1-30 おもさとはかなさのさなかで
二日の行程で着く予定と言うのは、つまり遅れれば三日目になるということだ。普通、旅に出るときは旅の糧食は多目に持つのが基本である。
だいたい行程より三日分くらい余分に持つものだ。心配性の人は総行程の一・五倍までという人もいる。余らした保存食は当然、痛む前に食べて消費するのがこれまた常識。
捨てるなんて貴族くらいしかやらない。そして私は貴族令嬢ではあるが、そういった浪費家として育ったつもりはない。むしろ、庶民的な生活をしていたように思う。
よく考えてみると平均より高めな位の食事ではあったが、宮廷料理とかそういうのは伯父様のところで食べたのが最後じゃないかな?
かように私は、貴族というカテゴリーでいえば吝嗇家になるだろう。
平民と比べたらそうでもないと思う。いや、ケチなつもりはないんだけど。
ともかく、乗り合い馬車で購入した糧食は二日目の夜の分はない。つまりは自前で何とかするしかない。
まあ実のところ、怯える必要は全くなく。
むしろ余裕綽々である。
一角狼の肉は全部で三頭分はあり、水も魔術で召喚できる。
さらに昼間襲ってきた野盗の持っていた保存食も多少はある。彼らは大したものは食べてなかったが、それでも黒パンと干し肉くらいは持っていた。
意外なことに、魔術師は胡椒や唐辛子といった香辛料を所持していた。
これはかなり高価なもので、おそらくは他の商人とかを襲った際に略奪したものだろう。
換金することも出来るが、これは所持しておいていいかな? 買おうとすると金貨二枚くらい飛びそうな物だからね。
二日目の夜営地は森から外れた荒れ地の中にある開けた平地だ。周りの草は丈が長いのでよい感じに隠れるが、逆に接近に気づきにくい弊害もあったりする。だが、街道の真ん中で夜営するわけにもいかないので致し方ない。
乗り合い馬車から降りた私達は、各々休息したり、夜営の準備をしたりする。
二日目になると役割分担もなんとなく出来るものだ。ルイゼさんと私が食材の処理と調理に、竈の設営や焚き火の設置は夫のゼイクトさんとハイヤール老が、フランとイリーナはそれぞれの補佐を入っている。
馬の世話と馬車の管理は当然御者のロッツェン氏に一任している。
水はもう一度呪文で出した。今度は少し手加減したから樽一つ分、だいたい250リットルくらいの量になった。
前日は持っていた手桶、子樽、鍋や各々が持っている水筒に至るまで入れても余ってしまったからこれくらいでちょうど良いはず。
とりあえず鍋で湯を作り、麦茶を煮出す。暖かいお茶が体に染み込むのが堪らないね。あ、年寄りみたいな事言っちゃった。けど、美味しいものは美味しいのだ。
で、次はルイゼさんと相談して献立を考える。黒パンが六つ、干し肉が十四枚、硬く焼いた保存用の固パンが七つ。野盗から奪った戦利品はこんなところ。
一応彼らにも固パンは一人当たり一個は残してあげた。ただの偽善で本心は戻したりしないと食べられない固パンは多くあっても邪魔だから残しただけだ。
私は博愛主義というわけではない。それなりに貴族としての価値観も持ってるし、この世の中の摂理だって理解はしているつもりだ。
襲ってくる輩の人生とかにかける情けはないし、あそこで手をかけなかったのも本来は悪手なのだ。
万が一、彼らを助ける仲間がいたとしたら? その時、私達に対して復讐を行う可能性だって高い。もう一度撃退できる自信はあるかというと、難しいかもしれない。
それでも、殺さなかった。
理由は幾つかあるが、手を汚す覚悟がなかったからだ。
自衛のために戦うことは厭わないが、その後の屠殺の如き所業には心が耐えられなかった。
食べるために命を奪うことは出来る。
狼や鳥も捌くし、草や木の実も採取する。
もし、極限状態で人を食べねばならないと判断したら、私は人を殺すだろう。
たぶんその時に良心の呵責は無いと思う。
でも、その時でなく、覚悟もない私には……彼らの生命を奪うことは出来なかった。
だから、私はあのとき本当は領軍に突き出すという手をとりたかった。でも、それは今はできない。ロッツェン氏に頼むにしても人数が多すぎるし、歩いて連れていっては時間がかかる。だから、放り出す以外なかったのだ。
目の前にある戦利品は、彼らの命そのものとも言える。これを奪い拘束して放置した私の罪であり、この重みを知って生きていくことが、たぶん罰なのだ。
───昨日の食事のときは、こんな思いをせずにすんだのにな。
仕方ないから戴くとしよう。
感傷に浸ってもお腹は膨れないし、彼らの命が助かるわけでもない。
固パンはいわゆる二度焼きのパンの事で、水分がかなり抜けているため固い。
小麦だけで作られた固パンならなんとかそのまま食べられるが、ライ麦多めというかこれみたいに純ライ麦固パンだとその固さは尋常じゃない。
まるで石でも齧ってるかの感覚になる。
だから固パンは保存用の糧食の中でも極めて評判が悪い。食べずに武器として殴った方が良いんじゃないかと言われる位だ。
やはりそのまま食べるのは難しいから、パン粥にした方がいいかな? 牛か山羊の乳があればミルク粥に出来るんだけど。
「御者さんの糧食の方に玉ねぎが三つ、むかごが少し、人参が二本に大蒜一玉……」
ルイゼさんが確認しているが、それだけあれば普通にオニオンスープでいいかな?
ならば、行動開始。
手早く野菜類の処理をしてしまおう。二人で皮を剥き、なるべく細かく刻んだ玉ねぎを一角狼の肉から分けた脂身で鍋底で炒める。ルイゼさんは他の食材の処理をお願いして私は炒め作業を続行。大蒜の欠片を一つ、包丁で潰して一緒に炒める。
くぁ、香ばしいなあ!
玉ねぎが少し色づいてきたら、一角狼の肉をちょっと多めに入れて炒め続ける。
うん、ちょっと塩をふってそのまま食べたくなってきたが、ここは我慢。
肉に火が通ったら、切ってもらっておいた他の食材も入れて炒める。とはいっても、若干量があるのでもう炒めるって感じじゃないけど。すぐに水を入れていこう。
塩と白ワインを入れて、煮込んでいく。ここで月桂樹の葉を数枚いれておく。これは乾物屋で買っておいた私物だ。臭みの強い肉や魚に使うと効果がある。今回は香り付けの意味合いのが強いかな?
前にも言ったけど、一角狼の肉は臭みが少なくてあんまりハーブ類をいれるとハーブの匂いの方が強くなってしまうみたいだ。
そうだ、せっかくだから干し肉も何枚か入れてしまおう。違う出汁も必要だよね?
ザクザクと切って干し肉を入れる。
本当は大きめの陶器の器により分けて、固パン二~三枚と出来たスープを浸してからチーズを何種類かのせてからオーブン釜に入れてやるのが、正しいオニオンスープのパン粥なのだが。
オーブンもないし器も無いとなると仕方ない。
各々で固パンを浸けて食べてもらういつもの形でいくべきだろう。
そういう料理は街に着いてから食べればいいや。ルイゼさんのお知り合いの店ならたぶん美味しいだろうから、今から楽しみである。
では、そろそろ戴くとしよう。
「うわ、うま!」
イリーナが嬉しそうに驚いてる。
子供らしい、喜怒哀楽がよく出てる良い子だと思う。
だからこそ、ハイヤール老人は冒険者などにしたくないのだろう。
「固パンもこうして食べると、ちゃんと食えるんだな。賦役の時はなんかの訓練かと思ったんだ」
夫のゼイクト氏は大人だから徴兵で領軍に勤めたこともあったのだろう。大抵は二~四年で徴兵は終わるので、その間は勤務している職場は休暇扱いになる。これはどこの領地でも大差はないらしい。
違いがあるとすれば、戦争や飢饉など、大きく政情が不安定な時だ。この所、戦争はないし飢饉もない。流行り病もこの辺には来ていないので、そういう事はないのだが。
「今は軍でも魔術装具の調理具が普通に使えますからな。やろうと思えば白パンだって焼けるらしいですよ?」
ロッツェン氏の言う野外厨房は、非常に高価だが確かにある。うちの領軍にもあるはず。なにせ、作ってるのがウェイルン魔術工房なんだから。
パン焼き釜に、普通の竈二つ、オーブンも二つ、湯を沸かす専用のポットまである。父様、うちにも買ってくれないかなぁと密かに思っている品だ。
「白パンなんていつぶりですかのう。儂くらいになると歯も弱くなるから、黒パンもけっこうキツイんですよ、ほっほっほ」
ハイヤール老人の言うように、白パンはかなり高価だ。白パン一つで黒パン五つは買えるのだから、庶民的には常食は出来ないよね。
半黒パンだと三割くらいで買えたりするけど、人気があるから競争率は激しいそうだ。
一般的な家にはパン釜はない。個人でパン釜を持つのは、パン屋とか料理屋、貴族の屋敷とかが普通で商家とかでもなかなか持ってないのが実情だ。理由は簡単。スペースと薪とかの燃料の関係だ。
私のお屋敷にもあったよ。
メイド長の焼いてくれたパンは、私のお気に入りだった。
───いつか、私も焼いてみたいな。
人の命が、自分の手によって左右される。
子供にはやや重すぎる選択ですが、仕方ないですよねぇ。
ほぼライ麦だけのパンや二度焼のパンは、スープに浸けて食べるのが普通です。アクアコッタのようなものです。




