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身分違いの朝食係はもう辞めます、辺境公爵家で病人食を作ります。  作者: 小竹X


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第69話 朝を作る場所

北境の夏は短い。朝の光が薬草畑を斜めに照らし、白葉草の葉に小さな露が残っていた。リディアは籠を持って畑へ出た。今日は食養院の新しい見習いたちに、葉を摘む時間と乾かし方を教える日である。


 畑の向こうでは、エルヴィンが兵たちと話していた。彼は以前より無理をしない。会議が続く日は麦湯を持ち、遠征前には食袋の確認を兵に任せ、疲れたときは疲れたと言うようになった。


 それは公爵として弱くなったのではない。人に任せられる強さを覚えたのだと、リディアは思う。


 見習いたちが集まる前に、彼女は薬草畑の端で足を止めた。ここに来た最初の冬、土は固く、畝は荒れ、誰も何を植えていいかわからなかった。今は札が立ち、乾燥棚があり、薬師と炊事係が同じ畑を見ている。


 王宮の勝手口を出たあの日、彼女は鞄一つだった。薬帳と小さな着替え、母の温脈帳の写し。


 自分の価値が、その鞄の中にしかないようで怖かった。けれど、価値は持ち物の中だけにあるものではなかった。


 火を見る目、匂いを確かめる指、食べられない人の沈黙を急かさない時間。そういうものは、場所を変えても失われなかった。


 むしろ、尊重される場所で増えていった。


「夫人」


 トマの声がした。


 見習いたちが畑の入口に並んでいる。王都から来た者、村から来た者、兵舎の炊事係、商家の娘。身分も事情も違う。誰かに卑しいと言われたことがある者もいれば、まだ台所を軽く見ている者もいるだろう。


 リディアは籠を置き、彼らの前に立った。


「白葉草は、朝露が乾ききる前に摘むと傷みやすいです。けれど、日が高くなりすぎると香りが抜けます。だから、畑を見る時間を決めておくことが大切です」


 見習いたちは真剣に聞いている。


「ただし、今日覚えてほしいのは、葉の摘み方だけではありません。台所の仕事は、誰かの体を預かる仕事です。身分で軽くなったり、飾りで重くなったりしません」


 風が畑を渡った。リディアは続けた。


「もし、あなたが台所に立つことを笑われたら、記録してください。誰が何を作り、誰が食べ、何が助けになったか。名を残してください。名のある仕事は、次の人を守ります」


 若い見習いの一人が、そっと前掛けの紐を握った。リディアはその手を見て、昔の自分を少し思い出した。


 だが、今の彼女は一人で勝手口に立っているわけではない。講習が終わると、厨房では昼の支度が始まった。見習いたちは摘んだ葉を広げ、トマが乾燥棚の風向きを説明し、ハンナが年寄り用の汁を味見している。


 エルヴィンが厨房へ入ってきた。彼は皿を一枚持っていた。朝の食堂で使った自分の皿である。


「返す」


「今日は遅かったですね」


「兵たちと話していた」


「麦湯は飲みましたか」


「飲んだ。手順札に書かれている」


 リディアは笑った。彼は皿を洗い場へ置き、彼女の隣に立った。


「この厨房は、ずいぶん大きくなったな」


「はい。でも、最初に作った薄粥の鍋と、あまり変わらないところもあります」


「どこが?」


「食べる人を見るところです」


 エルヴィンはうなずいた。昼の鐘が鳴る。


 食養院の扉が開き、講習を終えた者たちが椀を取りに来る。兵も、村人も、書記官も、商人も、同じ列に並ぶ。豪華な食卓ではない。けれど、誰かが弱った日にも戻ってこられる場所だった。


 リディアは鍋の前に立ち、麦の濃さを確かめた。薄すぎない。重すぎない。


 今日の空気と、今日の人に合う。エルヴィンが隣で椀を並べる。


「公爵様、また皿を運ぶのですか」


「必要なら運ぶ。俺の仕事でもある」


 その言葉に、見習いたちが驚いた顔をした。リディアは何も説明しなかった。


 この場所では、公爵が皿を運ぶことも、夫人が鍋を混ぜることも、誰かを低くする行為ではない。食卓を支える手が増えるだけだ。


 昼の支度が整ったころ、リディアは窓の外を見た。遠い王宮の高い塔は、ここからは見えない。けれど、あの場所にも今朝、誰かが小皿を選び、記録を書き、怒鳴らない手順を守っているかもしれない。


 ローゼン家の厨房では、香料の壺に正しい札が貼られているだろう。東の砦では、兵が麦湯を先に飲んでいるだろう。


 いくつもの朝が、彼女の知らない場所で始まっている。リディアは鍋の火を少し弱めた。


 かつて、彼女は身分違いの朝食係と呼ばれた。もう、その言葉に傷だけを感じることはない。


 身分違いでも、朝食係でも、台所に立つ手が誰かの明日を支えるなら、その手には名がある。


「リディア」


 エルヴィンが呼んだ。


「最初の椀を」


「はい」


 彼女は椀を取り、麦粥をよそった。湯気が立つ。


 北境の短い夏の朝、食養院の厨房には人の声と薪の音が満ちていた。リディアはその音の中で、静かに思った。


 王宮の朝食係は、もう辞めた。けれど、朝を作ることはやめていない。


 ここが、彼女の場所だ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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