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身分違いの朝食係はもう辞めます、辺境公爵家で病人食を作ります。  作者: 小竹X


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第8話 召喚状は朝露に濡れて

王宮からの正式な召喚状は、北境の朝露に濡れて届いた。封蝋には王太子の紋章が押されている。紙は上質で、香が焚きしめられていた。リディアは厨房の窓辺でそれを受け取り、しばらく開けずに眺めた。


 王宮の匂いがする。磨かれた床。白い壁。朝食の時刻を遅らせる会議。皿を空にできなかった国王の咳。ミレーヌの甘い花蜜湯。


 そして、「君は自分の役目を大きく見すぎている」と言った王太子の声。


「開けないのですか」


 トマが湯気の向こうから聞いた。


「開けます」


 リディアは封を切った。文面は丁寧だった。丁寧すぎて、かえって命令の形がよく見えた。


 国王陛下の体調不良につき、至急王宮へ戻り、以前と同じく朝食の調整を行うこと。王宮厨房で知り得た技術は王家に属するものであり、外部での使用を控えること。北境公爵家に対しては、王家から相応の補償を行う。


 最後に、王太子セドリックの署名。リディアは読み終え、紙を畳んだ。


「以前と同じく、だそうです」


 マルタが眉を上げた。


「同じくとは、任命書も俸給もなく、朝だけ呼びつけるという意味でしょうか」


「おそらく」


「王宮の方々は、言葉を飾るのがお上手ですね」


 年配の家令長の声音は静かだったが、厨房番たちは皆、背筋を伸ばした。そこへエルヴィンが入ってきた。今朝の粥は十口まで進んだので、顔色はさらに戻っている。だが召喚状を見た時、その表情から柔らかさが消えた。


「読ませてもらってもいいか」


「はい」


 エルヴィンは文面を読み、しばらく黙った。


「王家はあなたを物品のように補償対象にしている」


 その言葉に、リディアの指先が少し冷えた。自分でも感じていたことを、他人の声で聞くと逃げ道がなくなる。


「陛下のご容態は心配です」


「それは分かる」


「私は、陛下に恨みはありません。むしろ、陛下だけは私の粥に礼を言ってくださいました」


「なら、陛下を助ける方法を考えよう。あなたを元の場所に戻すこと以外で」


 リディアは顔を上げた。エルヴィンは召喚状を作業台に置いた。


「王宮へ返事を出す。あなたは現在、ノルドヴァルト公爵家と契約中だ。契約解除には本人の意思と、こちらの同意が必要。国王陛下への助言は、文書で行うことができる。必要なら、こちらから料理長宛に手順を送る」


「王太子殿下が怒ります」


「怒るだろう」


「王家に逆らうことになりませんか」


「王家が正式な契約を軽んじるなら、こちらは正式な契約を示すだけだ」


 リディアは言葉を失った。王宮で彼女は、契約の外に置かれていた。便利な時は貴族令嬢、責任を負わせたい時は厨房の者、身分を理由に黙らせたい時は子爵家の養女。


 ノルドヴァルト公爵家の紙は、彼女をひとりの働き手として扱っている。それがこんなにも心強いものだとは、知らなかった。


「でも、陛下が苦しむのを放っておくのは」


「放っておかない」


 エルヴィンは、はっきり言った。


「あなたが助言を書く。私が公爵家の名で送る。料理長グラント殿が実行できる形にする。王太子が邪魔をしたなら、その記録も残る」


 マルタが頷いた。


「リディア様、まず三日分より細かい七日分の表を書きましょう。薬草棚の鍵を誰が持っているかも確認する必要があります」


「王宮の薬草棚は、ミレーヌ様の侍女が管理すると聞きました」


「では、料理長宛の封と、侍医長宛の封を分けます。王太子殿下宛だけにすると、途中で止まります」


 マルタの手際は、王宮の侍従よりずっと現実的だった。リディアは紙を取り出した。


 手が震えていないことに気づく。最初の一行を書いた。


 陛下の朝食は、甘みを避け、香りを弱く、粥は焦げを混ぜないこと。当たり前のことに見える。


 けれど、その当たり前は、誰かが守らなければすぐ崩れる。昼までに、リディアは七日分の手順を書いた。喉の乾き、湿った咳、胸の詰まり、食後の眠気、薬の苦み。症状ごとに、火加減と湯の種類を分けた。


 午後、エルヴィンの署名を添えて返書が封じられた。その場で、リディアはもう一枚の紙を取った。


「私からも、王太子殿下へ短い返事を書きます」


 エルヴィンは黙って頷いた。リディアは考えながら、丁寧に書いた。


 王宮の朝食係として戻ることはできません。国王陛下の食事について、正式な依頼と必要な敬意がある場合に限り、文書による助言をいたします。


 私の母から受け継いだ技術は、王家の所有物ではありません。書き終えた時、胸が痛んだ。


 けれど、その痛みは前に進むためのものだった。夕方、返書を持った早馬が王都へ向かった。


 厨房の窓から、その背を見送る。トマが小さく言った。


「王宮って、怖いところなんですね」


「怖いだけではないわ。優しい人もいるし、守りたい人もいる」


「でも、リディア様を守らなかった」


 子どものようにまっすぐな言葉だった。リディアはすぐに答えられなかった。


 代わりに、鍋の火を弱めた。


「だから今は、自分で自分を守る練習をしているの」


 トマは真剣な顔で頷いた。


「じゃあ、火の番は自分が守ります」


 その言葉に、リディアは初めて声を出して笑った。王宮からの召喚状は、もう乾いていた。

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