第三章-1
ガシャンと音を立ててエレベーターの扉が開く。外国映画で見るような折り畳み式の鉄格子のような扉のクラシックなエレベーターだ。イバラッド星系第二惑星リューガのエレベーターはセレストラル星系のような光の床に乗るSF的なものではないようだ。アッシュは少し残念に思うが、思い返してみれば、この星の文明レベルは彼の星より少し上という程度だ、とこの星に向かう途中で聞いたばかりだった。と言うことは、この星にあるものは彼の星のものと比較しても技術的にさほど離れていないと言うことになる。
ジゼル=アンリエット=シャンティエ少尉が先にそのエレベーターに乗り込み、アッシュもその後に続いた。
この星に無茶な降下をしてから暫く街の上空を飛んだり地上に降りて普通に道路を走ったりして、たった今セレストラル星系連邦陸軍第六辺境警備師団第二連隊第一大隊第七小隊駐留基地があるという高層マンションに到着したところだ。ジゼルがそのマンションの地下にある駐車場に大気圏内往還船を停めると、ようやくアッシュは一息吐くことが出来た。
アッシュの星の小型自動車によく似たコンパクトで丸っこい大気圏内往還船は、周囲に駐車したこの星の飛行車や自動車の流線型のフォルムとはあまり似ていない。これは怪しまれないのかな、とアッシュは少し不安に思ったのだが、結局黙っておいた。ジゼルに言ってみても、どうせ楽観的な答が返ってくるに決まっている。
ジゼルが最上階のボタンを押すと、緩やかにエレベーターが上昇し始めた。この高級そうなマンションは、せいぜい三十階建てくらいだろうか。超高層、というほどではない。そういえば、街を走っている間もあまり高い建物は見なかった気がする。アッシュの星より文明レベルが上という話だったので、建築技術が低いということはないはずだ。それならば、この大陸では人口に比して土地が余っていて建物を上に伸ばす必要がないか、この首都ロールトでは建物の高さが規制されているか、そのどちらかだろう。
「最上階かよ。いいとこに住んでるな」
「んー、そうかもね。この星、うちの連邦と比べると随分物価が安いのよ」
アッシュの感想に、そうジゼルが応じる。
「賃貸? 分譲?」
「賃貸だけど」
「家賃は経費で落ちるのか?」
「勿論、全額経費よ。――なぁに? 変なことに興味があるのね」
次々に質問するアッシュに、ジゼルが不思議そうな顔をした。
「いや、まぁな……」
アッシュは曖昧な返事をする。自分の星に駐留する、連邦の通貨が駐留している星の通貨に両替出来ない為に家賃も現地で働いて稼がねばならない第八小隊が駐留基地にしている老朽化したアパートを思い出して、彼女たちが不憫になった。
またガシャンと音がしてエレベーターが止まり、扉が開く。アッシュは扉を押さえてジゼルを先に下ろした。
「ありがと。さすが、あたしのダーリンは紳士ね」
ジゼルが微笑む。先日の任務での豪華客船のパーティで、マナーがなっていないと怒ったことはもう忘れたようだ。
「どう致しまして」
アッシュのほうはそのことを思い出しながら白々しく応じた。ジゼルが先に立って通路を歩き、一番奥の角部屋のドアの前で止まる。振り向いて両手を広げた。
「さぁ、ダーリン、ここが二人の愛の巣よ」
「いや、全然違うだろ。ていうか、ダーリンって言うの止めろ」
さすがに今のは冗談だったらしく、突っ込まれたジゼルは笑いながらドアを開ける。
「さ、入って。あ、あなたの星と同じように履物は脱いでね」
どうも彼女は、アッシュの国をあの星のスタンダードだと思っているようだ。どちらかというとマイノリティなんだけどな、と思いながらも、特に訂正するほどのことでもないか、とスルーすることにした。
「じゃあ、お邪魔します。――あ、こいつ、連れて入ってもいいか?」
靴を脱ぎかけたところで気付き、アッシュはチッピィが顔を出したバスケットを掲げてみせる。パートナー云々の件であまりいい印象はなかっただろうに、ジゼルは嫌な顔もせずに頷いてみせた。彼女の度量の広さには感服する。
「室内犬でしょ? 構わないわよ」
「ああ。サンキュ」
その思いも込めて礼を言い、アッシュは玄関から廊下に上がった。その造りは、彼の国の少し時代掛かった木造の家屋をマンションの中に詰め込んだような印象だ。
そんなやりとりをしていると廊下の奥のドアが開いて、第七小隊の面々がドヤドヤと玄関先に出てきた。彼らが着ているのは、男性は作務衣のような衣服、女性はミニ丈の浴衣らしき着物だ。ジゼルがミニ振袖に似た着物を、自分の任地の星の普通のファッション、と言っていたのはどうやら本当らしい。
「小隊長、ご無事でしたか。よかった……」
金髪碧眼、長身で二枚目の副隊長、マーク=ラピッドファイア准尉が心底ほっとしたような顔で言う。ジゼルが不思議そうな目で彼を見返した。
「なによ? 遊びに行ってただけの人間の帰りを迎えるにしては、随分大袈裟な台詞ね」
「いえ……。久しぶりの操縦で事故など起こしてはいないかと、心配で……」
「失礼ね!」
マークの言葉に憤慨したように、ジゼルが両手を腰に当てる。青紫色の髪を中途半端に伸ばしたグェン=ヴァン・クォン軍曹がマークを肘でつついた。
「副隊長ってばもう一時間毎に、心配だー心配だーってウロウロするんすよ。娘を心配する父親みてーでした」
「クォン、僕は小隊長と五つしか違いませんよ? せめて、妹を心配する兄、ぐらいにしておいてくれませんかね?」
マークが苦笑して言うがクォンは、いっひっひ、と笑うだけだ。マークはアッシュのほうに向き直って会釈する。
「失礼しました。ようこそいらっしゃいました、アッシュ」
「ああ。マーク、お邪魔させてもらうよ。久しぶりって言うには、ちょっと早いかな」
「ええ。思ったよりも、ずっと早い再会になりましたね」
「あんたたちの小隊長の行動力旺盛さのおかげだな」
そのアッシュの言葉に、マークが嘆息した。
「その行動力が、適切な方向にだけ向かえばいいんですけどね」
「まったくだ」
「ちょっと、そこの二人! なに、失礼なことで意気投合してるのよ!」
両手を腰に当てたままジゼルが怒る。マークが姿勢を正した。
「失礼しました、マム」
ジゼルはまだなにか言いたげだったが、緑色の長いツインテールを揺らして飛び付いてきたクラリッサ=ファインマン曹長にその小柄な身体がすっぽりと両腕の中に収まるように抱き締められてしまった。顔がちょうど彼女の豊満な胸の谷間に埋まってしまい、喋ることが出来ないようだ。
「おかえり、ジゼルー。寂しかったわー」
「姉御は姉御で一時間毎に、寂しいー寂しいーってウロウロしてましたし」
クォンが笑いながら言った。
「だって、しょうがないじゃない。――あ、アッシュもいらっしゃい。ジゼルと結婚する意志は固めてきた?」
「いや、クラリッサ。そんな重いことを、ついでみたいな調子で聞かないでくれ……」
アッシュが額に手を当てて嘆息すると、クラリッサが笑う。その横から、クォンがアッシュに声を掛けてきた。
「よく来たな、色男。まぁ、ゆっくりしていけよ」
「なんか、おまえが家主みたいな言い方だな、クォン。ていうか、この前のときから思ってたんだが、その色男って呼び方、どうにかならねぇか?」
アッシュの言葉にクォンはまた、いっひっひ、と笑う。
「うちの小隊長をはるばる別の星にまで迎えに来させておいて、なに言ってんだ。じゃあ、小隊長の未来の旦那様とでも呼ぶか?」
「長ぇよ! ……わかった。いいよ、もう。好きに呼べ」
アッシュは突っ込んでから諦め気味に溜め息を吐いた。ふと視線を彷徨わせると、マークの後ろからセピア色のロングヘアが覗いている。カテジナ=ペトラ=ビェルカ兵長がおずおずと人形のように整った小作りな顔を出した。
「お、おかえりなさい、小隊長。い、いらっしゃいませ、せ、先生」
「ああ。お邪魔するな、カテジナ。拘束魔法はちゃんと練習してたか?」
アッシュが尋ねると、カテジナは頬を赤らめて頷く。
「は、はい。あ、あの、よろしければ、後で、その、見てもらえると――」
「ああ、いいよ。後で練習の成果を見せてもらおう」
「は、はい」
アッシュが承諾すると、カテジナは嬉しそうにまた頷いた。
クラリッサに抱き締められたままのジゼルがなにか言っているようだが、もふーもふーとしか聞こえない。おそらくカテジナに対抗意識を燃やして、自分にも優しくして、というようなことを言っているのだろう。
ジゼルはようやくその熱い抱擁から脱出すると、ぷはっと息を吐き出した。
「ほらほら、お客様をいつまでも玄関先で立たせて立ち話もないでしょ」
「ごもっともです。では、こちらへどうぞ」
マークを先頭に一同が廊下の奥のドアに戻っていく。アッシュはその後についていこうとしたのだが、何故かジゼルが廊下の途中のドアを開けて手招きしていた。首を傾げつつ、彼女の後ろについてその部屋に入る。そこは高価そうなアンティークドールや大きなぬいぐるみがたくさん並んだ、いかにも女の子っぽい部屋だ。壁紙や畳のような床の上に敷いたラグ、ベッドのシーツや毛布まで、ピンク系の色で統一されていた。
「ここ、おまえの部屋か?」
「そうよ。その辺に座って」
アッシュは勧められたクッションに腰を下ろす。すると、ジゼルは膝を突き合わせるようにして正面に座ってきた。
「近い近い!」
突っ込んで、座ったままで後ろに下がる。
「二人っきりよ? 照れなくてもいいじゃない」
そんなことを言って、ジゼルも座ったまま前に出てきた。いっそう距離が縮まる。
「二人っきりだから、余計照れるんじゃねぇか!」
思わず本音で突っ込んでしまった。
「ホントに、あたしのダーリンは困った照れ屋さんね」
ジゼルが身を乗り出してきて、唇が接触しそうなほど顔と顔が近付く。
「だから近いっつの!」
思わず仰け反ると、そのまま後ろに倒れてしまった。ジゼルが更に身を乗り出してきて、ほとんど覆いかぶさるような体勢になる。
(いや、普通、こういうシチュじゃ体勢が男女逆なんじゃねぇのか!?)
などと混乱した思考が頭を過ぎったが、これが逆だったとしても当然なんの解決にもならない。
「照れ屋さんのダーリンには、あたしのほうから積極的にいかないとダメなのかしら?」
ジゼルは囁くようにそう言うと、目を閉じてゆっくりと顔を近付けて――。
「小隊長。居間に来ないと思ったら、なにをしているんです? いきなり御自分の部屋に通して、どうするつもりだったんですか?」
突然、開けっ放しだったドアから場違いなほど冷静なマークの声が掛けられてきた。
「どうするって――、いやぁね。そんなことを言わせるつもり?」
「いや、なにするつもりだったんだ、おまえ」
頬に両手を当てて身をくねらせるジゼル。助け舟にほっとして、余裕を回復する時間を稼ぐようにアッシュは突っ込んだ。ジゼルから距離を取りつつ上体を起こす。
どうにも、ジゼルへ向けた言葉の半分は突っ込みで出来ているような気がしてきた。残りの半分は頭痛薬のように優しさで出来ているといいけどな、などと仕様もないことをちらりと思う。
「あぁ、いや、カテジナ、こっちにお茶を持ってこなくてもいいです。居間のほうに用意して下さい。――とにかく、アッシュ、居間のほうへどうぞ。さぁ、小隊長も」
マークが廊下の向こうに声を掛けてから、再び部屋の中に向き直った。案の定、実質的にこの小隊を切り盛りしているのは彼のようだ。
「おう」
アッシュは立ち上がり、マークの後に続いて廊下の奥のドアから居間に入った。なにやら失敗したという雰囲気でジゼルがついてくる。
そこはカウンターキッチンが付属した、やはり畳敷きのような床の広々とした部屋だった。アッシュの国の基準で言えば、四十畳くらいはあるのではないだろうか。キッチンの床はさすがに火を使う場所の為か、フローリングというか板張りのようだ。
居間の壁際にはアッシュの星に駐留する第八小隊の駐留基地でもうすっかりお馴染みとなった、この惑星リューガのミニチュアらしき球体の立体映像をその上に浮かび上がらせた魔力監視装置が鎮座していた。やはり、これは辺境警備隊には必須の装備らしい。
その周りにも色々と第八小隊の駐留基地では見たことのない機材が置かれていたが、それがなにかこの星の警備という任務に関係あるものなのか、それともただのこの星のAV機器だったりするのかは判らなかった。初めて訪れた家で、あれはなんだこれはなんだ、と質問しまくるのも行儀のよくない行為だろう。アッシュは判らない機械については必要になったときにでも聞くことにしようと、とりあえず棚上げすることにする。
一同は畳のような床の中央辺りに設えられた大きなローテーブル――雰囲気的には卓袱台と呼ぶべきか――を囲んで座った。アッシュも勧められた席に腰を下ろす。そのテーブルの下は掘り炬燵のように足元が大きく掘られていて、足を伸ばして座ることが出来た。
アッシュはボストンバッグから手土産に買ってきた焼き菓子の詰め合わせの箱を取り出し、マークに差し出す。
「これ、つまらないもんだけど」
「これは恐れ入ります」
マークが頭を下げてそれを受け取った。しかしよく考えてみればここでの最上位者はジゼルなのだから彼女に渡すべきなのだろうが、どうしても自然とこの小隊の保護者は彼であるような気がしてしまう。
箱は早速開封され、皿に盛られた狐色の焼き菓子がテーブルに並べられた。皿が置かれるのとほぼ同時にクォンが手を伸ばし、サクサクといい音を立ててガレットを頬張る。
「おー、なかなかいけるなー」
「あんた、上官を差し置いて……」
ジゼルが睨むが、クォンはどこ吹く風という顔で今度はフィナンシェを狙った。負けじとジゼルがその手の先からフィナンシェをさらい、大きな口を開けてそこに放り込む。さすがに口に入れた焼き菓子が大き過ぎて咀嚼に苦労したようだが、ごくんと飲み込むと笑顔になって感想を述べた。
「あら、ホント。ダーリンの星のお菓子も美味しいわね」
そんな大人気ない二人は置いておいて、最年少のはずのカテジナがお客様をもてなす為にお茶を淹れてくれる。
「ど、どうぞ。そ、粗茶ですが」
「おぅ、サンキュ」
「この星で普通に飲まれているお茶なんだけど、口に合うかしら?」
クラリッサが言い添えてきた。アッシュはカップを取って、その若草色のお茶を一口飲んでみる。
「――うちの国の緑茶と同じような味がする」
「それは偶然ですね」
「ああ。なんか安心するな」
マークに頷いて、アッシュはもう一口お茶を飲んだ。
「お口に合ってよかったわ」
と何事もなかったように、澄ました顔でジゼルもお茶を飲んでいる。そんな彼女にクラリッサが声を掛けた。
「ところで、ジゼル。のんびりしてていいの?」
「――あ! もうこんな時間!?」
ジゼルは立ち上がってキッチンのほうへ向かう。
この星の時計の見方が解らないので聞いてみたところ、もうそろそろ日が暮れ始める時刻らしい。当然アッシュの国とは時差もあるのだろうが、この惑星へと強引な降下をしてきてからこのマンションに辿り着くまでの間に、大気圏内往還船のナビゲーションシステムの使い方が判らずに悪戦苦闘したり、そのせいで道に迷ったり、と色々あって結構時間を消費していたのだ。
「なんだ? なにかあるのか?」
アッシュはキッチンで振袖を襷掛けしてエプロンを掛けようとしているジゼルに尋ねる。ジゼルがなだらかな胸を張った。
「今夜の夕食は、あたしが作ってあげるわ。愛妻の初めての手料理よ。嬉しいでしょ?」
「誰が誰の愛妻だ。――まぁ、それじゃ期待しておくよ」
突っ込み混じりに返事をする。テーブルのほうに視線を戻すと、一同がなにか微妙な表情をしていた。それを見て、ラブコメもののマンガやラノベ、恋愛シミュレーションゲーム等で鍛えられているアッシュはすぐにこのイベントの内容を察する。
「もう落ちは見えてるんだけど、一応順を追って確認しよう。――普段、ここで食事を作ってるのは誰だ?」
「半分くらいはあたしね。後の半分はマークとカテジナが半々ってとこ」
アッシュの質問にクラリッサが自分とマーク、カテジナを順に指差した。アッシュは名前の出なかったクォンを見る。
「おまえは?」
「料理なんか出来ねーよ」
悪びれた様子もなく、クォンは更にフルーツパウンドを口に運んだ。先ほどから見ていると土産の焼き菓子の大半は彼の口の中に消えている。どうやら彼は甘いものがことのほか好きなようだ。やはり頭を使うことが多いポジションなので、糖分が必要になるのだろうか。
さておき、クォンの返事に自分も料理など出来ないアッシュは親近感を感じるが、今はそれどころではない。核心の質問を発する。
「――で、ジゼルは?」
「この小隊に配属されて二年以上になりますが、その間小隊長が料理をしている姿など、一度も見たことがありません」
予想以上に詳しいマークの予想通りの回答に、アッシュは頭を抱えた。
「初めての手料理、ってそっちの意味かよ……」
「ねぇ、ジゼル。やっぱり手伝おうか?」
クラリッサがキッチンに向かって声を掛けるが、
「大丈夫よ。材料は揃えてもらったし、レシピもあるし、この日の為に本星から調味料も取り寄せたんだから」
という自信に満ちた答が返ってくる。クラリッサは一同のほうに向き直ると、黙って肩をすくめてみせた。
「まぁ、考えても仕方ない。覚悟を決めようぜ」
「そうですね。とりあえず祈りましょうか」
アッシュの言葉にマークが応じる。彼が言うと冗談だか本気だか判らない。