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S2第三十四章 万歳突撃

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

AM 03:00 横須賀よこすか三笠公園みかさこうえん

午前三時整。三笠公園のコンクリート地盤に、無数の亀裂が走り始めた。

地震ではない。下から突き上げ、内部から食い破るような破壊――戦艦三笠みかさの艦体の真下、その基座に沿って、一条、二条、三条。路面を押し上げる樹根のような亀裂から、青白い燐光がじわりと滲み出し始めた。

三時二分、博物館の閉館アラームが虚しく鳴り響き、自動的に遮断される。

三時五分、街灯が一度だけ激しく明滅し、そして絶命した。

停電は軍港から市街地へと向かって、ドミノ倒しのように広がっていく。過負荷でも故障でもない。誰かが巨大な裁ち鋏を持ち、港から市街地へ向けて、極めて秩序立ち、緩慢に、そして意図的に「現実の回路」を切り裂いているのだ。

商業地区が闇に呑み込まれる直前の九秒間。三笠公園の街灯だけが、最後の抵抗のように灯っていた。

その光の下、三笠の艦首が落とす濃密な影の中に、彼らは立っていた。

一人ではない。

二列の整列だ。

前列、一九〇五年式しき――白手袋、制帽、肩章。対馬海峡の精鋭であり、東郷平八郎とうごう へいはちろうが自ら選り抜いた「神風」の先駆者たち。その立ち姿は傲岸なまでに真っ直ぐで、誰一人として背を丸める者はいない。

後列、一九四五年式――破れた軍服、塩水の跡、そして焼き焦げた縁。天一号作戦、呉軍港空襲、広島湾の沿岸で沈んでいった者たち。その立ち姿は重苦しく、あらゆる辛苦を骨に刻み込み、わずかに前傾しながらも、決して倒れはしない。

二つの列、四十年の断絶。それが今、同じ場所で、同じ方向を見つめている。

軍港を見つめている。あちら側の灯火が一区画ずつ、確実に消えていく様を。

街灯が潰え、三笠公園は完全な暗黒に包まれた。

艦体の亀裂から溢れ出す青白い光。それは百二十年もの間、出口を求めて彷徨い続けた執念の輝きだ。

続いて、足音が響き始めた。

数え切れないほど。統制された、暴力的なまでの足音。

二つの小隊プラトーンは、単なる先遣隊に過ぎない。

闇の中で、旭日旗きょくじつきが翻った。


AM 03:15 横須賀・ホテル裏口の路地

横須賀の灯火は、わずか三秒ですべて掻き消された。

軍港全体が鉄錆の臭いを伴う死寂に沈む。唯一の光は、港の方向から立ち昇る暗い赤色の炎――現代のいかなる燃料にも属さない、怨念の火。

ホテルの裏口を一歩踏み出した瞬間、濡れ鼠の肉体が俺の胸に衝突した。

安物の香水、硝煙、雨、そして吐き気を催すような海軍用重油の臭い。

「Chou... You're Chou, right?(シュウ……あんた、シュウね?)」

キャサリンだ。

昨夜、真紅のドレスを纏っていた海兵隊の伍長は、今や飼い主に捨てられた野良犬のように無様だった。濃い化粧は涙と雨で無残に崩れ、腕の中には軍用レインコートで包まれた「何か」を必死に抱え込んでいる。

彼女は震える手で、その包みを開いた。

米勒ミラー中尉のものだったはずの左腕。それは、肘から先が完全に冷徹な鋼鉄へと変貌していた。掌の中には、血の滲んだ電子身分証(IDカード)が、砕けんばかりの力で握り締められている。

俺はその鉄の手を見つめ、沈黙した。ミラーはとっくに終わっている。今や魂を吸い尽くされた抜け殻に過ぎないことは、俺が一番よく知っていた。

「ミラー……彼は、もう……」キャサリンが掠れた聲で漏らす。

「あんたの憲兵の恋人はどうしたの?」

背後から、林 雨瞳リン・ユートンの冷ややかな聲が突き刺さる。「どう? 趣味を変えた途端に捨てられたのかしら。その断手は、最新式の定情信物プレゼントか何か?」

彼女は昨夜からずっと俺を尾行していたのだ。

背中に嫌な汗が流れる。俺が毆られた直後に彼女が現れたのは偶然などではない。この女の策謀は、いつだって身内に対して最も苛烈に發揮される。

老周ラオジョウ、あんたの守備範囲、広すぎない?」地べたにしゃがみ込んだシキが、レモン汁を絞ったような酸っぱい口調で追擊してくる。「そんな濡れ鼠みたいな流浪犬まで拾うつもり?」

俺の視線は、鉄の手が握るカードに固定されていた。

軍基地全域立入許可証オールエリア・アクセスパス

「……いい加減にしろ」俺は軽く咳払いをした。「彼女を助けたのは他でもない。そのカードのためだ。その『チケット』がなきゃ、三笠みかさの側に近寄ることすら叶わねえ」

女たちの蔑むような視線が、俺の言葉の信憑性の低さを物語っていた。

その時だ。港の方向から、鼓膜を裂くような轟響が爆發した。

戦艦三笠の三十〇センチ主砲。無人のはずの巨砲が自動的に照準を合わせ――明治の怨念を孕んだ砲弾が、対面に停泊する空母ロナルド・レーガンを直擊した。

鋼鉄が引き裂かれる悲鳴と、爆炎が橫須賀の夜空を赤く染め上げる。

俺は火光を見上げ、熱を帯びた右手を握り締める。死神の大鎌デス・サイズの虛影が暗闇の中で一瞬、鋭く明滅した。

「クソッタレ、事態は最悪だ(事情麻煩了)」

俺はスマホを取り出し、神樂機關かぐらきかんへ叩きつけるように發信した。

九條院くじょういん! あんたらの連中はどこだ!」

通信チャンネルから流れてきたのは、古びた軍歌のメロディ。続いて画面に短いメッセージが踊った。

『干渉を許可する。障害を排除せよ』

「……矯揉造作もったいぶりやがって」

俺は通話を切り、キャサリンに向き直った。彼女は泥水の中に膝をつき、レーガンから立ち昇る黑煙を見つめていた。その瞳から最後の一滴の迷いが消え、絕望の果ての清醒めざめが宿る。

「キャサリン、俺を見ろ」俺は彼女の肩に手を置いた。「ミラーは救えない。だが、他の奴らなら救えるかもしれない。……東門から俺たちを中に導けるか?」

「彼女は俺を見つめ、次いで車内で出陣を待つ林 雨瞳リン・ユートンと、興奮を隠しきれない様子のシキへと視線を移した。

『Yes... I have the Master Key.(ええ……私がマスターキーを持っているわ)』

彼女は立ち上がり、その声に迷いはなかった。『Follow me.(ついてきて)』」





AM 03:22 空母ロナルド・レーガン・飛行甲板

憲兵のライアンにとって、それは当初、単なる武力衝突に過ぎなかった。あの大和魂をコンクリートで固めたような骨董品が、物理法則を無視した速度で右舷に激突するまでは。

「Holy mother of—— 衝撃に備えろ(インパクト!)!」

さびとフジツボに覆われた三笠みかさの艦首は、まるで巨大な錆びたなただ。数億ドルの巨費を投じた空母の外殻を、無慈悲に叩き割っていく。噴き出したのは火花ではない。腐臭を放つ黒い重油じゅうゆだ。その液体は意志を持つ生物のように甲板を這い回り、瞬く間に非常照明を呑み込み、掻き消した。

「奴ら、跳んできます! 長官――!」

煙塵えんじんの中から、第一陣の登艦者が緩慢に立ち上がる。

一九〇五年式の水兵たちだ。濃紺の制服は重油で漆黒に染まり、眼窩がんかには蠢くアスファルトが詰まっている。五官の失われた蒼白な顔には、耳まで裂けた巨大な口だけがあり、そこから明治軍歌の断片を吐き出していた。

「Fire! Fire!(撃て! 撃ち続けろ!)」

M4A1の火光が正確に放たれる。ライアンは、明治水兵の胸元に拳大の風穴が開くのを確かに見た。だが怪物は揺らぎさえせず、ただ「万歳バンザイ」という掠れた咆哮を上げ、百年前の鉄錆の臭いを撒き散らしながら肉薄する。

長さ半メートルに及ぶ錆び付いた刺刀バヨネットが、遮るものなくタクティカルベストを貫通した。

「嘘だ……こんなの、ありえない……」

ライアンは鬼兵の空ろな眼窩を見つめながら、体温が冷徹な重油によって急速に奪われていくのを感じていた。

AM 03:25 ロナルド・レーガン・二号エレベータープラットフォーム

一九〇五年式の先遣隊に続き、一九四五年式の残党が姿を現した。

太平洋戦争末期の亡魂。黄ばみ、ほころびた綿の軍服を纏い、飢餓と絶望に苛まれた肉体は病的に歪んでいる。彼らは戦術的な前進など選ばない。選ぶのは、ただ一つ。

肉体爆破にくだんだ。

額に血の滲む神風かみかぜの鉢巻きを締めた一人の鬼兵が、真っ赤に錆びた九九式手榴弾を抱え、蜘蛛のような動きで近接防御火器(CIWS)の砲塔に這い上がる。米兵のレーザーサイトが彼の胸元で激しく踊るが、彼は歯の欠けた口から重油を滴らせ、ただ狂おしく、高く笑い飛ばした。

「ゴオオオオ――!!」

衝撃波ショックウェーブが骨の破片と錆びた金属片を撒き散らし、防衛線を構築しようとしていた数名の米兵を一瞬にして肉塊へと変えた。

「撤退だ! 核反応炉ニュークリア・リアクター区域まで退け!」

通信チャンネルには絶望に満ちた叫びと、明治軍歌のノイズだけが響き渡る。一人の士官が気密扉を閉じようと試みるが、その隙間に、爪の剥がれ落ちた蒼白な手が次々とねじ込まれた。一九〇五年式の亡霊たちは自らの肉体を肉牆にくしょうとして扉に詰め込む。骨の砕ける乾いた音が廊下に響くが、彼らは構わず押し、咆哮し続け、ついに数トンの鋼鉄の門を、その不可解な数と暴力によってこじ開けた。

ロナルド・レーガンの通路を、黒い重油が浸食していく。

倒れ伏した米兵たちの死体は、わずか三秒で重油に覆われ、そして不気味なリズムで痙攣を始めた。


AM 03:30 三笠みかさ露天ろてん指揮台

水泥コンクリートに引き裂かれ、剥き出しの錆びた鉄筋が突き出す露天指揮台に、その黒い影は立っていた。

一九〇五年式の黒い海軍大礼服。金色の肩章は暗緑色に酸化し、顔の半分は黒い重油によって徹底的に腐食され、剥き出しの白骨化した歯槽しそうが覗いている。右手を家紋の刻まれた指揮刀サーベルに添え、左手は炎の中で激しく翻る、ぼろぼろのZ旗を死守するように握りしめていた。

大気に満ちる冷徹な鉄錆の臭いが、彼が口を開いた瞬間、魂を焦がすような狂気へと火を吹いた。

「皇國ノ興廢、此一戦ニ在リ! 各員一層奮励努力セヨ!!」

その咆哮はロナルド・レーガンの防空火器の轟音を貫き、百年の時を越えた呪詛の周波数となって、すべての米兵の鼓膜を内側から爆破した。三笠みかさの甲板に伏していた無数の黒い影が、一斉に、寸分の狂いもなくその背筋を正した。

一九〇五年式と一九四五年式。この瞬間、彼らに世代の断絶など存在しない。空ろな眼窩には、幽玄な燐光が同時に灯る――黒い重油で満たされた、「忠誠」という名の猛毒だ。

指揮官が猛然と刀を抜く。雪白の刃が火光の中で凍てつく弧を描き、前方の鋼鉄の山脈――核動力空母の艦橋アイランドを指し示した。

「全軍!! 突撃セヨ!!」

裂けすぎた頬の肉が崩れ落ち、黒い液体が口角から滴り落ちる。その声はもはや人間の喉が発するものではなく、戦艦という巨大な鋼鉄の塊が軋みを上げて共鳴する音だった。

「天皇陛下……万歳バンザイ!!!!!」

「万歳!! 万歳!! 万歳!!」

数千の鬼兵がレーダーの警報音を掻き消すほどの狂声を上げ、黒い光を放つ濁流となって、三笠の砕けた舷側から次々と跳躍した。


米軍極東司令部:極秘アーカイブ記録 #CVN76-FINAL

送信日時: AM 03:42 (HST)

ソース: USS ロナルド・レーガン (CVN-76) / 自動損害管理システム

ステータス: 炉心損傷 / 通信リンク断絶

1. 紛争性質評価

登艦した敵対勢力は、既知のいかなる正規軍とも一致せず。顕著な超自然的実体化の特徴を呈しており、外見は旧日本帝国海軍の歴史的制服と高度に合致。

タイプA(1905 Type): 極めて精密な白兵戦能力を保持。小火器による射撃を無効化し、傷口からは高圧の重油じゅうゆを噴出。

タイプB(1945 Type): 強烈な自殺志願を伴う肉体爆破を敢行。スローガンは「Tenno Heika Banzai」と判定。その精神的衝撃により、多数の将兵が戦闘神経症シェルショックを発症。

2. 戦場動態

右舷甲板は完全に陥落。三笠の鋼鉄構造物が飛行甲板と物理的に融合を開始。重油が通気管を通じて地下三階まで浸食。艦橋は高強度の神風かみかぜ特攻を受け、指揮系統は240秒前から遮断。

3. 異常事案

核反応炉区域へ向かう通路「B-12」において、未承認の民間人小隊を捕捉。

目標A(アジア系男性): 右手に未知の黒い放射性エネルギーを保持。大型の冷兵器を携帯。

目標B(本軍伍長キャサリン): 反逆、もしくは拉致と判定。所持する米軍基地全域立入許可証オールエリア・アクセスパスが起動中。小隊を炉心冷却区へと誘導している。

4. 最終通信

「……奴らが歌っている……あれは人間の喉が出す音じゃない……明治の軍歌だ……錆が動いている……鋼鉄が悲鳴を上げている……神よ、この船が黒く染まっていく……これはもうレーガンじゃない、別の……別の何かに作り替えられている……」

[ システム警告:冷却水漏洩。核反応炉室の隔壁が外部より強制突破されました ]

[ データリンク切断 ]


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