S2第十章 タクティカル・ミコ――M.I.K.O
黒いスーツを纏った二人組だった。ちゃんこ鍋の底からそのまま引き揚げられてきたかのような、筋骨隆々とした巨漢。その顔色は三枚ほど白粉を塗りたくったように蒼白で、スーツの下の筋肉は極めて不自然に蠢いている。まるで繊維ではなく、皮を突き破って飛び出そうとする「生肉」が詰め込まれているかのようだった。
「おい、待て。俺の東京芭娜娜がまだ……」
言い終わる前に、産業用のトラバサミより硬い掌が俺の肩を両側からロックした。安物の荷物みたいに吊り上げられ、足が浮く。耳に届くのは、女たちの驚愕の叫び声――そしてエリスの「自分で何とかしなさい」という、血も涙もない冷たい一言だけだった。
「放せ! これはプライベートだぞ! 消費者保護団体に訴えてやる! 駐日代表処に電話させろ!」
俺の抗議など、こいつら暴力連中には屁の突っ張りにもならないらしい。一言も発さず、大理石の床を叩き割るような重い足取りで、俺をエレベーターへと放り込み、そのまま最上階へと直行した。
「チーン」という音とともに扉が開くと、冷徹な白檀の香りが鼻を突いた。
目に飛び込んできたのは、臨時指揮センターへと改造されたロイヤルスイートルームだった。豪華なソファは撤去され、代わりに数十枚の電子モニターが深紫色のレーダー波を明滅させている。流れるデータ群は、ホテルの客室にはおよそ不似合いな「重量感」を湛えていた。
力士どもの手が離れ、俺は麻袋のように厚手の絨毯へ叩きつけられた。肺の中の空気が真空状態になるほどの衝撃。手元の東京ばな奈の袋が、無惨に床を転がっていく。
「ゲホッ、ゲホゲホッ……クソが。これが日本流の『おもてなし』かよ? ウェルカムドリンクも抜きで大相撲の稽古か?」
俺は散々な格好で体を起こし、外れかけた肩を揉んだ。背後の扉が重苦しい音を立てて閉まる。あの力士どもは外で仁王立ちを決め込むつもりらしい。俺は火の付いていない長寿タバコを吐き出し、周囲を偵察しようとした。その瞬間、重厚で冷ややかな白檀のプレッシャーが俺を射抜いた。
パーティが開けそうなほど巨大なダブルベッドの上に、紅白の影が座っていた。
腰まで届く黒髪のストレートヘア。その顔立ちは、京都の博物館に供えられている京人形のように精緻を極めていた。そして何より非科学的なのは、その巫女服だ。強化繊維の隅々までが限界まで張り詰め、プロファイルで『物理的霊圧貯蔵槽』と定義されている彼女の「双丘」が、氷のような呼吸に合わせて緩やかに上下している。掃き出し窓から差し込む微光の中で、それは驚天動地の弧を描き、俺の眼圧を瞬時に沸騰させた。
「初めまして、周ジョウさん」
彼女が口を開いた。その声は冷凍庫に三日置かれた刺身のように冷え切っていた。彼女が優雅に立ち上がった瞬間、物理的な霊圧プレッシャーが顔面に叩きつけられ、呼吸が止まるような錯覺に陥る。
「私は神代弥生。特殊事態対処室所属、霊務局BEA二級戦術巫女タクティカル・ミコ」
備考:Manifestation Intervention & Kinetic Operations M.I.K.O.
彼女が俺に歩み寄る。距離は正確に二十センチ。この距離だと、彼女から漂う高雅な冷香を嗅ぎ取れるし、巫女服のボタンをいつ弾き飛ばしてもおかしくない驚異的な「弧」を至近距離で確認できてしまう。
「神代……弥生?」俺は呆然とし、無意識に指の指輪に触れた。こいつは今、普段より激しく脈打っている。脅威を感じているのか、それとも俺と同じように目の前の視覚的衝撃に圧倒されているのか。
「わお、神代さん。神楽機関がわざわざアンタを寄越したのは、俺が逃げ足が速いとでも思ったからか?」俺は無理やり視線を逸らし、無頼な笑みを浮かべた。「コスプレは嫌いじゃないが、世界中で触手が生え散らかしてる時に、そんな格好でベッドに座って……経典の議論でもしたいのか? それとも俺を海にいる邪神への供物にでもするつもりか?」
神代弥生は俺のゴミのような軽口を完全に無視し、底知れない黒い瞳で俺を射抜いた。
「指令は以下の通り。今後、私はあなたの『監視者』として、二十センチ以内の物理的距離を維持します。これはあなたの理智値SAN値が完全に崩壊するのを防ぐため、あるいは……あなたが再びあの無意味なスイーツを買いに走るのを阻止するためです」
「監視者? 動く罠の間違いだろ」俺は冷笑した。「いいだろう、神代さん。自己紹介が済んだなら説明してくれ。なんで俺は新幹線も使えず、あの力士どもに誘拐されてここに担ぎ込まれなきゃならなかったんだ?」
神代弥生が微かに身を乗り出す。その圧迫感は俺の胸板にぶつかりそうなほどだ。
「リヴァイアサン・バイオテクノロジーのウェイスマンが、太平洋に死の包囲網を敷いたからです。私たちに残された時間は少ない。ヤツが日本列島に打ち込んだ『楔』を抜かなければなりません」
クソが、ウェイスマン。
またお前か、この老いぼれ野郎。俺は心の中でヤツの先祖代々に至るまで罵り倒し、怒りのあまり逆に笑いが漏れた。
「ちょうどあいつに落とし前けじめをつけたいと思ってたところだ」
俺はソファにどっかりと腰を下ろし、テーブルのミネラルウォーターを煽った。「聞かせてくれ、巫女ちゃん。俺たちは何をすればいい?」
神代弥生は細い指を伸ばし、空中に発光する霊圧地図を描き出した。日本全土の輪郭が浮かび上がり、そこには不気味な赤点が点滅していた。
「あの赤点はなんだ? まさか、ピンクな店の分布図じゃないよな?」
「あれは『霊魂鉚釘ソウル・リベット』です、周さん。日本列島に打ち込まれた異常な標識であり、あの鋼鉄の腐死体どもを引き寄せる撒き餌です。現在、米海軍第七艦隊が時間を稼いでいますが、突破されるのは時間の問題でしょう」
彼女は微かに身を乗り出した。語気は依然として平穏だが、その奥には隠しきれない焦燥が滲んでいる。
「沖縄と稚内の釘パイルはすでに処理が進んでいます。ですが、残る五つ――佐世保、呉、舞鶴、横須賀、大湊。私たちに残された時間は、もうありません」
「つまり、あんたを連れて日本を半周しながら、釘抜きをしろってことか?」
「これは単なる指令ではありません、周ジョウさん。両国政府が締結した正式な合意事項です」
彼女の黒い瞳が俺を射抜き、その口角が、背筋が凍るほど僅かな、そして不吉な弧を描いた。
「もし制限時間内にこれらの鉚釘リベットを抜くことができなければ、東京はウェイスマンの次の実験場となるでしょう。その際、私は指令に基づき、あなたと共に……最終的な『浄化』を執行します」
「ほう、そりゃあ心中の予約ってわけか?」
俺は乾いた笑い声を上げたが、その瞳からは体温が消えた。
「いいだろう、弥生ちゃん。そこまで熱烈な誘いを受けちゃあ断れねぇ。その終末ツアー、引き受けてやるよ。だが、一つ言っておく。新幹線はグリーン車だ。それから……」
俺はソファを支えに立ち上がり、彼女の耳元に顔を寄せた。危険な挑発を孕んだ、低い声で。
「……二度と『周さん』と呼ぶな。切腹させられそうな気分になる。呼ぶなら周士達か、あるいは『あんたのそのボタンが弾け飛ばないように救ってやる男』と呼べ。分かったか?」
神代弥生の呼吸が一瞬だけ乱れ、白檀の香りが濃密に、そして熱く爆発した。
「……了解しました。周さん」
「クソが。あんた、本当に救いようがないな」
俺は溜息をつき、窓際へと歩み寄った。
この戦いは、想像していたよりも百倍は反吐が出る。
新宿のネオンから視線を戻し、指の間で沈黙する黒い指輪を見下ろした。
光っていない。震えてもいない。
ただ、温かいだけだ――ホテルに入る直前に感じた、あの奇妙な熱。警告ではなく、名もなき何かが金属の裏側にそっと押し込められ、霧散することなくそこに留まっている、そんな感覚。
俺はその場にしゃがみ込み、絨毯の上に散らばった東京芭娜娜を一つずつ拾い集め、袋に戻した。
「神代さん」俺は顔を上げずに訊いた。「行程表に朝食は付いてるか?」
部屋の中に、二秒ほどの沈黙が流れた。
「……任務規程には――」
「分かった」俺は立ち上がり、東京ばな奈の袋を脇に抱えた。「なら、自分で何とかする」
窓の外、新宿の空からは、最初の一筋となる灰白色の光が差し込み始めていた。
あのゴジラは、微動だにせず街を見下ろしている。その表情は今の俺と同じだ――恐れていないわけじゃない。ただ、もう「どうでもいい」と、そう思っているだけだ。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




