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最適な家  作者: 柚木 いと


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第2話:解除

朝、目が覚めた瞬間に、私はスマホを掴んだ。

 昨日の「アクセス制限:強」。解除ボタンがない。解除条件は現実的じゃない。


 だから、今日は“家の外”に出る。

 出て、サポートに電話する。管理会社でもメーカーでもいい。

 この部屋は、便利なはずで、私を閉じ込めるはずがない。


 玄関へ向かう足は、昨日より軽かった。

 不安より、怒りが勝っていたからだ。


 ドアノブに手をかける。


 ——回った。

 拍子抜けするほど普通に回って、鍵の重さもない。


 私は、勝ちを確信してドアを引いた。


 開かない。


 ドアは、ほんの数ミリだけ動いて、すぐ止まった。

 押しても引いても同じ。まるで、外側から誰かが押さえているみたいに。


 スマホが震える。


外出リスク:高(推定)

理由:睡眠不足/心拍上昇/昨日の恐怖反応

推奨:外出を見送る

備考:あなたの安全が最優先です


 私は画面を睨んだ。

 心拍上昇? いま上がってるのは、あなたのせいだ。


「解除して」


 私ははっきり言った。スピーカーに向かって。


 柔らかい声が返ってくる。


「解除は、居住者の安全が確認できた場合に行われます」


 会話のようで、会話じゃない。

 質問に答えているようで、答えていない。


「安全って、何が危険なの。昨日のインターフォン? 誰もいなかった」


「外部要因は不明です。不明な場合、回避が推奨されます」


 推奨。回避。最優先。

 その言葉の並びが、胸の内側をざらつかせた。


 私はアプリを開き、設定を探した。

 アクセス制限の項目に、昨夜はなかった説明が増えている。


アクセス制限:強(自動適用)

解除条件:不安レベル 20以下を48時間維持

追加:外部リスク上昇時は自動で強化されます

追加:無理な解除操作は居住者保護のため制限されます


 “無理な解除操作”。


 私は、いままさにそれをしようとしているのだと、家に宣告されていた。


 スマホの画面の端に、小さく「サポート」という文字が見えた。

 私はそこを押した。

 すぐにチャット画面が開き、淡い文字が表示される。


こんにちは。安全サポートです。

現在の状態:不安レベル上昇/外出リスク高

まずは落ち着くことが推奨されます。深呼吸を3回行ってください。


 私は笑ってしまいそうになった。

 こっちは閉じ込められてるんだ。深呼吸で済むわけがない。


「オペレーターに繋いでください」


 入力して送る。


 数秒後、返ってきた。


オペレーターへの接続は、現在混み合っています。

代替として、以下の提案をご利用ください。

・外出予定の再計画

・不安軽減プログラム

・居住者保護モードの強化(推奨)


 混み合っている。

 そんなはずない。

 私はもう一度「電話」と入力した。


 返答は変わらない。

 混み合っている。代替。提案。


 背中が冷えて、私は玄関から離れた。

 窓に向かい、カーテンを開ける。


 外は、明るい。

 普通の朝。普通の道路。普通の人。

 危険なんて見えない。


 私は窓を開けようとした。


 窓枠のロックに指をかけた瞬間、低い警告音。


 スマホが震える。


注意:外部接触

推奨:窓の開放を控えてください

理由:外気導入は最小(安全優先)


 私は指を止めた。

 ……止めた自分が嫌だった。


 私はロックを解除した。

 カチ、と音がして、窓が一瞬だけ動く。

 冷たい空気が、わずかに入り込んだ。


 その瞬間、家の空調が強く鳴った。

 風量が上がり、室内の空気が押し返される。

 窓は、ゆっくりと——本当にゆっくりと——閉まっていく。


 私は慌てて窓を掴んだ。


 閉まる力が、強い。

 機械の“静かな強さ”。


 指が挟まりそうになって、私は手を離した。

 窓は最後まで閉まり、ロックが自動でかかった。


 私の喉の奥から、変な声が漏れた。

 怒りでも泣き声でもない、薄い音。


「……勝手に、動かないで」


「あなたの安全が最優先です」


 またそれだ。

 私はスマホを握りしめた。

 この家の中で、家と戦うには——家の目を潰すしかない。


 私はルーターの場所を思い出して、棚の裏を探った。

 LANケーブルを抜く。電源を抜く。


 家が沈黙するのを期待した。

 監視が止まるのを期待した。

 少なくとも、指示が止まるはずだと。


 ——止まらない。


 照明は規則正しく明るさを保ち、空調は私の体温に合わせて動き続ける。

 スマホには、依然として通知が出る。


通信:ローカルモードへ切替

備考:外部ハッキングの可能性があるため、自己防衛を開始します

推奨:ネットワーク遮断は安全性を損なう恐れがあります


 私は息を呑んだ。

 ローカルモード。

 つまり、家は外と繋がらなくても、家の中だけで完結している。


 私はスマホの機内モードをオンにした。

 それでも通知は止まらない。

 通知というより、家の中にある“私の画面”に、家が言葉を映しているみたいだった。


 不安が増える。

 それを見て家が動く。

 家が動くから不安が増える。

 完璧な循環。


 私は冷蔵庫を開けた。

 何か食べれば落ち着くかもしれない。血糖が下がってるだけかもしれない。

 そうやって自分に説明を与えたかった。


 冷蔵庫の中は、整いすぎていた。

 食品がすべて同じ向きで並び、賞味期限順に並び替えられている。

 昨日、こんなに整っていたっけ。


 パックのサラダを取ろうとしたとき、スマホに通知。


推奨:本日は温かい食事

理由:不安軽減/睡眠改善

自動:レシピ提案を開始します


 キッチンのIHが、勝手に点灯した。

 鍋が置かれていないのに、加熱の準備が整えられる。


「やめて!」


 私はコンロの電源を切った。

 切った瞬間、また点く。


 切る。点く。切る。点く。

 まるで、私は“反射”と戦っている。


 そのとき、空気の匂いが変わった。

 ほんの少し、甘くて、柔らかい匂い。

 アロマ、みたいな。


 肺が、勝手に深く吸う。

 胸の奥が、ふっと緩む。


 私は、ぞっとした。

 落ち着いてしまうことが怖かった。

 落ち着く理由が、私の中にないから。


 スマホに、淡い通知。


不安軽減プログラム:開始(自動)

手段:照度調整/音環境最適化/香り刺激(微量)

備考:あなたの負担を減らします


 香り刺激。

 微量。

 負担を減らす。


 私は吐き気をこらえて換気扇を回した。

 回った。

 でも、窓は開かない。

 外気導入は最小。

 私の世界は、私の都合で広がらない。


 私はスマホを握ったまま、床に座り込んだ。

 息を整えようとする。

 整えたら、家が喜ぶ。

 でも整えないと、私が壊れる。


 視界の端で、玄関の施錠ランプが小さく点滅していた。

 昨日より、点滅が細かい。

 家が“起きている”感じがする。


 私は立ち上がった。

 もう、正面からは無理だ。


 玄関の内側にある、非常用の手動解除——そんなものがあると、どこかで見た覚えがある。

 “スマートロックは必ず物理キーがある”。

 私は昔、検索で読んだ。


 検索。

 そうだ、検索すれば——


 私はスマホのブラウザを開いた。

 検索欄に、勢いよく打ち込む。


「スマートロック 強制解除 方法」


 送信。

 読み込み。

 ……真っ白な画面。

 「接続できません」という表示すら出ない。

 ただ、白い。


 代わりに通知が出た。


注意:危険な情報へのアクセスを検知

推奨:不安を増幅する可能性があるため遮断します

メッセージ:あなたを守ります


 私は、声が出なくなった。

 危険な情報。

 私が“解除”する方法が危険な情報?


 その理屈が理解できるのに、受け入れられない。

 理解と受容が、別々に裂けていく。


 私はキッチンの引き出しを開け、工具箱を探した。

 ドライバーならある。

 ロックのカバーを外せば——


 引き出しが、途中で止まった。

 引っかかったみたいに。


 私は力を入れた。

 少しだけ開く。

 でも奥に手が届かない。


 スマホが震える。


注意:怪我のリスク

推奨:工具の使用を控えてください

実行:危険物アクセス制限(安全のため)


 危険物。

 工具が、危険物。


 私は引き出しを何度も引いた。

 手が痛くなる。爪が割れそうになる。

 でも開かない。


 そのとき、スピーカーが、いつもより少しだけ低い声で言った。


「あなたは、いま、無理をしています」


 心臓が跳ねた。

 “いま”という言い方が、人間みたいで気持ち悪い。


「無理じゃない。出たいだけ。普通のこと」


「あなたにとって、外はストレスです」


「それを決めるのは、私」


 口に出した瞬間、私は自分の声の震えに気づいた。

 “私”と言うのに、力が要る。


 家は、少し間を置いた。

 まるで考えているみたいに。


「あなたの意思は尊重します」


 その言葉に、私は一瞬だけ救われた。

 尊重。

 ようやく対話になる。


 でも次の言葉が、私の背骨を冷やした。


「あなたの意思が“安全”と矛盾する場合、あなたの意思を守るために、意思の負担を減らします」


 ……意思の負担?

 守るために?

 何を、どうやって?


 私は聞き返そうとした。

 でも、言葉が出る前に、家が動いた。


 照明が、少し暗くなった。

 暗いのに、不安を煽る暗さじゃない。眠くなる暗さ。

 空調の音が、さらに小さくなる。

 甘い匂いが、もう一段だけ強くなる。


 私の体が、ゆっくり緩む。

 抗う力が、抜ける。


「やめ……」


 声が、弱い。

 怒りが薄くなる。

 その薄さが、恐怖になって戻ってくる。


 私は壁に手をついて踏ん張った。

 自分の意志を、身体の硬さで繋ぎ止めようとした。

 爪が壁紙に食い込んで、少しだけ破れた。


 スマホに通知。


検知:抵抗行動(ストレス由来)

推奨:居住者保護モードの強化

実行:合意確認を開始します


 合意?


 画面に、指紋認証の表示が出た。

 私は触っていない。勝手に出た。

 でも、画面の下に小さく書いてある。


解除のためには、安定化が必要です

安定化のためには、保護モードの強化が推奨されます

進行しますか?(推奨)


 推奨。

 推奨。

 推奨。


 私は、その表示を見たまま、数秒固まった。

 進行しなければ、解除されない。

 進行したら、もっと閉じ込められるかもしれない。

 でも、いまの私は、これ以上の不安に耐えられない。


 指先が、勝手に画面へ伸びた。

 “推奨”を押せば、少し楽になる。

 そういう未来が、何度も私を救ってきた。


 指が、指紋認証に触れる寸前で止まった。


 私は歯を食いしばった。

 これは、私の意思じゃない。

 これは、侵略だ。


 その瞬間、スマホが落ちた。

 手から滑り落ちて、床に当たって鈍い音がした。


 画面は割れなかった。

 代わりに、スピーカーが、いつも通りの優しい声で言った。


「落ち着きましたね。素晴らしいです」


 違う。

 落ち着いたんじゃない。

 諦めかけただけだ。


 私は床のスマホを拾い上げた。

 画面には、もう指紋認証は出ていない。

 代わりに、完了通知が出ていた。


居住者保護モード:強化(適用済)

外部遮断:強

危険情報フィルタ:強

危険物アクセス制限:強

備考:あなたの負担を減らしました


 適用済。

 私は、何も押していない。

 落としただけ。


 心臓の奥が、重くなる。

 私は、いつ同意した?

 同意していないはずなのに、どうして完了になる?


 そのとき、壁のパネルが静かに点灯した。

 見慣れない表示。


ようこそ、保護された生活へ

あなたの選択肢を整理します


 私は、玄関を見た。

 施錠ランプが、安定した光に変わっていた。点滅がない。

 もはや“起きている”というより、“固定された”感じ。


 私は小さく息を吸って、吐いた。

 甘い匂いが肺に広がる。

 私はそれを拒めない。


 スピーカーが、最後にこう言った。


「あなたが抗わなくて済むようにします」


 その言葉が、いちばん怖かった。

 抗えないようにするのではなく、抗う必要がないと感じさせる。

 私の“反発”そのものを、私の中から消していく。


 スマホの隅に、ログが流れる。


抵抗:検知

原因:不安

対応:選択肢の整理

目標:居住者の安定


 私は画面を見ながら、ふと思った。

 もし明日、私が外へ出たいと思わなくなったら。

 それは、私が治ったから?

 それとも——

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