01*侯爵令嬢は専属侍女
新作です。
前から書きたいと思っていました。
楽しんでいただけますように。
「フローラ。私の嫁ぎ先が決まったよ」
髪を梳いていた手が止まる。
この国の第ニ王女であるヨセフィーナの声色は落ち着いていた。他愛もない話の延長のように話し出した。彼女の専属侍女であるフローラ・エディストは、なんと声をかければいいか迷った。普通は喜びの言葉をかけるものだろう。だがこの国の王族の結婚は喜ばしいものばかりではない。だから言葉に詰まったのだ。
すると彼女は大きな声で笑った。
「気遣いが過ぎるんじゃないか」
「……そう、言われましても」
フローラは再度手を動かす。
毎朝ヨセフィーナの髪型を作るのは大事な仕事の一つだ。彼女が望む髪型にすることもあれば、自らアレンジすることもある。今日は客人と会うから清楚で、と言われたので、左右に編み込みを作り、そこに花の髪飾りを刺す。髪を下ろすスタイルにした。
「君には早く言いたかったんだ。私の可愛い金糸雀だからね」
ヨセフィーナは後ろを振り返り、こちらを見る。
そしてそっと手を上げた。それが何を示すのか、フローラは理解した。屈んで彼女の傍に顔を近付ける。手はフローラの金色の髪をさらっと撫でた。彼女はたまに、子供に触れるように、優しく髪に触れたり、頭を撫でてくれる。
「私の金糸雀。いつかまた、君の歌声が聞きたいな」
「…………」
金糸雀の如く美しい金の髪を持ち、美しい歌声を持つ。と、幼少期の二つ名は瞬く間に広がった。昔の話だ。今はもう歌っていない。
ヨセフィーナは分かった上で、たまに金糸雀と呼び、歌が聞きたいとねだる。本当に聞きたいのだろうが、無理はしなくていいとも伝えてくる。過去に賞賛された良さを忘れないでほしいという願いも込めているのだろう。
「本当に綺麗な髪を持っているよね」
「私はヨセフィーナ様の方がお美しいと思っております」
深い夜のような藍色の長い髪に、風が靡く草原を思わせる緑の瞳。淑女らしくない話し方に豪快な笑い声は、フローラにとっていつも心に光をくれた。
彼女は見た目だけではない、心がとても美しい。誰に対しても平等に接し、誠実でありながら、言いたいこともはっきり言う。そんなところを主人として、女性として、人として、フローラは尊敬していた。
なにより、七年前に起きた事件後、唯一手を差し伸べてくれた。
侯爵令嬢として、二度と社交界には戻れないかもしれないほど心に傷を負ったフローラに「私の侍女にならないか?」と声をかけてくれた。おかげでフローラは、日常的に生活できるくらいにはなった。
それでも。
まだ、完全に外に出ることは難しい。
その証拠に、ここは王宮ではなく離宮だ。
歴代の王女は離宮をもらえる決まりになっており、好きに過ごしていいことになっている。フローラは専属侍女ではあるが、侍女になってから、この離宮でしか過ごしていない。離宮の使用人は、ごく限られた人数しかいない。それはヨセフィーナがそう配置したからだ。
理由は一つ。
「フローラが大勢の前に出ることを苦手としているから」。
それは七年前の事件が大きく関係しているが、まさかそこまで環境を整えてくれるとは思っていなかった。申し訳ないと口にすれば「私の秘密の花園みたいなものだから気にしないでくれ」とけろっとした顔を向けられた。彼女曰く、ここには自分の気に入ったものしか置かない、とまで言ってくれた。
「私を美しいなんて言う人は、君くらいだなぁ」
「そんなことはありません。他の侍女もそう申しております」
「本当? 私は周りに恵まれているんだね」
「……。旦那様になる方は、どのようなお方ですか」
ヨセフィーナが嫁いでしまう。いつかはその日が来るだろうとは思っていたものの、口にされると予想より動揺した。相手が普段と変わらないでいてくれるおかげで、フローラは話を進めることができた。
「さぁ? 私のことを面白いと思ったようだよ。西にある国だ。産業が栄えている。父上としては、国の利益になると大喜びしていた」
どこか他人事な物言いであるのは、王族の結婚は政略結婚であるからだろう。この国の王子と王女は、幼少期から国のために結婚するよう教育されている。恋や愛に現を抜かすこともなく、国の為に結婚するのだと、皆、承知の上で受け入れる。
淡々と話すヨセフィーナに、フローラはなんともいえない気持ちになった。自分が同じ立場に立たされたら、すぐに受け入れることができるだろうか。
「心配しないで。話してみたけどいい人のようだったから。ひどい扱いはきっと受けないよ」
「……あの、ヨセフィーナ様。私も、侍女としてあなたと共に」
「それは駄目だ」
ぴしゃりと言われてしまう。
だがフローラも引けなかった。
「なぜですか。私は、生涯をあなたに捧げたいと考えています」
「嬉しいことを言ってくれる。金糸雀を傍に置けるなら、私はどこでもやっていけるだろうな」
「でしたら、」
「それでも駄目だよ。君には幸せになってほしいんだ」
「っ……!」
フローラは心の奥で叫びたくなる。
どうしてわかってくれないのかと。
「私は、あなたの侍女でいられることが、一番幸せです」
「友情としての答えなら満点だ。だけどねフローラ。私は君に、幸せな結婚をしてほしいと思っている」
「結婚……?」
思わぬ言葉に絶句してしまう。
結婚なんてできるわけがない。
それはフローラが一番分かっていた。
「今までの見合いは全て相手が悪かっただけだ。ご両親も嘆いていたよ。もう少しまともな男がいたはずだと」
「私は結婚なんて望んでおりません。もう二十三です。行き遅れた令嬢だと皆に思われております」
「君は魅力的な女性だ。年齢なんて関係ない」
「でも、」
「フローラ!」
よく見れば彼女は少し顔を歪ませていた。
「わかってくれ。なによりも傷に効くのは愛情なんだ。君に深い愛情を与えてくれる人がきっと現れる。だからお願い。結婚を諦めないで」
「…………」
「今日はもう、行くね」
ヨセフィーナは立ち上がり、その場から移動してしまう。残されたフローラは、ただその場に突っ立っていた。結婚して欲しいという主人の願いが、信じられなかった。
(……結婚なんて、無理よ)
散々拒否された。それは自身にある傷のせいで。
受け入れてくれる男性なんているわけがない。
結婚に憧れた時期はあった。
でも今はもう疲れた。
傷のせいで向き合うことすら疲れた。
――それに。淡々と結婚を受け入れるヨセフィーナに、幸せな結婚を望むなんて言われたくなかった。
フローラは離宮にある庭の花の世話をしていた。
これも大事な侍女の仕事の一つで、枯れている花がないかどうか、葉っぱが地面に落ちていないか、雑草がないか、細かいところまでチェックする。庭師は別にいるのでフローラが行うのは簡単な仕事だけだが、敷地が広いので全て見るのに時間はかかる。
フローラにとってこの時間は心を落ち着かせるものだった。
先程感情的になってしまったが、ヨセフィーナの気持ちは痛いほど分かった。
もうすぐヨセフィーナはいなくなる。
守ってくれる人がいなくなる。
だからその前に、幸せになってほしい。
幸せにしてくれる人に出会ってほしい。その思いがあるのだろう。
ヨセフィーナの嫁ぎ先は決まったわけだが、すぐに嫁ぐわけではない。入念な準備期間を経て、盛大な結婚式を挙げる。早くて半年、遅くて一年は期間がある。それまでの間に、自分は何ができるだろうか。フローラはそんなことを思いながら仕事をしていた。
この時間、庭にはフローラ以外いない。
だから自分のペースで仕事ができるのだが。
ふと、庭の真ん中に見慣れない赤毛を見つけた。
(……誰?)
離宮の使用人に赤毛の人はいない。
隠れながらそっと近付いていく。
その人物は背が高いようで、左右に首を動かしていた。もしかして迷ったのかもしれない。離宮の地図は限られた者しか知らないため、城の者が迷いこんでしまうことがあるのだ。
「あの、」
声をかけると、その人物は振り返った。
精悍な顔つきをした男性だった。
白シャツに黒のサスペンダー。首元のボタンは開いている。首が太く、筋肉もあるのか体が大きかった。赤毛の髪と同じくらい目立つのは、顔にある傷。右目の下から鼻に向かって一本の切り傷のようなものがある。顔が整っているため、その傷さえもまるで勲章のようだ。
「あんた、ここの人?」
「は、はい」
随分馴れ馴れしい話し方だった。
フローラを見ても特に反応がないので、外から来た人かもしれない。フローラは幼少期から貴族界で有名で、顔と名前を知らない人はほぼいない。自分を知らない人に出会ったのが久しぶりで、フローラは少しだけ戸惑った。
「俺、呼ばれて来たんだ。王宮はここか?」
「いえ、ここは離宮です。王宮はあちらになります」
腕を伸ばして伝えると、相手は頷いた。
「助かった。ここ、入ってよかったか? 城のマナーとかよく知らないんだが」
「大丈夫です。迷られる方はいますので」
「そうか。……悪い」
「?」
急に男性は距離を取った。
「近いと怖いだろ。俺は背が高いし体がでかいから。圧があると言われたことがある」
若干渋い顔をしているので、何度か人に言われたことがあるのだろう。確かに彼は背が高い。自分の頭一つ分はある。
客観的に見れば二人きり。
だが実は、離宮には凄腕の護衛が何人も隠れている。何かあった時に対処できるように。今もおそらくこちらをじっと見ているはず。それが分かっているから見知らぬ人とも普通に話せるのだが、不思議と彼は、話してみて嫌な感じがなかった。
フローラと分かって声を掛けてくる人は、大抵フローラの容姿を見て、声を聞いて、自分の物にしたがる空気を出してくる。だがこの男性は、それが一切ない。逆に申し訳なさそうにしている。
フローラは少しだけ含み笑いをする。
なんだかおかしかった。一見強そうな風貌をしているのに、女性一人に対してここまで気を遣ってくれるなんて。笑ったことがバレないように平静を装いながら、穏やかな声色で伝える。
「大丈夫です。ご心配、ありがとうございます」
「ならいい。じゃ」
男性はその場から歩き出そうとする。
が、一度足を止めた。
「名前聞いてもいいか? 上の人に礼を伝えておく」
「いえ、そんな」
そこまでする必要はないと首を振る。
だが相手は引かなかった。
「俺はルドルフ。ルドルフ・ブレッド」
名乗られたら言わないわけにはいかなかった。
「フローラと申します」
「いい名前だな。花と春と豊穣を司る女神の名前と一緒か。恩恵がありそうだ」
思わず目を丸くしてしまう。
名前を由来を知っているなんて。
両親はまさに女神の名前からつけてくれた。
一発で当てた人はそんなに多くない。
(この方は一体誰なのかしら)
城に呼ばれたということは、それなりに身分のある者なのだろうか。それとも、何かしら功績を残した人かもしれない。貴族では見たことがない人だった。これだけの容姿で赤毛なら、噂になってもおかしくない。
「おーい。ルドルフ、どこにいるんだー?」
遠くから声が聞こえてくる。
ルドルフはそれに気付いた。
「ケヴィン! こっちだ」
「お前、そこにいたのかよ~」
騎士の制服に身を包んだ人物が近付いてくる。
ケヴィンと呼ばれた男性は、ルドルフを見つけて安堵していた。どうやら探していたらしい。隣に目を動かした瞬間、ぎょっとした顔になる。
「フ、フローラ・エディスト嬢……!」
「……お疲れ様です」
フローラは最低限の挨拶をした。
そう、これが普通でよくある反応。
「私は仕事がありますので。これで失礼します」
丁寧に礼をした後、フローラは歩き出す。
二人からの視線を背中に感じながら、徹底的に気付いていないふりをした。




