第三章-2
キッチンのほうを心配そうに眺めていたマークが、ふと気付いたように時計を確認して立ち上がった。
「済みませんが、僕も席を外させてもらいます。そろそろ研修の時間なもので」
「研修?」
「ええ。士官育成研修を受けているんですよ。僕は本来曹長なんですが、この研修を受けている間、便宜的に尉官待遇ということで准尉になっているんです。それで、研修を終えて試験に合格すれば、晴れて少尉に昇進、ということになります」
問い返したアッシュにマークが説明する。クォンが口を挟んできた。
「自分のほうが階級が下じゃ、告白も出来ねーもんな、副隊長?」
「クォン!」
慌てたマークがクォンを叱責するが彼は、いっひっひ、と笑っている。焦るマーク本人を余所にその場の一同は皆、わかっている、という顔をしていた。やはりマークが第八小隊の小隊長、エリカ=デ・ラ・メア=ブラウスパーダ少尉に好意を寄せているということは、エリカ本人とその親友であるジゼル以外には公然の秘密のようだ。
「で、では、済みませんが、夕食の時間まで失礼します」
マークがアッシュに断りを入れて、逃げるように居間から出て行った。自室で本星と通信して研修を受けるのだろう。それを見送ってから、アッシュはクラリッサに視線を向ける。
「曹長って言えば、クラリッサもそうだろ? あんたは研修受けないのか?」
「あたしはついこの前曹長に昇進したばっかりだからまだ早いわ。ま、そのうちあたしにも、研修受けないか、って誘いが来ると思うけど今のところは受ける気ないわね。今誘われても確実に断るわ」
クラリッサは面倒くさそうな顔になって、ひらひらと手を振った。それを聞いて、アッシュは更に尋ねてみる。
「なんで? 俺にはよくわからないけど、給料だって上がるんだろ? やっぱり士官になると色々仕事が増えて面倒くさいのか?」
「ま、それもあるけど、一番の理由は少尉になんかなったらこの小隊から追い出されちゃうからよ」
「あぁ、なるほど。小隊長と同階級の人間が隊内にいたら、命令系統とかややこしいことになるもんな」
クラリッサの簡単な結論だけの説明からその内容を推測した。そうして頷いているアッシュに向かって、訴えかけるように大袈裟な身振りでクラリッサが続ける。
「別の小隊に飛ばされてそこの小隊長をやらされることになるのよ? ジゼルと離れるなんて耐えられないわ」
「そういう理由でか」
アッシュは苦笑してしまうが、クラリッサは意外に真剣な顔付きだ。
「なにを重要視して進む道を選ぶかは、人それぞれってことよ」
「そっか……」
アッシュはつられたように笑いを引っ込めて神妙に頷く。そこで気付いた。
「てことは、マークが少尉になったらこの小隊からいなくなっちまうってことか。――失礼を承知で聞くけど、それでちゃんとやっていけるのか? ジゼルが暴走したとき止めるやつがいないじゃないか。順当にいけば次の副隊長はクラリッサになるんだろうけど、あんたは際限なくあいつを甘やかしそうなイメージがあるぞ?」
「そうねー。多分、あなたの言う通り甘やかすわね。ま、でも、そのときはそのとき。なるようになるんじゃない?」
余所者のアッシュが心配しているのに、当事者のクラリッサは気楽なものだ。
「そういうこった。先のことを気にしてもどうにもならねーよ」
土産の焼き菓子の最後の一個を食べながらクォンもクラリッサに同意する。カテジナに視線を向けてみると、彼女は俯き気味に答えた。
「わ、わたしには、まだ、よくわかりません……」
「それに、ジゼルだって成長するわ。なんでもフォローしてくれる人間がいなくなって、逆に案外頼れる小隊長になるかもしれないじゃない?」
(やっぱりこの姉さんは意外に曲者だな……。不意に鋭いことを言う)
歳上の女性というだけでも扱い辛いのに、と思う。少し苦手な相手だ。そんなアッシュの感想を余所に、クラリッサはころっと口調を明るいものに変えてきた。
「それに、あなたがジゼルと結婚して支えてくれればなんの問題もないわ」
「うわ、ここでそうくるか……」
クラリッサとクォンが笑う。
カテジナは頭を抱える先生を見てオロオロしていたが、急に胸の前できゅっと拳を握り締めて立ち上がった。
「あ、あの、せ、先生、さっき、小隊長のお部屋、入ったんですよね?」
「え!? あ、ああ」
つい先ほどのジゼルの部屋での出来事を思い出してしまい、ドキッとする。そんなアッシュの内心には気付かずに、カテジナが続けた。
「じゃ、じゃあ、今度は、わ、わたしの部屋にも、来て下さい」
ジゼルはアッシュを巡ることでよくカテジナに対抗心を燃やしているが、今度はカテジナに妙なスイッチが入ってしまったようだ。そこで彼女はなにかに気付いたようにクラリッサに顔を向ける。
「あ、あの、リッサ、いいですか?」
「んー? ま、いいけど」
カテジナの確認に、クラリッサが適当な感じで頷いた。どうやら二人は相部屋らしい。
「じゃあ、せっかくだから、少しお邪魔するかな」
なんにしても、話題が変わったのはありがたい。アッシュが立ち上がると、続いて立ち上がろうとしたクォンをクラリッサが制した。
「レディーの部屋よ? あんたは遠慮しなさい」
「俺だけ留守番っすか、姉御ー?」
クォンが不満そうな声を上げる。
「くさるなよ。チッピィを置いていってやるから」
傍らのバスケットから顔を出して、物珍しげにきょろきょろと周りを見回していたチッピィを示してやった。
「チッピィ、あいつに遊んでもらえ」
(チッピィ、遊ぶ)
「お、バフスクか。よーし、どれぐらい賢いのか測定してやるぜー」
とことこと近寄ってくるチッピィにクォンが手を伸ばす。アッシュは彼らに軽く右手を挙げて言い置いた。
「じゃ、すぐ戻るよ」
「はいよー」
カテジナとクラリッサに続いて再び廊下に出る。カテジナが先ほどのジゼルの部屋とは反対側のドアを開けた。
「ど、どうぞ」
「おう。お邪魔します」
一声掛けて室内に入る。やはり畳敷きのような床で、左右にベッドが設えられており、その左のベッドの足元側には大きな衣装箪笥、右のベッドの足元側には小さな箪笥があり、部屋の真ん中にラグを敷いて丸テーブルが置いてあった。こちらのほうが暮らしている人数は多いのに、全体的にジゼルの部屋と比べると物が少ない。
その小さな箪笥の上に並べられた様々な小物の中に、掌ほどの大きさの薄い円盤があった。その中心部のレンズらしきものから立体映像で人物の立像が投影されている。これはおそらくアッシュの星でいうフォトスタンドに当たるものなのだろう。
アッシュは眼鏡のアンダーリムを押し上げて位置を調節し、顔を近付けてその立体映像を眺めてみた。連邦陸軍の軍服を着た、凛と張り詰めた冬の北風のような印象を受ける壮年の女性だ。どことなく彼女らの属する大隊の大隊長、ハンナ=シュタウフェンベルク大尉に通ずる雰囲気がある。
「この人、誰かの親族か?」
「わ、わたしの、お祖母さま、ペトリューシュカ=ビェルカ陸軍中佐、です」
「カテジナのお祖母ちゃんか……」
カテジナの幼さを加味しても、祖母というには若過ぎるように見えた。古い写真なのかもしれない。
「――ん? ペトリューシュカって、なんか聞いたような響きの名前だな」
「は、はい。わ、わたしのミドルネーム、ペトラは、その愛称です。お祖母さまから、この指輪と一緒に、貰いました」
アッシュの疑問に答えて、カテジナは右手の中指に嵌めた指輪型の魔装具を示す。
「あ、ま、魔装機は、新しいものに、交換しましたけど」
「どれどれ?」
アッシュはその手を取って指輪を観察してみた。勿論装飾品の目利きなど出来ないが、その精緻な細工の銀の指輪は彼女の祖母の物と聞いたせいかアンティーク的な価値が高そうに見える。我ながら単純だ。
クラリッサが珍しく静かな口調で言った。
「彼女のお祖母さまは、一兵卒から叩き上げで大尉にまで上り詰めたんだそうよ。カテジナの目標なのよね?」
「は、はい」
「ふーん。凄い人なんだな……。あれ? 大尉? さっき中佐って――」
言いかけてアッシュは、戦争映画等でよく聞く単語を思い出す。
「あ、二階級特進ってやつか……」
それは少し無神経な一言だっただろう。気付いて慌てて謝った。
「っと、悪い。無神経だったな」
「い、いえ。お祖母さまが亡くなったのは、わ、わたしが生まれる前ですから。実は、会ったことはないんです」
カテジナが俯き気味に応じる。そして、訥々と語り始めた。
「わ、わたしは、一族の中で、お祖母さま以来の、魔力値の高い赤ちゃん、だったそうです」
魔法使いとしてやっていけるほど魔力値が高い人間は全人口の内ほんの数パーセントに過ぎない、と聞いたことがある。しかも魔力値の高低は遺伝もしないので、魔力値の高い人間というのはほとんど突然変異的に発生するものらしい。
「わ、わたしの故郷は、カチェーシャの中でも貧しい地方で、軍人になるのは、手っ取り早くお金を稼げる、数少ない手段なんです」
「……そっか。カテジナは、一族の期待を背負ってるんだな」
この小さな身体に、その大きな期待という重圧を背負っているのかと思うと、いっそうこの教え子が愛おしく思えてきた。
「ペトリューシュカ=ビェルカ中佐は、十五年前のカナート紛争のとき、グラジオス半島撤退戦において民間人が避難する時間を稼ぐ為に最後まで一人で戦線を支え続けて戦死されたそうよ。士官学校の近代戦史の教本にも載ってる軍人の鑑だわ」
開けっ放しだったドアから、不意に声が掛けられる。振り返ってみると、そこにはジゼルが立っていた。
「そうなのか。ホントに凄い人なんだ……。――それはそれとして、おまえ、料理は?」
アッシュの問いに、ジゼルはあっけらかんと答える。
「後は煮込むだけだから」
「あんた、火を使ってるときに離れるなんて!」
慌ててクラリッサがキッチンへと飛んで行った。少しきょとんとした顔でジゼルが彼女を見送る。アッシュは苦笑したが、気楽な空気はそこまでだった。ジゼルが部屋の中に向き直り、両手を腰に当てて目尻を吊り上げる。
「それで、あなたたちはなにやってるのかしら? 手なんか繋いじゃって」
そういえば、カテジナの指輪を見る為に手を取ってそのままだった。
「カテジナ。上官の旦那様をこっそり部屋に連れ込んで誘惑するだなんていい度胸ね! この泥棒猫!」
ジゼルの怒りのオーラにカテジナが、ひっと息を飲む。アッシュは慌ててカテジナの手を離すと、ジゼルの誤解を解こうとした。
「待て待て! 誘惑なんてされてないって!」
「それじゃあ、ダーリンのほうから、この娘を誘惑したの!?」
ジゼルの怒りの矛先がこちらに向く。
「するか! だいたい、カテジナはまだ子供だろ!」
「……こ、子供じゃ、ないです。小隊長と、三つしか、違いません」
カテジナが、きゅっとアッシュの腕にしがみ付いた。彼女の予想外の行動に、アッシュは驚愕の声を上げる。
「って、うわぁ! なんで火に油を注ぐような真似を!?」
「ダーリン。あたし、昔の女のことは我慢出来るけど、今の浮気は許せないの!」
ジゼルが凄い剣幕で言った。アッシュは必死に抗弁する。
「浮気なんてしてねぇ! ていうか、おまえともそれ以前だろうが!」
(だから、どうしてジゼルと関わると、いつもこうギャルゲーみたいなシチュエーションになるんだよ!?)
アッシュは心の中で悲鳴を上げた。頭を抱えたくなったが、それよりもジゼルの怒りを静めるほうが先だ。どう説得すれば穏便に事が収まるのか猛烈な勢いで思考を巡らせるが、圧倒的に経験値が足りないせいか、いい台詞が思い浮かばない。
だがそのとき、救いの手が別のところから現れた。
「ほらほら、痴話喧嘩はそこまで。ジゼルも落ち着きなさい。あたしが一緒だったんだから、なにかあるはずもないでしょ?」
騒ぎを聞き付け、料理の火を止めてきたらしいクラリッサがキッチンから出てきてジゼルを宥める。姉のような存在に諭されて少し頭が冷えたのか、ジゼルは小首を傾げた。
「……それもそうよね。――って、これからなにか起ころうとしてる!」
とジゼルは、アッシュにしがみ付くカテジナを指差す。彼女の乗り突っ込みは珍しい。というか、そもそもアッシュに突っ込まれてばかりの彼女が突っ込みにまわること自体が珍しいのだが。
指摘されて我に返ったのか、カテジナは急に恥ずかしくなったように慌ててアッシュから離れると人形のように整った顔を真っ赤にした。今度はジゼルがアッシュの腕を取って、ぐいっと自分のほうに引き寄せる。
「これは、あたしの!」
「いや、俺は誰のものでもねぇ……」
ジゼルの宣言に、思わずアッシュは呟いた。しかし、おかげでとりあえず事態の収拾は付いたようだ。ジゼルに腕を引かれて、騒ぎを聞きつけたクォンが何事かと顔を出している居間のドアに向かいながら、アッシュは小声でクラリッサに礼を言った。
「サンキュ。助かった」
クラリッサが笑顔で応じる。
「ジゼルを泣かせるような真似したら、タマを切り取るわよ?」
「……肝に銘じておきます」
どうやら、ここで一番怖いのはこの人だったらしい。




