ふらんのめんもくやくじょ
更衣室は木枠で作ったベンチや洗面施設があるエリアで、身の回りの者を外したり化粧を落としたりする場所だ。それなりに広い空間が使われているし、暖房も幾つか置いてある。ここの暖房器具はおもに火鉢なのだが、何か意味があるの?
ともかく、私は洗面台の前まで行く。フランも自然に一緒に来てたけど、私の後ろで止まって髪を解どき始めた。
「い、いいよ。自分でやるよ」
「しばらくやれてませんので、カンが鈍ってしまいます」
今日は強引だな、フラン。フランに櫛を入れてもらうのは嫌いじゃないよ。本当はいつもやってもらいたいくらいなんだ。
でも、それじゃ子供のままだからね。
こういう時は甘えてもいいかなと、思っただけ。でも、イリーナの琴線には触れたみたい。
「ね、お母さん。私もやって?」
洗面台の前でペチペチ台を叩くイリーナ。
ソリシアさんは「子どもなんだから」と一息ついてから、イリーナの髪留めを外して髪を梳り始める。
髪をストレートに流しているノーリゥアちゃんは、さっさと終わらせている。
「ジュン、意外と髪長いのね」
「そうですかね? 切ろうとすると嫌がるメイドがいますので」
笑いながら言うと何故か誇らしげなフラン。
なんで?
「洗い終わったらちゃんと纏めるのよ?マナー違反はダメだからね」
「分かってるよ、それくらい。伊達に三年間寄宿舎で生活してないもん」
あ、そう言えばイリーナってサンクデクラウスで暮らしてたんだ。
「キョウガイシ様の寄宿舎のお風呂はそんなに大きくないから三人位ずつ順番で入るんだ。時間も決まっててゆっくり出来ないのよ、もう」
へえ、なんか楽しそうだな。私は父様や導師に教えてもらっていたから、共同生活を通じて学ぶという事が分からない。物語の中にはそういうのが多かったし、やはり憧れはあるよ? 無事に旅から戻ったら父様に王立学院とか入りたいって頼んでみようかな。
髪をすき終わったら、次は脱衣場だ。
一人一人に鍵の付いたロッカーがあり、その鍵は紐で輪を作っている。たぶん、これを腕や足に付けて入浴するのかな。盗難防止対策だ。
木のロッカーの中にはやはり植物で編まれた籠が入っている。なんの植物かはちょっと分からないけど、帽子とかでこんなの見たことある。夏場とかに被る麦わら帽子に似てるけど、少し違うかな?
篭に感心してる間に、みんなはすぱすぱ脱いじゃってる。
早くしないとね。
大きめのリネン布で体を覆う。
実際、私くらいの子供だと普通は開けっ広げであるが、そこは一応淑女の端くれ。隠せる間は隠しておこう。
ガラリと浴室への扉を開くとそこはかなりの別世界だった。
まず、広い。
たぶん浴槽だけでも二十人くらいは余裕では入れそうなほどだ。これは女湯だけだから、当然男湯の方もあるわけで。薪代だけでもかなり使ってそうだね。
さっきの女性スタッフに聞いたんだけど、風呂の湯は薪と石炭で燃やしているそうだ。理由は分からないが、たぶん魔力炉の出力が足らないのだろう。もしくは廃材や石炭の利用をすることで、どこか別の利潤が発生するか、かな? 更衣室の火鉢もよく考えたら余録の炭でやってるんだね。
水も汲み上げには魔力を使ってるだろうけど、井戸から上げているそうだ。規模が大きいと水も造るのは大変だから当たり前だよね。
ちなみに炭酸を含んだ水だけど加熱すると消えてしまうからお風呂には支障なかったりする。
そして、それよりも凄いのは絵が描いてあることだ。どこの山かは知らないけど、朝日を浴びて綺麗に赤く染まる雄大な雪山の絵だ。近くによってみると、顔料を含んだ石そのものを合わせて作っている。
後で知ったがモザイカというキョウガイシの僧侶が編み出した手法のようで、こうした湿気の多い場所でも劣化しにくい特性があるそうだ。
茫然と眺める私のうなじに何かがなぞる。
「ふひゃ?」
「絵を見るのは湯船でも出来るよー。髪長い連中は早く洗わないとね♪」
「う、うん。そうだね」
どうにも悪い癖だな、この考えるのは。
てきぱきいこうね。
でも、人のうなじを指でなぞるのは乙女としては看過できないよ?
洗い場にはお湯の流れる溝が目の前にあって、そこからお湯を手桶で掬い、桶に汲む。で、それで石鹸とかを泡立てて体を洗う訳だ。洗髪用と身体用の石鹸もいちおう用意してきたけど、どうやらここにも便利の波は押し寄せてるようだ。
ちゃんと石鹸が置いてある。しかも見慣れない液体も置いてある。瓶の蓋を開けてみると油のような臭いがするけど、あれ、嗅いだことがあるような無いような……何だろう?
「椿の油よ? 洗った後に、桶に汲んだお湯にちょっと垂らして髪にかけるの」
ノーリゥアちゃんが教えてくれた。椿油か。メイド長に聞いたことあるよ。肌や髪にとてもいい油なんだって。化粧するのはあんまりないし、何度か使ってもらった時があるから知ってたのか。
「若い子はあんまり必要ないですからね、ノーリゥアさま」
「何か不本意な響きね、ソリシア」
「いいえ、とんでもありません。いつまでもお若いエルフさまには必要ないものかと思いまして」
「……ぐぬぬ」
ソリシアさん、本当に崇拝しているのだろうか? と思ったが、これはこれで仲が良いのだろう。
そして当然のように私の後ろに回り髪にお湯をかけているフラン。……まあ、いいや。今日はやってもらおう。病み上がりだし。そうだ、終わったら今度は私が洗ってやろう。そうすればおあいこだよね♪
何度かお湯をかけて馴染ませ、手のひらで石鹸を泡立てるフラン。刃物以外は本当に器用に出来るよね。私の比較的長めの髪にゆったりと泡を撫で付けて、全体に行き届くように広げる。ここから優しく頭をマッサージするみたいに洗い始める。
うーん、気持ちいいなぁ。やっぱり自分だとこうはできないんだよね。
しばらく頭を洗い、次は手のひらを使って髪の中程から毛先に向けて揉むように洗ってゆく。目に泡が入ると痛いけど、この段階だと頭の泡は下の方に寄っているからちょっとは回りが見える。
ん、ノーリゥアちゃんとソリシアさんがこっち見てるぞ?
「どうしたんですか?」
「あ、いや。メイドさんて言ってたけど、堂にいってるなあと」
「ね、ね、フラン。次は私やって?」
「ノーリゥアさま、ずるいです。ここは年上に譲ってください」
「年上って言うなら私が先ね!」
……姦しいなぁ。
フランがちょっと呆れてるぞ。髪に付いた泡をしっかり落とした後に私はフランに言う。
「嫌なら断るよ? わたしが口出す事じゃないけど」
「いえ、嫌ではないです。ただそれだとお背中を流せないのが悔しいのですが」
そこかよ、拘るの。ブレないなあ。
「それなら私がやっておいてあげよう♪」
手早くちゃっちゃと髪を洗い終えたイリーナが、私の背中側に陣取っていた。
そうだね、こうした事もいい経験だ。お願いするとしよう。
「じゃあ、イリーナお願いね」
「りょーかーい♪」
「あああ、お嬢様の背中が……」
「後でもう一度頼むよ、フラン」
「……はい。お任せください!」
なんでそこまで拘るかなぁ。
凹凸もなんもない、ちっこい背中に何があるって言うんだ。
手拭いに石鹸をごしごし擦り付けて、イリーナが背中をながし始めてくれる。
「しかし、凄いな。ジュンの肌って。きめ細かくて、色も白いし。何だろう、これ」
うう、まじまじと見つめられると恥ずかしいな。ノーリゥアちゃんの髪を洗っているフランが、何故かドヤ顔なのが意味分からない。
まあ、師匠と会ってからは意外と表に出ることも多くなった。その割には怪我とかもしてないし、肌が焼けてもすぐに戻ってくれるし。
自分では分からない事って多いよね。
終わったらお返しにイリーナの背中を流してあげた。イリーナだって肌艶々な気がするけどね。私よりも女の子らしい体型だし。色だってわたしは白すぎて人形みたいってよく言われるから、このくらい健康的な色の方がいいなあと思う。
あと、フラン。
そんな悔しそうな顔しないでよ。
二人の髪を洗い終えた後にフランはようやく自分の髪を洗い始める。ちなみに私とイリーナは手拭いで髪を纏めてお風呂に入っているよ。冷めちゃうからね。
作法としてかけ湯をしてからゆっくりと入る。お湯は常に補充されてるみたいだけど、やはり無駄にはできないものね。
「「ふぃ~」」
二人してお湯に入ってから一息ついたら、同時に言っていた。ちょっと笑ってしまう。
「誰かとお風呂に入るなんて夢みたいだよ」
「え? フランさんと一緒じゃないの?」
「メイド長のミューリが怖い人でね。メイドと一緒なんてとんでもないって怒るんだ」
「え~横暴だぁ」
「まあ、家の風呂場はこんなに広くないし、湯船も狭いから二人で入ったら身動き取れなくなっちゃうけどね」
あははっと笑うイリーナ。
けど、そうしたいとは思っていたんだ。
いい機会だからフランのお手伝いをしてこよう。少しだけ暖まってから湯船を出て、フランの所に向かう。湯に入るときは外してるけど、出たときはやはりリネン布を巻くとしよう。
「フラン、背中流すよ」
「お、お嬢様。いえそんな」
「私がやりたいの!」
「は、はあ……では、お願いいたします」
フランのようにきめ細かい泡は出来ないけど、その代わりたっぷりと作って背中を洗う。
私の肌を綺麗というけど、フランの肌だって負けてないよね。みずみずしいし、張りというか弾力がとてもある。
私みたいに脂が足りない子供とは質感が違うんだよね。
「あの、お嬢様。大丈夫ですか?」
「ああ、平気だよ。これくらいで根はあげられないよ」
お湯をかけて流すのが、意外と辛いけど。頑張ろう。しかしさすがに[筋力:5]なだけあるな。全く力が出ない。何とか三回お湯をかけて流し終える。
「お嬢様、ありがとうございました。主人に手ずから背中を流して戴けるメイドなど、他にはおりませんでしょう」
改めてお礼を言われると照れるけど、大事なことだから言っておこう。
「わたしはメイドの背中を流したんじゃないからね。フランだから、だよ?」
「お嬢様……」
フランは嬉しそうに目元を拭うと私のリネン布に手をかけて引き剥がした。
「!!?」
「さあ、今度はお身体を洗いましょう。先ほど横から見ておりましたから適当だったのは確認済みですので」
あ、あれ?
フランからなんか黒いオーラみたいなものが見えるけど……ねえ、みんな。
無視してないで助けてぇぇ!
「───ジュン。犬に噛まれたと思って我慢しようね」
イリーナの言葉が染み込んでくる。
……うん……そうする。
全身くまなく、あられもない姿で洗われるなんて……思い出したくもないよぅ(泣)




