1-32 わたしたちのいきかた
今回はフラン視点になります。
「フランさま、眠れないのですか?」
ふと、声がかけられました。
わたしの正面に座り寝袋に入った少女、イリーナでした。たしか、歳は十三。成人もせずにキョウガイシの神官位を得たと言うのだから、才媛なのは間違いないでしょう。
髪はやや薄い茶色で、瞳は鮮やかなコバルトブルー。眉が若干太めなので印象から言えば強気なイメージです。肩にかかる程度の髪は途中で結ばれて、二つのしっぽが作られています。
彼女は全くの普段着でいたので、言われるまで誰も神官だとは思いませんでした。
神官や僧侶といった人達は往来に出るときはその法衣を纏うのが一般的です。これは神の使徒としての義務、とお嬢様は言っておりました。
それらを着ない方は分かるように聖印をかけるらしいのです。
街で働く信徒の方もいますから。
でも、それすら彼女は見せませんでした。
後で服の下にかけられた聖印を見て初めて納得できたものです。
隣に座るハイヤール老人はすでに寝入っておられます。彼はイリーナのお祖父様だそうで、彼女が冒険者になることを反対しているようでした。
かわいい孫が過酷な世界に飛び込もうとしているなら止めるのが親や家族の努めだと私も思います。
いえ、旦那様を否定するつもりはありません。
ですが、お嬢様のことを本当に理解してなさっているのかというと……疑問に思わざるを得ません。
私はこくりと頷くと、隣のお嬢様を眺めます。
お嬢様は昔から眠りにつくと口を思い切りつぐんでしまいます。への字といいますか……ともかくむつかしい顔で眠りにつくことが多いのです。
少なくとも私が彼女の側仕えを任じられてからの間に、彼女が安らかに眠るところは数度しか無かったと思います。
「泣いてるの、かな?」
イリーナは寝袋から出てきて、お嬢様の顔に手を伸ばします。その指がお嬢様の左目に溜まった涙を拭います。
本当は大事な大事なお嬢様の体に触れさせるなんてさせたくありませんが、今はなぜか反発する気にはなれませんでした。
「こんなにかわいいのに、あんなに強いなんてねー、凄いね、ジュンは」
イリーナは寝袋から出てきて、私達の側に座ってきました。わたし、お嬢様、そしてイリーナという順番になります。
「フランさまは、ジュンの護衛だったよね。けっこう長いの?」
イリーナが聞いてきたのはわたしの事でした。
どう答えたものか思案しましたが、口をついたのはそのままの事です。
「わたくしは元々侍女です。少しばかり力がある程度の、とるに足らない者です」
そう聞くとイリーナはにわかに信じられなそうでした。
「メイドさん、て言うと身の回りの世話をするあのメイドさんよね?」
そう、そのメイドです。
それ以外のメイドはいるのでしょうか?
「あんな力を持ってるのにメイドさんだったなんて、信じられないなあ。私だっていちおう色んな人達見てるけど、戦槌であんな事できる人は見たことないよ?」
そうなのですか? 何せ武器を持って何かを殴るなんて事はあれが初めてでしたし。関係あるかと言うと、フレスコ導師から預かったあれの力かもしれません。
ただそれはイリーナに言う必要はないでしょう。これは預かり物であり、私の物ではないのですから。
「私はジュン様を守るために必死でしたので。他の方と比較したこともありませんし」
イリーナは、ふーんと面白くなさそうにしています。
あ、お嬢様の頬をつつき始めました。
ああ、柔らかそうな頬がぷにぷにと動いてます。
「うふふ、やーらかーい♪」
「うっ…うっ…」
お嬢様がちょっとうめき始めましたので、やめさせましょう。せっかくお休みいただいたのにすぐに起こされては不快でしょうから。
「フランさん、お堅いなー、こんなの女の子同士の軽いスキンシップなのに」
うう、イリーナの言うことが意外に心に突き刺さります。私はたしかにお嬢様にも面白味がかけてるとよく言われますが……そうなのでしょうか?
「フランさん、きれいなのに隙が無さそうだから、あんまりモテなかったでしょ?」
む、別に殿方に懸想されたいとは思ったことはありません。むしろそれは美徳ではないでしょうか?
「私はそのような気もありません。今はお嬢様の世話で手一杯なので」
何年かしたら、そういう話も出るかもしれません。
メイド長は良い男性を見繕うと仰ってましたし、旦那様もその時は祝おうと喜んでおいででした。
でも、それはもうない話かもしれません。
あの方はもう……
「あれ、フランさまってひょっとして、ずっとジュンに仕えてるつもりなの?」
──え?
何かおかしいでしょうか?
私はメイドで、主人に仕えるもの。
それは主人が失われるか、暇を出されるかまで続くものではないのですか?
「フランさまはご自分の人生をどうお考えなのですか?」
イリーナは問うてきます。
わたしのじんせい?
それはさっきも言ったように、メイドとして主人に仕えるもので……
「フランさま、失礼ですが、あなたはご自分の人生を自分で考えておいでですか?」
……これは異なことをおっしゃいます。
私が人生を考えた事がないと?
尊敬すべき主人に仕える私の人生に疑問を感じて考えないといけないと。
彼女はそういうのですか?
「私はいま、私の選択においてジュン様に仕えてます。そこにジュン様の命令はありません。むしろ否定されましたが、強引に付いていく事に決めました。これが考えた末の結論ですが?」
私は少しムキになっていたかもしれません。
けど、これは私が決めたこと。
私が自分の意思で決断したと、知ってほしかったのです。
ただ流されて仕える、今までのメイドではありません。私は仕えるべき主人を自分で選び、その方に尽くしていきたいのです。
「へぇ~、強引に決めたんだ。フランさまは♪」
イリーナの瞳が怪しく光った気がしました。
あれ、私なんかまずい事をいいましたっけ?
「じゃあ、わたしもごーいんに付いて行こー♪」
「ええっ!!」
どうしてそうなりますか?
そもそもあなたと私ではお嬢様との関係性は何もないじゃないですか?
「……今のはまずかったよね~」
「はうっ?」
あれっ?
お嬢様、いつの間に起きてらっしゃったのですか?
「強引に付いていくって言ったら、私が諦めて許すみたいな言い方だし。自分でちゃんと考えて決めた事なら仕方ないなって認めちゃうようにも聞こえるし」
ニヤニヤ笑うお嬢様は、とても意地悪なことを仰います。私は自分の失言に戸惑う反面、問い詰めてくるお嬢様に胸が高鳴りました。
「それで、どうなの? 私はどーしてもあなたたちと仲間になりたいの。他の人がいてもいいけど、あなたたちと一緒じゃなきゃイヤ!」
子供のように言うイリーナ。
いや、まだ子供ですが。
嘆息するお嬢様は頭を掻きながらこう仰います。
「なんでそこまで私達に拘るの? 正直なところ理由がわからないのだけど、説明してもらえる?」
それは、私も気になります。
おそらく私たちよりも経験豊富な先輩冒険者の仲間の方がずっと安心でしょう。
ハイヤール老人だって、見るからに危なっかしい私たちよりもそういった方々なら許して頂けるのではないでしょうか?
「だって、面白そうなんだもの!」
「「「えっ…」」」
あれ、私とお嬢様以外の声が聞こえた気がしますが……はて。
それよりもイリーナの発言です。
面白そうとは、どういうことですか。少なくとも、私は決死の覚悟で臨んでおります。
お嬢様はひょっとしたら、物見遊山のつもりかもしれません、……いやそうは、思いたくないですが。
「だって、子供なのにすんごい魔術師だし、綺麗なお姉さんなのにバカ力だし。二人とも女の子だから安心だし!」
イリーナが一言言う度に、お嬢様が笑いを堪えております。ハイヤール老人が三番目でうんうんと頷いておりました。起きてらしたのですね、それはそうでしょうね。
「それに、二人とも優しそうだもの」
イリーナが存外しっかりした眼差しでこちらを見据えます。
「きっと断ったりはしないわ」
……こう明け透けな言い方をされるとは。
私はともかく、お嬢様はこういう方をとても好む傾向があります。ご本人が難しく考え込んでしまわれるので。
その証拠に、ずっと笑っておいでです。
「ふっ、はははっ」
あ、吹き出しました。
イリーナは、キョトンとしておりましたが、お嬢様が笑い続けるものですから、つられて笑いはじめてしまいました。
しばらく、二人の笑い声が続いたあと。お嬢様がイリーナに手を伸ばします。
「面白そうなら付いていくか。なら、楽しませなきゃね」
その手を躊躇いながらも掴むイリーナ。
「そうよ、楽しんでいくんだから。二人も一緒に楽しみましょーね♪」
──なんという、気楽さ。
私の悲愴な決意も、お嬢様の気高き志も、まったく意に介していない気安さ。
それでも、あまり嫌な気はしませんでした。これが彼女の人徳なのか策謀なのかは分かりません。だから私はお嬢様に目配せされるとこう答えます。
「「でも、テストはするからね!」」
イリーナがストンと椅子から転げ落ちました。まるで喜劇の一幕のように、みんなが笑いだしてしまいます。
隣の個室にはご夫婦が寝ておられるのに、騒がしくしてしまいましたが。
どうか許してください。
わたしたちの新しい仲間の誕生なのですから。
イリーナのように、『自分の人生を考える』というのは、この世界の女の子としては一般的ではありません。
貴族であれ、平民であれ、父が決めた相手と結婚して次の世代を繋ぐのが女性の役割だと決めつけられているのです。
この場合、フランの方が世間の常識的な訳ですね。




