こうさつよりもだいじなこと
翌日、昼の鐘一つの後一刻(午前十時くらい)にイリーナの家に訪問者があった。見たことのある服装のその男性は『宵闇のサルビア』の店員さんだ。
ハイヤール氏が取り次いで話を聞くと、昨日の不祥事に対しての謝罪をしたいとの事だ。
ウェイバール士爵はライデルの父である故に、あの宿の経営権の一部を持っている。ライデル自身が采配できない状況なので、当座は彼が代行する形で営むらしい。
ライデルの件は箝口令はひかれたものの噂として広まりつつあり、ウェイバール閣下はその日の内にウェズデクラウス領軍司令官職を辞職を願い出たそうだ。
受け取ったのはこの街に住むもう一人の士爵、ダリエル=グエンタール執政官。
まさか、自身の伯父から辞職を申し出られるとは思わなかっただろう。
そもそも正式な任命権はないから、司令官代行をリーアム準騎士に任命して混乱を収拾させる事ぐらいしか出来なかった。
父様が誰を任命するかは分からないが、ウェイバール伯父様を戻すことはしないだろう。
ライデルの身元も執政官が預かっている。貴族やそれなりに知名度の高い人物の収監には公邸の中にある留置場をつかう。これは、一般の犯罪者として扱うと問題が起こるからだ。
重ねていうが、従兄弟が犯罪者として収監されるという事態はダリエルさんも思わなかっただろう。
そのダリエルさんからも事情聴取のために登城してほしいとの打診もあった。
行かなくてもいいと思うけど、そのせいでライデルはともかく伯父様に被害が出るのは忍びないからね。後日伺うように話はついている。
話を戻すけど、その店員さんが言うにはウェイバール様の指示によりハイヤール氏の一家すべてとジュン様ご一行を一泊二日で御招待したいということだそうだ。
「せめてもの罪滅ぼしなので是非ともとの事だがどうするかね」とハイヤール老が聞いてくる。
私もまだ本調子ではないが、出歩けないわけではない。それに私が行かなくて彼らだけが招待されるのは、目的には合うが本質的には違うだろう。
ハイヤール老はその辺も理解してるから私に聞いているのだ。だから、私としても選択の余地はない。
「お招きにあずかりましょうか。私も堪能してみたくはありますしね」
そんなわけで、今回はお泊まりということで訪れる事になりました。
ソリシアさんの具合はかなり良さそうで、もう痛みもほとんど無いらしい。ライデルも一応ちゃんと手加減してたんだな。ソリシアさんは自分の事よりわたしやフランの心配をしていた。
もっとも怒り心頭なのは旦那と息子君だ。
それも当たり前の話だよね。
あの場面で彼が駆けつけられなかった理由は、剣を研いでいる最中で騒動に気付かなかったかららしい。回転式砥石で研ぐと凄くうるさいから二軒隣の室内の騒動に気付けと云うのはかなり無茶だ。
ちなみにヤゼン氏とライデルの技量を比べるとどうなのかと、イリーナに聞いたのだが。
「お父さん、現役から退いてるけど、鍛練はしてるし……ライデルが正騎士と同レベルだとしたら、まだ上だと思うよ。全盛期はウェイバール士爵と互角だったって言うし」
との話だった。
当然のようにヤゼン一家とハイヤール氏は全員同行することになった。なんでもあの宿には大きなお風呂もあるらしい。熱も下がってるし、これくらい快復してるなら問題ないだろう。
イリーナが買ってきてくれた肌着(サイズはぴったりだった。恐るべき観察眼だ)は有り難く使わせてもらおう。その他にも、手拭いや替えの服など色々あるからちょっと保管から出しておこう。イリーナの部屋を借りるため上に上がる。
「まずは、と」
あれ? なんか枠が二つに増えてる。
気付かなかったけど、よく考えたら昨日の時、フランとライデルの装備品一式をいっぺんに容れてたよね。無理矢理やったから増えたのか、先に増えてて同時に放り込めたのか、どっちだろう?
「ん、? どしたの。また考え事?」
イリーナがいきなり考え込んだ私に問いかけてきた。そうだね、この画面は私にしか見えないから何してるのかさっぱり分からないだろう。
そうだ。
せっかくだから、私のこの権能を見てもらおう。
「今、保管から服を出すよ。ちょっと見ててね」
イリーナはうん、と答える。ストレージと聞いてビクッとするフランに癒されながら、私は枠にある服の包みを床に置く。
妙な効果もなくいきなり床に出現する服の包みに驚くイリーナ。
「え、なにこれ?(収納)と違くない?」
イリーナ、それは『違わなくない?』が正しいんだよ。些細なことはともかく、そんなに違うかな?
「だって、神術にも似たような術があるけど、こんな風に何にも起こらない何て無いよ?」
キョウガイシ神の専用術式、(死にゆかぬ者の書庫)の事かな? イリーナ、あれ使えるのかな?
「あ、お祖母ちゃんが使ってるのを見たことがあってね」
あー、そうだよね。たぶん魔術的に言えば中級に属する術だろうし。
あれは(収納)と違って、多人数で一つの収納を使うような術だ。その中にはそれまでキョウガイシの神官や司教などが集めた様々な書籍、本、魔術書、娯楽本などが収蔵されている。その冊数は億を越える数になっているそうだ。
当然のようにこの本たちを保管している場所は神の御許になる。
つまり人間にはその本総てを見ることは出来ない。神術を使って呼び出し、その効果が途切れると本は勝手に戻ってしまうのだ。
「光の門みたいな物が出来て、そこから本が出てきたの」
(収納)もだいたい同じだ。魔術でも神術でも似たようなモノは似たような感じになる。
でも、この権能というのはそこにあって当然という形で発動する。
【超加速】や【保管】は魔力や魔素の感知もしないし、おそらく神力の感知も出来ないだろう。【翻訳】に至っては常に起動しっぱなしだがなにも感知されない。
「『勇者』とか天啓を受けた人が得る恩恵に似てるね」
イリーナもフレスコ導師と同じ考えに至ったようだ。
だが、今は私の権能の考察はどうでもいいのだ。
それよりも大事なことがある。
「とりあえず、そういうことはいいからみんなで服を選ぼう」
「え? この包みってこれ全部服なの? どんだけ持ってきたのよ。それに容量大きすぎない?」
ビシビシ。
おおう、イリーナの突っ込みが激しい。
ともかく、私は成長期だ。
そのはずだ。
それゆえに若干丈の長いスカートや肩幅や胸回りも大きい普段着も買っていた。成長を見越してだ。
……無駄にならなきゃいいなぁ。
イリーナは確かに私より大きいが、背は実のところ五センチあるかないか位の差しかない。大きめの物なら十分いけると思う。
「どれにしよっかな? ジュンのだと入らないかもなぁ」
「大きめに買ったのもあるから合わせてみてよ」
きゃいきゃいと騒ぐ私たちを羨ましそうに見ているフラン。君はほぼ完成された体型だから、私たちの中には入れないのだ。残酷だけど我慢してね♪
「これにしよっかな?」
イリーナは私がちょっと前に普段着に着ていた萌木色のブラウスと濃緑色のキュロットスカート。それに上着にフワッとした毛のクリーム色のセーターを合わせている。足はいわゆるオーバーニーソックスという物だが、私はこれは買ってないからイリーナの私物か。
なかなかいいなぁ。
私は靴下以外の脚を覆うのはタイツにしちゃうから、こういう見せ方は知らなかった。
フランはいつものメイド服に似た感じの白いドレスシャツと黒のジャンパースカート、襟元は少しだけ赤く染めたスカーフ。足元はやはり白のソックスで清楚に決めている。もとが良いからこういう普通に仕事着みたいな感じも似合うよなあ。
感心していると少し照れているみたいで、それはそれで可愛い。
ちなみに私は青を基調にしたセーラー襟のチュニックに、白い短めのプリーツの入ったスカート。脚は寒いけどタイツはやめて群青色のクルーソックスだけだ。川が近いので水兵っぽくコーディネートしてみたけど、ほんとは白のズボンにしようと思ってたんだ。
けど、イリーナにダメ出しされました。
「女の子が足出さないでどーするのよぅ!」
ファションの事でそんなに真面目に説教するイリーナにちょっと引きましたよ。
あ、まあ、知性を司る神の僕的には正しいのかな? ほら、着飾るなんて知性のある存在しかやらないし。
そんなわけで、白のスカートはイリーナのお下がりです。
うう、腿がちょっと見えてて恥ずかしいなぁ。
……いや、キュロットとかズボンならあまり気にならないんだけどね。
でも、たしかに……かわいいかも? なんて思ったりもする。
階下に降りると男性陣が遅いと喚いていた。ソリシアさんはそういうものだと分かっているから苦笑いだ。ちなみに彼らもそれなりによそいきっぽい格好だ。
ハイヤール老はダブルのスーツにボアのついたコート。羊の毛の中折れ帽子がお洒落だ。
ヤゼン氏はちょっとダサ目の赤と青のストライプ模様のカジュアルシャツに、こちらは渋い黒の革のジャンパー。これ、格好良いなぁ。下は作業用のデニムの新品を卸したようだ。
ソリシアさんは大人らしく薄い橙色を基調にしたワンピースを着ている。上着は茶色のカーディガンに、ストールもお揃いの色だ。足元もお洒落な革のパンプス。見事に大人の女性を演出している。
レガン君は、まあ、普通の格好だ。このくらい小さいと服はすぐ着れなくなるから、仕方ないよね。
ファリナちゃんも同じ理由でおめかしは出来ない。すやすやと眠る姿はとても癒されるなぁ。
では、戸締まりをして行ってみよう!




