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55.退場 55-2

この物語はフィクションです。実在の人物・団体・事件・名称等は一切関係ありません。

三十分後、俺たちは分かれてホテルを出た。


フロントの中年男は、やはりおかしかった。表面上は愛想よく笑っているが、目がずっとこちらへ張り付いている。特に俺がパスポートを出した瞬間、その視線が半秒だけ余計に止まった。普通のフロントが客を見る目じゃない。事前に情報を見ていて、今現物と照合しているような目だ。


俺が口を開く前に、(シキ)が先に一歩踏み出し、流暢すぎるくらい流暢な英語で話しかけた。お湯が不安定だった、防音が悪い、マットレスが固い——三十秒かけてその男の注意を完全に引き剥がした。三十秒で十分だった。葉綺安(イェ・キアン)が横でチェックアウトと保証金を片付け、林雨瞳(リン・ユートン)は自然な動作で俺の半歩前に立ち、その視線を遮断した。


エリザヴェータは最後にフロントの前を通った。


男のほうを見もしない。ただ黒傘の先端を大理石の床に一度コツンと当て、靴音を響かせた。男は何か言いかけて、彼女の目と合った瞬間、なぜかそのまま言葉を飲み込んだ。


裏路地に入ってから、俺は小声で聞いた。「今、あの男に何をした?」


「何もしていないわよ」彼女は何でもないように言った。「ただ、今日は余計なことに首を突っ込まないほうがいいという気持ちに、ちょっとなってもらっただけ」


「吸血鬼流の接客指導か?」


「そう理解してくれていい」


裏路地は狭く、壁には昨夜の雨が乾いた灰色の跡が残っていた。遠くで車のドアが開いて閉まる音がした。(シキ)が先に頭を出して確認し、俺たちに合図を送る。


車がある。


俺たちは早足で乗り込み、ドアを閉めた。


エンジンがかかった瞬間、俺は反射的に振り返ってホテルの方向を見た。


ブダペストの空は灰白色だった。洗い切れていないネガフィルムのような色。昨夜、あの都市の地下に隠れていた本当の顔を俺はもう見た。今はまた何事もなかったように全部蓋をして、知らん顔をしている。


だが俺にはわかっている。何もなかったのではない。


誰かが俺のことを覚え始めた。


車は路地を出て、朝の車の流れへ合流した。林雨瞳(リン・ユートン)が斜め前の座席から、バックミラー越しに俺を一瞥した。何か言いかけて、やめた。葉綺安(イェ・キアン)は前だけ見ている。(シキ)はタブレットで位置情報とリアルタイムの交通状況を確認しながら、市外へのルートを調整し続けている。エリザヴェータは俺の隣に座り、黒傘を膝の上に横たえ、まるで撤退ではなく少しマシなホテルへ移るだけのような姿勢で、悠然としていた。


橋を渡るとき、指輪がまた冷たくなった。


今度はエリザヴェータも感じたらしい。


彼女は首を傾け、俺だけに聞こえる声で言った。


「まだ見られてるわよ」


俺は窓の外に流れていくドナウ川を見ながら、低く言った。


「わかってる」


「保守派?」


「わからない」


「新生派?」


「それもわからない」


彼女は二秒黙ってから、軽く笑った。


「それはいいわね。つまり両方を同時に怒らせたということでしょ」


「慰めてくれてありがとう」


「どういたしまして」彼女は頭をシートの背へ戻し、目を半分閉じた。だるそうな声で続ける。「あなたみたいな人間は、もとから誰かの決めたルールの中でおとなしく生きていけるようには見えないもの」


俺は何も言わなかった。


その言葉が、腹の立つことに、わりと当たっていたから。


市街地を抜けると、建物が低くなり、街並みが薄くなり、ハンガリーの朝の、湿気を帯びた平原の風景がゆっくりと広がっていった。見た目は穏やかで、退屈なくらいだ。だが胸の中の違和感は、街から遠ざかるほど小さくなるのではなく、むしろはっきりしてくる。


ベルタスは最後まで核心を言わなかった。


虚空(ヴォイド)の死に際の警告も、途中で途切れた。


そして俺の手の指輪、召喚できる死神の(デスサイズ)、それを見た瞬間に表情を変えるあれらは、どう考えても偶然ではない。


俺たちは厄介事から離れているのではない。


厄介事を一緒に車に乗せて、ブダペストから連れ出しているだけだ。ブダペストの朝の光が、厚いカーテンの縁から無理やり押し入ってきた。鈍いナイフで部屋に切り込みを入れるような、そういう光の差し込み方だ。昨夜の地獄コールセンターへの電話と、虚空(ヴォイド)が死神の(デスサイズ)に吸い尽くされたときの、あの絶望に近い息の音が混ざり合って、頭の中にねっとりした残響を残していた。喉が乾き、肩が張り、右手の虎口には鎌を握りすぎた痺れがまだ残っている。


俺は横になったまま動かず、まず天井を二秒見つめた。


それから、隣から小さくない冷たい鼻息が聞こえた。


「死体より少しだけ早く起きたわね。昼まで寝てるかと思ったわ」


俺は振り返った。


エリザヴェータはとっくに起きていた。それも完全に。窓際の一人がけの椅子に脚を組んで座り、髪は半乾きで、肩に薄い上着を羽織り、昨夜の黒傘をまだ手に持っている。朝の光が横顔に落ちて、陶器のように白い。だがあの目だけは、研ぎたての刃のように鋭く光っていた。


「なんで起きてるんだ」俺は体を起こし、眉間を押さえた。


「誰かが夜中に陽台で煙草を吸い続けて、ハンガリー全土を地獄に燻し込もうとしてたのよ。あれで眠れるほうがおかしい」


「蹴り落とせばよかったじゃないか」


「考えたわよ」彼女はゆっくりと言った。「でもここ、階数が足りない。落としても死なないし、余計に面倒くさくなるだけだから」


俺は笑いかけた。笑いの途中で、右手の中指の指輪が一瞬冷たくなった。


気のせいではない。


金属そのものの温度ではなく、指輪の表面越しに何かが俺を軽く突いたような冷たさだ。一度だけ。それで十分だった。注意を促すような、名前を呼ばれるような感触。


エリザヴェータはその短い停止を見逃さなかった。


視線が滑ってくる。羽毛のように軽く、だが声は軽くない。


「昨夜の電話、何か得るものはあったのかのう?」


「あった」俺は立ち上がり、水を注ぎに行った。「ベルタスがクズだということが、より確実になった」


「それを確認する必要があったの?」彼女は眉を上げた。


「クズにも種類がある。口が悪いだけのクズと、気づかないうちに派閥争いに引きずり込んでくるクズじゃ、性質が違う」


エリザヴェータは俺を見て、唇の端をごく薄く動かした。


「つまり昨夜は旧友との近況報告じゃなく、地獄側との帳合わせをしてたわけね」


俺は冷水を一口飲み、その言葉を受け流した。


彼女も追わなかった。視線を外し、ただ待っている。この女の一番やっかいなところはここだ。本当に聞かないのではなく、待つのが上手い。こちらが耐えきれなくなって、言うべきでないことまで全部吐き出すのを待っている。


今回は吐き出すつもりはなかった。


そのとき、ドアを二度ノックする音がした。軽いが、きちんとしたノックだ。


続いて林雨瞳(リン・ユートン)の声。


周士達(ジョウ・シーダー)、起きてるなら開けて。(シキ)が袋の持ち手を千切りそうになってる」


俺はコップを置き、ドアを開けた。


林雨瞳(リン・ユートン)が先頭に立っていた。顔色はまだ少し白いが、数日前よりずっと回復している。(シキ)は朝食の袋とタブレットを抱えて、本当に持ち手を引きちぎりそうな勢いだった。葉綺安(イェ・キアン)は一番後ろに立ち、表情はいつも通り冷静で、朝起きてまず歯を磨くのではなく今日誰を始末するかリストを作るタイプの顔をしていた。


「まだ生きてたのね、残念」葉綺安(イェ・キアン)が俺を一瞥した。


「おはよう」俺は言った。


「もう朝じゃない」(シキ)は部屋に滑り込み、朝食の袋をテーブルに放った。「それと、今日中にハンガリーを出なきゃいけないかもしれない」


俺がまだ座る前に、エリザヴェータはすでに椅子から立ち上がり、テーブルの端へゆっくり歩み寄っていた。食堂の女主人が厨房を見回るように弁当の箱を一通り眺め、それからひどく嫌そうな顔で一番マシそうなものを一つ取った。


「ホテルのもの?」


「近くで買ってきた」林雨瞳(リン・ユートン)が言った。「ホテルのフロント、今朝から私たちへの目つきがおかしい」


俺は眉をひそめた。


「どんなふうにおかしい?」


(シキ)はタブレットを開き、指を素早く走らせて画面を俺に向けた。


「深夜三時十二分から今朝七時二十分の間に、このホテルの宿泊客データベースが二回照会されてる。出所が違う。一つは公式システムっぽいけど証明書が偽物。もう一つはもっと変で、普通のネット回線に古い内部ネットプロトコルを被せて、特定の名前だけ引っ張ろうとした痕跡がある」


「俺たちの名前?」


「そう」(シキ)は頷いた。「特に周士達(ジョウ・シーダー)、あなたの名前が集中的に」


エリザヴェータが軽く「ほう」と言い、パンを一口齧り、涼しい口調で言った。


「昨夜のあの怪物、死ぬ前にそれなりに後を引いていったようじゃの」


林雨瞳(リン・ユートン)が俺を見た。


「昨夜、何があったの?帰ってきてから肝心なことを何も言わないで、半分だけ片付いた、残りはもっと面倒だとしか言わなかったじゃない」


葉綺安(イェ・キアン)も俺を見ていた。何も言わないが、同じ意味だ。


俺は椅子を引いて腰を下ろし、タブレットをテーブルに置いて、二つの照会記録を数秒見てから、ゆっくり口を開いた。


「簡単に言うと、昨夜仕留めたのは、ただの邪魔者じゃなかった。あいつの後ろには派閥がある」


(シキ)が瞬きした。


「どんな派閥?人間?地下組織?それとも周士達(ジョウ・シーダー)たちの言う……普通の報告書には書けない種類の?」


「最後のやつ」俺は言った。


部屋が少し静かになった。


林雨瞳(リン・ユートン)が先に眉をひそめた。「ベルタスと関係がある?」


俺は顔を上げて彼女を見た。


鋭い。最初からわかっていたことだが。昨夜、陽台で電話をしたとき扉は閉めていたが、隣の部屋の彼女に全く聞こえないはずがない。それに、この数日で彼女はとっくに俺の顔色と声の調子から、話が「陽の側の人間が知りすぎないほうがいい」方向へ傾いているかどうかを読む術を覚えていた。


「まあ、ある」俺は言った。


エリザヴェータが隣でごく小さく笑った。


「その『まあ、ある』って言い方、『たまたま悪魔を一匹仕留めただけ』くらい適当ね」


「今の俺が確認できてるのがここまでだから」俺は顔色を変えない。


彼女は二秒俺を見て、それ以上は崩さなかった。


俺は続けた。「西洋の地獄は一枚岩じゃない。内部に派閥がある。昨夜死んだやつは、どちらかといえば新生派の末端だ。保守派のほうは——」


「ベルタスのところ?」葉綺安(イェ・キアン)が素早く引き取った。


俺は少し間を置いてから頷いた。控えめな頷き方で。


「大体そう」


「大体?」林雨瞳(リン・ユートン)が繰り返した。不満そうな声だ。


「確認できてるのがここまでだと言った」俺は全員を見た。「今大事なのは地獄の組織図を描くことじゃない。どちらの派閥にもハンガリーで足止めされないようにすることだ」


その一言で、部屋の空気が現実へと引き戻された。


(シキ)が一番早く反応し、すぐに地図を引き出した。


「空港は除外」彼女は言いながら、ブダペスト空港のマークを画面上で消した。「パスポートの情報がすでに照会されてるなら、普通の出国ルートには必ず誰かが待ってる。公式じゃなくても、公式を装ったやつが」


「鉄道は?」林雨瞳(リン・ユートン)が聞いた。


「人が多くて視線が散るのは悪くないけど、安全とも言い切れない」葉綺安(イェ・キアン)が引き取った。「相手が書類じゃなく顔を探してるなら、駅のほうが包囲しやすい」


俺はテーブルの地図を見ながら、指先で二度軽く叩いた。


「陸路で行く」


(シキ)が顔を上げた。「オーストリア方向?」


「まずハンガリーを出ることが先だ。方向は二の次。相手に本当にどこへ向かうつもりか読まれないことが大事だ」俺は言った。「それに相手が本当に保守派と新生派に分かれてるなら、今すぐ全面的に動いてくるよりも、まず俺がどちら側なのか確認しようとするはずだ」


エリザヴェータが手元の弁当箱を閉じた。ようやくこの会議に少し興味が出てきたような顔だ。


「つまり今の相手の目から見れば、あなたは持つべきでないものを持ち、新生派のメンバーを仕留め、保守派とも接点がある可能性のある人間ということになるわね」


「嫌な言い方だな」


「嫌じゃなくて正確よ」彼女は俺を見た。細く鋭い目で。「つまり両方から同時に利用されそうな立場、ということ」


林雨瞳(リン・ユートン)の顔色がさらに悪くなった。


「それでベルタスは何を言ったの?」


今度は部屋全体が少し静かになった。


エリザヴェータも声を出さない。ただゆっくりと視線を俺の顔へ移した。二人の女が、一人は直接的に、一人は待ち構えるように、俺を見ている。どちらも誤魔化しが利く相手じゃない。


俺はテーブルのコーヒーを手に取り、一口飲んだ。


苦い。しかも冷めている。


ちょうどいい。


「西洋の地獄が内部で揉めてるのは本当だ、軽率にどちらかに肩入れするな、と言われた」俺はカップを置き、平坦な声で続けた。「それと、新生派は自分たちに大げさな肩書きをつけるのが好きだから、似たようなものに出くわしたら遠慮なく先に仕留めていい、とも」


エリザヴェータが笑いをこらえきれなかった。


「それはあなたが喜びそうな助言ね」


林雨瞳(リン・ユートン)は笑わなかった。


「それだけ?」


俺は彼女を見て、少し笑った。


「他に何がある?『三分で読める西洋悪魔政治入門』でも送ってくれるとでも?」


彼女は眉をひそめたまま、明らかに俺が核心を避けているとわかっていたが、最後は追わなかった。追っても今は綺麗な答えが出てこないとわかっているからだ。


葉綺安(イェ・キアン)がテーブルを軽く叩いて話を戻した。


「決まりね。今日撤退。夜まで引き延ばさない」


「移動手段は?」俺は聞いた。


(シキ)は地図を縮小して、市外の一点を指した。


「夜中のうちに二本のルートを用意しておいた。一本は予約したように見せかけたチャーター車で、空港方向へ走る。追手用の囮。もう一本が私たちが本当に乗る車で、市の東側の修理工場の裏にある。古いけど、ナンバープレートも書類も綺麗」


「誰が運転する?」林雨瞳(リン・ユートン)が聞いた。


「私が最初の区間、市を出たら交代」葉綺安(イェ・キアン)が言った。「周士達(ジョウ・シーダー)は後部座席。なるべく顔を見られないように。エリザヴェータは——」


「わかってる」彼女はだるそうに言った。「見栄えよく座って、誰かが余計なことをしようとしたらもっと見栄えの悪い目に遭わせる担当でしょ」


「そう」葉綺安(イェ・キアン)は珍しく反論しなかった。


計画が固まると、部屋の中の寝起きの混乱が消えた。


それぞれが荷物をまとめ、時間を確認し、記録を消していく。(シキ)は何台かのスマートフォンのシステムを入れ直し、林雨瞳(リン・ユートン)は隣の部屋へ荷物を取りに行き、葉綺安(イェ・キアン)は窓際に立って通りの監視カメラの死角を確認し、正面玄関から裏路地まで何秒かかるか計算していた。エリザヴェータだけは急がなかった。自分の荷物を一つ一つ丁寧にまとめていく——黒い日傘、革の小箱、財布、宝石箱——その動作は逃げているのではなく、気が進まない午後のお茶会に出席するための身支度のように優雅だった。


俺はその様子を横目で見ながら、思わず聞いた。「逃げるときにいつもそんなに荷物を揃えるのか?」


彼女は顔を上げない。


「逃げているのではない。体裁を保っておるのじゃ。まったく別のことよ」


「追いかけてくる相手がいたとして、その宝石箱は刃を防いでくれないぞ」


「違うわ」彼女は宝石箱の留め金を閉じ、静かな声で言った。「本当に必要なとき、ダイヤモンドは車を買えるし、道を買えるし、死体の行方を買えるし、警察官が目を逸らすことすら買える。あなたたち人間は『価値がある』ことと『役に立たない』ことをごっちゃにしすぎよ」


俺は一瞬、返す言葉がなかった。


「どうしたの?」彼女が目を上げた。


「別に」俺は鼻の頭を触った。「ただ、俺より最後まで生き残りそうだと思って」


「突然気づいたわけじゃないでしょ」彼女は淡々と言った。「もとからそうなのよ」


---


三十分後、俺たちは分かれてホテルを出た。


フロントの中年男は、やはりおかしかった。表面上は愛想よく笑っているが、目がずっとこちらへ張り付いている。特に俺がパスポートを出した瞬間、その視線が半秒だけ余計に止まった。普通のフロントが客を見る目じゃない。事前に情報を見ていて、今現物と照合しているような目だ。


俺が口を開く前に、(シキ)が先に一歩踏み出し、流暢すぎるくらい流暢な英語で話しかけた。お湯が不安定だった、防音が悪い、マットレスが固い——三十秒かけてその男の注意を完全に引き剥がした。三十秒で十分だった。葉綺安(イェ・キアン)が横でチェックアウトと保証金を片付け、林雨瞳(リン・ユートン)は自然な動作で俺の半歩前に立ち、その視線を遮断した。


エリザヴェータは最後にフロントの前を通った。


男のほうを見もしない。ただ黒傘の先端を大理石の床に一度コツンと当て、靴音を響かせた。男は何か言いかけて、彼女の目と合った瞬間、なぜかそのまま言葉を飲み込んだ。


裏路地に入ってから、俺は小声で聞いた。「今、あの男に何をした?」


「何もしていないわよ」彼女は何でもないように言った。「ただ、今日は余計なことに首を突っ込まないほうがいいという気持ちに、ちょっとなってもらっただけ」


「吸血鬼流の接客指導か?」


「そう理解してくれていい」


裏路地は狭く、壁には昨夜の雨が乾いた灰色の跡が残っていた。遠くで車のドアが開いて閉まる音がした。(シキ)が先に頭を出して確認し、俺たちに合図を送る。


車がある。


俺たちは早足で乗り込み、ドアを閉めた。


エンジンがかかった瞬間、俺は反射的に振り返ってホテルの方向を見た。


ブダペストの空は灰白色だった。洗い切れていないネガフィルムのような色。昨夜、あの都市の地下に隠れていた本当の顔を俺はもう見た。今はまた何事もなかったように全部蓋をして、知らん顔をしている。


だが俺にはわかっている。何もなかったのではない。


誰かが俺のことを覚え始めた。


車は路地を出て、朝の車の流れへ合流した。林雨瞳(リン・ユートン)が斜め前の座席から、バックミラー越しに俺を一瞥した。何か言いかけて、やめた。葉綺安(イェ・キアン)は前だけ見ている。(シキ)はタブレットで位置情報とリアルタイムの交通状況を確認しながら、市外へのルートを調整し続けている。エリザヴェータは俺の隣に座り、黒傘を膝の上に横たえ、まるで撤退ではなく少しマシなホテルへ移るだけのような姿勢で、悠然としていた。


橋を渡るとき、指輪がまた冷たくなった。


今度はエリザヴェータも感じたらしい。


彼女は首を傾け、俺だけに聞こえる声で言った。


「まだ見られてるわよ」


俺は窓の外に流れていくドナウ川を見ながら、低く言った。


「わかってる」


「保守派?」


「わからない」


「新生派?」


「それもわからない」


彼女は二秒黙ってから、軽く笑った。


「それはいいわね。つまり両方を同時に怒らせたということでしょ」


「慰めてくれてありがとう」


「どういたしまして」彼女は頭をシートの背へ戻し、目を半分閉じた。だるそうな声で続ける。「あなたみたいな人間は、もとから誰かの決めたルールの中でおとなしく生きていけるようには見えないもの」


俺は何も言わなかった。


その言葉が、腹の立つことに、わりと当たっていたから。


市街地を抜けると、建物が低くなり、街並みが薄くなり、ハンガリーの朝の、湿気を帯びた平原の風景がゆっくりと広がっていった。見た目は穏やかで、退屈なくらいだ。だが胸の中の違和感は、街から遠ざかるほど小さくなるのではなく、むしろはっきりしてくる。


ベルタスは最後まで核心を言わなかった。


虚空(ヴォイド)の死に際の警告も、途中で途切れた。


そして俺の手の指輪、召喚できる死神の(デスサイズ)、それを見た瞬間に表情を変えるあれらは、どう考えても偶然ではない。


俺たちは厄介事から離れているのではない。


厄介事を一緒に車に乗せて、ブダペストから連れ出しているだけだ。


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