5話 偽りの追想と本物の思い出
「参ったなあ。こんなに早く気が付かれるだなんて。やっぱり双子ってのは厄介だな」
自分の正体を真っ先に見抜いたカイトとカンナを、薄笑いを浮かべながら牽制する。その口調は、先ほどまでのヒナのたどたどしさは消え失せ、酷く大人びていて、それでいて他人を逆なでするような響きを含んでいた。
「さて……どうしたものかな。君たち、ちょっと不味いことしちゃったからなあ。どうしてくれようか?」
ヒナの姿をした「ナニカ」は、不気味に釣り上がった笑みのまま、問いかけるように首を傾げた。その底知れない異様さに気圧され、全員が言葉を失い、ただじりじりと後ずさる。
「ヒナ……ちゃんなのか……? 本当に……」
マコトが、縋るような、それでいて絶望に震える声で呟いた。
「おや、『ヒナ』に見えない?」
今までの邪悪な嘲笑とは打って変わり、今度は心底不思議そうにキョトンとして見せる。その表情の作り方さえも、どこか演技じみていて鼻につく。
「意味分かんねえこと言ってんじゃねえ!!」
沈黙を破ったのはヒロキだった。怒声と共に一歩詰め寄る。
「テメエ、ヒナちゃんじゃねえんだろ!? だったら誰なんだよ!! 姿を現せよ!!」
般若のような恐ろしい形相で迫るヒロキだったが、目の前の「モノ」は動じない。それどころか、ヒロキの怒りなど子猫のじゃれつきだとでも言いたげな態度で、フン、と鼻で笑った。
「君たちの言う『ヒナ』って、一体誰のことなのかな?」
その言葉を合図に、偽物のヒナが動いた。
左腕を顔の前にかざすと、白い袖のような衣が翻り、一瞬で顔を覆い隠す。そのまま腕を上へ振り上げると、ヒナの輪郭が陽炎のように揺らぎ、その姿を劇的に変貌させた。
カラスのように濡れた黒髪が、腰の下まで長く伸びてなびく。前髪は眉の上で一直線に切り揃えられ、透き通るような額が露わになった。
クリクリとしていたヒナの瞳は、鋭く切れ上がった狐のようなツリ目へと変わり、その奥で真紅の光が怪しく明滅している。瞳孔は猫のように縦長く裂け、獲物を狙う獣の冷徹さを宿していた。
衣服も、いつの間にか白いワンピースから、巫女が纏うような白衣に紫の袴を合わせた姿へと変わっている。
見た目は自分たちと同年代の子供のように見える。端正な顔立ちではあるが、少年とも少女ともつかない中性的な美しさを湛えていた。
「お前……何者なんだ……?」
「僕は狐だ。でもただの野良狐と一緒にしてほしくないな。宇迦之御魂さまと荼吉尼天さまにお仕えする『白狐』の一柱さ!」
「……つまり、神様の眷属だってことか?」
「左様!」
誇らしげに胸を張る人型の狐は、この状況を楽しんでいるようだった。
「その狐が……どうしてこんな酷いことをするんだ……?」
「おい、獣みたいな呼び方はよしてくれ! 僕はこれでも、主さま方が授けてくださった『カズラ』という立派な名があるんだ!」
ヒロキが「狐」と呼んだことにカズラは激昂し、ツリ目をさらに釣り上げて憤慨してみせる。感情の起伏が激しく、どこか子供じみた残酷さを感じさせた。
「理由なんて知ってどうするの? 狐は人を化かしてなんぼだろ。君たちはただ、狐に化かされた。それ以上の何があるっていうんだい?」
「だったら、ヒナに化けた理由は何だよ!! 本物のヒナはどこに隠した!!」
カイトが怒りを抑えきれずに詰め寄る。カズラはやれやれと大げさに肩をすくめ、嘲笑を含んだ声で語りだした。
「本当のことを知ってどうする? 君たちはこのまま僕に化かされ続けて、心地よい夢の中で一生を終えた方が、よっぽど幸せだったかもしれないんだよ?」
「いいから、本当のことを言えよ!!」
「……仕方ないなあ。そんなに知りたいっていうなら、本当のことを教えてあげる」
カズラは、カイトたちに向かって両手を翳した。そして、視界が暗転する。
*
「八年前、『ヒナ』という名前の少女は、確かに存在した。勘の鋭かった彼女は、この境内で僕と出会ったんだ。君たちも一緒にいたはずだよ。……覚えていないかい?」
カズラの声が、鼓膜をなでるように響く。
「だが、僕の姿を見ることができたのはヒナだけだった。君たちには見えなかったから、彼女の言葉を信じなかった。僕を指差すヒナをからかい、小馬鹿にした。『そんなに言うなら捕まえてみろよ』なんていう君たちの言葉を、彼女は本気にしちゃったんだ。僕を捕まえようと、必死に追いかけてきたよ」
カズラは楽しそうに、目を細めた。
「姿を隠してやり過ごすこともできたけど、僕を見ることができる人間が珍しくてね、つい追いかけっこに付き合ってあげたんだ。……そしたら、さ」
ふっとカズラの表情から温度が消え、無機質な声が落ちる。
「ヒナは、井戸の縁に飛び乗った僕を捕まえようとして──そのまま、井戸の底へ落ちて死んでしまったんだよ……」
(そうだ……。思い出した……!)
カズラの両手から流れ込んでくる情景に、闇の奥に封じ込めていた記憶が、鮮明な映像となって溢れ出した。
『あっちに白い狐がいたの! 本当だよ!』
必死に指差すヒナの先に、狐なんて一匹もいなかった。
『何言ってんだよ、見間違いだろ?』
『どこにもいねーじゃん』
『ほら、あそこだってば! 木の根っこのところ!』
『いねえって! ヒナ、嘘つきだなー』
『嘘じゃないもん! ほんとに、ほんとだもん!』
『そんなに言うなら捕まえてこいよ!』
面白半分で言った言葉だった。
ヒナはリスのように頬を膨らませて怒ると、そのまま「見てなさいよ!」と駆け出していった。
境内を必死に走り回るヒナが可笑しくて、俺たちは笑いながら囃し立てた。顔を真っ赤にして憤るヒナが可愛くて、さらに煽ったんだ。
そして───。
ヒナは古びた井戸の縁によじ登り、ツルリと足を滑らせた。
吸い込まれるように、小さな体が闇の中へ消えていく。
『……ヒナが、落ちた!?』
『どうしよう、ヒナ!』
『うわあああん! ヒナぁ!!』
狂ったような叫び声を聞きつけ、真っ青な顔の神主が走ってきた。すぐに消防や警察が呼ばれ、夜通しの救助活動が始まった。枯れ井戸で水こそなかったが、あまりに深く狭い穴が救出を阻み、彼女が引き上げられたのは翌日のことだった。
──ヒナは、落ちた衝撃で頭を強く打っており、助からなかった。
自分たちが彼女を死なせた。そのあまりの重罪感に耐えきれず、葬儀の後、僕たちはふらふらとこの神社へやって来て……。
『ヒナを生き返らせて!! お願い、神様……!!』
泣きじゃくりながら、縋るようにそう願ったんだ。
*
「思い出せた?」
カズラが楽しそうに顔を覗き込んできた。その薄ら笑いを浮かべた問いかけも、今のカイトには届かない。唐突に突きつけられた「ヒナの死」という真実が、鋭い氷の楔のように脳に突き刺さっていた。
全身に冷たい氷水を浴びせられたような、凄まじい衝撃。
「死んだ……? ヒナが……?」
カイトの視界がぐにゃりと歪む。
さっきまでそこにいたはずの幼馴染。一緒に笑い、共に悩み、この不気味な神社から肩を並べて帰るはずだった少女。その温もりさえも、実は八年も前に失われていたという事実。
脳が理解を拒絶し、心臓が早鐘を打つ。足元のアスファルトが底なしの沼に変わったかのように、自分たちが立っている「現在」という足場が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
一度決壊した記憶のダムからは、濁流のように過去が溢れ出していく。
そうだ。ヒナが事故に遭ったあの古井戸は、二度と悲劇が起きないよう重い蓋で塞がれ、立ち入り禁止のフェンスに囲まれたのだ。
やがて誰も近寄らなくなったことで、井戸の周囲は荒れ果てていった。夏には鬱蒼とした雑草が茂り、フェンスには蔦が絡まり、冬になっても枯れ草が残骸となってその姿を隠し続けていた。
井戸が「消えていた」のではない。
忌まわしい記憶と共に、ただ「見えなくなっていた」だけなのだ。
井戸の中を覗き込んだ時に感じたあの既視感は、ヒナというかけがえのない存在を永遠に失った、あの日の絶望そのものだった。
時が止まったままの、マヨイガの社。
八年前から一歩も進んでいなかった真実に、彼らはようやく辿り着いてしまった。
次回5月10日更新です。




