第二章第一話『予言』
常闇の世に生きる地國人にとって、酒は夜を味わう手段の一つだ。
街中の飲み屋に燈りが灯り、誰かが酒宴に興じていたらそれだけで、仄暗い闇は浪漫の光溢れる華やぎの場へ変わる。
朝日が昇ることのないこの地では、繁華街の賑わいが時の流れを体感する手がかりでもあった。
「しかし赤虎さん、僕が遠征している間に状況が変わりましたね。色々なことがありすぎです」
「まぁ、色々な人間が集まってりゃそうなるよなー。誰にとっても、どこにも何も起こらない日なんてそうそうなくね?こんなん普通だよ普通」
アジトから離れ朝呑みに繰り出した赤虎、美美、銀の三人は、ここ数日の出来事を肴に盃を傾けていた。体質上酒を飲めない美美だけが、朝食代わりの梅昆布茶をゆっくり啜っている。
空賊を生業とする彼らにとって、食事の時間が前後するのはいつものこと。朝から酒を煽り夜まで眠る日もあれば、日の出とともに起床して小型艇で遠出する日もある。
しかしそれでも、アジト裏にひっそりと佇む隠れた名店……卜師が営む蕎麦屋での食事は、空賊団の面々にとって癒しのひとときだ。
今日という一日は、彼らにとってなんの変哲もない日常そのもの。
たとえ空から落ちてきた少女が、いつの間にかお抱えの技師と恋に落ちていたとしても。その少女が、見たこともない義肢を携え彼と京都に向かおうとしているとしても。
ありとあらゆる出来事は、ジャンク(がらくた)を売って生きる者に訪れた束の間のドラマに過ぎない。いずれは風化するであろうちょっとしたエピソード……筈なのだが。
「仮にオレにとってはもともと普通の日だったとしても、どこかでお前がのたれ死んで命日になってたりしたら、それはもうオレにとっても普通の日じゃなくなるんだから。誰かと生きるっていうのはそういうことなんだよ」
「うーん、僕にはよくわかりませんね」
「ミリアと猜のことは、正直オレにはそこまで関係ねえよ。あいつらにはあいつらの人生がある。でももしあの二人が不幸になったり、この先とんでもない目に遭ったりするかもしれないなら、今日という日がいつかの未来でオレにとって〝あの時ああしていれば……〟の、〝あの時〟になるかもしれねぇ……ってこと。だから、人生なんて色々あって普通なわけ」
「赤虎さんって、いつもそんな面倒くさいこと考えてるんですか?」
銀はザルだ。酒が入ると饒舌になる赤虎の相手をしているうちに、何杯飲んでも正常な思考を保ち続ける癖がついたようだ。
この国を統べる女帝、梅処の生まれ故郷の特産だという日本酒は非常に喉ごしが良い。赤虎と銀は一升瓶を空にしかねない勢いで酒を煽りつつも、最低限の警戒を怠らずにいた。
「なぁ……面倒くさいといえば。そろそろ客が来そうだな」
「確かに、外の空気が張り詰めていますね。見てきましょうか」
「……たぶん、あたしたちへの客だと思う」
安居酒屋……もとい蕎麦屋の戸口は、廃材で作られているためか心許ない。
店を出てすぐの場所、戸を一枚隔てた先に立っているであろう来訪客の気配を、目で感じ取るかのように美美は戸口を凝視した。
「はぁー酔いが覚めちまうよ」
赤虎は大欠伸をしながらも、やれやれといった体で口元を拭う。
「……来る」
銀が懐の銃に手をかけたその瞬間、ガラガラと音を立てて戸口が開く。
そこに立っていたのは、いかにも地國人らしい大柄な侍……否、背の高い女軍人だった。
美美は女軍人が腰に携えた拳銃の恐ろしさより、華やかな太刀と脇差に目が奪われていた。梅の花をあしらった柄は、この女軍人が女帝直属の部下であることを示している。黒い軍服に紅色が映えて実に艶やかな一方で、軍人然とした鋭い眼差しに射抜かれそうな思いがした。
赤虎は美美の緊張した様子を察してか、女軍人にわざとらしく声をかける。
「お偉いさんがオレたち空賊に何の用かね?ここ最近は、空賊業の届出関連に抜けはないはずだが」
「相模の空賊頭領・赤虎だな。私は梅処様の命によりこの地へ参った、庵と申す者」
庵と名乗る女軍人は、その威圧的なオーラとは対照的によく透る美しい声でそう言った。
「梅処様からの使い!?一体なぜ……」
さらによく通る美美の声が店に響いたのだろう、〝梅処〟の名を聞いた他の客がざわつき始める。
それもそのはず、この地で知らぬものはいないであろう不老不死の為政者の名は、地國の民にとってあまりにも特別だ。美美は〝やっちゃった〟という表情で赤虎に目配せをした。
しかしそこでタイミングを見計らったかのように、裏から店の主人……卜師が表に姿を見せた。蕎麦屋の店主らしかぬ鋭い眼光と、年齢不詳にも思える端正な顔立ちをした彼は、この店の密かな名物でもある。
美美の声に合わせるかのようにして、卜師は庵に話しかけた。
「何かありましたか?おや……あなたは」
「卜師殿、店内で申し訳ない。相模の街に着いた瞬間、赤虎殿がこちらにいると耳にしてな。彼らの拠点よりもここが少し近かったゆえ」
「ボクは構いませんよ。彼らは常連さんですから、週の半分はここで食事をとっています」
旧知の間柄であることを伺わせる卜師と庵の会話に、銀はつまらなそうな表情を浮かべてつまみを頬張る。大人同士の会話は、銀にとって退屈そのものだ。赤虎は頭を掻きながら、美美の頭をぽんと撫でていた。この時点では、まだ全員どこか他人事である。
「しかしまぁ、居場所がすぐバレるたぁな。有名人ってのはつれーよ」
「あの、庵……さま。貴女は梅処様の使いとのことですが、なぜ私たちなんかのところへ?ちょうどここ最近、御所にご報告しようと話していた件が立て続けにあったのですが……」
「うむ、一致していると考えてよい。梅処様は全てお見通しだ」
「それは……空から、天國の女性が……」
冗談めかして笑う赤虎をいなしつつ、美美が本題に切り込もうとした瞬間。
古い引き戸が音を立てて、新たな二人の来客が蕎麦屋に訪れた。
「おい、裏のアジトまで気配がダダ漏れだったぞ」
「猜!ミリア!」
「庵。軍人ならもう少しその威圧的な覇気をコントロールしてくれ。逆に街の治安が悪くなる」
ふたりの姿を目にして微笑む美美をよそに、当の猜自身は庵から目を離すことなく伊織を睨みつける。彼はミリアを守るようにして背後におきながら、前方への警戒を怠らずにいた。
梅処の使いがわざわざこんな田舎町にやってくるなどロクなことではないと、この国の男なら皆わかっている。さらに猜は、女にしては大柄な庵が、先の戦争で何度も戦果を上げた剣術の使い手であることをよく知っていた。
「久しいな、猜。アジトで女と懇ろか。いい身分だ」
「お前も大概下品なことを言う。……梅処のやつ、わざわざ庵をよこすってことは相当警戒してるんだろ。あいつ自身は絶対に死なないくせに」
「無礼だぞ。私がここにきた目的は、貴様が誰よりもわかっているはずだ」
庵は胸元から一通の書簡を取り出し、赤虎たちの座る卓へと優しく置いた。一瞬だけ怪訝な顔をして、猜は仕方なく書簡を読み始める。
一連の仕草を、赤虎・銀・美美・ミリアは固唾を飲んで見守った。
庵は皆の反応を冷静に窺いながら、卜師に人払いを頼む。いつしか店内から他の客はいなくなり、空賊団の面々だけが残る形となった。
やがて……書簡を読み終えた猜がため息を一つ。
「まるで赤紙だな」
苦虫を噛み潰したような顔をしている猜を無視して、庵はハリのある声で皆に告げる。
「梅処様は、空賊団全員を御所に連れよとお達しだ。
頭領・赤虎。
技師・猜。
狙撃手・銀。
整備師・美美。
そして……天國人、ミリア。彼女を安全に輸送するため、我々は全員で京へと向かう。拒否権はない」
猜とミリアを送り出したあと、自分たちは相模に残ると思い込んでいた面々が驚きのあまり黙り込む。銀に至っては、あからさまに面倒くさそうな顔をしていた。
京都行きを拒否しようにも、為政者直々の命とあらば従う他ない。疑問や質問を投げかけるにしても、梅処の側近である庵にたいして、迂闊な物言いをするリスクを皆が強く感じていた。
しかし、ただ一人の天國人であるミリアだけが、物怖じせずに発言する。
「あの……わたしを安全に京都に連れて行こうとしてくれていることには、感謝します。ありがとう庵さん。昨日も変な人に襲われたばかりだし。でも〝輸送〟って言われると、なんだかモノ扱いされているみたいで嫌かもしれません。あと……天國人、っていうのは役職じゃないので」
あまりにもストレートな物言いに、赤虎は思わず吹き出した。猜は額を押さえながら俯く。銀はニヤリと笑い、美美は慌てふためいた。卜師はそんな彼らを横目に、ゆったりとした所作で庵のぶんの茶を淹れる。
庵はミリアのまっすぐな言動を面白がるかのようにして、彼女の頬を優しく撫でながら笑った。ミリアはそんな庵の様子に怪訝な顔をしつつも、すぐに口角を上げた。気の強い女同士なりの誠意が伝わったのか、お互い何かかわかりあうものがあったらしい。
「そうか、そうか。お嬢さん、威勢がいいな。だが仰るとおりだ。無礼を詫びさせてほしい……すまない」
「こちらこそ偉そうでごめんなさい。ありがとう」
「私の名前は庵。〝隠れ家〟を意味する名だ。梅処様のためだけでなく……皆のために、必ずあなたを京都まで安全にお連れしよう。お嬢さん……いや、〝空賊のお姫様〟」
「ふふ。わたしはこの先、猜を守れる女になりたいんです。だからお姫様じゃなくて、空賊の〝護衛〟とかどうですか?」
「守られる側のあなたが護衛を名乗るのか、面白い。では……、天國人あらため、
護衛・ミリア。
そなたもともに京都へまいろう。御所の梅処様に謁見すること許可する」
左腕が生え変わってからのミリアは、これまで以上に素直な性格を隠すことなく自由に振る舞っているようだった。そして庵もまた、そんな素直なミリアを一目で気に入ったのだろう。店に入ってきた当初より、眼差しが柔らかくなっている。
前線で軍人として多くの天國人を殺した庵と、地國人を殺したであろう天國人の、おそらくは特別な存在であるミリア。二人の女性が手を取り合う和やかな風景を、ただ一人複雑な気持ちで見つめる少年がいた。
(……つい先日まで殺し合っていた国の人間同士が、そう簡単に和解することなんてありうるのか?大人はいつだってそうだ。感情を理論でごまかして、本心に蓋をする。……僕だって、義務感に駆られてそうしているだけなのに)
銀はそのまま最後の一口をぐいと飲み干して、空になった一升瓶を転がした。まだ幼い彼にとって、戦争が残した傷はあまりにも大きい。
(空賊の皆は、大人すぎる。聞き分けがよすぎる。僕だけが、いつまでも子供のようで嫌になるな)
物心つかぬうちに親兄弟を殺され、空賊に拾われてからの10年間は、大人が紙切れ一枚で終結させた事実を鑑みても、簡単に割り切れるほど穏やかなものではなかった。
「まぁ、わかりましたよ。僕は京都行きに従います。というか、従うほかないですよね」
いつも通りの笑顔を浮かべ、平静を装いながら、銀は優しい声でそう口にした。
「あたしも、異論はないわ。ミリアのことは心配だったし」
「オレもいいぜ。ただし護衛としての報酬は弾んでくれよな。梅処様のポケットマネーに期待!」
「なんと無礼な」
次々に賛成の声を挙げる空賊の面々に、ミリアは機械で作られた片足を後ろに下げ、深く一礼をした。それはまるで、天國の貴族が舞踏会の前に行う挨拶のようだった。
「皆、こんなことに巻き込んでしまってごめんなさい。そして……ありがとう」
「ミリア。短い旅だが、皆で過ごす時間と思って楽しもう。俺も力を尽くすよ」
「猜……」
ごほん、と庵は咳払いをする。そのまま全員の顔を交互に見つめながら、ぴんと伸ばした背筋にもう一度力を入れて告げた。
「実は火急の事態でな。すまないが、皆には今日中に身支度を整えてもらいたいのだ。私が護衛もつけずに一人でここまで赴いたのも、そのほうが早いからに過ぎない。一刻も早く、皆と京都に向かいたい」
「庵さま、京都までの足はどのようなものを?あたしたちの小型艇には、多分乗れても3人かと」
「足は御所が用意している。空路と陸路、さらには海路も利用しての旅になる。おそらく3日もあれば京へ到着するだろう」
「ハードだな。オレは慣れっこだけどよ、義肢で移動するミリアにはちと辛いんじゃねーか?」
「ふむ。そのときは猜が彼女を背負って進めばいいだけだろう。何も心配はない」
「ガハハ!そりゃそーだな」
「おい」
緊張の糸が解れてきたのであろう、空賊団の会話をぢっと聞いていた卜師が折を見て茶を運んでくる。
一介の蕎麦屋とは思えぬ介入ぶりだが、それを皆当たり前のように受け入れている。卜師はそういう男なのだ。空賊団の面々が生まれるよりも、ずっとずっと昔から。
「……皆さん、出立の前に占いでもどうです?」
「占い?」
「申し遅れました、ミリアさん。ボクの名前は卜師。〝予見者〟という意味の名です。ボクは長年、蕎麦屋を営む側で占い師としての仕事をしています。……あるいは、逆かもしれませんが」
卜師の提案に、赤虎は目を爛々と輝かせた。初見のミリアと庵は興味深そうに、卜師の用意する水瓶を覗き込む。
青磁色をした美しい水瓶に、なんの変哲もない水が並々と注がれている。卜師は水面に一枚の札を浮かべ、札を守るようにして両手をゆっくりかざし始めた。
札にはまだ何も書かれていない。白紙の札にゆっくりと水が染み込んで、薄い灰色へと変わっていく。
「こいつの水占いは外れたことがないんだ。前もデカいヤマの前に占ってもらったら、〝運命〟って文字が浮かび上がった。その日のうちに、オレは猜と出会ったんだよ。運命の出会いってことだな!」
「赤虎、俺を茶化すな」
「あたし、そんな話初めて聞いたわ」
「だって誰にも言ってねーもん」
卜師は瞳を閉じて、外の会話をシャットダウンするように黙り込んだ。両手に力を集中させている。
飲食店員らしからぬ分厚い手袋に覆われた、卜師の指先が小さく震えていた。猜だけが、彼の指先から異常な力の奔出を感じとる。
やがて、札に文字が浮かび上がってきた。
旅立ちの前に目にするにしては、あまりにも不吉で、不快な文字。それを目にした面々は、咄嗟に嫌な顔をした。
「……これは?」
庵が、何か別の意味でもあるのかと問いたげに卜師を見る。
当の卜師は、普段の涼やかな目元とはまるで違う、焦りや不安の色を隠さない表情を浮かべていた。
美美はそっと、赤虎の背に隠れるようにして後ずさる。彼女には、和気藹々としていた店内の雰囲気が一瞬で凍りついたように感じられた。
「……絶命、の二文字が浮かび上がっています」
庵が目を見ひらく。そして彼女は、そのまま猜を見た。
猜は庵と目線を合わせることなく、ミリアのほうを見つめている。
そしてミリアは、紙に浮かび上がった残酷な二文字から目を逸らせずにいた。
「人は皆いずれ死ぬ。それは抗うことのできない宿命です。あえて雑な言い方をするならば、絶命しない者などいないでしょうね。……しかしそれでも、このような結果が浮かび上がるなどボクも初めてです」
銀は口元に手を当て、何か考え込むような仕草をしている。赤虎はニヤニヤしながら、〝おもしれぇ〟と呟いた。
やがて卜師はゆっくりとため息をつき、悲痛な表情で皆の顔を見つめる。戦地に我が子を送る母親のような、慈悲深くも絶望をたたえた悲しい眼差しだ。
「皆さんは、そう遠くないうちに絶命するでしょう。そう、神が仰っているんです。どうか、くれぐれもお気をつけて。僕の占いは、基本的に外れることがありません」
銀が転がした空の一升瓶が、机の勾配に負けてゴトンと床に落ちる。
「……皆、出立の準備を」
庵は黙って瓶を拾い、そう一言だけ口にした。




