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身分違いの朝食係はもう辞めます、辺境公爵家で病人食を作ります。  作者: 小竹X


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第57話 食卓法の公布

王都の議会から、食卓法(しょくたくほう)公布の知らせが届いたのは初夏だった。正式な名は長い。


 『王立療養施設および軍務厨房における食養記録と職務保護に関する法』。


 食養院では、誰も最後まで一息で読めなかった。トマが紙を持って苦戦し、三度目で諦める。


「夫人、食卓法でいいですか」


「王都の役人には怒られるかもしれませんが、台所ではそのほうが通じます」


 法の中身は、リディアが王宮へ求め続けたことを土台にしていた。


 療養食を作る者の名と賃金を記録すること。

 薬湯や香料の出どころを残すこと。

 厨房で働く貴族や平民を、身分を理由に侮辱してはならないこと。

 食べられなかった記録を罰の材料だけにしないこと。

 軍務厨房では、病後食と通常食の橋渡し手順を備えること。


 完璧ではない。


 リディアは読みながら、足りない箇所に印をつけた。村の小さな台所にはまだ届きにくい。養家で働く者や、身分の低い女たちが家庭内で担う食事作りまでは守られない。法があっても、人が見なければ形だけになる。


 それでも、紙に書かれたことの重みはある。かつて「貴族令嬢が台所に立つなど卑しい」と言われた場所から、台所に立つ者を侮辱してはならないという法が出た。


 リディアは公布文を食養院の壁に貼った。その下に、手書きで一文を添える。


『法は鍋を混ぜません。混ぜる人を守るために使います』


 午後、北境の領主たちが集まり、食卓法への対応を話し合った。ノルバート男爵は、相変わらず眉間に皺を寄せている。


「記録係を置くには金がかかる」


「置かなければ、病人が出たときにもっと金がかかります」


「夫人はいつもそこを突く」


「胃も財布も、痛む前に手を打つほうが軽いです」


 男爵は苦笑した。


「では、我が領でも一名置こう。ただし、食養院から講師を出してもらう」


「もちろんです」


 他の領主たちも、渋々ながら同意していった。エルヴィンは議長席で静かに聞き、最後に言った。


「この法を、王都の顔色を見るための紙にするな。北境では、冬に人を生かす道具として使う」


 その言葉で、会議の空気が引き締まった。夜、リディアは公布文の写しを一部、母の木匙のそばに置いた。


 セラが生きていたら、どう思っただろう。喜ぶだろうか。


 それとも、法より明日の粥の水加減を気にするだろうか。たぶん、両方だ。


 リディアは木匙を手に取った。焦げ跡のある柄は、法の文字よりも古く、王宮の印よりも静かだった。


 彼女は小さく言った。


「お母様。少しだけ、台所が守られました」


 返事はない。けれど、厨房のほうから麦を洗う音が聞こえた。


 法の公布は終わりではない。明日の朝、その法に守られる人が本当にいるかどうかを確かめるところから始まる。

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