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プロローグ⭐︎

挿絵(By みてみん)

 ――世界は、変わった。


 かつて人類が「戦争」と呼んでいたものは、長い年月の中で少しずつ姿を変え、国家が何十万、何百万という兵士を動員し、都市を焼き、互いの国土へ軍隊を送り込むような大規模戦争は、少なくとも以前ほど頻繁には起こらなくなっていた。


 もちろん、人間が争うことそのものをやめたわけではない。領土、資源、思想、宗教、経済、政治――国と国が衝突する理由などいくらでも存在し、それらをすべて対話だけで解決できるほど、人類は都合よく変わってはいなかった。


 変化したのは、人類そのものではない。


 戦争を行う仕組みの方だった。


 そのきっかけとなったのは、ある日突然この世界へ姿を現した、人間とは異なる存在。


 ――天使。


 彼らは人間とよく似た姿を持ちながら、人間には到底再現できない力を有しており、自らの力の一部を他者へ与えることで、その者の身体能力や武器、さらには周囲の環境にまで影響を及ぼすことができた。


 炎。


 水。


 風。


 大地。


 人間からすれば、魔法とでも呼ばなければ説明できない力。


 だが、天使たちはその力を誰にでも与えたわけではない。


 彼らが力を貸す相手には、明確な条件が存在した。


 ――十八歳以下であること。


 どれだけ優秀な軍人でも、どれほど強大な権力を持つ政治家でも、十八歳を越えた人間へ天使が力を与えることはない。


 なぜ大人では駄目なのか。


 その理由を問われた天使たちは、人類が想像していたよりもずっと身勝手で、それでいて単純な答えを返したという。


 大人は力を手に入れれば、それを自分のものだと思い込み、他者へ誇示し、さらに大きな権力を求めようとするから嫌いなのだと。


 反対に、まだ何者にもなりきっていない少年少女が力を手にし、何を選び、何を守り、どう成長していくのかを見ることは面白いのだと。


 天使は、人類を無条件に救うために現れた神ではない。


 彼らには彼らの価値観があり、人類の善悪や倫理とは異なる尺度で世界を見ている。


 そして人類は、その天使たちの価値観を無視することができなかった。


 なぜなら、一度でも天使の力を持つ国と持たない国との間に圧倒的な差が生まれてしまえば、その差は通常の軍事力だけで埋められるものではなかったからだ。


 やがて、世界は天使たちを中心とした新しい秩序を作り上げることになる。


 国家の軍隊同士をぶつける代わりに、天使から力を与えられた十八歳以下の少年少女が戦場へ立ち、その勝敗によって国や地域の争いを決着させる。


 ――代理戦争。


 日本にも、その代理戦争へ参加するための専門学園が九つ存在している。


 銃器の扱い。


 戦闘技術。


 情報戦。


 航空運用。


 指揮。


 そして、それぞれの学園を管理する天使から与えられる特殊な力。


 普通の学校で学ぶにはあまりにも異質なものを、生徒たちは日常の授業として身につけていく。


 当然、この制度が作られた当初から反対意見は存在した。


 未成年を銃撃戦へ送り出すなど正気ではない。


 政府が止めるべきだ。


 警察が介入するべきだ。


 自衛隊が学生の代わりに戦えばいい。


 誰もが一度は考えることだろう。


 しかし、国家が代理戦争へ直接介入しようとすれば、天使はその国から去る。


 天使たちは最初からそう宣言していた。


 政府が武力で学園へ介入しても。


 軍隊を代理戦争へ参加させても。


 警察が戦場そのものへ踏み込んでも。


 その時点で、天使はその国への協力をやめる。


 他国が天使の力を維持したまま、自国だけがその力を失った場合に何が起こるのかなど、考えるまでもない。


 だから大人たちは介入しない。


 正確には――介入したくても、できない。


 倫理的に正しいのかどうか。


 子供を戦場へ送っていいのか。


 そんな議論がどれほど繰り返されても、国家は天使を失うという選択をすることができなかった。


 しかも代理戦争は、単に学校同士が名誉を競うための戦いではない。


 日本国内の代理戦争を制した学園と、その学園が属する地域は、その後三年間、日本の行政運営へ非常に大きな影響力を持つ。


 そして三年に一度、世界各国の代表校によって開催される世界規模の代理戦争――W・S・W《World・School・War》で勝利すれば、優勝国の国際的な発言力は大きく高まり、勝利した学園にも一年間、世界規模の政策や国際秩序へ影響を及ぼせるほどの権限が与えられる。


 少年少女が引き金を引く。


 その一発が戦線を動かし、戦線の勝敗が地域を動かし、その結果がやがて国家や世界の政治を変える。


 そんな制度が、人類にとっての新しい戦争になった。


 もちろん、旧来の戦争より犠牲者は少ない。


 都市全体が焼かれることも、数十万人の民間人が一度に戦火へ巻き込まれることも大きく減った。


 だから代理戦争が始まった頃、多くの人間はこの制度を歓迎したという。


 犠牲を抑えられる戦争。


 人類がようやく見つけた、よりましな争い方。


 だが、どれだけ犠牲が減ったところで、戦争が戦争であることに変わりはなかった。


 俺たちが握る銃には本物の実弾が入っている。


 撃たれれば血が流れ、骨が砕け、急所へ当たれば当然死ぬ。


 相手も本気で撃ってくる。


 こちらも勝つためには撃ち返さなければならない。


 さらに、代理戦争における死には、普通の死とは違うもう一つの恐ろしさが存在していた。


 戦場で死亡した者についての記憶は、天使の力によって人々の中から失われていく。


 どういう仕組みなのか。


 どこまで記憶が消えるのか。


 俺たち学生へ詳しいことまで説明されることはない。


 ただ、代理戦争へ参加する者なら誰でも一つだけ知っている。


 ここで死ねば、自分の命だけではなく、自分が確かに存在していたということさえ誰かの中から消えるかもしれない。


 そんな戦場へ。


 俺たちは今、向かっていた。


「今回の相手って、どこの学校だっけ?」


「確か……黄城学園じゃなかったか?」


「本当に黄城?」


「多分、黄城のはずだ……」


「まあ、黄城だろうがどこだろうが関係ないさ。結局俺たちは戦わなきゃいけないんだから」


 世界の政治だの、天使が作った秩序だの、そんな大袈裟な話とはあまりにも似つかわしくない呑気な会話が交わされている場所は、民間機とは似ても似つかない大型の軍用輸送機の中だった。


 機体は雲を切り裂きながら高度四千メートルを飛行しており、機内には真紅を基調とした制服を身に纏った少年少女たちが、それぞれ自分の武器や装備を確認しながら座っている。


 ここにいるのは、俺を含めて八人。


 操縦席にいる一人を合わせれば九人だ。


 学生だけで軍用輸送機を運用し、高度四千メートルから戦場へ向かっているなんて、代理戦争が存在しなかった時代の人間が見れば正気を疑う光景だろうが、この世界ではすでに珍しいことでも何でもない。


 俺の手の中にも黒い拳銃がある。


 鈍い金属光沢を放ち、握ればずっしりと重量が手のひらへ伝わってくる本物の銃。


 当然、装填されているのも訓練用の弾ではない。


 俺はマガジンが正しく装着されていることを確かめてから、もう一度グリップを握り直した。


「これから戦争かぁ……また、すっげえ量の弾が飛んでくるんだろうな」


「まあ仕方ないだろ。戦争なんだから、弾が飛んでくるのは当たり前だ」


「だよなぁ」


 軽口が交わされる中、隣から少しだけ真剣な声が飛んできた。


「それより、一樹君は能力使わないでね」


「…………」


 俺はそちらを見る。


 激しい癖毛が特徴的な女子が、普段より僅かに険しい目をこちらへ向けていた。


「……私たちのためにも」


 その一言で、騒がしかった機内の空気がほんの少しだけ変わる。


「分かってるよ。でも、本当に危険な状況になったら使わせてもらう」


「一樹」


「そうしないと、俺たちの目標を達成できないかもしれないだろ」


 誰もすぐには何も言わなかった。


 数秒のあいだ、耳へ届くのは輸送機のエンジンが発する低い駆動音だけだったが、やがて左隣に座っていた女子が小さく息を吐き、窓の外を見たまま口を開いた。


「一樹。それでも使わないで」


「…………」


「私たちは……これからも一緒に戦う友達を失いたくないから」


 静かな声だった。


 怒っているわけでも。


 責めているわけでもない。


 だからこそ、その言葉は妙に胸の奥へ残った。


「……分かってるよ」


 俺にはそう答えることしかできなかった。


 これから向かう場所は、本物の戦場だ。


 銃弾が飛び交い、運が悪ければ二度と帰ってこられない場所なのだから、本来なら誰一人として会話する余裕がなくても不思議ではない。


 実際、少し離れた場所にいる生徒の中には、表情を強張らせながら何度も武器を確認している者もいる。


 それなのに、少なくとも俺たちの周囲だけは戦場へ向かっているとは思えないほど普段と変わらず、時折笑い声まで聞こえてくるのだから、傍から見れば随分とおかしな集団に見えるだろう。


 改めて周囲へ目を向けると、まず視界へ入るのは三年生の勾坂先輩で、いつもの爽やかな表情を崩さないまま装備の最終確認をしている。


 少し離れた席には、何を考えているのか表情からほとんど読み取れない二年生の斬時先輩が座っており、その隣では赤城学園でも最上位に位置する揮移先輩が壁へ背を預け、腕を組んだまま静かに目を閉じている。


 そして俺と同じ一年生。


 窓へ張りつくように外を眺めている、小柄な女の子。


 その近くには、そんな彼女を気に掛けるように立っている気の強そうな女子。


 俺の右隣には、いつも目を細めたまま周囲を冷静に観察している男子がいて、左隣にはさっきから俺の能力について釘を刺してくる癖毛の女子が座っている。


「イッキっ! 外がすっごく綺麗なのよさ!」


 突然、小柄な少女が大声で俺を呼んだ。


 窓に両手をつき、大きな瞳をさらに輝かせながらこちらを振り返っている。


「分かったよ。今そっち行くから待ってろ」


 俺は座席から立ち上がり、時折揺れる機体の中を手すりへ軽く触れながら少女のところまで歩いていく。


 すると、その隣にいた女子がすぐこちらを睨んだ。


「イッキ。今日から戦争なんだから、能力なんて使うんじゃないわよ。いいわね!」


「分かってるって……みんな同じこと何回言うんだよ」


「何回でも言うわよ。あんた、放っておいたら何するか分からないんだから」


「そんな信用ない?」


「ない」


「即答かよ」


 思わず顔をしかめると、間にいた小柄な少女がそんな空気など気にも留めず俺の袖を引っ張った。


「それより早く見るのよさ! 本当に綺麗なのよ!」


「はいはい」


 俺は少女の隣から窓を覗き込む。


 眼下に広がっていたのは巨大な湖で、陽光を反射した水面が無数の宝石を散らしたように輝き、その周囲には深い森がどこまでも続いている。


「確かに綺麗だな」


「なのよさ!」


 少女が嬉しそうに笑う。


 俺もそのまま景色を眺めていたが、湖畔の森へ視線を移したところで、不自然な光が一瞬だけ目に入った。


「…………」


 金属特有の反射。


 細長く伸びた砲身。


 そして、その先端が向いているのは。


「……あれ」


「どうしたのよさ?」


 俺は窓へ少し顔を寄せる。


 見間違いではない。


 森の中に配置されている対空砲が、はっきりとこちらへ照準を合わせている。


「もう狙われてないか……?」


 そう呟いた、ちょうどその時だった。


 機内の奥から一人の女性が歩いてくる。


 長い赤髪を揺らす美女。


 赤城学園を管理する天使、ミカエル。


 ただし服装だけを見れば、とてもこれから代理戦争へ向かう人間には見えず、周囲の生徒たちが真紅の制服や戦闘装備で固めている中、彼女だけはカジュアルな上着にジーンズという格好をしているため、どうしても一人だけ浮いて見える。


 ミカエルは俺たちの前まで来ると、パンッ、と両手を叩いた。


「みんな、聞いて!」


 談笑していた連中が一斉に彼女へ視線を向ける。


「これから私たちは、青城学園と代理戦争を行います!」


「…………」


 青城。


 俺は思わず右隣にいる男子を見る。


 向こうもこっちを見ていた。


 さっきまで、全員黄城って言ってなかったか?


「今回を突破すれば、次はいよいよ決勝戦。国内代表まであと一つだから、みんな気合い入れてね!」


 ミカエルは俺たちの疑問など気づいていないのか、そのまま話を続ける。


「ここまで勝つための訓練は十分やってきたし、みんなの実力について私から心配することはありません。ただ、青城は水系統を得意とする生徒が多いから、赤城の炎だけで正面から押し切ろうとは考えないこと。能力の相性だけで勝敗が決まるほど、代理戦争は単純じゃないからね」


「分かってるわよ」


 気の強い女子が腕を組む。


「それより、早く拠点を作りたいんだけど」


「そうね」


 ミカエルは頷くと、俺たちを順番に見回した。


「じゃあ先行降下は、一樹君」


「俺?」


「斬時君」


「了解」


「それから勾坂君。三人にお願いするわ」


「分かりました」


 俺たちはほぼ同時に立ち上がる。


「下ではすでに青城側が対空配置を終えている可能性があるから、輸送機を狙われたら無理に同じ地点へ降りないこと。まずは後続が展開できる場所を確保して、そこから状況を報告して」


「……ちなみに」


 俺は窓の外へ視線を戻した。


「多分、もう狙われてますよ」


「え?」


 ミカエルも窓を見る。


 数秒。


「……本当だ」


「確認遅くないですか?」


「まだ撃たれてないから大丈夫!」


「そういう問題ですか!?」


 その直後、まるで会話を聞いていたかのようなタイミングで警告音が機内へ鳴り響いた。


『地上より対空射撃確認』


 操縦席から声が飛んでくる。


『そろそろ来るぞ。降下する奴は準備しろ』


「ほら!」


「はいはい、三人行って!」


「学園長!」


 俺が抗議するより早く、機体後方にある大型ハッチがゆっくりと開き始めた。


 ゴォォォォォォォ――ッ!!


 瞬間、凄まじい風が機内へ流れ込み、立っているだけでも身体を後方へ持っていかれそうになるほどの暴風が制服を激しく叩いた。


 窓越しではない。


 直接見る、高度四千メートルの空。


 青空と雲、その遥か下には森と湖、さらにこれから俺たちが戦う青城側の広大な戦域が広がっている。


「三人は先に降りて、後続が展開できる地点を確保して!」


 ミカエルが風に負けないよう声を張る。


「安全が確認できたら、私たちも降下するから!」


「了解!」


 勾坂先輩と斬時先輩は背負っている特殊降下装備を確認すると、互いに一度だけ目を合わせた。


「行こうか」


「了解」


 二人は一切迷うことなく開いたハッチから飛び出し、真紅の制服姿は猛烈な風へ飲み込まれるように小さくなり、そのまま眼下の戦域へ向けて降下していった。


 そして。


 最後に残った俺もハッチの前へ立つ。


 ただし、二人とは違い背中に降下用パラシュートはない。


「イッキ!」


 後ろから怒鳴り声が飛んでくる。


「何!」


「能力使うなって言ったでしょ!」


「これは別!」


「何が別よ!」


「降りるために必要だろ!」


「だったら普通にパラシュート使いなさいよ!」


「持ってきてない!」


「馬鹿ぁぁぁっ!」


 背後から聞こえてくる怒鳴り声に思わず笑いながら、俺はもう一度眼下へ視線を落とした。


 これから始まるのは、訓練でも試合でもない。


 本物の銃を持った同年代の学生同士が、自分たちの地域や学園、その先にある国家のために戦う代理戦争。


 俺たちが勝てば先へ進める。


 負ければそこで終わる。


 そして運が悪ければ、自分自身の人生まで終わる。


 それでも、ここまで来た以上は降りるしかない。


 俺は大きく息を吸うと、高度四千メートルの空へ身体を投げ出した。


「――っ!」


 全身を猛烈な風が叩き、腹の奥が持ち上がるような感覚とともに身体が地上へ向かって一気に加速する。


 上も下も分からなくなるほどの風圧に晒されながら姿勢を整え、数秒間だけ自由落下を続けたところで、俺は背中へ意識を集中させた。


 これ以上は必要ない。


 ただ、飛ぶためだけに使う。


「……来い」


 次の瞬間。


 バサッ――!!


 漆黒の羽根が青空へ舞い上がった。


 俺の背中から現れたのは、左右一対ではない。


 片方だけ。


 陽光さえ拒むような深い黒を持つ、巨大な片翼。


 翼を広げた瞬間、地上へ真っ逆さまに落ちていた身体へ強い横向きの力が加わり、急激に姿勢が変わる。


「っ……!」


 翼で風を受け、身体を傾けながら落下速度を抑えると、そのまま先に降下していった二人を追うように空を滑っていく。


 眼下には青城学園。


 その森の中では、すでにこちらへ向けられた無数の銃口が陽光を反射していた。


 十八歳以下の少年少女だけが天使から力を与えられ、その力を持つ者たちの勝敗によって地域が、国が、時には世界そのものまで動いていく。


 それが、今の世界だ。


 正しいのか。


 間違っているのか。


 そんな答えを出せるほど、俺は世界のことを知らない。


 ただ一つ分かっているのは、これから俺たちが降りていく場所では、迷っている時間など与えてもらえないということだけだった。


 俺は漆黒の片翼を大きく広げ、先を降下する二人の背中を追いながら、これから始まる戦場へ向けて一気に高度を落としていった。

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