めいどときぞくとそのこども
ああ。死にたい。
まさか、齢十歳で自殺を考えるようになるとは思わなかった。それほどに恥ずかしかったのだ。
「まだ気にしてるの? ちょっと際どい感じだったけど、別に妙な事してる訳じゃないんだし」
イリーナはそう言うが、私だって二人きりならここまでは言わないよ。衆人環視の中での羞恥プレイみたいで嫌だったんだよぅ!
「あの、お嬢様。お髪を乾かさないと……」
元凶を作ったフランが声をかけてくる。お風呂からあがって脱衣場で身体を拭いている最中なんだけど。
「あの……」
「フランなんかしらない!」
「うぐっ」
私の言葉の剣で胸を貫かれたように呻いてる。そう、自分の胸に聞いてみるのだ。君がやった事を。
「フランー。そんなのほっといて私の髪を拭いてくれる?」
ノーリゥアちゃんがフランを呼んでいる。私の方を見るが、私は目を合わせない。我ながら子供っぽいが、子供なりの自尊心というものがあるのさ。
フランは引っ張られるように連れていかれた。私は一人で身体を拭いて、肌着を着替える。
脱衣場から更衣室に移ると、そこには洗面台の前で髪を拭いてもらっているノーリゥアちゃんがいる。当然、やっているのはフランだ。
視線を合わせないように一番端の洗面台に座って髪を巻いている手拭いを解く。湿っているので肌着に付かないように纏めておきながら拭いていく。やっぱり家から持ってくれば良かったなあ。バスタオルだと簡単に水気が取れるんだけど、リネン布はそこまでじゃないんだよね。
「わぷっ」
いきなり上から何か降ってきた。柔らかい質感、これはタオルだ。
「ここに置いてあるのは使っていいんだって。拭いてあげるよ」
イリーナか。びっくりしたよ。
それにしてもアメニティも充実してるんだ。前も言ったけど、タオルって編みかたが難しいから高いのに。
「それは私にやらせてくださいな、お嬢さん」
別からもお声がかかった。だが、それはなんと伯父様の奥方のロザリンド様だった。
「そんな、あなたに使用人のような真似をさせるわけには……」
「私がしたいのよ。お嬢様」
なかなかに有無を言わせぬ物言い。
私とイリーナは目を合わせて頷いた。イリーナは一歩引いて、私はロザリンド様にお願いをした。
「では、宜しくお願いいたします」
「はい、宜しくね」
ロザリンド様は四十後半くらい、まだ老いるには早いけど痩せ型の人なのでちょっと疲れているように見えてしまう。
でも、髪を拭う手つきはなかなかに様になっている。少なくとも私が自分でやるよりは断然上手い。
「綺麗な髪ね。私も娘がいたらこうしてあげたかったのよ」
ウェイバール伯父様の家もライデル以外に子供はいない。
男の子の世話を焼くのと女の子ではやはり違うのだろう。そういえば、ルグランジェロ伯爵のところも女の子はいないな。例外なのは家だけか。
「私はメイドの出だったからね。こういうのは得意なのよ」
「え? そうなんですか?」
貴賤婚っていうんだっけ? たしか爵位持ちの方と平民が結婚するのはかなりハードルが高かったような。
「旦那様が授爵する前なのよ。結婚したのは」
にっこり笑って答えるロザリンド様。なるほど、ルグランジェロ伯爵家の人間だけどラザル伯父様が継ぐ予定だから次男や三男は成人したら貴族と扱わないんだ。
ウェイバール伯父様が五十二で、ロザリンド様が四十八。ロザリンド様が十五の時にウェイバール伯父様は十九。その頃にライデルを授かっていたとすると、計算は合いそうだ。
伯父様、手が早いなぁ♪
「だから、士爵夫人なんて呼ばれると恥ずかしくてね。そういった席もなるべく離れる様にしていたのよ」
「そんな事を気にすることありませんよ。素敵です」
これはお世辞じゃない。丁寧で控えめで自然な。とてもライデルの母とは思えない。どうしてああなったのだろう? そんな事を思ってたら伝わってしまったのか、髪を拭く手が止まってしまった。
「本当にごめんなさい。私の息子が酷いことをしたのに。こんなことで罪滅ぼしなんか出来ないのにね」
ぽつり。
肌着に泪の痕が出来た。
「私という女から産まれた事があの子を歪ませたの。身分違いの女だから。だからあなたをどうしても欲しかったのだと思うの」
「どうして、そうなるのですか?」
私には意味が分からない。
自分の出自なんて変えようがないのに。
「本当の身分を得るためよ。あなたと結婚できれば次期アークラウス男爵は自分のものになるから」
そんな……そんな事のためにソリシアさんを傷つけ、フランに剣を向けたの?
「馬鹿な子なのです。私が彼と結ばれさえしなければ。あの子も身分の差を感じなくてすんだでしょうに」
泣きながらも、そう続けるロザリンド様。ライデルの中にある理解できない黒い感情は、嫉妬や劣等感、名誉欲、そんなものが綯い交ぜになったモノだったのか。
「短絡的に私を確保しに来たのもそうなのでしょうか?」
実は疑問だった事なんだが、ライデルがどうして私を拉致しようとしたのかがまだ分からない。それに関してはノーリゥアちゃんが補足してくれた。
「鴨葱ってやつよ。自分の居るところにのこのこやって来た獲物は狩ろうとするでしょ? 彼にとっては天啓にも等しかったんじゃないかしら?」
確かに、迂闊だったのかも知れない。
少なくともこの宿に来なければ、ライデルは私の居場所に目星を付けることも無かったはずだ。私の軽率な行動が、伯父夫婦の家庭に大打撃を与えることになろうとは。
「あなたの責任ではないわ。心の闇は誰にでもあるもの。あの子が弱かったからそれに屈してしまっただけなの」
明らかに気落ちした私を気遣ってくれるロザリンド様。でも、だからといって、私の責任は、消えない。
そもそもこんな旅まがいな事を始めようと考えたからいけなかったんだ。そうすれば、ライデルだって無茶な事はしなかった。だって私はたぶん、サンクデクラウスから出ないで、父様が色々やってくれて。私は、罪を背負わずにすんだんだ……
「てい!」
「ふぎゃ!?」
────?
え?
なんでチョップ?
「また余計なこと考えてたでしょ? ぷんぷん!」
──イリーナ?
え、なんで殴られたの、わたし。
ぷんぷんって何?
「世の中の起こること全てに責任があるって言うの? 神様だって責任は取らないって公言するのに。あなたは神様以上の存在なの?」
そんな、そんなつもりはない。
でも、私が、いなければ。
「『汝、身の丈を弁えよ。高きに手を伸ばさば、足元危うきなり』キョウガイシ様の教えにもある。自分の手の届かない所にまで責任を感じるのはやめて」
……あ。
……イリーナが、泣いてる。
なんで?
「世の中はもっともっと面白い事や楽しい事もあるんだよ。責任とか罪とか、そんな言葉で自分の生き方を否定しないでよぅ……う、ぅぁあん」
何故か、叩いた方が大泣きを始めてしまった。ロザリンド様がイリーナに手を伸ばし、優しく撫でている。
「優しい神官様ね。人が闇に囚われるのを黙っていられないみたい」
……闇に囚われる、か。
確かにそうかも知れない。
こんな感情は持たない方がいいんだろう。
──だとしたら。
もしかすると、ライデルは可哀想な人なのかもしれない。
泣き出したイリーナはソリシアさんに任せることにした。ロザリンド様は、思った以上に場を重くしてしまった事を謝罪し退室した。いつの間にかノーリゥアちゃんもいない。残っているのはフランだけだ。
「……フラン」
「は、はい?」
「髪、拭いてくれない? まだ乾いてないんだ」
「はい! 喜んで!!」
責任よりも罪よりも。
今は君に謝りたい気持ちだよ。
私の身の丈なんて、この程度だからね。




