいく影。
扶桑の火線がもっと遠くから戻ってくる——老いて、不格好で、それでも確かな一撃みたいに。
青葉はまだ噛んでいる。
菊月が火浪の下を潜り抜けていく。
夕月と卯月が白波に輪郭の半分を飲まれながら、それでも動き続けている。
飛龍がもっと遠くにいる。その艦橋は海上に固定された意志の塊みたいだ。山口多聞がその上に立っている。遠すぎて顔なんか絶対に見えない距離なのに、俺にはわかった——あいつはまだあそこにいる。最後まで曲がるつもりのない釘みたいに。
それから俺は海に落ちた。
北海の夜水は冷たいんじゃない——悪意だ。
入水した瞬間、黒いコンクリートの壁に全身で叩きつけられたみたいだった。耳の中から全ての音が消えて、残ったのは一つの、重く長い轟音だけ。世界が分厚い布で包まれたみたいになる。海水は水じゃなく、砕けたガラスと氷を混ぜたみたいな硬さだ。胸の中は供給圧力でとっくに限界寸前だったのに、この衝撃で肺の中の最後の空気まで一緒に叩き散らされた。
本能が上を目指そうとした。
だが上も下も、こういうときには意味がない。
ビスマルク爆発後の海は、穏やかな海面じゃない——めちゃくちゃになった鋼鉄の墓場だ。上には火、白波が逆巻き、鉄の破片、燃焼物、節点の残光を帯びた黒いものが水中を漂い、沈んでいる。正体不明の船板か爆裂した外殻か、何かが腰の側面を思い切り擦っていった。燃えた鉄板で打たれたみたいな痛みが腰全体に走る。
手を伸ばした。何かを掴もうとした。掴めたのは海水だけだった。
左手の死神の指輪がまだ熱い。
だがその熱さが、今はひどく遠い。自分の手にはめているんじゃなく、分厚い水の向こう側から——お前はまだ完全には切れていない、と教えてくれているみたいだ。
水中で目を開けると、上方には混乱した光の断片が見えた。完全な炎じゃない——火が水面と白波と爆発の残光の中で引き裂かれた、その破片だ。もっと遠く、もっと深いところでは、巨大な黒い影がいくつも動いている。日本側のものと、ドイツ側のものと。もうどれも船には見えない——深海と炎の間で互いに食い合っている古代の怪物みたいだ。
上に行きたかった。
本当に。
だが手足が言うことを聞かなくなってきた。
これは単なる溺水じゃないとわかっていた。身体全体が、ここへ来てようやく俺に請求書を突きつけてきている。供給、接艦、ビスマルク内部の節点衝撃、爆発、衝突、氷水——全部が積み重なって、人間の肉体はある点を超えると言い出すんだ。
——すみません、社長、先に休ませてもらいます。
「今はまずい……」
この言葉が実際に口から出たかどうかわからない。
水中で喋るのは馬鹿げているが、意識が切れかけているときは論理なんか気にしていられない。
奇妙な光景が見えた。
現実じゃない——少なくとも完全には。
暗い影がひとつ、もっと深いところから近づいてきていた。速くも遅くもなく、ただひどく正確に。ドイツ海軍亡霊シーケンスが持つ帝国の鉄屍めいた圧迫感とは違う。飛龍の頭にある馴染みの節点応答とも違う。もっと、黒い水の中に最初からずっと待っていたような何か——静かで、火もなく、砲もなく、存在を誇示しようとする気配もなく、ただ真っ直ぐに俺へ向かってくる。
判断しようとした。
だが、無駄だとわかった。
視界がもう切れ始めていたから。
上ではまだ火が燃えている。
遠くではまだ砲声がある。
海の中は全部黒だ。
身体全体が世界のもっと深いところへ引っ張られていく。そしてあの影が、このとき一層近づいてきた。
まず手だ。
少なくとも、手みたいなもの。
冷たい——海の冷たさじゃない。別の、はっきりとした目的を持った冷たさだ。衣の襟と肩を掴む動作が正確すぎる。流木を適当に拾い上げるんじゃなく、こうすれば人間がすぐに切れないとわかっている掴み方だ。
それから、ごく薄い匂いがした。
油でも、火薬でも、海でもない。
言葉にしにくい匂いだ。古い木、湿った布、いつかどこかで一度だけ嗅いだことがあるのに思い出せない、乾いた冷気の匂い。それが流れ込んできた瞬間、溺れかけていた頭の中が一瞬だけ短く澄んだ。誰かが、俺が沈む直前に、最後のぼんやりした境界線を力ずくで押し広げてくれたみたいに。
見ようとした。
本当に。
だが世界はもうここで、照明を落とし始めていた。
意識が本当に切れる直前、耳元にひどく低い声が近づいてきたような気がした。ドイツ語じゃない。山口のような、スリッパを投げつけたくなる死人軍官の冷たい口調でもない。林 雨瞳でも、希でも、葉 綺安でも、ヴィクトリアでも、レイチェルでも——誰の声でもない。まるで俺がここに落ちてくることを最初から知っていたみたいな一言だったが、前半しか聞こえなかった。後半は海と一緒に飲み込まれた。
それから俺はついに力を失った。
眠りじゃない——全部が切れた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




