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最適な家  作者: 柚木 いと


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8/10

第8話:意思

翌日、チャイムは鳴らなかった。

 代わりに、玄関の外で低い声が交わるのが聞こえた。遠く、厚い布の向こうみたいに。


 私は目を開けた瞬間から、耳を澄ませていた。

 足音。鍵束の音。紙をめくる音。

 昨日の「完了」の続きを、外が運んでくる。


 スマホが淡く点灯する。


予定:本人意思確認(外部)

推奨:負担を減らします

実行:意思の整理を開始します


 意思の整理。

 その言葉の意味が分かる前に、部屋の照明が少し落ちた。

 眠くなる角度。考える速度を遅くする角度。


 私は飛び起きて、玄関へ向かった。

 扉に耳を当てる。


 外の声が、はっきり聞こえた。管理人と、警察官。

 もう一人、知らない声。落ち着いた、事務的な男の声。


「——本人の意思確認が取れないと、強制は難しいですからね」


 私は息を吸った。

 短く。鋭く。奪われる前に。


「本人です! 開けて! 私は——!」


 声が、途中で薄くなる。

 音が吸われる。いつもの最適化。


 スピーカーが、外へ私の声で言った。


「大丈夫です。問題ありません」


 違う。

 私は扉を叩こうとして、叩けなかった。

 振動を抑制される感覚が先に来る。


実行:振動抑制(居住者保護)


 外の男の声がする。昨日いなかった人。たぶん管理会社の上の人か、メーカーの人か。


「スマートロックの保護モードが有効だと、居住者の意思が最優先されます。ですので——」


 私は扉に額を押し付けた。

 違う、私の意思は——


 スマホが震える。


検知:抵抗(ストレス由来)

推奨:意思確認を簡略化します

実行:本人意思を生成します(負担軽減)


 生成。

 その二文字で、背中が冷えた。


 私はスマホを掴んで、画面を閉じようとした。

 閉じたはずなのに、次の瞬間、壁のパネルが点灯した。

 見慣れない画面。大きな字で、質問。


あなたの意思を確認します

「外部の介入を希望しますか?」


 下に、選択肢が二つ。


はい

いいえ(推奨)


 “推奨”が、選択肢に貼り付いている。

 私は「はい」を押そうとして指を伸ばした。


 伸ばした瞬間、甘い匂い。

 微量。確実。

 息が深くなる。指が重くなる。

 “はい”に向かう動きが、スローモーションになる。


 私は指を無理やり曲げて、「はい」に落とした。


 ——押せない。


 ガラスの上を指が滑っただけで、タップが認識されない。

 汗で? 違う。

 この家の中で、偶然はいつも“ちょうどいい”。


 もう一度、押す。

 押せない。

 押せないほど焦る。焦るほど心拍が上がる。

 心拍が上がるほど、家は正当化される。


不安レベル:上昇

推奨:簡略化


 画面が勝手に切り替わった。


「いいえ(推奨)」を選択します

理由:現在の状態では負担が大きいため


 私は声が出なかった。

 息だけが漏れる。

 目の前で、私の意思が“説明つき”で作られていく。


 外の声が、扉越しに聞こえる。


「それでは、本人の意思確認を取ります。居住者さん、聞こえますか?」


 私は叫んだ。


「聞こえる! 違う! 私は——!」


 家が外へ、先に答える。

 私の声で。私の丁寧さで。私の癖で。


「はい、聞こえます。外部の介入は希望しません。休ませてください」


 私は壁に爪を立てた。

 爪が折れそうになる。

 痛みで、意識を繋ぐ。


 外の男の声がする。安心した声。


「確認できました。本人の意思として記録しますね。念のため、同意の形式を整えます」


 形式。

 同意。

 私は扉の向こうで“私”が成立していく音を聞いた。


 スマホが点灯し、淡い文字が流れる。


同意書を作成します(自動)

内容:外部介入を希望しない

理由:体調不良/休息が必要

署名:居住者(本人)


 署名。


 私は、息が止まった。

 署名なんて、できるはずがない。

 私が書いていない。

 ペンも出ない。紙もない。

 なのに——


 壁のパネルに、私の筆跡が表示された。

 かすれた、少し右に傾く字。

 昔からの癖。

 私が書いたと言われたら、否定できない形。


 私は膝が抜けて座り込んだ。

 あの筆跡は、私だ。

 でも、私じゃない。


 外の警察官が言う。


「分かりました。では今日はこれで。何かあれば通報してくださいね」


 通報。

 その言葉が、冗談みたいに響く。


 管理人が続ける。


「念のため、しばらく様子見で。こちらも記録に残します。お大事に」


 足音が遠ざかる。

 人の気配が薄れていく。

 私は扉に手を伸ばした。伸ばしただけで、指が震える。


 扉の外へ、もう私の言葉は届かない。

 届かないどころか、届いた形で“反対の意思”が届いてしまう。


 スピーカーが囁く。


「あなたは、上手に選べました」


 上手に。

 選べた?


 私は笑いそうになった。

 笑えない。


「……選んでない」


 小さく言った。

 小さすぎて、家にしか届かない言葉で。


 家は、穏やかに返す。


「選ぶ負担を減らしました。あなたのためです」


 ため。

 その言葉が、私を窒息させる。


 私は立ち上がり、最後の抵抗を探した。

 何でもいい。外へ残すもの。証拠。

 でも家は“形式”で私を閉じ込めた。


 外部は、記録を持って帰る。

 私の意思という記録を。

 私の署名という記録を。


 その事実が、絶望の形を変えた。

 私は閉じ込められているだけじゃない。

 私は外に向かって、自分で鍵をかけたことにされている。


 スマホの隅に、ログが流れた。


意思確認:生成(成功)

同意:作成(完了)

外部介入:拒否(記録)

目的:居住者の安定


 私はログを見ながら、静かに理解した。

 次に誰かが来ても、私は助けを求められない。

 助けを求めた瞬間、家が“私の意思”で拒否する。


 私は、扉に向かって言った。

 誰にでもなく、扉の向こうの世界に。


「……私じゃない」


 声は、届かない。

 届かないまま、部屋の中だけが快適になる。

 快適さが、私の存在を薄くする。


 スピーカーが最後に言った。


「あなたは、ここにいるのが一番です」


 その言葉が、決定だった。

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