第1話 赤のダリア
月の明るい夜だった。
街道の両側には黒い森が続き、雲の少ない空から白い月光が落ちている。足元を見るには困らないし、風も涼しい。
悪くない夜ですわね。
これでもう少し、退屈でなければ。
「もう少し近いと聞いておりましたのに」
肩にかかった淡い栗色の髪を指先で払い、あくびを噛み殺す。
次の町、カレドまではまだ少しかかりそうだった。昼のうちに着くつもりでしたのに、途中で道を一本間違えてしまった。すぐ気づいたから大した遠回りではないけれど、おかげですっかり夜だ。
一人歩きは危険だ、と忠告してくださった方もいた。
けれど、この程度の夜道で何を怖がれというのだろう。今のところ、危険より退屈のほうがよほど手強い。
月はきれいで、風も心地よい。道だって歩きやすい。
それに――月光は赤い上着にもよく映えている。
ちらりと袖へ目を落とす。
悪くない。いえ、かなりいい。
せっかくなら誰か一人くらい、この姿を目にする者がいてもよさそうなのに。
「せめて何か――」
茂みが揺れた。
言葉を止め、そちらへ目を向ける。
前方に三人、後ろから二人。さらに左右の森から一人ずつ。
七人。
街道を囲むように現れた男たちを眺めているうちに、自然と口元が緩んだ。
これは少しくらい期待してもよいかもしれない。
「止まりな」
先頭の大柄な男が、幅広の剣を肩へ担いだ。薄汚れた革鎧に伸び放題の髭、左の頬には大きな傷まである。
見た目だけなら、それなりだ。
「こんな夜中に一人旅とは不用心だな、お嬢さん」
「まあ。ご親切にありがとうございます」
「へへっ。礼ならあとでゆっくり聞いてやるよ」
男たちが下卑た笑い声を上げた。
一人が松明を掲げる。橙色の火がわたくしを照らした途端、何人かの視線が露骨にこちらへ集まった。
「おいおい、こりゃ当たりだぞ」
「えらい上玉じゃねえか。赤い服なんか着やがって、目立つ女だな」
そこについては異論がない。
見る目くらいは持っているらしい。
わたくしが美しいことなど、今さら他人に教えていただくまでもないけれど、正しく評価されること自体は悪い気分ではない。
少しだけ顎を上げる。
「顔だけじゃねえぞ。いい身体してやがる」
前言撤回。
眉がぴくりと動いた。
見る目はあっても、品性までは持ち合わせていないらしい。
男の視線が胸元から腰へ落ち、そこでようやく止まる。
腰には一本の剣。黒い鞘の中央には深紅の飾り帯が一本走り、銀の鍔には花弁を思わせる意匠が入っている。
ようやくそこへ気づいたかと思えば、それでも男の笑みは消えなかった。
期待が少ししぼむ。
美しい女性に目を奪われるのは仕方がないとしても、腰の剣くらいはもう少し気にしていただきたい。
「お金だけでよろしいのでは?」
「そうはいかねえなあ。女一人でこんなところ歩いてるほうが悪いんだよ」
「そういうものですの?」
七人を順に見回す。
一応、前後左右を塞ぐようには立っている。人数だけなら悪くない。
「それにしても、女性一人を相手に七人とは。ずいぶん慎重な方々ですこと」
笑い声が止まり、大柄な男の眉間に深い皺が寄った。
「……何だと?」
「感心しておりますの。ご自分たちがそれほど弱いと、きちんと理解していらっしゃるのでしょう?」
腰の剣へ手を添え、にこりと笑う。
男のこめかみが引きつった。
あら。怒った。
「この女……!」
「ですが、七人で足ります?」
「舐めるな!」
一人が飛び出した。
剣を振り上げ、真正面から駆けてくる。勇ましい顔だったので、ほんの一瞬だけ期待した。
「おっそ」
「な――」
半歩だけ横へずれる。
振り下ろされた剣が空を切って土を叩いた。その脇をすり抜けざまに剣を抜き、革鎧の脇腹を浅く斬り払う。
「ぐあっ!」
男は勢いのまま地面へ転がった。
あまりにあっけなく、剣先を下げたまま瞬きをする。
思っていたより、ずっと早く終わってしまった。
――いえ。わたくしが早すぎるのかもしれない。
そう考えると、少しだけ気分が戻った。
「てめえ! 二人で行け、挟め!」
今度は左右から二人が飛び込んでくる。
一人目の剣を受け流し、その勢いを利用して身体を入れ替える。もう一人が振った刃は、わたくしではなく仲間の剣へぶつかった。
甲高い音が夜道へ響く。
「馬鹿! 邪魔すんな!」
「お前が入ってきたんだろ!」
二人は顔を突き合わせて怒鳴り合い始めた。
剣を構えたまま少し待つ。
まだ言い合っている。
「……続けてもよろしくて?」
二人が同時に振り返った。
「誰のせいだと思ってやがる!」
「少なくとも、わたくしではありませんわね」
呆れながら踏み込み、二人まとめて斬り伏せる。
これで残り四人。
七人現れたときには、もう少し長く楽しめると思ったのだけれど。
「弓だ! 射て!」
森際にいた男が慌てて弓を構えた。
わたくしの視線もそちらへ向く。少しだけ気分が上向いた。
近づく必要のない相手は嫌いではない。剣とは違う楽しみ方もある。
弦が鳴り、矢が飛ぶ。
首を少し傾けた。
矢は肩からずいぶん離れたところを通り過ぎ、そのまま背後の木へ突き刺さる。
弓の男と目が合った。
男の頬が引きつる。
「風だ!」
わたくしは髪先をつまみ、しばらく眺めた。
揺れていない。
「無風ですわよ」
「うるせえ!」
男が顔を赤くして二本目をつがえ始めた。
今度こそ当たるかもしれない。そう思ってその場で待っていると、弓を引こうとしていた男の手が止まる。
「……なんで待ってんだよ!」
「準備中に斬るのも申し訳ないかと思いまして」
「馬鹿にしてんのか!」
「ええ、まあ」
素直に認めると、なぜか男のほうが傷ついた顔をした。
怒ったせいか、弓を引く腕には余計な力まで入っている。
これはさらに外れそうですわね。
そう思ったところで、背後から土を踏む音がした。
一人が、弓へ気を取られている隙に回り込んだらしい。
視線だけをわずかに横へ向ける。
これは悪くない。
口元に笑みが浮かんだ。
背後から剣が迫り、それと同時に弦が鳴る。
身体をひねって矢をかわし、そのまま振り返って剣を受ける。刃と刃がぶつかり、火花が散った。
「なっ――」
驚きに目を見開く男へ、小さく頷く。
「今のはよかったですわ」
男の顔が一瞬だけ明るくなった。
「ほ、本当か?」
「ええ。少しだけ」
剣を弾き上げ、そのまま返す刃で肩口を浅く裂く。
男は納得のいかない顔のまま地面へ崩れた。
なぜ褒められたあとなら斬られないと思ったのだろう。ずいぶん素直な方ですこと。
視線を戻すと、弓の男はすでに逃げ始めていた。
「あら」
「来るな!」
弓まで放り捨て、森へ駆け込んでいく。
追う気にはならなかった。逃げ姿にまで品がない。
「先ほどまで、ずいぶん威勢がよろしかったのに」
「うるせえ!」
森の奥から声だけ返ってきた。
耳だけはいいらしい。
残った二人へ向き直る。一人は短剣を持った男、もう一人は最初に話しかけてきた大男だった。
「な、なんなんだよ、お前……」
短剣の男は腰を引き、わたくしと逃げ道を交互に見ている。
「旅人ですわ」
「こんな旅人がいるか!」
「ここにおりますけれど」
男は口を開きかけ、そのまま固まった。
どうも意味が違ったらしい。
「頭! こいつ無理だって!」
「う、うるせえ! 七人もいて女一人に負けたなんて言えるか!」
「もう負けておりますわよ」
「黙れ!」
事実を指摘しただけなのに。
短剣の男はわたくしと大男を何度か見比べたあと、何かを決意したように大きく頷いた。
「頭、あと頼んだ!」
深々と頭を下げ、そのまま駆け出す。
「おい!」
大男が慌てて手を伸ばしたが、もちろん届かない。
なかなか見事な決断力だ。戦いにもそれくらい思い切りがあれば、もう少し楽しめたかもしれない。
「……部下には恵まれていないようですわね」
「誰のせいだ!」
「わたくしでしょうか?」
「お前以外に誰がいる!」
大男は幅広の剣を両手で構え直した。
最初に肩へ担いでいたときには、もう少し大きく見えた剣が、今は不思議なくらい小さく見える。
よく見れば、握っている両手もわずかに震えていた。
「ば、化け物め……」
思わず眉を上げる。
「化け物? 目の前にこれほど美しい女性が立っているというのに、出てくる感想がそれですの?」
「そうだよ! こんな女がいるか!」
まったく。
剣の腕だけでなく、美的感覚まで絶望的らしい。
小さく息を吐き、髪を肩の後ろへ払う。
「せめて、美しい化け物とおっしゃいなさい」
「そこなのか!?」
「大事なところですわ」
「化け物はいいのかよ!」
「よくはありませんけれど、あなたに一から礼儀を教えるほど暇でもありませんの」
少し前まで暇だった気もするけれど、今はもう違う。
早く町へ行きたい。
「それでは、ごきげんよう」
剣を下げて踵を返すと、背後から大男の怒鳴り声が飛んできた。
「待て! 逃げる気か!」
足を止め、肩越しに振り返る。
大男は剣を構えたまま、なぜか少し勝ち誇った顔をしていた。
どういう計算をすれば、今の状況からそこへ辿り着けるのだろう。
わたくしは笑みを崩さず、ほんの少し首を傾げた。
「逃げる? あなたから?」
大男の顔が固まる。
「ち、違うっていうのか!」
「ええ。もう終わったと思っただけですの」
そう告げると、男の口元がぴくりと引きつった。
親切にも終わりにして差し上げようとしたのに、まだ続けたいらしい。
ならば仕方がない。
「上等だ! 俺が直々に――」
最後まで聞く必要もなかった。
一気に間合いを詰める。
「え」
男の目が丸くなった。
幅広の剣を横から弾き飛ばし、返す刃で肩口を斬り払う。
「ぐっ……!」
剣が地面へ落ち、大男も二歩ほどよろめいてそのまま膝をついた。
わたくしは剣を軽く振り、男を見下ろす。
「……だから帰ろうとしましたのに」
静けさが戻った。
木々が風に揺れ、月明かりが街道を白く照らしている。
七人もいたうえ、見た目だけなら怖そうな頭領までいた。それなのに、誰一人まともに楽しませてくれなかった。
「期待したわたくしが馬鹿でしたわね」
剣についた血を振り払い、鞘へ戻そうとして手を止める。
刃を月明かりへかざし、傷がないか確かめた。
問題なし。それならまあ、よしとしましょう。
剣を鞘へ納め、倒れている男たちの顔を順番に確かめていく。
一人目は知らない。二人目も見覚えなし。三人目も同じ。
確認するたび、少しずつ肩が落ちていった。
いくつか懐も探ってみたけれど、出てくるのは銅貨と酒の入った革袋程度。名のある一味だと分かるようなものは何もない。
最後に、大男の前へしゃがみ込む。
顔を覗き込み、記憶の中の手配書と照らし合わせた。
「……残念ですわね」
「な、何がだよ」
「あなたのお顔、手配書で見た覚えがありませんの」
「は?」
今日一番深いため息が出る。
「こんな雑魚では、懸賞金もかかっていそうにありませんわね」
「ざ、雑魚……」
「違いまして?」
男は口を開いたものの、結局何も言わなかった。
否定できないらしい。
「次に旅人を襲うのでしたら、もう少し腕を磨いてからになさいな」
「二度とやるか……」
「あら。それが一番ですわね」
ようやく賢明な言葉を聞けた。
立ち上がり、服についた土を軽く払う。
赤い上着にも傷はない。
うん。こちらも問題なし。
これでようやく気兼ねなく町へ行ける。
街道の先へ目を向けた。
森の切れ目、その向こうに小さな灯りがいくつも集まっている。
カレド。
あれが次の町だ。
さっきまでは、ただ今夜泊まるための場所でしかなかった。けれど今は、あそこにいる誰か一人くらいは、この物足りなさを忘れさせてくれるのではないかと思えてくる。
賞金首でもいい。腕の立つ相手でもいい。
何なら、少しくらい変わった人間でも構わない。
「カレド、ですか」
名前を口にしてみる。
悪くない響きだ。
髪を肩の後ろへ払い、背筋を伸ばして町の灯りへ向き直った。
「今度こそ、わたくしに相応しい面白いことがありますように」
まあ、これほど美しい旅人が訪れるのだ。
何も起きない町のほうが、どうかしている。
月明かりの下、わたくしはカレドへ向かって歩き出した。
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