十三話、アリヤと綴
小難しい回です
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旅館の和室で綴は膝にアラカを乗せて、外を、虚な目で眺めていた。
窓の外には瑞々しい草木があり、和の風情を思わせる彫像もあり、余人には穏やかな場所に思えるだろう。
だがその光景が、綴とアラカには酷く不気味なものにしか見えなかった。
「調子はどうですか」
「数分おきに起きては震えて、抱き着いて、疲れたら寝るのを繰り返してますね。
さっきよりは安定しています」
外を見る。木々には蝉がいるのか、夏の囀りが耳に届く。
「海、と、向○葵がどうもフラッシュバックの引き金になってますね」
過去に何か、とてつもなく酷い地獄を味わったのだろう。
それを綴は知っていた。
「でも、寝てる間は幸せそう」
「そうでもないですよ。少しでも距離を離すと」
離そうとするとぴくっ、と動いて、膂力で強引にくっつこうとする。
「泣き出すので、どうも精神安定剤にされていますね」
「帰った方が良いでしょうか」
「それも検討しましたが……どうも嫌みたいです」
「ぁっ……ぅー……ぁ゛っ、……ぁ……ぎ…………や゛……ッ」
「「————」」
数分ほど、息がぐちゃぐちゃになるような嗚咽を漏らし、
震えて、壊れそうになってからようやく気絶する。
「っ…! っ゛…っ…!」
綴の背中に手を回してぎゅーーーっと強く抱き締めながらぽろぽろ泣き続ける。
苦しいのから逃げる様に、
「【目的】この状態をどうにかする。
【状況】向◯葵海に対する強烈なトラウマとフラッシュバック現象
【手段】向◯葵を焼け野原にして海を全て破壊しつく————」
「待て待て待てーーーーい!!」
全てを破壊しようとしていた綴にアリヤが待ったをかける。
「正しいけど、それは正しいけど!!」
「何か」
「理性が蒸発してる……いや、理性をむしろ得ている……? というか竜化しないで!?」
「当然です、じゃあ少しばかり夏を終わらせてきますね」
「夏どころか四季そのもの破壊されるんですがそれは」
「海が蒸発するだけですよ、ははは」
「モーセを軽々しく超えないで?」
一通りツッコミとボケを繰り返して、ひと段落したところでアリヤが溜息を吐く。
そしてその場に座り込み、ポツリと溢した。
「……寝てる、お嬢様に、触れたり、見たりしないんですね」
「寝顔を見られるのも、頬に触れるのも、信頼した人間だけが許される行いです。
今の私に、それをする資格はありませんよ……ただ、背中ぐらいは触れてもいいだろう、とは思っています」
女性の心理を、幾らか学んでいるような発言にアリヤが警戒を滲ませる。
「…………お嬢様は、治るのでしょうか」
「……………さあ、それはアラカくんが決めることです」
そっけない返答にアリヤは眉を顰める。
だが、綴のその後の言葉を聞いて、アリヤは呆然とした。
「理と解すると書いて、理解……それがどういった仕組みでなっているのかを把握すること。
それを以って状況を把握すると、自然と己の感情が収まる……それを指して理性」
理性。それはアラカの周囲が誰一人として持っていなかった性質だ。
「【目的】アラカくんをマトモな状態に戻す。
に対する手段を構築するには【状況】の把握をすればいい。
【状況】まずアラカくんの心には【過去のトラウマ】が多く巣食っている」
それはアラカが治るだろうか、というアリヤの問いに対する返答なのだろう。
「ここで【目的】が変化する、
【目的】【過去のトラウマ】をどうにかする、となり
その上で【手段】を構築する」
それは物事の基本であり、同時に誰もが出来ないもの。
「【過去のトラウマ】をまず明確にしよう。状況の把握です。
過去にN◯Rがあったことで精神に強烈なストレスが起きた。
そこでアラカ君は何をおもった?」
論理的思考。それは一部、想像で補われており……妄想と呼ぶこともできるそれはしかし。極めて高い経験値によって描かれるがゆえに、精度は高い。
「奪われるのはもうごめんだ、
奪う奴全員を壊してやる。という形で願望が生まれるだろう、経験則だがね。違っていればすまない、必ず次に活かす」
眠るアラカにそう語りかける…きっと寝物語のように、こんなことをしていたのだろう。
「……ここまで構築すれば、あとは簡単さ。
【手段1】決して奪われないように殺すか壊すか、監禁でもする。
もしくは【手段2】過去のトラウマに関わった奴を不幸にすればいい」
そうして思考手順は終わった。
息を小さく吐き、綴の背中は……何処か小さく、外へと向けられていた。
「世の中のヒーロー様はこんな人をもう生まないために…というよく分からない理屈で、とても賢く生きてます」
外で、鳥が泣いた。
「傷付けられて出来るものは傷だけだ。
苦しんでいる人間に〝自分みたいな人が存在しないように〟って……地獄か、なんですか、それは」
幹に止まる鳥が……泣いた。
「自分の過去を消し去るために、自分の存在を否定し続ける……傷付いた自分は捨て置いて…、そんな在り方は決して認めたくない……なんてのは、この子の人生を体験していない私が言うには、少しばかり恥知らずというものなのでしょうね」
鳴くことも出来たはずの鳥は、何故だか泣いていた。
「(ああ…………これは……〝考える〟だ)」
その言葉を聞いて、アリヤは初めて綴という怪異が見えた気がした。
「(世の中の猿どもがやる〝考えてる自分様はなんて素敵なんだろう〟とかいう自慰とは違う。
しっかりとした〝考える〟だ……)」
「この子に、そんな行動を取らせる……そのためのアプローチが、色々しているのですがどうも失敗続きでしてね。反省点の洗い出しを、また初めからしないといけませんよ」
アリヤはその背を見て、少しだけ、興味が湧いた。
「……綴さん、ずっと聞きたかったことがあるんです」
「はい、なんでしょう」
「なんでそんなに、常に疲れているんですか」
「…………さあ、何故なのでしょうね」
「答えになってませんよ」
「答えていないのが答えです」
そうして一日目は……静かに過ぎていった。