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暮らしのはじまり

新しい街での暮らしは、

思っていたよりも静かに始まった。


知らない場所。知らない人たち。

それでも、ひとつずつ触れていくうちに、

少しずつ輪郭を持ちはじめる。


住む場所を決めて、

隣人と言葉を交わして、

当たり前の毎日を整えていく。

昼の街はすっかり動き出し、通りには人の流れができている。

商人の呼び声、荷車の軋む音、どこかで笑い声も聞こえた。


セナはきょろきょろと辺りを見回しながら、ナナの手をしっかり握っている。


「人、いっぱい」


「そうね。ここは街の中心に近いから」


「迷うなよ」


アルスが揶揄うように言うと、セナはむっとした顔をした。


「迷わないもん」


「さっきも店の出口、分からなくなってただろ」


「……あれはちがう」


言い返しながらも、手を離さないあたりが可笑しくて、ナナは小さく笑った。



通りを進むにつれて、建物の雰囲気が少しずつ変わっていく。

露店が並ぶ賑やかな一角を抜けると、より大きな建物が目立つ区域に出た。


その中でもひときわ人の出入りが多い建物がある。


「ここが物流の要、商業ギルドだよ」


アルスが指し示す。


広い入口からは絶えず人が出入りし、荷を抱えた商人や、帳簿を持った職員が忙しなく行き交っていた。

その隣には大きな倉庫が並び、荷車がひっきりなしに出入りしている。


「……すごい」


ナナは思わず呟いた。


「思ってたより大きいわね」


「この街の中心みたいなものだからね」



中に入ると、外以上の活気が押し寄せてくる。


カウンターには列ができ、あちこちでやり取りの声が飛び交っていた。

紙の擦れる音、硬貨の触れ合う音、誰かが呼ぶ声。


セナは少し驚いたようにナナの後ろに半歩隠れる。


「大丈夫よ」


軽く肩に手を置くと、セナはこくりと頷いた。


「まずは登録だな」


アルスは慣れた様子で受付の方へと歩き出す。


ナナもその後に続きながら、もう一度周囲を見回した。


忙しそうに動く人々。

整然と並ぶカウンター。

そして、この街で生きていく人たちの空気。


(ここで、やっていくのね)


小さく息を吸い、ナナは前を向いた。


「次の方」


落ち着いた受付の声が響く。


アルスが軽く振り返る。


「行こう」


「ええ」


ナナは頷き、カウンターへと歩み出た。



「本日はどのようなご用件でしょうか」


声をかけてきたのは、糸目に細縁の眼鏡をかけた男性だった。

柔らかな物腰だが、どこか隙のない雰囲気を纏っている。


「この子の新規登録をしたい」


アルスが、ナナを示しながら簡潔に告げる。


「かしこまりました」


男は軽く頷くと、ナナへ視線を向けた。


「ようこそ商業ギルドへ。私はリオルドと申します」


穏やかな声。

だがその視線は、相手をよく観察しているのが分かる。


「ナナです。よろしくお願いします」


「こちらこそ」


短いやり取りの中で、ナナはほんのわずかに感じ取る。


(……胡散臭そうな見た目なのに、すごく丁寧)


「では登録の手続きをご案内いたします」


リオルドは慣れた手つきで書類を取り出した。


「お名前、年齢、ご職業を」


「ナナ、二十五歳。薬師です」


「薬師、ですか」


わずかに、リオルドの目が細くなる。


「素材の加工、販売を目的とした登録でよろしいですか?」


「はい」


「かしこまりました」


さらさらとペンが走る。


無駄がない。

だが急かされるような感覚もない。


「この街での拠点はお決まりですか?」


「いえ、まだ」


ナナが答えると、リオルドは一瞬だけ考えるように視線を落とした。


「でしたら、住居の手配も可能です。不動産担当へお繋ぎできますが」


「お願いできますか?」


「もちろんです」


迷いのない返答。


アルスが横で小さく頷いた。



「登録自体は本日中に完了いたします。会員証は後ほどお渡しできます」


「ありがとうございます」


「それと——」


リオルドは一瞬だけ言葉を区切る。


「薬師ということですので、納品に関しても後日ご案内できます。品質や価格については規定がございますので」


「はい」


「分からないことがあれば、遠慮なくお尋ねください」


柔らかな笑み。

だがその裏に、確かな実務能力が感じられる。



手続きを終え、カウンターを離れようとしたところで——


「少々お待ちください」


リオルドの声に、ナナは足を止めた。


「本日のお宿はお決まりでしょうか」


「いえ、まだです」


「でしたら、いくつかご紹介できます」


間を置かずに出てくる提案。


「治安が良く、食事の評判も安定している宿を優先してご案内可能です」


ナナは一瞬だけアルスを見る。


アルスは軽く頷いた。


「頼んでいいと思うよ」


「では」


リオルドは迷いなく紙にいくつかの名前を書き出していく。


「こちらの宿であれば、短期滞在にも向いております。商業ギルドからも近く、明日以降の手続きにも便利かと」


差し出された紙を受け取り、ナナは目を通す。


立地、価格帯、簡単な特徴まで書かれている。


(……細かい)


「ありがとうございます」


「いえ。初めての街では不安も多いかと思いますので」


「明日は住居の内見をご希望とのことでしたので、不動産担当には話を通しておきます。時間はこちらから指定してもよろしいですか?」


「お願いします」


「では、午前に。詳細は宿の方へ伝言としてお伝えいたします」


「本日はこちらの宿でゆっくりお休みください」



教えられた宿は、商業ギルドからそう離れていない場所にあった。


通りから少し入った静かな立地で、外観も落ち着いている。


「ここだね」


アルスが看板を見上げる。


中に入ると、外の喧騒が嘘のように静かだった。


「いらっしゃいませ」


「商業ギルドから紹介していただいて——」


「ああ、リオルドさんからですね。お話は伺っています」



案内されたのは、それぞれ別の部屋だった。


「こちらがナナ様とお子様のお部屋、そしてあちらが同行者様のお部屋になります」


「ありがとうございます」


アルスは軽く手を挙げて、自分の部屋へと向かった。



部屋は清潔で、必要なものがきちんと揃っていた。


窓からは穏やかな光が入り、落ち着いた空間になっている。


「ここでねるの?」


「そうよ」


「やった」


素直に喜ぶセナの姿に、ナナは少しだけ肩の力を抜いた。


(……なんとか、やっていけそう)


知らない街。

初めての場所。


それでも——


少しずつ、居場所が形になっていく。


その感覚を、ナナは静かに噛みしめていた。



翌朝。


身支度を整え、三人は商業ギルドへ向かう。


入口には不動産担当の男性が待っていた。


「本日ご案内を担当いたします」


簡単な挨拶を交わし、内見へと向かう。



いくつか物件を見て回る。


表通りに近い店舗付きの家、少し奥まった静かな建物——

どれも悪くはないが、今のナナには少し違った。


「住居のみで、落ち着いて生活できる場所を探しています」


そう伝えると、担当者は一軒の家へ案内した。


住宅街の一角にある、小さな家。


二部屋と居間のある、こぢんまりとした造りだった。


扉を開けると、やわらかな光と穏やかな空気が流れる。


「……ここにします」


迷いはなかった。


セナもナナの服を引きながら、小さく言う。


「ここ、好き」


アルスも軽く頷いた。


「いいじゃん」



商業ギルドへ戻り、契約を済ませる。


必要な確認を一つずつ終え、ナナは書類に名前を書いた。


これで、この街での拠点が決まった。



商店街で必要な物を揃え、新しい家へ向かう。


アルスが荷物を持ち、セナは楽しそうに周囲を見回している。


鍵を開け、扉を押す。


まだ何もない空間。


「ここが、これからの家ね」


静かな声でナナが言う。


荷物を運び込み、簡単に整える。


少しずつ、生活の形が見えてくる。



ひと段落したところで、ナナはアルスとセナに声をかけた。


「近所に、挨拶に行きましょうか」


「そうだね」


「わかった!」


隣の家へ向かい、扉を叩くと、中から女性が顔を出した。


「はい?」


「隣に越してきました、ナナと申します」


軽く頭を下げる。


「こちらは息子のセナです」


「セナです」


ぺこりと頭を下げるセナ。


女性はナナとセナを順番に見た後、ナナの後ろにいるアルスに視線を向けた。


「俺はアルスだ」


フードを下ろしながらアルスが挨拶をすると、女性は一瞬驚いて三人をそれぞれ見まわした。


そしてぎこちない笑顔で、


「ハンナよ。よろしくね」


と簡潔に挨拶した。


その時、ハンナの後ろから子どもたちが顔を出す。


「新しい子?」


「遊ぼう!」


セナはナナを見上げる。


「行っていい?」


ナナはハンナに目を向け、ハンナが仕方ないという表情をしているのを見て言った。


「いいわよ。ただし、この広場だけにしてね。お母さんたちは、まだ挨拶してないお家に回るから、目の届くところにいてね」


「うん!」


嬉しそうに駆けていく背中を見送りながら、ナナは小さく息を吐いた。


ハンナに顔を向けると、同じように息をついていた。


「ふふっ、改めて。私はハンナよ。さっき出て行った子たちの母親」


「あんたの子を引っ張って行った元気な方がレオで、その後ろについて行ったのがリク。丁度、同じ年頃じゃないかい?」


と、今度は自然な笑顔で紹介してくれた。


「ところで、あんたたちどこからきたんだい?エルフの旦那なんて珍しいねぇ」


「私たちは昨日この街に来たんです。森の方から」


「アルスは……旦那じゃなくて、同郷の冒険者で、まあ、家族みたいなものです」


「ここにくる時に、護衛としてついてきてくれたんです」


「そうなのかい?もったいないねえ、美男美女なのに」


すっかり受け入れてくれた様子のハンナの言葉に、嬉しいような困ったような。


隣のアルスを見上げると同じような表情をしていて。


「いい場所だな」


「ええ」


静かな住宅街。

穏やかな空気。


(……ここなら、大丈夫)


ナナはそう思った。


この街での生活が、ゆっくりと動き出していく。


新しい生活は、思っていたよりも静かに始まった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


新しい街での暮らしは、

思っていたよりも静かに、でも確かに始まりました。


少しずつできていく居場所や、

人とのつながり。


その積み重ねが、これからの時間を作っていきます。


次は、その日常の中で起こる変化と、

少しだけさみしいお話になります。


よければ、続きもお付き合いください。

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