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文字数ちょっと多めです。
ヴィルミーナは前世記憶と王族という出自の優越性を最大に利用してきた。
野放図にではなく、周到に入念にきっちり護身を図ったうえで。
なんといっても、前世で野心と上昇志向の赴くまま振る舞った結果、地獄の海外行脚に放り込まれて散々な目に遭った。
なればこそ、異世界転生――それが小学生の遊ぶ砂場に乗り込むようなもの――でも決して油断しない。小学生を侮った結果、映画『ホームアローン』よろしく砂場に埋められる可能性だってあるから。
むしろ相手や周囲が子供のようなものだから怖い。イラクでもコーカサスでも中南米でも、子供がテロリストやギャングの手先として活動していた。子供らしい愚かさと無鉄砲さと残酷さで何でもやる。子供だからと侮れるわけがない。
ゆえに、ヴィルミーナは無分別に力を行使してイキリ倒すのではなく、慎重に入念に周到にきっちり手を回したうえで“俺TUEEEが出来るように”立ち回ってきた。精神年齢ウン十歳のババアは年の功を無駄にしない。過去と体験を活かすのだ。
そんなヴィルミーナでも、自身の目や耳や手が届かないところや、手の及ばない領域で事が起きてはどうしようもなかった。
〇
大陸共通暦1780年:ベルネシア王国暦262:秋
大陸西方メーヴラント:ベルネシア王国:王都オーステルガム
――――――――
凶報は2つの筋から届いた。
一つはヴィルミーナに“借り”がある王国府筋から、ニーナが持ち込んだ。
一つは白獅子の裏方仕事を担う『北洋貿易商事』から、商事の幹部ゲタルスが持ち込んだ。
2人は同じ凶報をヴィルミーナへ届ける。
『近く地中海に嵐が吹く可能性大』
瞬間、王都社屋総帥執務室の空気が凍りついた。ヴィルミーナは白目を剥きかけ、同席していたアレックスが顔から血の気を引かせる。
当然だった。
地中海が荒れる → 聖冠連合との貿易に支障が出る → 鉱物資源と黒色油の輸入がピンチ → 添加合金鋼と液体燃料系の全商材の製造生産が、が、が、が……
白獅子の経営戦略が根底からひっくり返りかねない大ピンチ。
「セツメイシテ」
端正な顔を真っ青にしたヴィルミーナの声が裏返っていた。
50代に足を踏み入れ、初老紳士然としたゲタルスは居住まいを正し、“商事”が掴んだ情報を開陳する。
経済的にピンチを迎えていたアルグシアがコルヴォラント勢力に空気を入れ、地中海の実権を巡る抗争、もしくは戦争を起こそうとしている。
コルヴォラントは地中海の利権を聖冠連合とクレテアに二分されている現状を打破したかったのか、アルグシアの工作に乗る気配や機運が濃い。
聖冠連合もクレテアも現状は和戦両方で対策を検討中。メンテシェ・テュルク帝国の動向は掴めず。
「王国府からの情報も同様です」
ニーナもゲタルスの説明に追従した。
ヴィルミーナは憤怒と憂慮と憤慨と不安の百面相を繰り返しながら、内心で吐き捨てる。
聖冠連合との線を絶たれたら、ニッケルが、クロムが、モリブデンが、石油がっ! 特に石油やっ! 代替調達先がないっ!! ああああああっ!! おのれ、アルグスのカッペ共ッ! おのれ、コルヴォラントのボンクラ共ッ!!
ヴィルミーナはゲタルスとニーナを睨みつけて問う。
「――この件に対する王国府の方針は?」
「私の筋では協働商業経済圏の軍事協定が適用されるか、検討中とだけ」
「政府が聖冠連合、クレテア、アルグシア、コルヴォラントのいずれに働きかけをしたという情報はありません」
ニーナとゲタルスの回答に、ヴィルミーナは顔を真っ赤にして眉目を吊り上げた。
役人共めっ!! 面倒やって静観決め込む気かぃっ!!
細面を大きく歪ませて黙り込んだヴィルミーナを横目にしつつ、アレックスはゲタルスに問う。
「本当にコルヴォラントは事を起こすのですか? こう言っては何ですけれど、コルヴォラント諸国は小国ばかりでまとまりが無いわ。メーヴラントの二大国を向こうに回せるとはとても思えない」
「リンデ様のおっしゃる通り、コルヴォラント勢力は小国の群れに過ぎません。しかも、過去の因縁や怨讐、打算などから外敵相手にもまとまりに欠きます。戦になれば、聖冠連合にもクレテアにも勝てないと断言できます」
ゲタルスは口髭をひと撫でしてから続けた。
「しかし、伝統的にコルヴォラントの海上戦力は侮れません。テュルクやエスパーナと戦火を交え、勝利した歴史もあります。彼らは海戦に望みを託しているようです」
「歴史的にはそうだけれど……アルグシアが動いていると言っても、コルヴォラント諸国と国境を接していないのよ? 彼らはどうやってコルヴォラントを支援する気なの?」
問いを重ねるアレックスへ、ニーナが答えた。
「第三国を通じて密輸させればいいだけだよ。やり方なんかいくらでもある。第二次東メーヴラント戦争で判明したように、アルグシア軍は装備を更新してる。ここぞとばかりに旧式化した武器弾薬をコルヴォラントへ売りつける気だろうね」
「なんてこと……」
アレックスは思わず目を覆って項垂れる。
彼女達がやり取りしている間、ヴィルミーナは黙りこくったままだった。
「あの、ヴィルミーナ様? 大丈夫ですか?」
ゲタルスが心配顔で案じるも、ヴィルミーナは反応すら返さない。五感がシャットダウンされるほどに脳味噌を酷使し、猛烈な勢いで思考している。
A:地中海で戦争が起きた場合に白獅子が被る影響、損失と損害。
B:地中海で戦争が起きた場合における各種資源、素材の代替調達案とコスト面。
C:地中海で戦争が起きた場合のベルネシア経済、世界情勢に対する影響。
D:地中海で起きる戦争防止と抑制の可否。またはその方法。
E:地中海で起きる戦争の早期解決の可否。またはその方法。
F:アルグシアとコルヴォラント諸国に対する罵詈雑言。
紺碧色の瞳が虚空を睨んだまま微動にしない。こめかみや額に浮かんだ血管や眉間に刻まれた深い皺が幾度も幾度も蠢く。
白獅子と祖国の命運を賭した大博奕――ベルネシア戦役時の大規模仕手戦――の時すら泰然と振る舞っていたヴィルミーナが苦汁を隠さないことに、アレックスもニーナもゲタルスも息を呑む。ヴィルミーナの様子から今回の“危機”の深刻さを改めて理解し、冷や汗を滲ませた。
そう、此度の地中海危機は不味い。
何が不味いと言えば、商戦攻勢を実施した後、という時勢が不味い。液体燃料の普及を目的として照明器具、暖房器具、調理器具をたらふく売ってしまった。ここで石油の調達が滞り、あるいは戦争から値上がりしたら、客は『液体燃料物は当てにならない』と不信感を抱く。
そうなれば、次に売り出す予定の液体燃料化した蒸気機関や内燃機関が売れない。普及しない。白獅子の動力機関事業が大きくつまずいてしまう。社会と産業の機械化も遅れてしまう。
もちろん、鉱物資源も石油もそれなりに備蓄しているが、これから冬が来る。暖房器具用に需要が増える。冬の最中に備蓄が尽き、輸入による補充が出来なかったら灯油を供給できない。暖房器具を購入した既存の客達が激怒するだろう。
反白獅子、反ヴィルミーナの連中は間違いなく、ここぞとばかりに攻撃してくる。徹底的にヴィルミーナと白獅子の面目と沽券を貶め、信用と信頼を削ぎ落すはずだ。競合他社の群れは悠々と白獅子の持つ利権や市場シェアを掻っ攫っていく。
絶体絶命とまではいかなくとも、屋台骨が揺らぎかねない巨大な危機。
ヴィルミーナが隠すことなく端正な顔を苦しげに歪めても無理はない。
ただし、大規模仕手戦の時と違うことがあった。
「ヴィーナ様……ヴィーナ様っ!」
“侍従長”アレックスが独り思考に没頭するヴィルミーナへ鋭い声を飛ばし、背筋を伸ばして静かに、そして、強く訴えた。
「お一人で抱え込まないで下さい。私共が御傍に居ります」
「非才の身なれど、全力を尽くしますと誓います」
ニーナも真摯な面持ちで続く。ゲタルスも無言で大きく頷いた。
大規模仕手戦の頃と違い、側近衆達は見識と経験を蓄積して成長した。いずれも有能で頼もしい人材に育っている。安心して恃むことが出来る部下も揃っている。
ヴィルミーナは瞑目して深呼吸する。長く大きくゆっくりと。
冷静さを取り戻したヴィルミーナはどこか疲れた笑みを浮かべ、
「……ありがとう。無様なところを見せたわね」
甘えるようにアレックスへ言った。
「アレックス。貴女の淹れた珈琲が飲みたい。お願いできる?」
「すぐに」とアレックスは柔らかく微笑んでティーワゴンの許へ向かう。
ヴィルミーナはニーナとゲタルスへ顔を向けた。
「貴方達にも心から感謝を」
「感謝の極み」と嬉しそうに表情を和ませる“信奉者”ニーナ。
「もったいなき御言葉です」と誇らしげに首肯するゲタルス。
椅子の背もたれに体を預け、ヴィルミーナは天井を見上げた。
「添加鉱物は外洋領土や他国から代替調達できる。でも、黒色油は不味い。現状、調達先は聖冠連合帝国しかない。地中海を戦火で塞がれたら終わりだ」
「ヴァンデリックを経由してカロルレンの素材資源ルートから輸入しては?」
ニーナの指摘は一つの解決案だが、満点回答ではない。
「運輸コストが跳ね上がる。何よりカロルレン自体がいつアルグシアと戦争するか分からない。それに、戦争による物資需要の変化で調達価格が上がる公算も大きい。もちろん、いざという時は強行するしかないけれど……」
ヴィルミーナは渋面を浮かべた。
間違いなくこの機に乗じて白獅子の技術を要求する奴らが現れる。
添加合金鋼や動力機関の技術。飛空船の改修改造に長けた造船系技術。パッケージング・ビジネスで見せた組織的展開能力。白獅子が持つ流通網とコネクション。その他あれやこれや。
白獅子の肉を貪ろうとあらゆる連中が群がるだろう。
忌々しいタカリ屋共め。
まったく始末に悪い。
大規模仕手戦の時は危険と引き換えに、莫大な利益と祖国の勝利を得ることが出来た。
だが、この地中海危機はまず損失有りきだ。組織の傷口を如何に小さく留めるか、損失を如何に少なく抑えるか。まるで敗走中の後衛戦闘だった。
しかも理由が完全なとばっちりときた(遠因を挙げれば、ヴィルミーナが協働商業経済圏の端緒を切ったのだから、まったく非が無いとも言えない)。
あああああああ、腹立つぅうううううううっ!!!
ヴィルミーナが技巧に長けた表情筋を駆使し、百面相を始める。
あ、いつものヴィーナ様に戻った、とニーナが内心で安堵した。
「ヴィーナ様、どうぞ」
アレックスが珈琲を注いだ白磁のカップをヴィルミーナへ渡す。
ありがと、とカップを受け取り、ヴィルミーナは珈琲を味わう。
「……美味しい」
表情を和ませるヴィルミーナを見て、アレックスも微笑む。
「ひとつお伺いしても?」
面持ちを引き締めたゲタルスが問う。
「何か案があるようね」ヴィルミーナは冷たい目で「披露したまえ」
ゲタルスは言った。冷厳に。
「連中が“外”に気を向けられぬようにしては如何でしょう?」
その提案の意味することを察せられない愚者は、この部屋に居ない。ヴィルミーナは眉根を寄せ、アレックスが顔を強張らせ、ニーナはごくりと生唾を飲み込む。
ゲタルスの発言の意味するところは『コルヴォラント勢力が糾合して対外戦争するというなら、その音頭取り達を暗殺し、コルヴォラント内で潰し合いを起こさせてはどうか』だ。
言うまでもなく犯罪だ。が、一つの解決策ではある。
指導者というのは存外、代わりが効かない。封建的社会だと血統だのなんだの指導的立場に就く条件があるので、代替人物を立てることが難しい(日本の武家社会が良い例だ)。
「いくらなんでも――」
反対意見を述べようとしたアレックスを手で制し、ヴィルミーナは首を横へ振った。
「可否は別にしても、事が露見した時のリスクが大きすぎる。絶対に許容できない。この場の冗談で済ませるわ。外では決して言わないように」
アレックスとニーナが安堵の息を吐いて胸を撫でおろす。
ゲタルスも採用されるとは思っていなかったのか、「不相応な案でございました」とあっさり退いた。
珈琲を再び味わい、
「側近衆と事業代表を招集して緊急会議を開き、対策を検討しましょう。アレックス、ニーナ。各位へ連絡して。それから、ゲタルス。商事で動かせる人間を投じて地中海情勢の情報を搔き集めて」
ヴィルミーナは告げた。
「まずはこの危機を乗り越える。そして、損失分は利子込みで必ず取り戻す」
ゾッとするほど凶悪な顔つきで。
「奴らの血を絞り出してでも」
〇
地中海でコルヴォラント勢力と戦争をするかもしれない。
この情報を得たクレテア海軍は歓喜し、沸き立った。
ベルネシア戦役に敗れて以降、クレテア海軍は不遇をかこっていた。
あの戦争に敗れた理由は数あれど、クレテア海軍の海上封鎖や海路通商破壊が失敗し、ベルネシアが外洋派遣軍を呼び戻せたことは大きな要因の一つだった。この件で海軍は長く批判と非難に晒されていた。
特に、クレテア陸軍は戦役時にクレテア海軍が損害を恐れて飛空船を出し渋った結果、ベルネシア飛空船部隊に散々殴られた件を強く強く恨んでいた。事あるごとに海軍を非難し、誹謗し、罵詈雑言を喚いている。
こうした海軍への強い風当たりは戦後の軍再編でも容赦なく発揮された。海軍上層部は刷新され、『陸軍再建のため』として海軍の予算が大幅に削られてしまった。
以来、クレテア海軍は少ない予算をやりくりしながら、軍船の保持と水兵の練度維持に四苦八苦してきた。
協働商業経済圏が発足し、かつての宿敵イストリア海軍とベルネシア海軍が御友達になったことで、クレテア海軍は一層窮地に追い込まれた。
なんたって戦力規模と実力ではイストリアに敵わず、飛空船部隊はベルネシアに勝てない。
ここへ、協働商業経済圏の成立でクレテア海運業界がイストリア海運業界に押され、辛うじて地中海貿易で生き長らえる情勢が追い打ちをかけた。
『三列強の間で軍事協定が結ばれたわけだし、外洋はイストリアとベルネシアに委託し、我が国の海軍は沿岸と地中海に専念してはどうか?』
政府からこんな意見が出たのだ。
これまで強敵相手に悪戦苦闘しながら、必死に外洋領土とその航路を守ってきた。それをこの扱いである。耐えに耐えてきたクレテア海軍も我慢の限界だった。
ゆえに、クレテア海軍は汚名返上、名誉挽回の機会に飢渇していた。
これはベルネシア戦役後に目立った戦争を経験していない陸軍も同様だった。ベルネシア戦役敗北の苦みを拭う勝利の酒を求めていた。
ベルネシア戦役以降、出世の機会が乏しかったこともクレテア陸海軍の将校達を強く刺激していた。
彼らは戦争がしたかった。勝てる戦争がしたかった。
戦争を求める軍人はクレテアに限らない。
聖冠連合帝国の海軍もまた、活躍の機会を欲していた。
主敵たるメンテシェ・テュルク帝国海軍もここ数十年ほどは地中海の先にある灰狼海に軸足を置いており、地中海でドンパチを起こしてないため戦火がなかった。コルヴォラント勢力とは幾度か小競り合いをしたが、あくまで小競り合い。戦争とは言えない。
東メーヴラント戦争も東征も陸軍のものであり、帝国海軍がしていることといえば、沿岸警備と領海警備だけ。ここ数年で目立った出動はソルニオル事変時の哨戒出動くらい。
活躍したい。聖冠連合帝国海軍は戦争を欲していた。
活躍したい。これはベルネシア本国海軍も同様であった。
ベルネシア外洋派遣軍の海軍部隊は航路や外洋領土海域の警備に忙しくしているが、本国海軍は割合、暇だった。エスパーナ大乱のおかげで海賊狩りという暇潰しが出来たが、イストリア軍がゲリュオン半島を制圧して以降は北洋方面の海賊が激減し、再び暇になった。
ベルネシア本国海軍は平和に飽いていた。
そこへ届いた地中海の不穏な噂。
協働商業経済圏の軍事協定に基づけば、クレテアに味方して参戦することも不可能ではない。
本国海軍のベルネシア海上艦艇部隊が特に鼻息を荒くしていた。ベルネシア戦役でも海上警備でも目立つのは飛空船部隊ばかり。僕達も活躍したい。活躍したいよぅ。
なんたって、相手はコルヴォラント勢力の雑多な寄せ集め。数も質もたかが知れている。
こんな格好の獲物を逃す手はない。一方的にぶっ飛ばして勝利の名誉を掴むのだ。
とまあ、これはあくまで各国軍隊の意見だ。
施政者の立場では見解が異なる。
「勘弁してくれ」
クレテアの若き国王アンリ16世は軍部の様子を知り、肉付きの良い顔を大いにしかめていた。
大陸南方へ大外征を企図していたアンリ16世は、やっと再建した戦力と大事な国費をコルヴォラントなどという面倒(たとえば法王庁とか)な土地に費やしたくなかった。
しかしながら、大陸南方北部へ侵攻する際、地中海の制海権があれば助かることも事実で、アンリ16世は頭を悩ませることになった。
円熟したベルネシア国王カレル3世も同様の問題に直面していた。
海軍からは参戦の懇請。経済界からは戦争市場で儲けたい意向が伝えられていた。また、ソルニオル領経済特区に投資している連中や、ヴィルミーナのように聖冠連合帝国と商売している者達が戦禍による地中海航路の断絶を危惧しており、『なんとかしてくれ』と懇願してきた。
カレル3世にとって地中海の戦争も、戦争市場も、地中海航路の危機も“些末”な問題だった。
この時代における平均寿命後半に入ったカレル3世としては、残された時間で本国と外洋領土の和解か融和、最低でも対立の軟着陸を成し遂げようとしていた。
そもそもベルネシアは地中海と縁が薄い。戦争に参加したところで賠償金以外に得るものは少ないし、得たところで扱いに困る。
戦争市場? そんなものに頼らなくても経済圏で十二分に利益が出ているではないか。
投資家その他の泣き言に関しては、それこそ自由経済における自己責任の範疇だし、件の安全保障はベルネシアではなく聖冠連合帝国が負うべきことだ。
そんな折、可愛くも恐ろしい姪っ子が良い笑顔でやってきた。
「伯父様。御相談があります」
カレル3世は頭を抱えた。
2人の王が頭を抱えている頃、聖冠連合帝国の新皇帝レオポルドは面倒臭そうに顔をしかめていた。
「コルヴォラントの連中はなんでここまで頭に血を昇らせてる。アルグシアのマヌケ共に煽られるほど愚かでもあるまい」
「いろいろ要因はあるでしょうが、最も大きな要因は3列強の協働商業経済圏と我が国の経済圏が拡大し、彼らの商圏が後退したからでしょう。一言でいえば、金の恨みですな」
新宰相のステパノヴが柔和な面持ちで毒舌を吐く。
悪党面にセイウチ染みた体躯の前宰相と違い、ステパノヴは柔和な面差しに瘦躯でアスパラガスみたいな壮年男性だった。
ディビアラント人貴族である彼の宰相就任はひと悶着あったが、帝国皇妃がディビアラント人であり、皇子皇女が混血である以上、人種や民族を理由に非難批判は出来ない。専制君主国家で不敬罪は文字通り、命取りだから。
こめかみを揉みながらレオポルドは諮問する。
「連中と戦争をした場合の影響は如何ほどになる?」
「早期終戦ならばさほど。ですが、長期化した場合は深刻です。協働商業経済圏との貿易や経済特区の利益にかなりの損失を招くでしょう」
ステパノヴがさらっと告げた答えは大問題だった。
帝国の活況は協働商業経済圏との貿易によるところが大きく、経済特区の利益は何かと反抗的な東部の懐柔や東征占領地の鎮撫に欠かせない。
レオポルドが渋面を濃くし、問いを重ねる。
「法王庁に働きかけて戦争を防げないか?」
「探りを入れたところ、法王庁は開戦に前向きです」とステパノヴ。
「……冗談だろう?」レオポルドは目を瞬かせ「奴らは聖伐軍でも起こす気か?」
「これもまた金の恨みですよ、陛下。コルヴォラントの景気悪化で教会の商売も滞り、寄付や寄進が減っていますので」
「生臭坊主共め」とレオポルドは苛立たしそうに毒づく。
「法王庁へ仲裁と和解の協力文書を出し、その旨を各国へ通告しておきましょう。戦争が防げれば良し。開戦に至っても、我が国が平和的解決に努めたという国際的証拠があれば、内外に大義名分が立ちます」
ステパノヴはニコニコと柔和な顔でさらりと辛辣な外交策を提案する。
セイウチの後任者もまた、一筋縄でいかぬ曲者だった。
そして―――大陸西方コルヴォラントの法王国。
聖王教伝統派の頂点に立つ法王ゼフィルス8世はいよいよ年波に屈し、死神に両足を掴まれていた。
さしもの大政治家ゼフィルス8世も床に臥せっては指導力など発揮できない。如何に彼が戦争を防ぎたくとも、主戦派の枢機卿や大司教達、強硬派の法王国貴族を掣肘できない。
法王の盟友にして側近中の側近、筆頭枢機卿ザカリオンが健在ならば、また事情も違ったのだろうが、神はゼフィルス8世より先にザカリオンを召し出していた。
ゼフィルス8世は死を間近に感じながら乞い願う。
神よ。聖王よ。どうか敬虔なる信徒達に御加護を。
如何せん、彼の声が天界に届くことはない。
それも当然と言えば当然だろう。歴史上、ただの一度たりとも神が人の願いに応えたことなど無いのだから。
神とは究極の傍観者に過ぎない。ただ天から眺めるだけ。
17章はこれまで。
閑話を挟んでから18章に入ります。




