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身分違いの朝食係はもう辞めます、辺境公爵家で病人食を作ります。  作者: 小竹X


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第22話 白い粥と黒い帳簿

国王のための粥を作る前に、リディアは厨房の窓を少しだけ開けた。甘い香りを外へ逃がすためだ。


 侍女が驚いた顔をした。


「陛下のお部屋が冷えませんか」


「厨房の匂いを抜くだけです。寝室へ運ぶ時は、器を温めます」


 王宮で以前のリディアなら、そんな説明も小声だった。今日は違う。記録係がいる。侍医長がいる。グラントが頷いている。必要な説明は、必要な声量で言う。


 粥の材料は、選び直した。大麦は古くないもの。水は朝一番に汲んだものではなく、一度沸かして落ち着かせたもの。鶏出汁は脂を完全に取る。蕪は皮を厚めに剥き、繊維が残らないよう細かく刻む。塩は最後に、指先で。


 リディアは鍋の前に立つと、体が自然に動いた。王宮の火口は扱いにくい。だが、怖くはない。石板を戻し、薪を細く割り、魔導炉の口を半分閉じれば、火は暴れない。


 鍋の泡が小さくなる。粥は白く、静かにほどけていった。


「……その音だ」


 グラントが呟いた。


「リディア嬢がいた朝は、鍋の音が違った」


「音は、火の強さを教えてくれます」


「俺は、見ていたつもりで見ていなかった」


「料理長は大皿を見ていました。私は小鍋を見ていました。役割が違っただけです」


 その言葉に、グラントの大きな肩が少し落ちた。粥ができるまでの間、ヘンリックから届いた資料をエルヴィンが広げた。


 ガレア商会とローゼン家、王宮薬草購入の帳簿写しだ。王都商人組合への照会で、ここ半年、花蜜湯の価格が不自然に上がり、王宮への納入量が三倍になっていることが分かった。


 リディアは粥をかき混ぜながら聞いた。


「国王陛下の食事に必要な薬草費ではなく、嗜好品費として計上されていますね」


 エルヴィンが帳簿の一行を指す。


「それを療養費へ振り替えている」


 侍医長の顔が険しくなる。


「医療費として申請されていれば、私の確認が必要だった。嗜好品として入れ、厨房で混ぜたのか」


 グラントが拳を握った。


「厨房の棚に置かれた時点で、俺の責任にされたわけだ」


 黒い帳簿の数字は、粥の白さとは対照的だった。


 リディアは以前、王宮で帳簿を扱うことはなかった。けれど、朝食の皿にはいつも帳簿が混ざっていたのだと今なら分かる。高価な香薬が入る。必要な乾燥草が減る。鍵の管理が変わる。誰の金で、何を買うかは、体に届く。


 食事は、皿の上だけではない。リディアは完成した粥を器へ移した。葛湯は別に。薬湯は侍医長の確認後、半量。


 国王の寝室へ向かう廊下で、セドリックが待っていた。彼はリディアの灰色の前掛けを見た。


「それは、北境の」


「はい」


「王宮のものを用意できるが」


「不要です。私は公爵家の契約に基づいて来ています」


 セドリックは一瞬、何かを言いかけ、やめた。


「父上は、朝から君を待っている」


「待たせてしまいました」


「いや。待たせたのは、私だ」


 その言葉は、以前の彼なら言わなかったものだった。だがリディアは、そこで許すとも許さないとも言わなかった。


 国王の寝室は、甘い香りが抜かれていた。窓際に白湯が置かれ、侍医長の薬も準備されている。寝台の国王は痩せていたが、目ははっきりしていた。


「リディア」


 その声には、安堵と申し訳なさが混じっていた。


「お久しぶりでございます、陛下」


 リディアは礼をし、器を置いた。


「今朝は、二口から始めます。咳が出たら葛湯に替えます」


「そなたの声を聞くと、朝が戻った気がする」


 胸が痛んだ。


「陛下。朝は、人ではなく手順で戻すべきです。私がいない時も、食べられるように」


 国王はしばらくリディアを見ていた。そして、小さく頷いた。


「そうだな。私は、そなた一人に朝を預けすぎた」


 リディアは匙を渡した。国王は一口目を含む。喉が動く。咳は出ない。


 二口目。目を閉じた。


「……食べられる」


 その言葉を聞いた時、リディアは初めて、王宮へ来てよかったと思った。だが同時に、もうここに縛られるつもりはないと、はっきり分かった。


 白い粥は、国王の喉を通った。黒い帳簿は、これから人の前へ出される。

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