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4話 集いし記憶、剥がれる貌(かお)

 ヒロキが霧を抜けると、そこは先程まで閉じ込められていた境内だった。


(何だよ……。あんな過去を見せて、ここに閉じ込めるための方便だったのかよ……!)


 まんまと騙されたと悟ったヒロキは、腹の底から一気に苛立ちが込み上げてきた。


「クソッ!!」


 近くにあったゴミ箱を、力の限り蹴り上げた。ガランッ! と大きな音を立ててアスファルトの上を転がるゴミ箱。中に捨てられていた飲みかけの缶やクズが、派手にぶち撒けられた。


「ヒロキ!?」


 井戸の近くに集まっていた三人が、カンナの叫び声を合図に一斉にヒロキの方を向いた。


「良かった……。無事だったんだな」


 三人は駆け寄って、ヒロキの姿を確認すると心底安堵した表情を見せた。


「どうやって戻ってこれたんだ? 霧の向こうはどうなってた?」

「……別に、何もねえよ。ただ真っ白で視界が悪い中、がむしゃらに走り回ってたら、ここに戻ってきただけだ」


 霧の中での出来事を話す気にはなれなかった。あの一番触れられたくない、自分の中のもろい部分。それを彼らに晒すことは、ヒロキのプライドがどうしても許さなかった。

 カンナはその場にしゃがみ込むと、ヒロキが蹴飛ばしたゴミ箱を無言で立て直し、散乱したゴミを一つひとつ拾い集め始めた。


「突然物が倒れたり、本当におかしなことばかり起こるな……」


 カンナが不安げに呟くと、カイトとマコトも神妙な顔で同意した。どうやらゴミ箱が転がったのは、ヒロキが蹴ったのではなく、怪奇現象の類だと勘違いしているようだった。それに少し安堵して、ヒロキもバツが悪そうに黙ってゴミを片付ける。


「……そっちでも、何かあったのか?」


 恐る恐る、自分が離れていた間のことを問いかけた。


「実は、ヒナがいなくなったんだ……」

「ええっ!?」


 自分がいない間に、さらにもう一人の行方が分からなくなったという事実に驚き、ヒロキは目の前の三人に目くじらを立てた。


「何でヒナちゃんがいなくなってんだよ!!」

「お前だって、勝手にいなくなっただろ!?」


 カイトが食ってかかる。


「その反応だと、ヒナとは会ってないんだな?」


 冷静な声でカンナが問いかけると、ヒロキは大人しく頷くしかなかった。


「ヒナがいなくなったことだけじゃないんだ。掲示板に変なポスターが貼ってあったり……」

「古い井戸が突然現れたりな……」

「それに、子どもの声で名前を呼ばれたんだよ」

「子どもの声?」


 ヒロキの脳裏に、霧の中で耳にしたあの声が蘇る。


「そっちでもか?」

「じゃあ、ヒロキもなの?」

「ああ。霧の中で迷っていたら、たしかに子どもの声に呼ばれたんだ」


 ヒロキが認めると、三人は顔を見合わせて、重い口を開いた。


「……その声に驚いて俺たちが振り向いたら、突然お前が現れたんだよ」

「そうなのか!?」


 ヒロキは驚愕した。自分たちの身に起こる出来事は、すべて見えない糸で繋がっているようだった。そして共通しているのは、あの不気味な「子どもの声」。

 ふと、ヒロキは拾い集めたゴミの中にあった一枚の紙に目を留めた。祭りのチラシのようだ。誰かが古いチラシを捨てたのだろうか。日付を確認すると、それは今から八年前のものだった。


(八年前といえば、俺はまだ野球をやってなかったな……。親父とのキャッチボールが好きで、その延長で少年野球チームに入れてもらって……)


 霧の中での体験のせいか、記憶の底に沈んでいた子供の頃の光景が、驚くほど鮮明に浮かんでくる。


「ヒロキ、どうした?」


 じっとゴミを見つめて動かないヒロキを不思議に思ったカンナが声をかけた。既にゴミは片付けられており、残るはヒロキが手に持っているチラシだけだった。


「何でもない。これで最後だな」


 手に持ったチラシをゴミ箱の中へ入れようとしたその時──。


 ガシッ、とマコトにその手首を掴まれた。


「ヒロキ、ちょっとそれ見せてくれ!」


 理由がわからず戸惑いながら、マコトにチラシを渡す。


「そうだ……。そうだよ……!」

「どうしたんだ?」

「マコト、何か分かったのか?」

「見ろよこのチラシ。八年前のだ」


 マコトはチラシを突き出して三人に見せる。日付は八年前の二月。「初午祭(はつうまさい)」の宣伝用のチラシだ。


「……だからなんなんだ?」

「古いチラシが捨ててあっただけじゃないのか?」

「おい、今は夏だぞ。普通、夏祭りなんて稲荷神社じゃやらないんだ。稲荷神社の祭りといえば『初午祭』。冬にしかやらないはずなんだよ」

「あ……それ、おじいちゃんも言ってた。この神社の神様は夏は山に帰ってるから、祭りは冬にしかやらないって……」


 二月に初午祭が開催されるのは、古い伝承に基づいたものだ。

 奈良時代の和銅(わどう)四年、二月の最初の午の日に、稲荷大神が初めて降臨したとされる。だからこそ全国の稲荷神社ではこの日を「初午」として祝う。稲荷の祭りは冬。それがこの地域の、揺るぎない伝統のはずだった。


「じゃあ、俺たちが毎年遊んでた『夏祭り』って……一体何なんだ……?」


 夏に稲荷神社で祭りはしない。その決定的な矛盾に気づいてしまった四人に、激しい動揺が走る。今まで自分たちが当たり前のように足を運んでいた「祭り」は何だったのか。


「けど、俺たちちゃんと祭りで遊んでたじゃんよ。屋台でたこ焼き買って食ったり、射的やったり、金魚掬いしたり……」

「いや、それって商店街の『祇園祭』ことじゃないか? 稲荷の祭りでそんなの出てないぜ」

「は? じゃあ、俺たちはここで何をしてたんだよ!」

「それは……」

「そういえば……俺たち、毎年この神社で何してたんだっけ?」


 思い出そうとすればするほど、記憶に薄いモヤがかかる。稲荷神社の境内で、夏に何をしていたのか。核心の部分が、どうしても思い出せない。


「どうしたの?」


 透き通るような少女の声が境内に響いた。四人は弾かれたようにその声の主へ振り向いた。そこにはいなくなったはずのヒナが、不思議そうな表情で立っていた。


「ヒナ!」

「どこ行ってたんだよ!」

「出口を探してたの。あ、ヒロキくん戻ってきたんだね。よかった」


 ヒナに無邪気な笑顔を向けられ、ヒロキは戸惑いながらも頷いた。


「それよりヒナ、お前の周りで何か変なことは起こらなかったか?」

「ううん、何も起こってないよ。それより早く出口を探そう? こっちだよ」


 ヒナは迷いのない足取りで、皆を誘導し始めた。そんな彼女の様子に、カイトは強烈な異物感を感じ取った。


「ヒナ、お前どっかおかしいのか?」

「……何で?」

「いや……何となく。なんだか、いつもより行動的に見えたから……」


 カイトが抱いた不審感は、双子の姉であるカンナにも即座に伝染した。


「……ヒナ、お前、本当にヒナなのか?」

「え……、二人とも何を言ってるんだ?」

「ヒナちゃんはヒナちゃんだろ……」


 ヒロキが戸惑うが、カンナの目は鋭く細められた。


「……ヒナは、こういう時、率先して動いたりしない。天然だけど、基本的には大人しくて内向的だ。皆を誘導してどこかに連れて行こうなんてことは、絶対しない。いつも私たちから遊びに誘ってるし」

「そうだ……。確かにおかしい。ヒナちゃんらしくない」

「こういう時、大抵アニメや漫画だと、閉じ込めた犯人がいて、そいつは閉じ込められた者の中にいるんだ。ヒナ、お前、俺たちをどこに連れて行こうとしたんだ?」

「……」


 ヒナは沈黙する。背中を向けたまま、ピクリとも動かない。その背中が、まるで石像のように異質に見えた。

 答えない彼女に代わって、カイトがその先を指差す。


「そっちにあるのは、社だぜ?」


 そう、彼女が進もうとしていた方向には、神を祀る社がある。

 御神体を安置する本殿の内部は聖域であり、神職以外は立ち入り禁止だ。普通、一般人が気軽に入っていい場所ではない。その奥底に、彼女は四人を誘おうとしたのだ。


「……そうだよ。こんなこと、人間の仕業じゃない」


 マコトが、ほとんど叫びのような声で言った。


「どうして気づかなかったんだ……。こんなこと出来るのは、神様以外にいないじゃないか!」


 自分たちを弄ぶ得体の知れない存在が、まさか幼馴染の姿を借りて成りすましているなんて。


「お前は、誰だ!?」


 四人の叫びが響き渡る。敵意を剥き出しにされたヒナは、まだ背を向けたままだった。

 少しの間を置いて、彼女は肩を揺らし、大きなため息をついた。


「気づいちゃった?」


 ゆっくりと、彼女が振り向く。

 そこにあったのは、自分たちの知っている慈愛に満ちたヒナの表情ではなかった。

 こちらを向いたヒナは、ニタリと笑った。不敵で、底意地の悪い笑み。

 鋭い眼光をいびつに歪ませ、真っ白な歯が覗くほどに口角を吊り上げるその顔は、間違いなくヒナのものでありながら、中身は完全に「異物」そのものだった。


 その笑みを見た瞬間、四人は悟った。目の前にいるのは、自分たちの知っているヒナとは、似て非なる化け物だということを。

次回更新は5月3日です。

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